結末のわからない恋の物語

出雲沙之介

マラソン大会前

『待ち合わせはどうしましょうか?』

『会場に9:00ですよね。店長さんは車で行きますか?』

『大会のあとどっか動くなら、どっかで待ち合わせて車一台で乗り合わせて行った方がいいかなーと』



マラソン大会の1週間程前、里香ちゃんとLINEで待ち合わせのやり取りをしていました。

しかし、お互いの気持ちもハッキリしている仲でキスまでしたのに、付き合っているのかと聞かれると微妙な関係なんですよね。

なんとなくなんですけど、男女の関係って「付き合って下さい」「はい」がないと、たとえ肌を重ねる関係になっても恋人同士とはいわないような、そんな風潮があると私は思うんですよね。

まぁ、浮気野郎の言い訳かもしれませんが。

私と里香ちゃんの関係もそんな感じなので、待ち合わせにも何かと理由をつけてしまいます。

『一緒に行こう』というカップルとして当たり前のことがどちらからも何故か出てこなくて、『乗り合わせて行った方がいいかなー』なんて、奥手な男のようなことをやっているアラフォーです。



『じゃあ、そこに8時半ですねー
楽しみです(≧∇≦)』

里香ちゃんからの返事で今日は終了…

いや、ちょっと待って、忘れてた!!

『そうだ、終わってからご飯でも行こうって前話したと思うけど、お風呂屋さんとかどう?』

以前、里香ちゃんとカラオケBOXでストレッチをした時に、ジャージでこういう所は…という女子のお悩みがありました。

なので、マラソン大会後にご飯に行くにも、着替えとかしなきゃなーと、漠然と考えていました。

しかし、女の子に車の中で着替えてもらうのも、無理ではないかもしれないけれど、やっぱり申し訳ないと考えていたら

どうせ汗かくし、お風呂屋さんはどうだろう?

と、思い付いたのです。

最近のスーパー銭湯では、飲食の方も充実しているところも多いですからね。

『それ、私も思ってました!!』

なーんと!!里香ちゃんも同じことを考えていただなんて、思わず舞い上がって声を上げてしまうところを、慌てて自制し、落ち着いた態度を崩さぬよう意識を保ちました。



今日は私は公休日なので、自宅にいます。



里香ちゃんの休憩時間に合わせてLINEしているわけですが

テーブルを挟んだ斜め向かいでは、妻がスマホでゲームをしています。

会話がないわけではないですが、顔を合わせている間中お喋りをするほど話題があるわけでもないので、夫婦二人で黙ってスマホをいじっているということはよくあります。

よくありますが、こうして別の女性(私の中ではまだ付き合っている認識ではないので、愛人とか不倫相手とかと呼ぶのも微妙なんです)と待ち合わせのやり取りをしているというのは、ちょっと罪悪感を感じてはいます。



とりあえず、妻にニヤケ面を見せるわけにはいかないので、あたかも誰かの相談事に乗っているように見せかけるために、難しい顔で深いため息をついてみせます。

『じゃあ、会場の近場で良さげなお風呂屋さん検索しときまーすヽ(・∀・)  』

表情と感情がチグハグになっていると首がこると、次郎氏に言われたのを思い出し、思わず首をさすりました。



マラソン大会の待ち合わせからアフターデートまで大まかに約束を取り付けて、今回のLINEのやり取りは終了です。

ある意味連絡事項のみのやり取りではありますが、ほぼデートの約束でもあるので、やっぱりカップル的な関係ではあるのだろうなぁと、考えてしまいます。

愛人?

不倫?

私の解釈では、不倫とは一線を越えた関係だと考えているので、今はまだそうではないと言えます。

ただ、気持ちは動いてしまっているので『浮気』にはなるのでしょうね。

愛人の定義が何なのかよくわかりませんが、今はまだ微妙な関係と言い切れるかなと思っています。



チラッと妻へ目を向けると、じーっとスマホへ目を留めたままゲームに集中しているようです。

ま、ある意味ボーッとしているのと同じではないかと思っているのですが

どちらにしても、今私が何をしていたかは気付いていない様子でした。

私はこっそり安堵の息を吐くと、スマホをテーブルをに置いてトイレへ立ちます。

あえて置いていくことで、何も後ろめたいことなどないですよアピール…の、つもりです。



トイレのドアを閉めて、鍵を閉めて

「ーーー!!」

声を出さずにニヤケ面を全面開放し、何度もガッツポーズをとります。

わかってます、オカシイのはわかってます。

ただ、好きな子と手も届かない距離で見つめ合うだけの毎日で

IT全盛のこのご時世に、通信によるやり取りも気を使って最小限に抑えている関係で

いつ、どこで、待ち合わせ…なんていう『リアル』を感じるようなやり取りをしただけで舞い上がってもいいじゃないですか!!

流石にロミオとジュリエットのような…なんて痛々しいことは言いませんが、織姫と彦星ぐらいは言わせてください。

あ、一年に一回しか会えない織姫と彦星よりはいいのかな?



こうして里香ちゃんとの繋がりを感じることの出来た日は、よく眠れます。

けど、仕事中あまり目が合わなかったり、お互いの休みの関係で3日も4日も会えなかったりすると、たちまち眠れなくなります。

けど、二晩ほど眠れぬ夜が続いても、その次の夜は何があろうと眠れてしまいました。

歳とか体力とかの問題でしょうかね。あまり続けて寝不足にはなれないようです。



そうやって、マラソン大会までの待ち遠しい日々を過ごしているうちに、あと3日と迫った朝の駐車場でのことです。



「店長さん、おはようございます!!」

後ろから足音が近付いていたのは気付いてましたが、あえて振り返らずに歩いていました。

そして、声のした方を振り返ると、そこには予想通りの大好きな笑顔がありました。

「おはよう里香ちゃん、朝会えるなんて珍しいね」

いつもよく着ている淡いパステルパープルのカーディガンのような薄手のニットに、朝の整えたばかりの栗色の髪がふわりと揺れます。

ショートパンツが多い里香ちゃんですが、今日は柔らかめのジーンズで、パートの主婦っぽさを感じますが、小柄な里香ちゃんなら休日の中学生みたいにも見えます。

「えへっ、今日はちょっと待ち伏せしちゃいました」

と、上目遣いではにかむ里香ちゃん。

くっ!!可愛い!!

全力で喜びを表したいのに、職場の駐車場では誰が見ているかわからないので全力で我慢します。

「嬉しいこと言ってくれるねー」

「うふふっ。あ、ちょっと大事なお話があるんですけど…」

「え…?」

里香ちゃんが声のトーンを抑えて、辺りをキョロキョロ見回す様子を見て、なんとも言えない不安な気持ちに飲み込まれます。

私と里香ちゃんの関係で『大事な話』と言われると…

いよいよご主人にバレてしまったのか…

「実は…」

ゴクリ…

意味深に間を開ける里香ちゃんに、私の緊張も増します。

「旦那さんが…」

嗚呼!!やっぱり!!

覚悟を決める時が来たのか…!!

「来週から転勤になるんですよ」

「……………え?」




里香ちゃんのご主人が、隣町の職場に転勤になるので、いろいろ準備も兼ねてまとめて有給を取ったそうでした。

で、先週からマラソン大会翌日まで丸々1週間休みなので、マラソン大会送迎すると言いだしたのだとか。

里香ちゃんは、職場の人達と待ち合わせて行くからやめてと言ったそうですが…怪しまれなかったかちょっと心配です。

迎えも、みんなで温泉行ったりご飯したりするから何時になるかわからないからいいと、断ったみたいです。

まったく、なんてタイミングで有給なんか取ってくれるんだ。

まぁ、マラソン大会見学に行くって言い出さなかっただけ良かったですが…



こっそり見に来てたらどーしよう…



里香ちゃんが言うにはそれはないとのこと。

根拠はないので、一応警戒しておきますかな。

それとは別に、ご主人の転勤を聞いた時、私にはもう一つ不安が過っていました。

しかし、もう従業員用出入口に着いてしまったので、その疑問はまた今度聞くことにして、そこで里香ちゃんと別れました。



仕事中は、それなりに忙しかったのもあり余計なことを考えずに済みました。休憩時間も急に呼ばれたりと落ち着かなかったですが、今のこの状況ではかえってありがたかったです。

家に帰ってからも、食事や風呂のあと、いつもなら1時間半ぐらい携帯をいじってから床に就くのですが、この日はすぐに寝てしまいました。

そして、変な夢を見ました。

詳しい内容までは覚えていませんでしたが、やけにリアルな夢だったのは覚えています。

その中での登場人物は、過去のいろんな時期の知り合いが高校の教室のような所で一同に会し、同級生のように絡んでいたのは覚えていますが、詳しく誰が出て来たかまでは、起床後の数十分で忘れてしまいました。

ただ、1人だけはっきり覚えている人物がいます。

もちろん、里香ちゃんです。

彼女が夢に出るのはこれで2回目でしょうか。

以前、里香ちゃんが初めて夢に出たときに本人に伝えたら「私は毎日店長さんの夢を見ていますよ」と言われてしまいました。

それは夢ではなく妄想では?と、突っ込みたかったですがやめておきました。



マラソン大会前日は、職場で里香ちゃんの顔を見ることができて幸せな気分に浸っていましたが、里香ちゃんが帰ってから何かとドタバタしていました。

今日は副店長の内藤さんも、何かとよく動いてくれるマリちゃんもおらず、店長じゃないと解決できないような問題はもちろん、ちょっとした備品の置き場のような細かな事まで全部私に聞いてくるので、軽く天手古舞っていました。 

いつもでしたら、「内藤さんに聞いて」とか「マリちゃんちょっとよろしく」とかって丸投げするんですけどね、普段からそうやって人に頼ってばかりいるから、こういう時にパッと対応できないのでしょうね。

反省です。

まぁ、そんな時に限って色々と起きるのは、なんちゃらの法則というやつでしょうか。

そんな流れが閉店後まで続き、それらの処理をしていたら、いつもよりも30分以上も帰る時間が遅くなってしまいました。



はぁ〜、疲れた。

こんな時、何か甘いものが食べたくなるのは何故でしょうね。

明日はマラソン大会なんだから、早く帰って早く寝なくてはいけないとわかっています。

けど、小腹の空いた感に何故か抗えずに、いつのまにかコンビニに寄っていました。

そして、何故か何となく気なっていた本を見つけてしまい、立ち読みしてしまいました。

結局、いつもよりも1時間以上帰宅が遅くなり、眠い目をこすりながら夕飯を済ませてお風呂に入ります。

少しぬるめの湯船に浸かりながら、今日の里香ちゃんの様子を思い出します。

「いよいよ明日はマラソン大会かぁ」

なんて1人で呟いてみますが、もちろん私の頭の中はそんなイベント事よりも、里香ちゃんのことでいっぱいです。

明日の天気予報は雨の予報だけど、マラソン大会が中止になっても里香ちゃんと会えればそれでいいと思っているほどに。

何よりも今一番考えていることは

前回、『ちゅう』しちゃいましたからね。

今回無しなんてことはまず有り得ないでしょうね。

そうすると、スーパー銭湯を出た後どうするか…。



里香ちゃんの旦那さんがお仕事お休みなので、もしかしたら早めに帰らなくてはいけなくなるかもしれません。

すると、どこか人目につかない駐車場で、前と同じように車の中で隠れてちゅうすることになるのでしょうか。

ま、早めに帰らなくても同じかな。

人目につかないような個室的なところというと、カラオケBOXかホテルぐらいしか思い浮かびません。

まだホテルへ行くような関係ではないし、そんな一線を越えた関係にはならないようにお互い約束していますから、ホテルはまずあり得ません。

カラオケBOXも、ある程度まとまった時間がないと入るのもちょっと気まずいかなと思うのと、防犯カメラなんかがあるかもと思うと、思い切った行動にはなかなか出れません。

そうなると、人目につかない場所で限られた時間だと、車の中になってしまうのですよね。


ま、明日考えればいいか。


そんなことを考えながらずっと湯船に浸かっていたので軽くのぼせてしまいました。

マラソン大会前日に何をやっているんだか…。



風呂から上がり、牛乳を飲み、少しスマホを見てから寝室へ。



既に妻は私が帰ってきた時には寝息を立てています。いつものことです。

別にそれを悪く見るつもりは全くありません。

上の娘は部活の朝練があるし、妻自身もパートの時間が早いので、冬場だと日が昇る前から起きて、洗濯や朝ご飯、お弁当の用意をしてくれています。

なので、仕事の日はお互い寝顔しか見ていません。

それは、遅い時間まで仕事をしている自分の生活サイクルが、家族とズレているだけですので、妻に無理矢理合わせさせるようなことをしていないだけです。


2つ並んだ布団の1つに入り、妻に背を向けて横になります。

以前は、しばらく妻の寝顔を眺めていましたが、里香ちゃんと許されぬ関係になってからはそれもあまりしなくなりました。

まして明日はマラソン大会と言う名のデートのようなもの。頭の中は里香ちゃんのことで占められているので、妻に背を向けてしばらくは、妻に背を向けている事実にさえ気付きませんでした。

ま、気付いたからといってどうもしませんが。


里香ちゃんも、今頃旦那さんの隣で同じように思っているのでしょうか。

それとも、家庭では旦那さんに尽くす奥様なのでしょうか。

まさか、完全に冷め切っていて、片や寝室で片やリビングで寝ているとか…


里香ちゃん、気分でかなり態度というか、言動が変わるんですよね。

明日のことにソワソワし過ぎて、旦那さんに怪しまれてはいないかなぁ。

朝になって、やっぱり旦那さんが送って行くことになったとか言われないかなぁ。

鉢合わせたらどうしよう。

ま、正面切って「いつも職場でお世話になってます」とか挨拶した方がかえって印象よくなるかな。

他の仲間はさっき遅れるって連絡あったとかなんとか言って、里香ちゃんと2人きりでいる状況を誤魔化さないといけないな。

誤魔化しきれるかな?

ちょっと厳しいかな。

あ、でも明日は雨みたいだし、雨だから行くのやめるって言い出したことにすればいいかも!!

うん、キレとコクの頭だぜ!!

それがいい、そうしよう。

まぁ、マラソン大会っていっても高々5kmだし、準備体操とか入れても1時間くらいだし、着いて来ちゃったら終わるまで待つよなー、普通。

そしたらどうする?

一緒に風呂に行く?

里香ちゃんの旦那さんと、一緒に風呂に入る?

うはははっ!!それは面白いかも!!

旦那さんにしてみれば、嫁の浮気相手と裸の付き合いしちゃうってことか。

うわー、修羅場だわー。

こわー。

まぁそうなったら『ちゅう』なんてもちろんできないし、手を繋いだりとかラブラブなことは一切ダメだよなー。

そんなんじゃ何のために里香ちゃんを誘ったのかわからなくなる…いや、待てよ?

誘った当初は、まだ付き合ってなかったし里香ちゃんの気持ちもちゃんとは知りませんでした。

だから、最初はラブラブするために誘った訳じゃなかったんですよね。

というか、今もまだ『付き合ってる』かどうかははっきりしていないんですよね。


はっきりさせてしまいましょうか?

定番の「なぁ、俺たちってどういう関係?」とか聞いてみますか?

聞いたら里香ちゃんなんて言うかな?

「店長さん、決めて」とか言うかも。ああ、言いそう。

そしてら何て答えようか。

「付き合ってるで、いいんじゃない?」って言っちゃうんでしょうね、私のことですから。

里香ちゃんに真っ直ぐ見つめられたら言っちゃいそうだなぁ。

曖昧にしたら、嫌われるかもしれないし。

せっかく好きって言ってくれたんだから、嫌われたくはないな…



はぁ…



里香…



大好き…だよ



自分の身体を自分で抱きしめるように、肩を手で掴みギュッと身体を縮こまらせます。

胸の真ん中に孔が空いたような切なさに蝕まれ、愛しい人の名を言葉に出さずに連呼して。



嗚呼、ダメだ



これは、今夜も眠れそうにありません。

明日はマラソン大会なのに。

寝不足のコンディションでどれだけ走れるでしょうか。

もうアラフォーなんだから、健康管理を怠るだけで走る体力は全然変わってくるのは、練習中に幾度か感じました。

たった5km、されど5km。

倒れることはなくても、歩くようなペースまで落ちてしまうことはあるかもしれません。

早く寝なきゃ。

里香ちゃんはちゃんと眠れているかな。

遠足の前とか眠れなくなるタイプな気がするんですよね、彼女は。

体力にはそれなりに自信あるようだし、まだ30過ぎたばっかりだし、彼女は大丈夫だよ。


それよりも自分の事だ。


次から次へといろんなことが思い浮かんで、なかなか眠れそうにありません。


そんな


マラソン大会前夜でした。

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