それは絶対的能力の代償

山本正純

第37話 三人目の五大錬金術師

 翌日の早朝。クルスは村で一番安い宿の客室のベッドの上で目を覚ました。
 シングルベッドに簡易的な机と椅子だけが置かれた狭い空間で、安さを全面的に押し出すために、食事は一切出ない。ただ泊まるだけの部屋である。
 窓から差し込む朝日を浴びながら、クルスは瞳を開ける。彼女の隣ではアルケミナが丸まって眠っている。
 可愛らしい寝顔のアルケミナを見ながら、クルスは大きく両手を挙げ、軽く体操する。
 それから一分ほどが経過し、アルケミナが静かに瞳を開け、ベッドから起き上がった。
「おはよう。クルス」
 アルケミナは寝不足そうな瞼を擦りながら、クルスに挨拶する。
「おはようございます。先生」
 クルスが挨拶を返す。その後でアルケミナたちは着替えを済ませる。それからアルケミナは宿の壁に立てかけておいた銀色の槌を手にして、それを宿の床に叩く。
 それにより魔法陣が出現し、その中央に一台のラジオが出現する。
 アルケミナはそのラジオのスイッチを付けた。彼女の目的は、朝の情報収集。
『ヴィルサラーゼ火山は、本日も登頂可能です。繰り返します。ヴィルサラーゼ火山は、本日も登頂可能です』
 一番知りたかった情報がラジオから聞こえて来たアルケミナは静かにラジオのスイッチを切り、再び銀の槌を床に叩き、ラジオを消す。宿の床には、錬金術を使用した痕跡が何一つ残されていない。
「ということで、今からヴィルサラーゼ火山を登る」
 アルケミナがクルスに伝えると、彼女は首を縦に振った。
「分かりました」
 クルスが簡潔に答える。二人は宿をチェックアウトし、近くの商店で食糧を買い込み、火山がある方向へ歩き始めた。

 青く綺麗な空に、昨日と同じくらいの気温。アルケミナとクルスの前にあるのは、岩の足場で構成された山。
 半径五キロメートルという広大な土地に、溶岩と火山砕屑岩が積み重なる。二人が昇ろうとしているヴィルサラーゼ火山は、アルケアで一番大きな火山だ。
 アルケミナは火山へと一歩を踏み出す前に、地図で道順をクルスに説明する。
「ヴィルサラーゼ火山の頂上まで行く必要はない。六合目に到着したら、東に続く道を三キロ真っ直ぐ進み、南下するだけ。道順としては単純」
 クルスはアルケミナの説明を聞きながら、地図を見る。その地図に書き込まれた事実に、彼女は自身の目を疑う。
「先生。六合目に行くためには、十二キロ登らないといけないではありませんか。先生は幼児化して体力が落ちているから、絶対途中でギブアップして、僕がおんぶする羽目になる。ただでさえ足場が悪いのに。だから別の道を進みましょうよ」
 アルケミナはクルスの申し出を聞かない。
「嫌」
 またアルケミナの我儘が始まったとクルスは思った。こうなってしまえば、クルスはアルケミナの言うことを聞くしかなくなる。
 彼女はアルケミナの我儘を打ち破る手段を持ち合わせていないのだから。
 クルスは仕方なく果てしない火山に昇ることにした。
 案の定、アルケミナは登頂三十分程でギブアップした。現在アルケミナとクルスは、一合目へ一歩手前の位置にいる。
 重い荷物はアルケミナの錬金術で一つにまとめたが、それでもクルスは山道をきつく感じる。槌と五歳くらいの少女を背負って、道なき道を進むのだから、無理もない。
 そうこうする内に、アルケミナを背負ったクルスは一合目に辿り着く。そして休み暇なく彼女は二合目へと向かう。
 過酷な登山に挑むこと一時間。アルケミナたちの横を数匹のファイアトカゲが這うように、三合目の方向に逃げた。




 一方その頃、アルケミナたちを追い越し、三合目へと向かうファイアトカゲの群れを、一人の大男が三合目に位置する崖の上で見ていた。
 角刈りにした髪型に、全長二メートルという巨漢。その男の名は、ティンク・トゥラ。五大錬金術師の一人。
彼は上半身裸に長ズボンという服装を着ている。綺麗に割れた腹筋に、鍛え上げられた筋肉。腹には絶対的能力者であることを示す『EMETH』という文字が刻み込まれていた。
「ファイアトカゲは逃げたか。あれは丸焼きにしたら旨いんだがな」
 ティンク・トゥラが呟くと、彼の周りを数十匹のモンスターが囲んだ。赤色の虎柄の体の四足歩行の体に、山羊のように長い角。背中に白い羽が生えた生物の名前は、スカーレットキメラ。
 数十匹のスカーレットキメラに囲まれた彼は、両手を広げながら、一匹一匹のキメラの顔を見る。
「仲間たち。残念ながら獲物たちは逃げたよ。でも大丈夫だ。あれくらいの獲物なら、俺だけでも十分捕獲可能だ。根こそぎ捕まえたら、お前たちにもご馳走してやるよ」
 ティンク・トゥラはファイアトカゲが逃げた方向へと視線を移す。だが、物凄い視力の持ち主である彼の瞳に映ったのは、逃げたファイアトカゲではなく、二人の女性だった。
 その内の一人、銀色の長い髪を生やしたお少女に彼は見覚えがある。またその少女を背負っている女性もどこか見覚えがある気もする。
「面白くなってきやがった」
 ティンクは白い歯を見せ、周辺を囲むスカーレットキメラに指示する。
「お前たちは逃げたファイアトカゲを追ってくれ。お前らなら大丈夫だ。この前教えたフォーメーションで動けば、確実に獲物は捕獲できる。俺がいなくても、お前らなら生きていけるさ。その代り、二匹くらい俺と行動を共にしてくれ」
 スカーレットキメラの群れは、一斉にティンクを睨み付ける。
「この一か月で人語を理解するまでに成長したと思っていたが、十分な勘違いだったようだな。分かったよ。お前らにも分かるように説明してやる」
 ティンクはスカーレットキメラの群れに言い聞かせながら、両手で握り拳を作る。そして次の瞬間、彼の体は白い光に包まれる。
 瞬く間に彼の体は、スカーレットキメラの物へと変わった。
 それに伴い、スカーレットキメラの群れの内の二匹は、スカーレットキメラへと変貌したティンクの元へ歩み寄る。
 残りのスカーレットキメラは白い羽で空を飛び、ファイアトカゲを追跡する。
 崖の上に取り残された三匹のスカーレットキメラは、崖の下を覗き、物凄い速さで崖を駆け下りる。
 アルケミナたちは、近くに五大錬金術師の一人、ティンク・トゥラがいることを知らない。

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