それは絶対的能力の代償

山本正純

第10話 狩人の追跡

翌日の早朝、ノワールは川の水で顔を洗っていた。孤独なサーベルキメラは、いつもと同じ朝を迎えるはずだった。近くから野生の勘で二つの殺気を感じ取るまでは。
突然川辺に現れた二人組の黒いローブを纏う男達は武者震いしていた。落ち着きを取り戻した小太りの男は、右隣に立つ長身の男に声をかけた。
「こいつがサーベルキメラか? ブライアン兄さん。初めて見たけど、大丈夫か?」
「ハント。問題ない。狩りの始まりだ!」


二人組の男がサーベルキメラに近づく中で、ノワールは目の前の狩人を睨み付ける。
ノワール・ロウは察した。彼らが自分の命を狙うプロのハンターであることを。
ノワールがEMETHシステムで手に入れた能力は、戦闘向きの物ではない。それ以外は通常のサーベルキメラと同じスペック。
彼らが何回サーベルキメラを狩ってきたのか? ノワールには分からない。分かることは、ノワール自身が、絶体絶命の状況に陥っているということ。
ブライアンが赤色の槌を振り下ろそうとすると、ノワールは全速力でその場から逃げ、彼らの前から姿を消す。
「ブライアン兄さん。逃げたよ。村の方向に向かっている」
ブライアンは動きを止め、前方を睨み付ける。
「分かった。村で狩ろう」
二人はサーベルキメラを追跡するが、その先に獲物はいない。
「逃げ足が速い」
ハントが舌打ちした頃、ノワールは全速力で村へと走っていた。
そんな彼の脳裏には一人の少女が浮かんでいる。
その少女は昨日見事な錬金術でノワールを圧倒した。
その少女は、昨夜ノワールの正体を暴いた。
その少女は、ノワールの事情を知っている。
その少女なら、ノワールを助けることができる。
その少女に助けを求めなければ、ノワールは殺される。
婚約者であるアニー・ダウに真実を打ち明けなければ、後悔する。
信念がノワールを全速力で走らせた。


『助けてくれ。狩人に追われている。今村役場に向かっているところだ』
絶対的能力で昨晩の幼女にノワールは助けを呼ぶ。このメッセージは、朝食を食べ終わったアルケミナにのみ伝えられた。
助けを呼ぶ声を聞き、アルケミナは微かに頷き、隣に座るクルスに耳打ちした。
「クルス。サーベルキメラを助けに行く」
藪から棒な発言にクルスは途惑う。しかしアルケミナはクルスの反応を気にせず、アニーの自宅から飛び出した。
クルスは仕方なく、アルケミナの後を追う。


木製の柱を組み合わせて造られた村役場の前に、一匹のサーベルキメラが現れる。村民達は怪物を警戒して家に引き籠っていた。人の気配がない村役場前に、クルスとアルケミナが少し遅れて到着する。
アルケミナは何の躊躇いもなく、サーベルキメラに声をかけた。
「先に来ているとは思わなかった」
『生まれつき逃げ足だけは早かったからな』
ノワールが笑うと、アルケミナはキメラに尋ねる。
「ところで、狩人というのは?」
『二人組の男だった。小太りに金髪のリーゼントの男と黒いローブを着た金髪のスポーツ刈りの男。黒いローブを着た男の名前はブライアンというらしい』
「狩人のブライアンなら聞いたことがある。百発百中の弓の名手で狩人の中では有名らしい」
『どうやら村長は本気で俺を殺すつもりらしいな』
アルケミナとサーベルキメラの会話を聞き、クルスは状況を理解できず、首をかしげる。
「先生。そのサーベルキメラは何者なんですか? いつの間に仲良くなったんですか?」
「説明は後」
アルケミナが人差し指を立てると、二人の前に息切れを起こし獲物に近づく狩人が現れた。
「ブライアン兄さん。ここって依頼人のトーマス村長がいるところだ」
「よかったじゃないか。ここでこいつを狩れば、すぐに依頼人への報告ができる」
ブライアンが白い歯を見せ、にやりと笑うと、アルケミナはサーベルキメラとハンターたちの間に入った。
「お嬢ちゃん。そこをどけ!」
「イヤ」
「邪魔をするな!」
サーベルキメラを守るように立っている幼い少女に対してハントは怒鳴る。だが、それをブライアンが宥めた。
「ハント。気にするな。ただの子供じゃないか。こっちは村長に依頼された仕事をすればいい。村長も言っていただろう。何をしても構わないって。わがままな悪い子にはお仕置きをしないといけないだろう。仕事の邪魔をするやつは殺せ」
「分かった」
ハントは冷酷な目付きを見せ、赤色の槌を取り出す。それを地面に叩く。
東西南北に記されたのは、三角形を横棒で二分割した印。魔法陣の中心には蒸留を意味する乙女座の記号。
ハントが使った魔獣臭印の槌により、甘栗のような匂いが白い煙と共に漂い始める。
一方サーベルキメラは黒い翼で空を飛ぶ。
その羽ばたきで白い煙を吹き飛ばしたが、既に狩りの準備は終わっていた。
「ブライアン兄さん。後は任せた。こっちは邪魔をした悪い子にお仕置きする」
ブライアンが相棒と目を合わせた後で、逃げていくサーベルキメラを追う。ハンターの後姿を見ながらアルケミナは予想外な言葉を口にした。
「あの匂いはサーベルキメラの嗅覚では気が付かない奴。どんなに相手が速くても匂いを追跡すれば、追い詰めることができる。狩りをするには最高の錬金術だけど、つまらない。ブライアンとかいう男も錬金術師だろうけど、才能がない」
その幼い少女の言葉にハントは腹を立てた。
「餓鬼に言われたくない!」
「ただの餓鬼じゃなかったとしたら?」
アルケミナが無表情でハントと視線を合わせた。その挑発とも取れる言動を聞かされた彼は燃焼円動の槌を取り出す。その紅蓮色の槌で地面を叩く。
東西南北に三角形の記号が記された簡易的な物で、魔法陣の中央には牡羊座の記号。
その魔法陣が、アルケミナの立っている地面まで移動し、幼い少女の回りを炎が包み込んだ。
だが、その炎は一瞬で消える。炎が消えた瞬間、ハントの目に少女が水色の槌を握っているのが見えた。少女の真下に地面には、数十センチの水溜まりができている。
「バカな。一瞬で錬金術を使うなんてありえない。一秒以下のスピードだ」
「言ったよね。ただの餓鬼じゃないって」
その少女の声が聞こえた瞬間、ハントの視界が真っ暗になった。幼女が一瞬で炎を消すという神業を見せられた。目の前の幼女が使ったのは、鎮火蒸留の槌。一般教養で習うもののため、ハントにも見覚えがあった。
あれを一瞬で使う強者を前にして、狩人は一歩も動くことができず、ただ茫然と空を見上げていた。


一方でアルケミナはハントのことを気にも留めず、クルスの顔を見上げる。
「クルス。あのサーベルキメラを追って。独特の匂いが付着しているから、すぐに見つかるはず」
「はい」

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