俺の転移した手のひらサイズの小さな世界

白人くん

地獄の中で

 ドスッドスンドスッ


 地面に響くような足音を立てて、俺の方向めがけ一直線に走ってくるのは、俺と一緒にここに落ちてきたグリフォンだ。


 俺はなんでグリフォンが生きてることを考えていなかったんだよ。俺が生きているということは、グリフォンも死んでいない可能性の方が高い、川を一緒に流れて、近くの場所に打ち上げられてもおかしくない。

 グリフォンが迫り来るその光景を目にしながら、自分の考えの甘さを今になって後悔する。

 やばい、そんなこと考えてる余裕なんてない。せっかく生き残れたんだ。こんな所で死んでたまるか。この絶対絶命の場面を打開する方法を考えないと。

 彷徨は自分のできる最大の労力を頭に費やし、考えを巡らせながら辺りを見渡す。

 川に飛び込むか?いや、ダメだ。川までの距離が離れすぎている。川に飛び込む前にグリフォンに追いつかれる。

 クソッ、後ろには炎を体に纏った犬型の獣がいるんだ。完全に逃げ場がないじゃないか!


 グリフォンとの距離、あと5メートル。




 完全に逃げ場を失った。ギギギギと音が出るほど歯を食いしばりながら、どうせ死ぬんなら、傷の一つや二つ付けてやるさ!そう考え、拳に力を込めたその時だった。

 


 バサッ






 「えっ?」


 完全に俺の方に向かっていたはずのグリフォンが、翼を広げて大きく羽ばたき、俺の頭上を超えるようにして飛び立つ。

 グリフォンが完全に想定外な行動を行ったため、一瞬マヌケな声を出してしまったが、これは好都合だ。

 何故、獲物を前にして飛び立っていったのか全くもって意味がわからないが、幸運なことに敵が一匹減ったのだ。

 そして、俺は岩陰から顔を覗かせるながら、もう一匹の敵から逃げるタイミングを見計らう。

 先程は、グリフォンがこっちの方向に走っていたため、逃げ道がなかったが今となっては話が別だ。

 よしっ!大丈夫だ

 もう一匹の犬に似た獣は、グリフォンが飛んでいくのを見ているようだ。

 そのタイミングで、後ろに走り出そうとしたその時だった。

 ビュン

 赤い何かが、高速で視界の横を通り過ぎるとともに、獣臭く湿った微風が頬を撫でる。


 嫌な予感を感じた彷徨は、直ぐに後ろを振り向くが、その光景を理解するのに短くない時間を費やした。

 地に頭をつけたまま微動だにしないグリフォン、その頭は……血で真っ赤に染まっていて……赤く伸びた腕が、グリフォンの頭部を貫いている。

 まさか、グリフォンはこの赤い腕から逃げていたのだろうか……だとしたら俺をスルーしたのも察しがつく。



 グルルルルゥゥゥ
 

 そうこう考えていると、犬型の獣が、その体に纏う炎を大きくして、その赤い腕に襲いかかる。

 瞬きした瞬間には、犬型の獣の頭は存在していなかった。頭があった所からは、噴水のように吹き出す血しぶき、断末魔すら叫べずに、一瞬にして殺されたのだろう。

 俺の横に転がってきた真っ赤な塊は、先ほどの無くなった頭部だろうか……

 体が動かない。連続で味わった恐怖からか……あの黒い二つの目玉を見てしまったからなのか……

 飛んでいたグリフォンの頭を正確に貫き、犬型の獣の頭と体を一瞬にして引き裂いた、赤い腕の持ち主の全貌を見た。

 "そいつ"の全体は赤黒い毛に覆われており、二足歩行で、熊のような体に四本の長い腕、そして、長くせり出した大きな牙。

 グシャリバリボリと、その牙を使って食らっているのは、先ほど死んだグリフォンの体だ。

 金縛りにあったのかと思えるほどにこわばって動かない俺の体。全身から吹き出す冷や汗。自然と呼吸が荒くなる。

 グリフォンの時とは全く違う。俺の全身がこいつの近くにいることを本能的に拒絶しているのだ。にも関わらず動けないのは、あの目のせいだろう。

 そうこう考えている間にもグリフォンを喰らっていた"そいつ"は、最後の一口を大きな口に放り込み、俺の方に目を向ける

 これほどまでに無機質な目を向けられたのは、生まれて初めてだ。いや、こんな目で見られる人間など元の世界には居なかっただろう……この捕食者の目を…………

 いや、……どこかで見たことがあるような気がする…………いや、そんなはずはない。

 俺がいつも魚や肉を食っていた様に、"こいつ"にとって、俺は無抵抗で、食べやすい食料でしかない。

 グリフォンや、犬型の獣を殺した時のように一瞬ではなく、ゆっくりとした足取りで俺の前に移動する。俺が抵抗できない弱者であると知っているからだろう。

 俺と"そいつ"との距離が三メートルを切ったところで、醜悪な臭いと共に、どうゆう訳か分からないが、頭を殴られるような頭痛に襲われた。

 "そいつ"は、俺が頭痛で頭を押さえている事など気にせずに近づいてくる。

 そして、十分に俺を捕食できる距離に近づき四本の内の二本の腕を大きく振り上げる。

「あぁ……」

 俺がかすれた声を出し、無意識に頭を守るようにして、右腕を出した瞬間、先程よりも、強く殴られたかのような頭痛に襲われた。


 赤い二本の腕が振り下ろされる瞬間。俺の視界には、薄暗い中で振り下ろされる赤い腕と、緑色の背景の中、小さいながらも、俺を守ろうと懸命に両手を広げる、いるはずの無い茶髪の小さな少年が……ダブって見えたような気がした。


「ガバッ」

 肺の空気が衝撃により一気に抜けて、咳き込みながらズルズルと壁を滑り、崩れ落ちる。

 衝撃により揺れる視界の中で、先程、一瞬だけ見えた茶髪の少年を探すがどこにも居なかった。

 先ほどの光景は、何だったのだろうか。頭痛はもう無い。それよりもあいつは……いた。

 だが、一体何を咀嚼しているのだろう? え? あいつの口にある腕に見覚えがあるのはなんでだ? 

 パニックで理解できない状態の中、何故かスっと軽くなった右腕に視線を向ける。正確には右腕があった場所にだ……

 
「あぁぁぁぁぁいだぃぃぃぃぃ」

 暗く静かな奈落の底に彷徨の絶叫が響き渡る。彼方の右腕は、肘の上からスパッと綺麗に切られていた。

 切断面からは血が吹き出していて、脳が、心臓が、心さえもが、腕が無くなったという現実を理解することを拒んでいる。が、それを超える痛みをもって現実を突きつけてくる。

「うぁぁぁぁぁああ」

 叫び続ける彷徨に構うことなく、またゆっくりと赤い悪魔が近づいてくる。

 地面に崩れ落ちている彷徨には、赤い悪魔の足元しか見えないが、一歩、また一歩と近ずいてくる死を前にして、恐怖など感じなかった。

恐怖を超える痛みと絶望を味わったからだろうか。

 ゆっくりと、近ずいてくる赤い悪魔に抵抗することなく、生きることを放棄した。

 こんなことになるなら、落ちてきた時に死んどけばよかった。なんで生きてたんだよ。なんで、ちゃんと死ねなかったんだよ。


 そう思う彷徨の目からは、既に光が失われていた。


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