-COStMOSt- 世界変革の物語

川島晴斗

第48話:転換

 チーン、という間抜けな音がする。エレベーターが止まった音だ。1階に着くと、僕はマンションのフロントに出る。

 フロントの端にある長椅子の中心には、見知った少女が座っていた。セミロングの黒髪、ピシッとまっすぐ座りながら本を開き、大きな黒い瞳は六法全書のページに注がれている。
 かれこれ10年ぐらい付き合いのある友人、神代晴子だった。

「…………」
「…………」

 僕は彼女の前に立つ。しかし、なんの反応もない。少女はおもりみたいな分厚い本を凝視している。
 話す気がないというのなら、何をしてもいいだろう。僕は彼女の隣に座り、晴子さんのほっぺたをつっつく。

「うむぅ……」

 少し嫌そうに眉毛を曲げて呻いた。つつくのではなく、人差し指だけで撫でてみる。すると今度は気持ちよさそうに目を細めた。手を離すと、晴子さんは嬉しそうに微笑む。

「ん。どうだった? 北野根くん様子は?」
「……。嬉しそう、とは言えないかな……。でも、これから変わっていくかもね……」
「それは何よりだね。流石、私の一番の友人だよ。よくやってくれた」
「……言われるほどのことはしてないだろうに」

 褒められても嬉しくなくて、素っ気なく答えた。ヒントもくれたんだし、彼女の目論んでた結果に終わっただけだろう。
 椛は小さい子供のまま育ったんだ。ただ一緒に遊んでくれる友達が欲しかっただけ――会社の同僚とは違う、もっと、馴れ合いを求める関係。僕がその役を買って出て、これから僕と晴子さんの劇が終われば、晴子さんも加わるかもしれない。そうなる頃には、椛にも晴子さんの思想が移ってるのかもしれないな。

「……幸矢くん。キミは北野根くんを少しばかり救ってあげた。キミは、どう思った?」
「……。僕は……」

 言い澱み、口を閉じる。どう思っただろう。自分でよくわからなかった。

 ――昔、泣いている女の子に手を差し伸べたことがある。その時はきっと、一緒に笑い合いたいから、なんて思ったんだろう。もしくは、泣いてる女の子を愛でるのが辛くて、可哀想に思って、なんとかしたいと手を差し伸べた。

 それは完全に自分の都合、自己満足だ。
 だけど、自分も相手も満足する――笑い合える方向に持っていけるのは、良い事なんだと思う。

 それってつまり、端的に言うならば――

「……良い事をした、かな。嬉しかったよ……」
「……んっ。それは何よりだね」

 晴子さんは僕より座高が低いにもかかわらず、手を伸ばして僕の頭を優しく撫でた。……これが晴子さんの言ってた成長、だろうか。上手くできたらしいけど、僕は進歩した実感があまりない。

 椛を慰めたにしても、それは晴子さんに導かれてのこと。僕自身の手柄でもないし、まだ上手くいった確信もない。椛がまた、何かしたなら――それはもう、対立するしかないのだろう。

「……よし。帰ろうか、幸矢くん。今日は午前で終わったし、この時間なら同学年の人には見つからぬだろう」
「……まぁ、今日ぐらいはいいか」
「むっ。またそうやって嬉しくなさそうに……。この私と一緒に帰るのに、なんなのだその態度はっ」
「……これが僕の標準なんだけど?」
「あーあっ、キミは何も変わらないのだなぁ……。少しは昔みたいになってくれてもいいだろうにっ」

 あっけらかんとして晴子さんは僕の前を歩き、エントランスから出て行く。一応、椛が見てないか確認だけして、僕も晴子さんの後を追った。

 外は赤く染まっていた。冬の夕方は早く、日は西に傾いている。茜色の空とオレンジ色に反射する家々を見ながら、僕等は井之川駅へと向かった。

「……ねぇ、幸矢くん?」

 道すがら、晴子さんは僕に語り掛ける。いつもの調子で、クリクリとした目が僕を見つめていた。だから、僕もいつものように返す。

「……なに?」
「……。もうすぐ、この生活も終わる。私と正面衝突だね」
「うん……」

 空を見上げて思い返す。この一年、散々酷い事をした。学校での晴子さんの指示には従わず、体育祭のリレーでは歩き、僕を貶めようとした学生を退学にしたりもした。そいつらは成績も悪くてどのみち退学になる奴だったから良かったけど――いろいろと、酷い事をした。
 そして、晴子さんと言論を交わすのか。もう椛の邪魔も無い。一騎打ちになるのだろう。

「……僕は、本気で君の言葉を覆す。でも、君が勝つんだろう」
「負けるわけにはいかないからね。私も全力でキミを負かそう」
「……男としては負けたくないんだけど、知能に男も女もないんだから、負けるのは仕方なさそうだ」

 僕はやれやれとため息を吐く。さて、こうも正面切って言われたら、やるしかないじゃないか。
 最大限の演技で最期を迎えよう。
 人の楽しみや、協調性、そして学校での集団行動の必要性を考えた集大成だ。

 昔から言われてきた。合唱コンクールとか、宿泊行事とか、体育祭とか……それがなぜ必要なのかと。
 結束? チームワーク? たった3年前後の学生生活で何を言う?
 その全ての答えを、晴子さんの口から聞こう。
 歪んだ考えを、覆すために――。



 ◇



 翌日、通常授業日。
 朝は椛の態度も普通だが、放課後になると彼女は球技大会の練習に行った。これは修了式前と変わらないけれど、自ら臨む姿勢があって、少しは変わったんだと思う。

 対する僕は、クラスの真ん中で晴子さんと雄弁する。喧嘩みたいな発言の連発だったが、そうでなければ言葉に本気の想いが乗らない。何が正しいとか悪いとか、次第にそんな気持ちはどうでもよくなっていった。
 しかし、毎日対話を交わす事で学ぶことも多い。集団心理はそれを理由にするから悪いんじゃなく、人間本来の姿だから良い――とか、スポーツは本気でやるからこそチームワークができる、とか。

 クラスでも、僕等のやり取りに飽きる者が出てきた。それでも力ある声は多くのクラスメイトの目を引き、そろそろ潮時なのもわかる。

 ――そして、1月20日。
 晴子さんの描いた物語は、終わりを迎える――。

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