-COStMOSt- 世界変革の物語

川島晴斗

intermission-3:最大多数の最大幸福

 ――それはまだ、この物語では先の先の組み合わせの話。

 黒瀬瑠璃奈、及び、神代晴子は、バスケットコート程の広間で、1mの間を空けて座っていた。互いの間には何も無く、背後にはそれぞれ人が入れるサイズの丸い機械が置かれていた。VRポット――ダイブ型VRの原初の形。理想郷プロトタイプの2段階で使われるものだった。
 VRというものは、ゲームでのみ使われるのではない。生物実験、人体実験、世界の模型としても使うことができる――。

 これは、そう遠くない未来、神代晴子と黒瀬瑠璃奈による、対話の記録である――。

「――晴子さん、最大多数の最大幸福って知ってます?」

 瑠璃奈は、何でもないように晴子へ尋ねた。無論、理想郷創造を目指す晴子さんが知らないわけがない。

「よく知っているとも。ジェレミ・ベンサム氏により、1789年に理論化された考え方さ。人間の求めるものは全て幸福を指す。だから、多くの人間が幸福であれば、幸せな社会であるという意味だ」
「その通り。つまり、人間全員が幸福になれる社会こそが理想郷です。智者も猿も、どちらも等しく幸福になればそれでいい……。個人個人で幸せというのは違いますが、各個人に合った幸せを提供する社会……まぁ、自分の欲求や性向を隠されては堪りませんが、その時ばかりは仕方ありません。ひとまず、我々にできるのはそういう社会を作る事でしかありません」
「そうだね」

 晴子は優しく相槌を返す。話の全容が見えない以上、そうする他なかった。
 瑠璃奈は億劫そうに側にあるテーブルに肘をつき、大きくため息を吐いた。

「時に――その理想郷が出来ると困る輩が居るんです。ご存知ですか?」
「頭の中で、考えたことはあるよ。理想郷では争いが起きないからね。暴力を振るう事が喜びという酔狂な輩や支配欲のある奴だろう? 暴力が震えなくなるのが嫌で反対するのだ」
「いえ、それとは別なんですよ」
「それはどんな人なのかね?」
「特に理由がなく、理想郷を嫌う人です」

 それを聞いて晴子は口を閉じ、椅子に深く腰掛けた。理由もなく理想郷を嫌う――つまり、ただ文句を言いたいだけの人だ。

「……そういう人間も居るね」
「誰かが何かをしようとすると文句を言う人って、居るじゃないですか。誰かが何かをして成功したり、成長するのを嫌う人。つまりは他人を低く見ていたい人です。文句を言うと、ストレス解消になるんです。ヒステリーと同じですね。それに加え、人を見下してないと気が済まない性向を持ち合わせてるからタチが悪い」
「……大抵の人間は人を見下してると思うがね」
「それはそれとして……」

 けったいな様子で2人は対話する。悪い人の話をするのは、聖人とて億劫なのだ。
 ここからが本題である。

「――そういう、何事も不満だ、不幸だ、この世に生きてる価値はない、と主張する人間は、幸せになれるんでしょうか?」
「なれる。自殺すればいい」

 瑠璃奈の問いに対し、晴子は即答した。
 自殺すればいい――非道に聞こえるその言葉で。
 しかし、瑠璃奈はというと、

「む、同意見ですか。参考になりませんね」

 という体たらくでこの世で幸せを味あわせる気などないのだった。
 それは簡単な話、"幸福とは、長続きしない"からである。例えばの話、ずっと好きだった人と恋愛結婚したとして、夫婦円満な家庭というのは10年持たない事が多い。多くの偉人が結婚の良さは主張するが、結婚後の生活については悲観的に書いている。偉く賢い人間ですら、夫婦生活を満足に過ごす事は難しい、ならば常人にはもっとできないであろう。
 これは1つの例えであり、幸せは長続きしない事を示す。テストで100点を取っても、つぎもまたいい点数が取れるとは限らないし、落ちぶれるかもしれない。

 それが、幸福。

 話を本題に戻すと、不幸主義の人間は「この世に一切幸福はない」と言ってる時が最も幸福な瞬間である。
 しかし、この世の全てが不幸だと感じるのなら真っ先に自殺すべきであり、嫌いなこの世から居なくなれるなら幸福な事であり、死ねば良いのだ。幸福のまま死ねばそれ以上不幸な事は起きないのだから、その人間にとって最高の結末だと考えている。

「しかし、この世で幸せになれる方法はないんですかね? 3大欲求だけ満たさせれば、それで良いでしょうか?」
「知能が幸福を良しとしないなら、体の赴くままに、自然欲求を満たさせれば十分だろう。後は改心させることよな。生きてる事を素晴らしいと思えるように、不幸主義から脱却させる事」
「それが難しく面倒だからこそ、自殺が最短なのですがね」
「我々はいちいち、そのような人間に構ってられんからなぁ」

 はっはっはと、晴子は高笑いをした。他人、しかも人を蹴落としたり不幸を吹聴する輩など、笑い飛ばすぐらいがちょうど良いのだった。
 瑠璃奈は笑うでもなく、あくまで冷静に、好物のチョコレートプレッツェルをついばんで呟く。

「やはり、最大多数の最大幸福ではなく、全人間の幸福は理論上実現可能なわけですか」
「うーむ……全人類が全員同時に幸福を掴み、それを持続させられるかはわからないよ。ただ、キミの考える理想郷は最大多数の最大幸福だとは思う。私だって、"現時点でこれ以上の理想郷はない"と思うからね」
「……。そうですか」

 瑠璃奈は自身の思想を称賛されても、いつもの暗鬱とした声で相槌を返すだけだった。可愛げのない少女に向け、晴子は続ける。

「理想郷――最大多数の最大幸福が成り立つ世界。有史2000年余り、漸く実現といったところか」
「その前に世界が滅びそうですけどね。温暖化、なんとかなりませんか」
「それは私に言われても困る」
「ふむ……。我々が人知を尽くしたとしても、自然に潰されては意味無いんですがね」

 呆れるように瑠璃奈は呟いた。人間ではどうにもならないもの、災害の類や温暖化の影響。そういうものを抑える手を考えるのは、彼女らの役目ではない。
 最大幸福を得るために、誰か自然化学における天才が現れる事を、2人は望むのだった。

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