-COStMOSt- 世界変革の物語

川島晴斗

第31話:誕生日③

 それから10分ほど経過し、ケーキを食べ終えて椛は2つ分の皿を洗いに行った。僕がやると言ったんだが、洗い方が雑かもしれないからと却下された。彼女の家の事だし、僕はスマフォを手元に戻して録音機能だけつけておいた。よくよく考えれば、動画はバッテリーを食うし、どうせ居処はGPSでバレてるから音だけでヘルプが要るかわかるだろう。
 競華が聞いていれば、だが。

(それにしても――)

 僕は依然として薄暗い室内を見渡した。オレンジ色の蝋燭は3つとも炎を灯していて、秋の匂いを感じさせる。部屋にあるライトの照度を高くしたいが、部屋が明るくなると蝋燭がしょぼく見えるし、椛が戻ってきた時に悪いと思う。
 結果、この匂いをずっと吸っているわけだが――現状、何も変化はなかった。

「……少し、暑いかな」

 気掛かりがあるとすれば、室温が高い事。部屋にあるエアコンは温風を送っていたが、リモコンが見当たらないため、設定温度はわからない。……10月23日、もう冬が間近で、寒いのはわかるけれど……。

(熱い紅茶まで飲んだんだ、体は温まってると思うが……僕が制服だからか?)

 既にブレザーは脱いでいた。椛のベッドの上に掛けてあり、特に代わり映えしない。ワイシャツの下にはシャツを1枚着ているけれど、それだけじゃこの暑さは説明付かない。
 椛が戻ってきたら暖房を止めてもらうように、言うしかない。

「はぁ……」

 熱い割には湿り気のある部屋で、僕は下敷きをパタパタと仰ぎながら教科書に目を通してじっと待っていた。
 もう5分ほど経って、いよいよ椛が部屋に戻る。

「お待たせ」

 開口一番にそう言った彼女の姿は、さっき見たワンピース姿ではなかった。もっとラフな、露出の多い格好だ。白一色の肩出しのトップスにネイビーカラーのショートパンツだ。腕も足も大胆に露わとなっており、それこそ部屋を熱くする意味がわからないぐらいに――。

 しかし、それを問いただすよりも、別の欲求に体が動かされた。椛を見た瞬間から、その体を――押し倒したい衝動に駆られたのだ。

 そこでやっと理解する。
 ああそうか、この部屋に暖房が点いてるわけでもなく、緊張とかお茶が熱いから体が火照ったわけじゃない。

 媚薬を混ぜていたんだな――。

「……フフッ。その表情、やっと理解したようね」

 愉悦に浸る彼女の顔を見て、僕は下唇を噛んだ。流石に、体がいつものようには動かない。目の前に露出の多い女が立っていて、脳から"飛びつけ"と指令が出る。それを必死になって堪え、自分の太ももをつねって耐えた。

「フフフフ、流石に理性が強いわね。少なくとも15分はイランイランを含むアロマの香りを嗅ぎ、媚薬の主成分であるクエン酸シルデナフィルとマカを含んだケーキを食べた……。媚薬って思ったより効き目がないのかしら?」
「……十分に効いてるよ」

 理性が飛びそうになりながらも、いつもの声調で答えた。媚薬って確か、飲み物に数滴垂らすだけでも効果があるはず。栄養剤と一緒に売られてるものじゃなければそういう、本当の薬みたいな物もあるだろう。それで、媚薬の主成分が入ったケーキを食べて、15分も匂いを嗅いでただって? 過剰摂取も良いところだ。

 少しばかり、目眩がする。恐らくは副作用だろう。
 しかし、それに気取られてはいけない。今はこのアロマの匂いを外に逃すことを考えないと――。

「……もう、十分に効いただろう。窓を開けていい? 副作用で幻覚が見える……」

 少し大袈裟に言ってみるも、椛はニコリと笑って拒絶した。

「ダメよ。別に私は、貴方が倒れたって性交できればそれでいいもの」
「……そう」

 どうやら、僕をこのまま潰す気らしい。しかし、僕は椛とふしだらな行為をするつもりは毛頭ない。
 普通の男子なら、願っても無い展開だろう。無償で無料で性交して気持ちいい体験ができるなら、長い人生の中でプラスな出来事かもしれない。

 でも、僕は"高貴"なんだ――。
 普通の人間よりも高い位置にいる、人が見上げて尊敬してくれる人物でありたい。
 だから、さぁ……。

「……この程度で僕を、どうにかできると思うなよ」

 ギロリと彼女を睨み、そう言い切った。僕は鞄の中からゴム手袋を取り、両手に嵌めて立ち上がる。

「……なんのつもりかしら?」

 僕がゴム手袋を嵌めたのを見て、彼女は楽しそうに笑って問う。なんでこんな手袋を嵌めるのか、理由を聞きたいのだろう。

「……この部屋や玄関のドアノブに、電気が流れた時の対策さ。僕はもう、まともに歩けないからね……。万一体に電気が流れたら、もう立てないだろう?」
「フフフ、裏の裏まで読む姿勢は好きよ。ただ、私は物理はあまり得意じゃなくてね。リード線をドアノブに貼っておくなんて、するわけないじゃない」

 それはつまり、やってるって事だろう。念には念を入れて正解だな。

「……ちょっと、外の空気を吸いに行かせてよ」
「あら……させると思って?」
「…………」

 余裕綽々と待ち構える椛。今の僕はまっすぐ歩けないだろうし、彼女を倒すのはしんどい。
 だが、やりようは幾らでもある。誕生日だから痛い思いはして欲しくなかったが、こうなっては仕方ない。

 僕は荷物を置いたまま立ち上がって椛の方を見た。今は荷物を持つ余裕など無いし、ブレザーも着れない。
 それから――

 ゴトッ、ゴトッ。

 両腕にいつもつけている、1つ1kgの重りも外した。足にも付けてあるが、腕だけでいい。足が軽くなると、倒れるかもしれないから。

「……行くよ、椛」
「来なさい」

 それが何の「来なさい」なのかはわからない。襲いかかって来いという意味か、逃げようとする僕に受けて立つという意味なのか。どちらでもいい、僕はここから出るだけだ。

 息を止め、一気に走る。室内という短い距離、椛の元までは一瞬だった。

「フッ――」

 椛は目を見開いてニヒルに笑い、両腕の裾から注射器を取り出した。もう見飽きたよ、そんなもの。
 僕は引く事なく、右手を横薙ぎに振るった。それは腰元の剣を引き抜くかのように。
 攻撃のためではない、気を引くためだ――。

 ――フィヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨ

「!!?」

 防犯ブザーが鳴り響いた刹那、椛の顔が後方のブレザーに向いた。僕は防犯ブザーの引き抜き具に糸をつけ、ブレザーの中に入れておいたのだ。
 視線が逸れた、その一瞬を見逃すわけがない。

 僕は彼女の喉と胸の間にある胸骨を押し、椛を突き飛ばした。
 反撃は間に合わせない、その前にドアノブを掴み、廊下に体を滑り込ませた。

「ッ――!」

 廊下に出ると、中々面白い光景が映った。ここがどこだかわからなくほど、白い霧が立ち込めていたのだから。
 部屋を出た途端、急に寒くなった。リビングからはコンロの火が燃える音がする。水蒸気を作り、雲を作る原理で雲を作ったのか――いや、それだけじゃ短時間で作ることは不可能。ドライアイスか煙幕か、何か混ぜたな。
 ドライアイスはCO2の塊、この空間に居続ければ酸欠になる。だったら、早く出ればいい。

 こんな視界の悪い中で? 辺りは一面真っ白だ、視界などない。

 それが何だ、部屋までの行き方と歩数、歩幅を覚えて入れば脱出できる。

 僕は息を殺し、玄関へ向かって歩き出す。走れば歩幅は変わる、歩くしかない。椛も走って僕を追うことはできないのだから、歩いて悪い事など有りはしない――。


 そして僕は、23歩を歩き終えて無事に外へ出ることができるのだった。玄関のドアノブには案の定電気系の罠があったが、僕には無駄だったな――。



 ◇



 部屋にドライアイスの煙が入ってくる前に、私は自室の扉を閉めてスマホを使い、リビングの窓を開けた。窓は全自動じゃない、安い位置決め装置を設置して、スマホで操作するようプログラムを組み込んだだけ。さらに暖房もつけて煙を晴らしていく。部屋からはもちろんリビングの様子なんて見えないけれど、溶かしたドライアイスも少ないから10分も経てば煙は晴れる。

「……素敵だわ」

 私はニヤケながら幸矢くんに対する評価を1人口にした。煙のトラップ、電気のトラップ、そして私を物ともせず家から脱出した。なんて賢くて強い男の人なのかしら……。普段は物静かな癖に、女の子を押し飛ばすぐらいの気概はある。

「……アレぐらいじゃないと、神代晴子は倒せないのね」

 そして、同時に理解する。幸矢くんは今月初めにあの屋上で神代晴子と引き分けた。いや、神代晴子は退しりぞいた。
 とんでもないバケモノだわ……流石、瑠璃奈の親戚だけはあるってことね。

 フフッ、キュンとしちゃうわ――。

 私はくつくつと笑いながら、幸矢くんの残してった鞄を物色する。

「あらあら、面白いもの持ってるわね」

 乾電池、濃度5%の硫酸、導線に銅線、それから酸素と睡眠薬、蒸留水、ヒ素……。
 およそ、帰宅部の高校生が持ち歩くものじゃないわね。 一体、どんな境遇に立ち会ったらこんな持ち物になるのかしら。
 きっと、数多の修羅場をくぐり抜けてきたはず。頼もしい戦士――いえ、騎士なのかしら?
 貴方のこと、手に入れたいわ――。


 荷物を置いて帰る訳がない、必ず取りに来る。私は愛しい彼が戻って来るのを、静かに待つのだった。

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