無所属神主による塵鬼討伐伝 四国編

kurun

第弌話 徳島県攻略

 海風と弛緩した生暖かな空気と眼前に広がるかつて人が暮らしていたとは思えないほどの先の見えない静謐さが矛盾し、余計にこれから進もうとするこの物語の、この神話の主人公――小早川栄昭こばやかわひであきの足を止めてしまう。
 というのも。

「朕の京は、都は、何処いずこかな」

 栄昭の眼前に悠然とそして優美な姿を見せつける彼がいたというのも、この四国の気候とは別のもう一つの理由である。
 栄昭は後ろを振り返り、淡路島をつないでいる大鳴門橋を見た。ほんの先ほどまであの橋を渡ってきたというのに、それが今となっては愛おしく感じてしまっている。

「もう後戻りはできないよね」

 栄昭は当たり前とは分かっていながらも弱音まがいの文言を吐く。

「それは一時撤退、ということ? 我らの拠点、淡路島はすぐそこ。眼前の塵鬼じんきさえ振り払えば可能」

 栄昭の隣にて下駄を履き、片足立ちしながら開口する少女。おかっぱ姿で赤い華が描かれた華美な着物を身にまとっているにもかかわらず、その少女の美麗さは劣ってはいなかった。
 AIロボット――蹴鞠けまり。栄昭はこの少女の形をしたロボットの生みの親の影響から蹴鞠のことを略してマリーと呼んでいる。

「どっちにしろ、こいつと闘わないといけねえのか」栄昭は面倒臭そうに頭を書きながら言った。
「そう」と蹴鞠。
「できれば、徳島県に眠る神器だけ取って逃げようと思っていたんだが……それも不可能ってことか」
「そんなこと考えていたのかヒデアキ。弱虫弱腰ヒデアキ」
「おまえと出会って、数時間。悪口を言い合うような関係にまで発展していないと思うが」
「それはヒデアキの人間関係の経験値による判断からなるもの。だが、わたしは非人間。人間よりの非人間。よってヒデアキの身勝手な反論は却下」
「それって、抽象的に言って意図的に難解にしているのか、そもそもマリーの頭が硬いからなのかわからないけど、具体的に噛み砕いていえば、非人間と信頼関係を築くのは人間との関係を深めるより、短期間かつ容易ってことだけど、そういう理解でオッケー?」
「そういう、こと」妙に癖のあるイントネーションで言う蹴鞠。
「戯言、言いやがって」
「ヒデアキ」前を見据えたままの蹴鞠。
「なんだ?」
「言うのを忘れていたけれど」蹴鞠が栄昭の顔を見据えたまま塵鬼じんきのいた前方を指さす。「塵鬼じんきが来る」

 刹那、刀を携えた塵鬼じんきが氾濫した川の如く栄昭を襲う。
 蹴鞠の遅すぎる助言では常人では対応できないはずだが、栄昭は持ち前の反射神経により回避。そして間合いを取るため、小柄な蹴鞠を左手に抱え移動する。

「貴様、俺を殺す気か?」鬼面の形相で蹴鞠の失点を非難する栄昭。
「なんじゃ、その奇面は」動じない蹴鞠。
「マリー、この四国はもはや敵地。味方は俺ら二人だけ。助けあうべきだろ」
「すまん。今日はコンディションが悪くてな」
「急におまえみたいな風貌でカタカナ語を使うな。虫唾が走る」

 抱えていた蹴鞠を乱暴に地面へ投げつけた。

「それより、あれはどういうことだ」栄昭はとても生気が宿っているとは思えない品相な顔色に滑稽ながら烏帽子が乗せられている塵鬼じんきを指さす。服装もかつて公家が着ていそうな装束。戦闘では引けをとってしまいそうな服装だが、それは両足が存在していたときの場合。
 だが。
 眼前の塵鬼じんきには両足がない。そして摩訶不思議なのは浮いているということ。

「あやつから説明を受けたであろう。塵鬼じんきは奇々怪々な人成らず者。それがこの四国にあった三種の神器の影響で余計に悪化している。それを退治し、奪われた飲み込まれた三種の神器を持って帰ることが、ヒデアキ。お前さんの仕事だ」
「俺は特定の神社に所属していない神主だ。創作物で見るような陰陽師ではない」

 栄昭は背中に斜めに携えた宝刀を触る。

「これをあいつから万が一のときに、そう言われ渡されたときに怪しいとは思ったが、これも儀式の一部だろう、そう思って疑念を飲み込み、ここまでやってきた。悪霊をお祓いする心づもりでやってきた。だがあれはなんだ。実体化した悪霊か? だいたい――」
「愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴、貴様は何処の踊り子じゃ」

 蹴鞠はこの小柄な体型から出るとは思えない程の大声を栄昭に向ける。

「お前さんの、いもうとぎみ、助けたいのではなかったのか?」

 栄昭は目を瞑り、数時間前に別れを告げた妹を思い出す。いまだって彼女は彼女なりに緊急医療室のベッドで痛みに耐えながら必死に生きている。
 黙る栄昭を見つめる蹴鞠。

「先ほど刀を抜かずにこちらへ向かっていたことから察するに、あやつ、塵鬼じんきは自身の力量に自身がないようじゃ。むしろ、見えないヒデアキの力量に怯えている、と考えてもよかろう」

 蹴鞠は栄昭の手を抓るように握る。

「剣を抜け、ヒデアキ。按ずることはない。総べては宝刀――天之尾羽張あまのおはばりが教えてくれよう」

 栄昭は宝刀を抜き、塵鬼じんきへと走った。

「うおおおおお!!」

 自身に纏わる不安を振り払うため、声を挙げた。

「――阿州公方? ち、朕は、朕は、朕はあああああああ!!」

 奇声を挙げながら携えていた刀を抜く、塵鬼じんき
 栄昭は塵鬼じんきに向かって宝刀を振りかぶる。
 血の通っていないかのような真っ白な素肌を袖から見せながら自身の長刀で宝刀を受け取る、塵鬼じんき。宝刀を両手で握る栄昭とは裏腹に片手で。
 塵鬼じんきは空いた片腕で栄昭の手首を触る。

「京は何処? わらわの京は何処? 朕の京は何処? 東西南北東西南北東西南北」

 塵鬼じんきの手は冷たかった。

「触ってんじゃねえ!!」

 栄昭は手首を触る塵鬼じんきの手とともに、相手の刀を自身の宝刀と追随させるように振り上げ、隙の空いた塵鬼じんきの腹を横薙ぎした。

「焦燥焦燥焦燥焦燥焦燥、焦燥感!」

 と意味不明な言葉の羅列を吐く塵鬼じんき
 円を描くように空中に舞う鮮血。

「――血?」

 哀れな塵鬼じんきの表情が視界とともに揺れるなか、栄昭は頬を濡らした紅に絶句する。

「ヒデアキ! その塵鬼じんきの名は室町幕府第十四代将軍――足利義栄」栄昭の勇猛果敢な勇姿を黙って見つめていた蹴鞠が声を貼り上げた。
「あ、あれが……足利義栄」枯れた声を出す栄昭。

 ふらふらと舞を踊っているかのような歩調とともに、唖然とする栄昭を置いて、弱々しく下がっていく塵鬼じんき――足利義栄。

「三好家の畿内制圧のため、病気がちながら祭り上げられ傀儡将軍としてほんの数ヶ月、虚しくも君臨していた男。彼は一度も、将軍ながらも、京に入ることはできなかった」

 遂に四国の地に、自身の血とともに倒れこんだ足利義栄は、海のほうへ、栄昭たちがここへ上陸するために利用した大鳴門橋のほうへ――京のほうへ、かろうじて手を伸ばした。
 足利義栄の体は紫煙のような煙に下半身から順に飲み込まれ、姿を消してゆく。

「……きょうへ、いきたかった」
 この言葉とともに。
 

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