言霊使いと天使と悪魔

春田 心陽

第一話 突然の来訪者

  
    夏休みが終わり始め、遅めの五月病にかかり始める八月下旬。

    蝉の鳴き声は息を潜めるかのように静になり、新たな幕開けを感じさせる。

    夏は猛暑日とは言わずとも、真夏日を何日も記録し、冬には多くはないが、少なくもない雪が降る、平々凡々な街。

    そんな街の学生寮の一室に住んでいる少年、神崎天魔。

    カーテンの隙間から注ぐ光が心地よく、小鳥のさえずりが春を感じさせる、そんな心地よい春の日故にだろうか。ひなたぼっこをしている猫のように、気持ち良さそうにぐっすりと眠っている。

「起きてください、天魔。朝ですよ。」

    そんな少年、天魔を起こそうと横から声をかける一人の少女。太陽に照らされて金色に輝く向日葵のような幽玄な髪の毛。海のように蒼く澄んだ瞳。細雪を連想させてしまうような白く透き通った肌。彼女が着ているものはそれこそ何の変鉄もない白いワンピースのようなものだが、それがより一層彼女の魅力を引き立てて、神秘的なものを感じさせる。ボディラインのバランスも整っていて、引っ込むところは引っ込んでいる。誰の目からみても彼女はまごうことなき美少女であることは確かであろう。

    しかし、それでも尚少年は起きる素振りを見せない。素振りどころか気配もみせない。

「天魔?まだ寝てるのですか?いい加減起きてください。朝ですよ!」

    少女の口調が先程と比べて少しだけ強くなる。だがまだ少年は夢の中を漂っている。

「天魔、朝ですよ。起きてくださいってば!」

    少女はとうとうしびれを切らし、声をかけるのみならず天魔を揺すり始める。

    しかし、力なく天魔が揺すられるだけで、やはり起きそうにない。少女はそんな天魔を前にして手詰まりかのように思えた。

「しょうがないですね……。」

    少女は諦めのような言葉を口にしてため息を一つこぼす。

    しかし、その言葉は諦めのような言葉ではあったが、諦めの言葉ではなかった。

「やぁっ!」

「ゴフッ!」

    少女の漏らしたその一言は気合いの掛け声であった。

    少女の打ち下ろした右拳は天魔の鳩尾へとクリーンヒットした。

「腹がっ…………!」

    これにはたまらず眠っていた天魔も目を覚まし呻き声を漏らす。

「いてっ!」

    天魔は殴られた痛みで寝返りをうってベッドから落ちてしまう。

「痛つつっ………。」

    少女はやっと起きた天魔へと穏やかに語り掛ける。

「おはようございます、朝ですよ、起きてください。」

    天魔は身体の痛みによって眠気が覚めていく。そして、眠気が覚めていくと共に、現状をだんだんと理解していく。

「うぅ……。」

    天魔は霞む目を擦り、目を開け、目の前の少女を認識した。そして認識してからも数秒間無言のままであった。

「いや、あんた誰!」

    そして天魔は目の前の少女へと向かって叫んだ。

「驚かせてしまってごめんなさい。私は天使のスピアというものです。私はあなたに今日より遣えさせていただく天使です。」

    その少女、スピアは、丁寧にお辞儀をして、元から準備してあったかのように、自己紹介をする。

    天魔はそれを不思議なものでも見るかのような目で見つめる。

「あの……聞いていますか?」

    スピアは天魔の顔を覗き込むようにして確認をとる。

    天魔はそんな彼女の仕草に照れを感じて、目をそらして少し距離を置く。

「ま、まあ……聞こえてるけど……。えっと……どういうこと?」

    天魔はそんな照れを隠すように話を戻す。

「ですから、私は天使で貴方の力になるためにここに来たってことです。」

    スピアは天魔にニッコリと微笑みかけ、先程と同じ事を同じように言う。

「天使?あなたが?」

    天魔は信じられないとばかりに聞き返す。

「はい、そうですよ。」

    スピアはニッコリと微笑んでそう答える。

    天魔は状況が全く理解できず、少し考えて状況を整理しようとする。

「なるほど、そういうことか。」

    自分のなかで何かが納得いったのか、ひらめいたかのようにそう呟いた。

「流石です!わかってくれましたか!」

    スピアは自分の言葉が伝わったと思い、少し気持ちが高ぶってしまい、声も少し高くなる。

「これは夢なんだな!」

    しかし、続いた言葉はスピアの期待を見事に裏切る答えとなった。

    天魔のすっとんきょうな発言にスピアはガクリと肩を落とすと、天魔へと顔を近づける。

「な、なに?」

    急に顔を近づけてきたスピアから顔を離そうとするが、ベッドによりそれは阻まれてしまう。

「なにがなるほどですか!なにもわかってないじゃないですか!」

    スピアは思わず声を荒げてしまう。

「えっ?これ夢じゃないの?」

    天魔はそう言うと確認するように、自分の頬をつねってみる。

「そうですよ。夢か夢じゃないかくらいの区別つくでしょう?」

    原始的な確認の仕方をする天魔に呆れたようにため息をつく。

「まあ、それはつくけども。夢っていう結論以外に納得のいく結論を見出だせないんだよ。まあ、つねって痛いんだから夢じゃないんだろうけど。」

    スピアは自分のことを信じていない天魔の方を少し睨んだ。

「信じてませんね?」

「まあ、そう簡単に信じられる話じゃないし。いきなり現れた少女に私は天使ですって言われて、はいそうですかってなることの方が無理があると思うんだけど。」

    天魔は当たり前のことだろとでも言いたげに話す。

    スピアもそれも重重承知といった感じで素直に聞き入れる。

「確かにそれも一理ありますね。」

    スピアはそんな天魔の発言に納得したように頷いていた。

「いやいや、一理どころか正論だと思うんだけど。あと、ずっと言いたかったんだけど、なんで寝起きにパンチかましてきたの?」

    天魔は未だに痛む腹に手を当てる。

「天魔を起こすためにです。」

    スピアは満面の笑みで申し訳なさそうな雰囲気など微塵も見せない。さも、自分の役目を全うしたとばかりに清々しい顔つきだ。

「いやいや、どうしてそうなった。もっと穏便にすませる方法はなかったの?例えば……優しく語りかけるとか。」

「最初は優しく起こそうとして、耳元で語りかけたんですが。天魔の眠りは深かったようで、起きてもらえなかったのです。なので、最終手段として、強行手段をとらせていただきました。」

    深々と、まるでメイドのように下手で謝ってくるスピアに天魔は冷静になり、頭をかく。

「それじゃあ、一応は穏便に起こそうとしたと。」

    スピアは何一つとして嘘ついてはいないが、天魔は怪しむような目付きでスピアを見つめる。

「はい、そうですよ。いきなり殴るなんてそんな失礼なことをするわけがないじゃないですか。」

    天魔はスピアをじろりと睨み付ける。

「いや、初対面の俺を起こすために殴るって選択肢を選んだ時点でもう普通じゃねぇよ!」

「まあ、天使なので、普通ではないですよ。」

    スピアは天然ではなく、わざと天魔の言葉を違う意味に捉えて天魔をからかう。

「そういう意味の普通じゃないってことじゃなくて、常識はないのかって話し!」

    天魔は見事にスピアの手のひらの上で転がされる。

「これでも天界では『歩く天界辞典』とまで評されていたのですから、それなりの教養と常識はありますよ。」

    胸を張り、自慢げに語るスピア。

「そんな常識ある天使さんはなんで人の家に勝手に上がり込んでいたの?」

    天魔はツッコミどころ満載のスピアの発言を無視して、話を移す。

「勝手にじゃないですよ。鍵が空いていたので僭越ながらそこからお邪魔させていただきました。全く……不用心ですよ。」

    スピアは天魔の鼻をつんと小突く。

「いや、鍵は閉めたはずだから開いているわけがないんだけど。」

    天魔は昨夜のことを鮮明に思いだし、確実に鍵をかけたことを確認する。

「それにだよ。」

    まだ言い足りないと天魔が話を続ける。

「何でしょうか?」

「遅刻するよって言ってたけど、まだ六時じゃん。学校八時からなんですけど。」

    時計の針は六時三十四分、飛んで十三秒を指していた。学校の始業時間は八時のため、起きるにしては早すぎる時間だ。

    天魔は眠りの邪魔をされたことに対して一番憤りを感じていたのだ。

「申し訳ありません。こっちの世界のことに関しては疎いもので。私、新米天使なもので……。」

「おい、さっきと言ってることが違うぞ?『歩く天界辞典』の異名はどうした?」

    スピアの先の言葉をすぐさま拾い、挙げ足をとる。さすがにつっこまずにはいられなかったのだ。

「私が詳しいのは天界からみた人間界だったので、人間からみた人間界とは少し違うみたいなんです。」

    スピアもそれに負けじと屁理屈をこねる。

「まあ、もういいやこの話は。」

    先に白旗をあげたのは果たして天魔だった。白旗をあげたのは、めんどくささ故にであろうが。

「もう聞きたいことはないのですか?」

    質問を待っているかのようにスピアは天魔へと質問する。

「それは山ほどあるけど。こんな早くに起きたから眠いんだよ。」

    天魔も聞きたいことはたくさんあるが、朝早く起きてしまったため、眠くなってしまっていた。

「駄目ですよ。早寝早起きは三文の徳って言うじゃないですか。」

    スピアはあくまで起こしたことそれ自体については悪気を感じていないかのような表情で自分の行動が正当であるかのように話す。

「いや、どこにも徳がないんだけど。」

    天魔は今までのやり取りを思い出すが、これといっていいことがないとより強く実感する。

「またまた~目の前にいるじゃないですか。」

    天魔は自分を必要以上にアピールしてくるスピアを覚めた目で見つめる。

「な、なんですか?その目は。」

    天魔のその目に気づき、何かがおかしいと悟るスピア。

「いや、何で逆に自分の評価が高いと思ってるのか不思議で考えたんだけど。」

    天魔は表情を変えずにスピアを見据える。

「なるほど……。なんでだか分かりませんが、天魔にとって私の評価はとてつもなく低いようですね。」

    手を顎に当てて、スピアはその理由について考える。

「逆になんで高いと思ったの?」

    天魔はスルーされた質問をもう一度問う。

「え?天魔にこんなにも尽くしているというのに逆になんで高くないんですか?」

    高くて当たり前というスピアの固定観念と低くて当然という天魔の結果論から導き出された二つの解が交差し、お互いに噛み合わない。

「いや、おまえがやっているのは迷惑行為ばっかだし、こんなにっていうほど会ってから時間もたってないじゃん。」

    善意でやっているつもりだったスピアは天魔の言葉に驚きを隠せない。

「そんな私はこんなにも天魔の助けになればと思って頑張っているのに。」

    スピアは脱力し、手と膝を地面につく。

    そんなうだなれるスピアを見て天魔は思った。

(さて、もう一眠りするか。)

    天魔はスピアの事など微塵も気にせず、布団へと体をもぐり込ませる。安眠を妨害されてしまったためか、はたまた早く起きてしまったからか、天魔の眠気は限界であった。

    そして天魔が再び眠りに入ろうとして……

コメント

  • 春田 心陽

    コメントありがとうございます。
    早速直してみたいと思います

    1
  • 瑞樹の相棒ヤゾラっち

    。をつけるたびに文を2、3行開けるともうちょい見やすくなると思う。

    0
コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品