壊れた世界と魔法使い

シロ紅葉

夜が明ける

 咲畑町から死にもの狂いで抜け出して、人の手が入らないような森林へと逃げ込んだ。
 空が明るみ始めて、冷気が吹きすさんで私の体の感覚をおかしくさせる。
 覇人を除いた全員が、まるで命を削って気力だけで生きているかのように引きずってきた身体を労わる。
 もう、疲れた。
 ここまで一睡もしていないし、傷だらけだしで何も考えられない。
 あの後、緋真と守人がどうなったのかなんて分からない。気になって仕方がないのに頭が働かない。
「……もう、ダメ……」
 大木を背もたれにして、ズルズルと座り込む。
「私も……です」
 隣に茜が寄ってくる。手と手とが合わさりあって、身体を密着させた。手を握りしめて、温度を上げる。暖かい。それが生きているんだという何よりの証になった。
「俺たちも少し休んでおこうか」
「そうすっか。緋真から連絡が来るまでは動きようがねえしな」
 まだまだ余裕を残してそうな覇人と纏が少し距離を離したところで座り込む。前から付き合いのある私たちの輪に入れなさそうにどうしようかと迷っていた蘭が一人、膝を抱え込む。
「蘭ちゃん。――こっち。みんなでくっ付いてたらあったかいよ」
 手招きで呼び寄せてみる。すると蘭はこっちを見て、よそよそしく私の隣にやってくる。三人で固まって、更に温度が高まった。氷のような凍った手を握って、温度を共有し合う。かじかんだ手が溶けていく。
 そうして深い息を吐いて空を見上げてみる。
 長かった夜が明けようとしていた。
 そういえば、日の出ってちゃんと見たことがなかったような。見てみたい。けど……視界が狭まって、暗くなっていく。日の出がはっきりと見えない。
 ボロボロになった体も銃弾で撃ち抜かれた肩もどうでもよくなってきた。


 いまは、ちょっとだけ……目を……閉じていたい。


「彩葉ちゃん。おはよう」
「……おはよ」
 寝ぼけ眼をこすりながら、状況がどんなことになっているのか思い出しつつ、周囲を把握していかないと。
 まず、隣に茜。手はしっかりと握られている。少し距離の離れたところで警戒心をむき出しにして木々を眺めている蘭。
 目の前にたき火。その向こう側に。
「ゆっくりと眠れたみたいだな」
 纏がいた。
 そうか。必死で逃げてここで力尽きるようにして全員が眠り込んだんだった。
「あれ? 覇人は」
「覇人なら町に戻って情報収集に行ってるよ。蘭は周辺の状況を見てもらっているところだ」
「そっか」
 今頃はきっと、大混乱になっていそうな気がする。あの時点でも逃げる際に大勢の野次馬の間を掻い潜ってきたぐらいだし。
「ああ、あんた。やっと起きたの」
 私たちの話し声に気づいて、蘭がたき火の前にやってくる。目には魔眼を発動していた。環の数は三。
 あれが視力を表しているということだから、そうとう遠くの方まで見えているんだろうな。
「蘭ちゃん。おはよう」
「……」
 あれ? 無視? 嫌われているの? まだ、出会って日が浅いから馴染めていないからなのかな。うん。そういうことにしておこう。
「そういえば、たき火があるってことは緋真さん。帰ってきてるの?」
 緋真とのサバイバル生活を送った数日間を思い出す。あの寒い夜の日々、このたき火に何度お世話になったことか。これほど火の存在をありがたく思ったことはない。
「ああ、俺が一番に目を覚ましてしまったからな。みんなが起きたときに温かい方がいいと思って用意しておいたんだ」
「一人で?」
「ちょっとした眠気覚ましになったから気にする必要はないぞ」
 朝からよく働けるものだね。早く起きたなら二度寝をするよ。普通は。
「とてもありがたいですね。……彩葉ちゃんだったら、二度寝しそうですよね」
「え?! なんで分かったの」
「彩葉ちゃんのことなら大体わかりますよ」
「……さすが親友。なんでもお見通しなんだね」
 隠し事とか絶対に出来ないなあ、これは。でも、こんなにも理解力のある親友を持ててある意味嬉しい。
「一人、昼近くまでゆっくりと寝て。あんた、危機感とか全然ないのね」
 いつの間にやらそんな時間になっていたみたい。空を見上げたって、薄暗い雲が覆っているだけだから、時間の感覚なんて分からなかった。
「あんなことがあったっていう……実感があまり湧いてこないから、かな」
 いまにも降ってきそうな空を眺めながら、つぶやくように漏れた。
「あたしに撃たれたその傷があるのによくそんなことが言えるわね」
「そうだけど……あの後、力尽きるように寝てしまったから、まるで夢でも見ていた感覚なんだよ」
「いいわね。そう言う風に考えられて」
 かなり嫌味っぽく言われた。私がおかしいのかな。
「これから一緒に行動をしていくのですから、仲良くやっていきましょうね」
「……」
 また、そっぽを向いてしまう。
 仲良くやっていくには時間がかかりそう。でも、大丈夫。こういうのは自然と距離が縮まっていくものだから。諦めなければいいだけ。
「――灰色の髪の男が帰ってきたわ」
 その魔眼で捉えたんだろう。もう、その状態にしておく必要が無くなったようで、元の瞳に戻った。
 足音が聞こえてくる。
 蘭の言っていた通り、正体は覇人だった。
「お、全員起きてるみてえだな」
「おかえりなさい。危険なことはありませんでしたか?」
 夫を迎える妻を想像させる対応で茜が出迎えた。
「いまのところはな。警察が総出で町中に張って、事態を沈静化させたみたいでな。騒動にはなってねえよ」
「随分と対応が早いんだな。もしかして、先日の魔法使いを捕えたときに駆け付けた警察に根回しをしていたのか」
「あの時点でこいつらと戦うことが決まっていたようなものだからね。守人なら町民に被害が少なくなるように対策していてもおかしくないわ」
 治安維持組織――警察。
 アンチマジックは魔法使いを倒すための専門組織であって、魔法使いとの戦闘になったら当然、周囲に被害は結構出る。
 そうなったら人々の間に騒動が起きてしまう。それを避けるための裏方みたいな役割が警察。
 裏社会の揉め事は裏社会に通じる人が対応して、表向きの社会には表向きの社会に通じる人たちが対応するってことだったはず。
 アンチマジックと関わる様になったのも魔法使いになってからだ。ちなみに、私は良識のある人間だったから警察のお世話にもなったことはない。
「みなさんが無事でホッとしました。あとは、緋真さんと守人さんの戦いはどうなったのかは分からないのですか?」
「……」
 覇人は顔を歪めた。しばらくの沈黙のあとで服の内側から一枚の新聞紙を取り出した。
「そいつはこれを見てもらった方が早いな」
 新聞紙を受け取る。みんなで顔を寄せ合って、一面に書かれた大きな文字が目に飛び込んできた。


 ――ホテル街全焼。


 その周りに続く文字を眺めると、事実と違うことが書かれていた。
 内容はこの時期によくある、ストーブによる火災が原因で周囲に伝播していったというものだった。
「これって……どういうことなのかな?」
「規模が大きすぎるから、報道規制がかかっているのよ」
「そういうこった。さすがにあれほどの火災を魔法使いの仕業だと報道しちまったら、民間人を驚かせちまうからな」
「あの被害にしては迫力に欠ける記事だとは思うのですが……」
 火柱が吹き荒れたり、黒ずんだアスファルトの道路。せっかく改修された建物も無意味に終わってしまっている。まだ新しくなっているはずなのにまるで耐えることすらなかった。そんな光景が白黒の画像から見て取れる。
 嘘を吐くにしても無理がある。
「そいつに関しては、緋真がキャパシティ所属の魔法使いっつーことも配慮に入れられてんだろうな」
「四十二区の事件と同じ扱いを受けているということか」
 世の中に起きている事件の中には、事実が危険すぎる内容のものは全年齢向けに改竄されてしまう。
 裏社会で暗躍する秘密犯罪組織が起こした全焼なんて、とても聞かせれる話ではない。衝撃が強すぎると、魔法使いに対する恐怖なんかでパニックなったりするから当然の処置なんだね。
「でも、これだと。あの戦闘のことは一切触れられていないのじゃあ……」
「読めば分かるぜ。結果がな」
 小さい文字で書かれた詳しい詳細の記事を読み進めていく。
 そこで、ある一行から先に目が進まなかった。
「――……え?!」
 私の一言がみんなを代弁していた。茜は口元に手を添えて、視線を新聞紙から外して現実逃避に移ってしまった。蘭と纏は新聞紙に取り込まれているんじゃないかと思うぐらい凝視している。
 私が字面を理解する前に、紙面が濡れた。雪が降ってきて、紙面にふわりと付着しては溶けて染み込んでいった。
 それは、彼女への手向けか、追悼か――。
 もしこれが、神以外の何者かが流した涙だと錯覚出来ていたのなら、多分、私もつられて泣いた。


 ……どうして……こんなことになってしまったの……?


 つい数時間前まで一緒にいた人が、今では紙面を騒がす記事の一部。
 刻まれている名前を脳が吸収した時、不意に喪失感が襲ってきた。


 死者一名  穂高緋真

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