壊れた世界と魔法使い

シロ紅葉

喧嘩

 先に動いたのは彩葉だった。
 悩むことも忘れ、突貫的に体だけが前へと動き出す。手には白と黒の刀。 
 空いた距離を埋めるにはいささか遠い。
 何十歩踏み出せば届くのか。そんな溝を埋めるべく、左手に脇差を造ると、彩葉は無造作に纏へと投擲した。
 闇夜に煌めく黒漆の太刀を眼前に構え、脇差を斬り捨てる。
 その僅かな時間で距離を詰める。彩葉の足ではその数秒で事足りた。
 彩葉は両手で握りしめた刀で斬りあげる。が、纏の反応が思った以上に早かった。
「……もう少しだったのに」
「いや、大したものさ。……だけど、あと一歩足りなかったようだな」
 鍔迫り合いからあっけなく押し負けた彩葉は大きく後ろへとよろめく。
 纏の剣を受け止めきれなかった彩葉は、殊羅と戦闘を繰り広げたときを思い返していた。いくら手加減されているとはいえ、斬り合うことすらなく、弾かれてただ翻弄されていただけだったことを。
 闇雲に振るうだけでは、埋めようもない力の差があることは分かっていた。


(だったら、真っ向から挑まなけばいいだけのこと――) 


 空いた胴に纏の太刀が横なぎに来る。彩葉は右手の刀を消し去ると、瞬時に左手に同一の刀を創造して、受け止める。
「……間に合った……っ!」
 間一髪のところで止められる。だが、そうながくは保ちそうにない。
 腕力では完全に負けている彩葉の左手が小刻みに震えだし、抑えつけている時間に限界が来ている。
 これ以上は保つことは不可能と感じ取った彩葉は、右手に魔法を発動し、上空に掲げた刀が滑り下りる。
「――!」
 数度の魔法使い戦がここで活かされたのか、纏は素早く反応することが出来た。
 展開から振り下ろしまでの時間はわずか数秒の動作。そこからの神速に見紛う一閃は空を斬ることとなったが、纏の胸に取り付けられていたバッジを両断し、スーツを薄く切り裂くまでのことは出来た。
 纏が後ろへと下がったことによって、距離が開く。
「……っはあ。やっぱり、さすがだな……っ。元剣道部なだけはあって、強いな」
「……はあっ……はあっ……。それはさすがに関係ないとは思うけど。そっちこそ、戦闘員として結構経験を積んでいるみたいだね――!」
 息も継げないほどの緊迫の攻防から、一瞬の緩みもなく、彩葉は二刀流から右手の一刀に持ち直す。
 煌めく黒刀と模造された幻想の刀が夜に響き渡る。
 力負けする彩葉はすかさず片手を柄から離すと、二刀流の構えに持ち直す。
 纏はそれを読んでいたのか素早く対応して、彩葉が振り切る前に天高く弾き飛ばす。そのまま、太刀を返して、流れる動作で斬り下ろす。
 ここで刀で防いだところで、繰り返しになることだということは彩葉は分かっていた。いや、そもそも出来ない。ならば、取るべき行動は一つ。
 元々、運動神経に秀でていた彩葉はこれを難なく躱した。
 一刀流から二刀流へ。二刀流から一刀流へ。間に挟み込まれる回避と忙しなく変化される彩葉のスタイルに纏は食らいついていく。
 刀による防御を一切見せない彩葉の戦闘は、剣と剣のぶつかり合う響きはほとんどない。あるにはあるが、それは纏が防いだ時だ。
 二人の隙のない斬り合いに茜はただただ成行きを見守ることに徹するしかなかった。
 それゆえに、戦況が刻一刻と変わりつつあることにいち早く気づけることになった。


(……くっ! まずい)


 纏は身のこなしが軽くなっていく彩葉に翻弄されつつあった。息が上がり始め、次第に焦りが生まれていく。
 数度の斬り合いの中、彩葉は自分の戦い方に慣れ始めていた。一つ一つの動きを覚えていき、急速に成長を遂げる。
 そこが戦況の変わり目だった。
 太刀の動きに合わせて振られた刀が交差するその寸前に――それは起こった。
 突如として彩葉の刀身が消え去り、身体を捻って纏の横へと躱し切る。
 視界から外れた彩葉に驚愕する間もなく。たとえ目で追えたところで、隙を生み出してしまっては続く動作に為すすべはなかった。
 刀身の消えた柄で横腹を殴打すると、纏の体が崩れる。
 更に連撃。
 彩葉の手にはすでに柄はなく、細剣に変化している。
 軽く、疾い刺突にかろうじて太刀で受け身を取るも、疾風はやてを纏った鋭い突きに転がるようにして吹き飛ばされる。
 更にもう一撃。


 その刹那――。


 彩葉は異常を感じ取り、反射的に駆けだし始めた足が地面を強く踏みつけて静止する。
 異質に感じる黒い瘴気が纏の太刀を包み込んでいた。


(この感じ……どこかで……! もしかして――)


 背筋に寒気が奔り抜けていく感覚を味わいながら、彩葉はその濃密なエネルギーに釘づけにされた。
 ただ、一振り。
 何人たりとも寄せ付けぬ、黒き刃が空間を切り裂いていくかのようにして解き放たれる。
 その突飛な一撃は、彩葉の戦闘思考を鈍らせるには十分だった。
 対処する手段も思い浮かばないまま、咄嗟に取れた方法といえば、二本の刀で防ぐことだった。
 だが、そんな手段も功を喫することもなく、呆気なく弾き飛ばされてしまった。
「な、なんだったの?! いまのは」
 地面に打ち付けた体を労わっている彩葉の元に、茜が大丈夫ですか? と駆け寄ってくる。
 彩葉は平気そうな素振りで立ち上がる。
「そんなことより、茜ちゃん。さっきの気配って?」
「彩葉ちゃんも分かりましたか。間違いありません。魔力です。多分、あれが纏くんの魔具なんだと思います」
 魔力の発生源は纏からではなく、太刀の方からのものである。アンチマジックが保有している対魔法使い用の秘密兵器――魔具。
 その太刀からはすでに魔力の気配は失っている。
「そうだ。よく分かったな。この鞘とセットで一つの魔具になっている」
 纏は腰に据えている鞘を分かりやすいように掲げてみせる。


 漆黒の鞘と眩い光沢が太刀を飾る。
 壊すことに特化された魔力を、斬ることに特化させる魔力へと変換させる。
 切っ先の鋭さを殺さず、鋭利な形が死を運ぶ投擲の刃。
 数多の剣士が夢見る究極の剣技。
 最早――到達不可と思われた境地が技術によって、ここに為し得られた。


「こいつの名は――散りゆく輝石の剣((クラウ・ソラス))。
 たった三度きりの飛ぶ刃を放ち、代償に光を失う魔剣だ」
 煌々と瞬いていた太刀は、一回り輝きが減少していた。
 察するに、三度目には面白みのない黒々としたつるぎとなるのだろう。
「あと、二回は放てるということですか」
「範囲も広いし、私じゃあ防ぐことは出来ないよ。どうしたらいいんだろう」
 茜に相談したところで、いい案は出てこなかった。
 ――あと、二度は残っている。
 彩葉はそのことを頭に叩きこんでおいた。
「それにしても、彩葉もそろそろ体力の限界じゃないのか? 体も痛めてしまったようだし、終わりにしないか」
「そうだね。私も疲れてきたよ。けど、終わりには出来ないよ。それだと私が納得しないから」
 だいぶ息が整ってきてはいるが、見るからにへばってきていることは分かる。
 だが、それでも諦めるわけにはいかなかった。
 こういうことが起きるのは、一生に一度かもしれない。勝つにせよ、負けるにせよ。喧嘩である以上は、お互いにわだかまりを無くしておきたかった。
 それは、友達だからと一言で終わらせれるほどのちっぽけな理由。
 この後がどう転ぼうとも、いまは悔いの残らないようにしておきたくて、彩葉は喧嘩を続行させた。
「この喧嘩。私も入っているのですから、ここから先は手を出させてくださいね」
「もちろん。男の子相手に一人は厳しかったんだし、頼りにしてるよ。茜ちゃん」
 二対一。数的には有利に思えるが、彩葉はすでに疲れ切っている。茜の援護がどう働くかによって状況は変わるだろう。
「そっちがその気なら、最後まで付き合うよ。だが、これだけは言わせてくれ。
 この喧嘩に俺が勝てば、俺のやり方に従ってもらう――!!」
「だったら、私たちも同じ条件でいくよ」
 語る言葉は尽きた。あとは三人が直にぶつかるのみとなった。
 茜は銃を扱う。近距離と遠距離の二人だ。
 おそらく、近距離に持ち込めば、茜は彩葉に誤射することを恐れて手を出しづらくなるだろうということは、先ほどの攻防で察することが出来る。これで茜を封じることは可能だとしても、近距離戦だと同じことの繰り返しとなることは馬鹿でも分かることだ。
 一応、纏には遠距離用の戦術も持ち合わせてはいるが、回数が制限されている。使いどころが肝心だろう。
 だが、その一撃は彩葉でも茜でも抑えることは容易ではないはずだ。
 すべては二度の刃にかかっていると言える。
 接近戦に持ち込まれれば、彩葉のことだ。更なる戦術で纏を翻弄するし、それを捌き切る自信などは持ち合わせてはいなかった。
 なれば、彩葉を一撃で仕留めたのち、茜と一対一へと持ち込む。纏も茜に体力がないことぐらいは付き合いの長さで知っている。
 やはり、今度も先に動いたのは彩葉だった。
 この場で唯一、接近戦しか出来ないのだから、当然と言えば当然の行動といえる。
 馬鹿正直に突っ込んでくることしか能がない彩葉を遠ざけるべきと判断した纏は、散りゆく輝石の剣((クラウ・ソラス))を構え、魔力を帯びさせる。
 彩葉を迎え撃つは魔力の刃。
 回避か。防御か。はたまた斬り伏せるか。彩葉にはどれかを選択するような考えなどは持ち合わせてはいなかった。元より、取れる行動など一つしかないのだから。
 彩葉は力で制御できないほどの大剣を造りだし、それでも力の限りを尽くして地面へと杭のように打ち付けた。
 それに全体重を預けて軸にし、空中へと跳躍する。ほぼ、同時に大剣と刃が衝突し、後ろで控えていた茜も大剣によって守られた形となる。
 纏は好機と見た。着地のタイミングに合わせ、もう一度黒き刃を放つ算段を付ける。
 万が一、回避される恐れもあったが、その間に接近して一撃で仕留めることは出来る。
 だが、その目論見は失敗となった。
 宙へ躍り出た反動で体が捩れ、まるで舞っているかのように華麗な回転とともに、刀を纏目がけて投げ放たれる。
 真っ直ぐに飛ばされた刀は散りゆく輝石の剣((クラウ・ソラス))で払われる。
 その頃には地面へと着地していた彩葉は手ぶらで勢いよく駆け出した。
 纏は返す刀で最後の魔力の刃を放った。
 そこに速度を殺すことなく立ち向かう彩葉。
 避ける素振りを見せない。血迷ったのかと纏は不審に思う――それが油断だった。
「私もいるのですよ」
 茜の手に握られたクリスタルの拳銃。それが共鳴しているかのような光を帯びている。
 充填チャージ
 魔力弾の要領で拳銃に魔力を溜めていた。纏は目の前の彩葉の相手だけで精一杯だったせいで、完全に標的から外れてしまっていた。
 射出された魔力の銃弾は、風を切って彩葉を追い越す。
 変換された魔力。刃と特大の銃弾がガラスに似た音で砕け散る。
 街灯に照らされて、幻想的な輝きを放っている欠片の雨の中、さらに加速した彩葉が突っ走る――!!
 彩葉は纏が払って側近に刺さった刀を拾い上げ、素早く斬り込む。
 その驚異的な速さには、完全に虚を突かれる形となった纏に万全な構えの時間を許さず、押し倒される。
 最後に、終わりを告げる刀の切っ先が顔面に突きつけられたことで、纏は敗北を認めざるを得なくなった。
「……私たちの勝ちだね」
 笑顔を浮かべて、勝利の宣言。
 邪気はなく、ただ嬉しい。それだけの感情が溢れていた。反面、纏は悔しそうな表情を浮かべた。
「負けてしまったか。まさかあんな切り札を隠していたなんてな……さすが、親友同士なだけあって、チームワークが良かったよ」
「ふふん。当然だよ。私と茜ちゃんの連携は最早、言葉なんてなくても心で通じ合っているからね」
 すがすがしく、試合終わりのスポーツマンのように座り込んでいる纏に手を差し伸べる。
「立てる? 喧嘩の後は仲直りをしないと」
 手を握り返して纏は立ち上がる。
 そんな二人を見ていた茜は、自分も輪に入ろうと寄っていこうとしたその瞬間――。
「よけてっ!! 彩葉ちゃん――っ!」
 視界の中にかろうじて写り込んだ揺らめく影が、彩葉に銃口を向けていたことにいち早く気づいた茜が叫んだ。
 だが、それよりも早く弾丸が彩葉の肩を貫いた。
「――きゃっ!!!」
 短めな悲鳴と共に肩を抑えつけながら脱力する。
 彩葉の傷も気になるが、何よりもその正体の影を誰もが見た。
「負けてしまったのね。纏」
 女の声だ。
 護身用に常に携帯している拳銃をポケットにねじ込んだ御影蘭が姿を現す。
「あの人は纏のお父さんと一緒にいた……」
「C級戦闘員の御影蘭さんですね」
「ふーん? 自己紹介は必要なさそうね」
 さっと一目、彩葉と茜に目を通した。
「あたしが付けた傷だけだわ。――あんたは一撃も入れられなかったのね」
「これでもいい勝負にはなっていたんだ」
「そうみたいね。最後の方だけ見てたわ」
 丁度、決め手となった攻防の辺りから遠巻きに眺めていた。すぐに手を出さなかったのは、纏に気を使ってのことだ。
「――で、どうするのよあんたは。あたしは戦闘員としてこの二人を処罰しないといけないのだけれど」
「それは待ってくれっ! もう少し時間をくれ」
「あたしもあんたの気持ちは分かるけど、そんな時間はないわ」
 工事現場の周囲に炎の柱が湧き立ち、激しい地鳴りと共に三人の人物が現れた。
「ふー。なんとか間に合ったみたいだぜ」
「良かった。二人だけにしてしまったから心配したわよ」
 彩葉と茜の元に頼りにしていた緋真と覇人が駆けつけた。
「緋真さん! 覇人!」「緋真さん! 覇人くん!」
 彩葉と茜の掛け声が重なった。
「怪我しているわね。そのまま動いたらダメよ。ちょっと待って――」
 肩から血を流している彩葉を確認すると、自分の着ている服を破り、巻き付けて止血する。
「これで良し。他は大丈夫そうね。茜ちゃんの方は特になさそうみたいね」
 胸を撫で下ろす緋真。わが身よりも可愛い妹分の方がよっぽど心配だったのだろう。
「情に流されたか。それとも力不足だったのか?」
「正々堂々と喧嘩して俺が負けた。それだけだ」
 A級戦闘員の天童守人が息子の纏の失態に叱るでもなく、淡々とした口調で尋ねていた。
「彩葉と茜は数日ぶりだが、――纏! 久しぶりだな」
「ああ、久しぶりだ。でも、どうして俺の親父と戦っていたんだ? まさか――お前もそうだったのか?」
「わりぃな。ずっと前からこっち側だ」
 纏はしばらく口を開けなかった。無理もないだろう。友達全員が自分と立場の異なる存在だったのだから。
「にしても、なんだよこの顔ぶれ。さすがに全員揃っちまうとすげえな」
 A級戦闘員、C級戦闘員、F級戦闘員。対して、裏社会を賑わす三人の女魔法使いとキャパシティ所属の魔法使い。
 今宵、この地に集った役者が一同に会する場が生まれた。
 この状況。はたして何が起ころうともおかしくはないだろう。
 いま、町の命運はこのメンバーの行動次第に懸かっていることを――町の住民は知る由もない。
 この緊迫した状況の中、緋真はある人物に呼びかけた。
「ねえ、ちょっと待ってくれないかしら。
 ――あなた……もしかして。蘭、じゃないかしら?」
「――!!」
 蘭は不意に名前を呼ばれたことでビクついていたが、視線は吸い込まれたかのように緋真から離れていなかった。
「やっぱり……やっぱりそうなのよね。あたしは……生きていると信じていたわ」
 声がかすかに震えていることを認識した。
 なにがどういうことだと言うのか? 全員が不思議そうな顔で口を閉ざして成行きを見守るしか取る手段はなかった。
 やがて、我慢しきれなくなった蘭は緋真に飛び込んでいって、緋真は身体で包むようにして優しく抱きしめた。
「ずっと会いたかったのよ――緋真お姉ちゃん!」

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