壊れた世界と魔法使い

シロ紅葉

一つの愛の形

 人は二つに別れた。
 生と死――生をもがくからこそ壊れにくく、死を求めるからこそ壊れやすい。

 善と悪――善行の心をもつからこそ正道であり、悪を行使するからこそ邪道である。

 希望と絶望――希望を追うからこそ美しくあり、絶望を抱くからこそ醜悪になれる。

 二律背反する動物はやがて、二つの人格を持ち始める。

 あらゆる破壊の手段を持つ魔の法力――魔法
 凶悪なる力の源となる元素を魔の力――魔力
 魔力でもって魔法を行使する、その魔性に取りつかれし異形のモノを人は――魔法使いと呼んだ。

 其の者は我々人類にとって、危険極まりなく罪の烙印を捺されし者。
 我々は持てる力を結集し、力無きか弱い人類を魔の手から救うべくこれを処すべきである。

 退魔力殲滅委員会 規約第一項より


 緋真はゆっくりと本を閉じた。
 聖書のように書かれた文章の朗読に疲れを感じ取った茜は、麦茶を労いとともに手渡した。
 緋真は辞典ほどの分厚さのある黒いカバーの本を机に置いた。表紙には金色の文字で magic extermination と書かれている。
 重量のあるソレは鈍い音をたてる。
 それなりの重量があることは音だけで分かった。
 手に疲れが溜まっていたのだろうか軽くほぐした後、麦茶を一気に飲み干した。

「これがアンチマジックの行動理念とわたしたちの関係よ」

 彩葉と茜は何も言えなかった。
 今まで人として生活をしてきた二人にとっては、それはあまりにも残酷でどれだけ人としての生活が幸せなものなのかを思い知ったからだ。
 魔法使いは人類を脅かし、災厄を起こす存在のはずだった。
 しかしその正体は、元は人間であり、ともに生活をしていた仲間であった。
 魔が人を変え、魔が生活を変えた。人生を一変させたのは他でもない自分自身の感情の変化。他人の干渉によって引き起こされる自分自身の在り方の変化。
 仲間との断絶。幸せの断絶。在り方の断絶。全てが断絶し、零になる。
 そうして彼らは一から幸福に満ちたあの頃を取り戻すように、必死にもがいて罪をひた隠しにして生きていく。
 全ては自分の行いが招いた結果だ。自業自得だと言われればそれまでだが、それでも魔法使いはあの頃に戻りたい。
 生きていたい。レールから外れた列車が線路に戻ろうと足掻くように、必死に罪と向き合いながら人という名のレールに復帰しようとする。
 だが、背負った罪を断罪するべくアンチマジックが立ちはだかる。
 人のレールから外れた外道を復帰させる道理がない。
 いまだ秩序を守りながら、日々を営んでいる人々の中に混ぜるわけにはいかないから。

「私たちはもう……人には戻れないのでしょうか」

 沈痛な面持ちで茜は言った。

「そうね。罪は一生消えないものだから魔力も消えることはないのよ」
「そうだよね。悪いことをしたら怒られるのは当然だよね」
「怒られて済むような話じゃないけどね」
「ごめんなさいしてもダメかな? おなじ人間なんだから反省してますって気持ちを見せたら許してもらえるんじゃない」

 存在は変わろうとも、人という一つの人種に変わりはない。

「ダメなものはダメなのよ」
「未成年でも?」
「それは、関係ないんじゃないですか」

 茜はそうだったらいいのにという希望と疑惑ありげに突っ込む。

「そうね。魔法使いは社会を脅かす存在だからね」
「でも、私たちはそんなことはしません!」

 茜が強い語調で言った。

「たとえそうであってもよ。言ったでしょ。罪は一生背負っていかないといけないのよ」

 きっぱりと言い切った。もう、未練は捨てて今の現状を受け入れていかなければいけないという意味も含めての言い方だった。
 場が静まり返る。
 反論の余地がなくなったからだ。

「父さんと母さんも昔、悪いことをしたってことなのかな」

 小さく呟いたつもりだったが、静まり返った部屋では十分に聞き取れる声音だった。

「彩葉ちゃんの両親も魔法使いだったの?」
「うん。といっても、一昨日私も知ったばかりなんだけど」

 毎日を楽しそうに生きていた両親がまさか魔法使いだとは思いもしなかった。

「そうね。過去に何らかの罪を背負ったことは間違いないと思うわ……ってちょっと待って! 彩葉ちゃん。一昨日知ったって言わなかったかしら」
「そうだよ。母さんと父さんが家を出る前に聞いたの」
「ということは両親の口から直接聞いたってことなのね?」

 神妙な面持ちで尋ねる緋真に疑問を持ちながらも頷きで答える彩葉。
 そのまま緋真は黙り、思考の海を泳ぐ。
 奇妙な沈黙が漂い、何て声をかけようか迷っていたとき、緋真が話し出した。

「普通魔法使いであることは子供にも話すことはないの」
「どういうことですか?」
「もし、両親が魔法使いだと知っていたら。両親が死んだとき、犯人は誰になると思う?」

 数秒の間隔が空いた後、茜が答える。

「アンチマジックですか?」
「正解。そうなると子供は反感を持ち、アンチマジックからしてみれば反乱因子が生まれることとなるの」
「なるほど。アンチマジックは魔法使いを殲滅する組織だから……えーと……つまり何? どういうこと?」

 膨大な情報量についていけず、頭がパンクする彩葉。

「子供が反抗の意志をみせると、アンチマジックにとっては邪魔な存在でしかなくなるの。だから、子供を殺すしかなくなるの。それはアンチマジックにとっても好ましくないことだし、魔法使いである親も子供が殺されるようなことにはなってほしくないでしょ」

 親は子には正体を明かさない。
 そうすることによって子は何も知らず、無垢なままでいられる。不運な事故によって死亡したということになれば、孤児として生きていくことが出来る。どっちにしろ辛い人生を歩むことになることには変わらないが、死を回避することは出来る。

「だけど、彩葉ちゃんの両親は正体をばらしたのよね。彩葉ちゃんのことを想っているのなら普通は教えないのに」

 一瞬、彩葉の顔が陰った。
 私は両親に見捨てられたのだろうか。
 だったらなぜ、あの時母さんは泣いていたのだろう。
 あれは非情の涙ではなく、心の底からの悲哀の涙のはずだ。

「大丈夫? 彩葉ちゃん」

 彩葉の表情をのぞき込むように話しかける茜。
 それにハッとしてすぐに元の明るめの表情を取り戻す。

「平気だよ! 教えようと思ったらいつでも話せたのに今まで黙っててくれたんだからきっと何か理由があるんだよ!」
「そうね。少なくとも十七年間彩葉ちゃんを守り通したという事実に変わりはないわ。立派な両親じゃない」
「自慢の両親だよ」 

 危機が迫る直前まで、両親は自分たちがいつ襲われるかという恐怖と戦いながらも影では彩葉のことを大事にしてきた。
 感謝こそすれ、恨むことなど何一つとしてない。
 彩葉は懐に忍ばせていた手紙を取り出す。

「それは……?」
「あ、うん。母さんからの手紙。私がこんな風になることもお見通しだったみたい」

 そこには今の現状を見透かし、励ますメッセージが綴られていた。
 両親は罪を背負ってもなお、人としての生活を生き抜いた。
 辛いことがあってもこの手紙が支えてくれる。そんな気がして肌身離さず持ち歩いていた。

「そういえば、変なカードも入っていたっけ。貯金が入っているって書いてたんだけど」

 封筒の中の固い感触を手で感じながら言った。

「カード……ですか? 貯金ということは金融機関のってことでしょうか?」
「さあ。なんかみたことない感じだったかな」

 みたことのないカードに驚きこそはしたが、現金とくれば真っ先に思いつく用途は銀行だろう。だが、金融機関の名も書かれていない露骨な怪しさのある物だった。
 彩葉は封筒に入っているカードを取り出し、茜と緋真に見せる。

「――ッ!!」
「確かに見たことがないカードですね。真っ白で何も書かれていない」
「でしょ。一体なんのカードなのかなあ」

 茜はもの珍しそうにカードをまじまじと見つめる。

「透かし絵みたいに光に当てたり、角度を変えてみたら何か変わるかもしれませんよ」

 天井の光に当ててみる。変化なし。
 今度は顔を近づけたり、斜めから眺めてみる。変化なし。

「何も起きないね」
「あとは……炙ってみたりしたらどうでしょう」
「そうだね。ってそれはまずいと思うよ茜ちゃん!」

 肯定してから否定するまで漫才の如し。

「冗談ですよ。多分焦げるだけだと思います」
「ですよねー。もちろん分かってたよ」

 おどけていってみせる彩葉。しかし、まったく隠せてなくクスクスと笑う茜。
 そんなとき、緋真はおそるおそるといった感じで口を開く。

「彩葉ちゃん。そのカードは誰の物?」
「多分……父さんか母さんのだと思うけど」

 誰、と言われても分からない。手紙に同封されていただけで両親の物なのかも曖昧だ。
 ただ、文面からして両親の可能性が高いだけで確証がないから疑問を抱いた語調で答える。

「お父さんとお母さんの名前って教えてもらってもいいかな」
「父さんが雨宮源十郎で母さんが奏」

 その瞬間――緋真に驚愕の仮面が張り付く。
 信じられないことを聞いてしまったそのものの表情だ。

「げん……じゅう……ろうって本当なの?」

 普段の柔らかな声音と違って絞り出すような声音だった。

「そうだけど。どうしたの?」
「もしかして、昨日のあの場所に倒れていたのは源十郎さんと奏さんなの?」
「……うん」

 うなだれて答える彩葉。
 思い出したくもないあの光景。
 血みどろになって倒れていたのは紛れもなく両親だった。

「あの二人が亡くなったの?! 彩葉ちゃん!」
「多分。でも、母さんは間違いなく……」
「そう……だったんだ。ごめんね。辛いことを思い出させて」

 彩葉を抱きしめ、落ち着かせるようにつぶやく緋真。

「もういいの。悲しんでいても父さんたちに悪いし。それよりも緋真さんって父さんたちの知り合いだったりするの?」
「そうね。二人とも一応知り合いよ。というよりも一部の魔法使いの間では、雨宮源十郎の名前は有名よ」
「え!? そうなの?」

 今度は彩葉に驚愕の仮面が張り付く。
 普段源十郎は自室に引きこもり、何らかの研究をしている変人ぐらいの認識だった。
 ひょっとしたら、彩葉の知らないところで研究成果が評価されていたのだろうか。
 茜も雨宮家とは親交が深く、ある程度のことは知っていたので口をポカーンと開けて信じられないような表情を見せる。

「まあ、知らなくても当然かしら。魔法使いの事情だし、娘に話すようなことでもないわね」
「もう、全然知らないよ。キャパシティっていう研究機関で働いているってことぐらいしか知らなかったし」
「あら。それは話していたのね。ちょっと意外だったわ」

 彩葉から正体不明のカードをもう一度みせてもらい説明を始める緋真。

「このカードはキャパシティで使う認証カードなの。中でも白色のカードはある特別な人物しか与えられていないのよ」
「……特別な人物」
「そうよ。源十郎さんは組織内でも幹部の内一人、様々な研究の最高責任者でもある人物よ」

 にわかには信じられない話だった。
 自分の父親がそこまでの人だったとは。人は見掛けによらないとこの時ほど痛感したことはなかった。

「でも、どうして認証カードなんてものがあるんですか? キャパシティってあまり聞いたことのない組織ですけど、そんなにも有名な研究機関なんですか?」

 ほとんど無名な研究機関で使われるにしてはあまりにも凝った仕様だったことに疑問を持つ茜。
 なにせ、娘である彩葉ですら何をしているところなのかすら理解していないぐらいだ。

「キャパシティは表向きには医療研究機関……というか、正確には病院なんだけれど。どっちも兼任しているから間違いではないわね。だけど、その実態はアンチマジックに敵対する秘密犯罪組織よ」
「え!? 犯罪組織? じゃあ、父さんは犯罪組織の幹部やってるってことなの?」
「そういうことになるわね」

 衝撃の事実に対してやけにあっさりと答える緋真。

「変な研究やってて、幹部もやってるなんてマッドサイエンティストみたいじゃん! 父親が極悪人だったなんて、なんかショック!」
「とてもそういう風な人には見えなかったんですけど、意外ですね。ということは奏さんもなんですか?」

 どきりと心臓が高まる。
 まさか、両親揃って犯罪組織の一員だとは思いたくもなかった。

「ううん、奏さんは違うわ」
「よかったあ。母さんまでだったらどうしようかと思ったよ」

 胸を撫で下ろす彩葉。

「でも、そういうことだったのね。源十郎さんは彩葉ちゃんを魔法使いにすることによって、キャパシティで保護させようと考えたわけね」
「保護って。犯罪組織なんじゃないの? 私を悪者にするつもりだったってこと?」

 いくら自分が所属している組織だからって危険な組織に保護させるなんておかしい。
 たしか、父さんたちもキャパシティを目指していたはずだ。それだったら最初から連れて行ってくれればよかったのに。

「決まっているじゃない! 彩葉ちゃんを守るためよ」

 緋真は一切の淀みもなくはっきりと断言した。

「私の……ため?」
「キャパシティは魔法使いだけで構成されている組織なの。だから、あえて彩葉ちゃんに正体をばらして魔法使いになるように誘導した。彩葉ちゃんを一人にさせない為にね。カードはそれを見越した上で用意したんだわ」

 魔法使いにとっては一番安全な場所でもあるキャパシティには人はいない。
 アンチマジックに刃向う組織でもあるので、必然的に所属するメンバーは魔法使いであり、戦いの意志を持った者だけが集まる。

「父さん。そこまで考えていたんだ。あれ、じゃあ貯金が入っているっていうのはどういうことなの?」
「多分研究費用よ。それに、たとえ彩葉ちゃんが魔法使いにならなかったとしてもそれで満足な生活が送れるようにと、二重の意味を込めて用意したんだと思うの」
「彩葉ちゃんはお父さんとお母さんに愛されていたんですね」

 涙がこみ上げてきそうになる。
 散々、魔法使いに対して悪態をついてきて、知らず知らずに二人を苦しめてきた。にもかかわらず、自分たちに危機が迫っても最後までたった一人の娘のことを想い、守り通そうとした。
 娘を魔法使いにするなど、やり方はともかくとして。これも魔法使いの両親であるからこそ出来る一つの愛の形なのだろう。

「そうなると、ここは源十郎さんの目論見通りに目的地はキャパシティに決まりね」
「キャパシティってどこにあるのですか?」
「隣の二十九区よ。歩いてでもいける距離だから。気長に安全に行くわよ」

 二十九区は三十区から東に位置している。
 区の端までは交通機関も通っているが、現在の状況を考えれば厳重な監視が入っていることだろう。安全性を考えれば多少時間がかかっても徒歩で行くのが最も最適な手段と言える。

「今から行くの?」
「さすがに今日は遅いし、疲れもたまっていると思うから明日の日が暮れてからにしましょう。それまではたっぷり疲れを取るのよ。長旅になるからね」

 そういうと緋真は椅子から立ち上がり、消灯にはいる。
 消灯といっても本来、今はこの周辺に人は住んではいない。
 明かりを点けると光が外に漏れ出す危険性がある為、夕食を済ませてからはストーブの灯を明かり代わりに使っていた。
 彩葉たちも欠伸を一つ残し、毛布を取り出す。
 暖房器具が消え、急速に部屋の温度が下がっていくのを体で感じながら、三人は固まって何枚もの毛布に包まって眠りについた。

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