「魔王が倒れ、戦争がはじまった」
東方剣聖
二人の戦法は対照的だった。
技で劣るセイフはその独特な歩法で動き回る。技で勝るが体において大きく水を開けられているハクロウサイは動かない。
互いに剣技の巧者であり、攻撃の際には近付かなければならない。
セイフは無駄に体力を消耗しているようにも見えるが、そうではなかった。
「ふっ――!」
ハクロウサイの間合いに入るかどうかの境界線で振るわれる剣。ハクロウサイは静謐な動きでそれをいなすが、いなした後には既に二撃目が飛んでくる。
一振りで首を5つ飛ばすと唄われていたのは伊達ではない。セイフの剣の間合いは異常に広い。全ては南方蛮族独特の体型にある。長身と細長い手足。それをもって他人種では不可能な体勢…極端に斜めに傾いた姿勢で剣を放つのがセイフの生家につたわる剣技だ。
他の剣豪であれば一度は可能だろうが、その姿勢のまま連撃を放てるのは筋肉の質の違いだろう。彼の肉体は鍛えられていながらもゴムのように柔らかく、粘り強い。
自分の間合いの外から相手が一方的に連撃を行う…近接で戦うものにとっては悪夢そのものだ。
「妬ましい…!」
しかし、相手も剣聖である。細身の剣を折ることもなく連撃を防ぎ、時に躱す。その顔は溢れる感情に歪み、戦う前の血気盛んな老人の姿は既にどこにもない。
「その腕があれば、儂の剣はあと3尺は伸びた…その足があれば…」
底冷えのする囁きとともに、ハクロウサイは当然に踏み込んできた。セイフの目からも突然に近づかれたようにしか見えないほどだ。
「縮地とかいう歩法か!」
「その足があれば、このような小技に頼る必要も無かった…」
ハクロウサイの剣が閃く。セイフの剣とは真逆に小さくまとまった剣閃。息がかかるほどに近い距離で美しい曲線を描いて、セイフの頭部を狙っていた。
二人の間の僅かな間合いに響く衝撃音。咄嗟に柄をつかってセイフがハクロウサイの斬撃を防いだのだ。しかしこの光景をスフェーンが目撃していたのならば、心底驚いたはずだ。
セイフの頬に赤い線が走って、雫を落とした。彼が避けきれなかったのだ。
ハクロウサイは取り立てて二つ名を持たない。それは彼が正当な流派を学び、ケレンのない戦闘…言い換えれば地味な戦い方をするせいでもある。
しかしあえて付けるというのなら“妄執”とでも呼ぶべきか。
「妬ましい…妬ましい…」
老い先短い老人が冥土の道連れにせんと、地のそこから湧き上がるような声で囁きかけていた。
/
信じ難いことではあるが、ハクロウサイは若い頃は大した剣士ではなかった。それでも剣を諦めずにしがみついていた彼は、他国の剣術を修めることで技量の上乗せを図ろうと、西方へ流れることを決めた。そして、それが彼の転機となった。
それはどちらかといえば心の転機ではあったが…大陸中央部の人種は東方蛮族よりも体格が優れていることが多かった。自分より努力していない人間が自分より強い事実に耐えられなくなったハクロウサイの努力は凄まじく、老いる頃には頂点へと立っていた。
「きぃえええええ!」
枯れ木のような肉体のどこにそんな怪力が隠されていたのか、ハクロウサイは至近でのつばぜり合いでセイフを押し返しつつあった。
剣士でありながら中距離と言っていい距離での攻撃を可能とするセイフを倒すために、ハクロウサイは徹底して距離を詰める。
ハクロウサイの顔がセイフの目に映り込む。長年の鍛錬で日焼けた顔の黒さは自分に近く、やつれた顔に嫉妬の目玉が張り付いている。
妬み。そして己の才能に対する失望。そこから来る怒りだけを燃料にして、老いた剣士は剣聖位までたどり着いたのだ。例え負の感情であろうとも、心の要素が極まった果だった。
同じ負の感情ではセイフも負けてはいないが、セイフは物分りが良すぎた。そして年齢が違う。未だ若い範疇に入るセイフと老いるまで凝縮されてきたハクロウサイでは重みが違う。本来はセイフのほうが上である筋力で押され始めているのは、精神力で補っているからだ。
心の力で道理を捻じ曲げる…怪物や英雄だけの特権を持っているのはセイフだけではなく、ハクロウサイもまたそうなのだ。
だからこそ、負けられはしない。同格との勝負にこそ己の真価が問われるのだ。セイフは無理矢理に距離を開けることにした。
つばぜり合いの最中からの蹴りによって。
「ぬふっ!」
「ぐっ…!」
ハクロウサイも同様に考え始めていた頃だったのか、腹に食らわせた膝蹴りは効果が薄い。しかも離れ際に左手の指を折るという土産まで残していく老獪さには舌を巻く他はない。
系統は異なれど互いに実戦向きの武術。剣だけに頼る気は両者共に無かった。
距離を詰めるという成果は挙げたが、痛手を受けたのはセイフの側だ。老いた体に入った蹴りは効いてはいるだろうが、ハクロウサイは百戦錬磨。しかも凡人から成長した手合であり、痛みに対する耐性は高いと見ていい。
体で勝っているが、左手の人差し指を折られたことでさらに技は離された。口惜しいが、このまま真っ当な勝負では勝ち目はやや不利。
「…借りるぞ、クィネ」
己に宣言して、もうひとりの自分の経験を使う。セイフとクィネは完全に別人格というわけではなく、根を同じにした双頭の蛇のような存在だ。
クィネが見聞きした技術はセイフも使える。
//
「鏖殺のセイフ…お前を倒して儂はさらに上へ…」
「それはゴメンだ。俺には精算していない過去があるのだから。…真っ当な勝負は貴方の勝ちでいいが、生命はやれない。どちらかが死ぬまでが勝負というのなら…足掻くまでだ」
現在のセイフは何もかもが借り物だ。ならばためらうことなどない。
薙刀に似た大刀を斜めに構えて、体を傾けると同時にハクロウサイの視界からセイフの姿が消え去った。本来はハクロウサイがかかるような技ではないが、セイフを知っているからこそ見失う。まさか彼が他人の真似をしようなどとは思わなかった。
「お主…」
勘に従って避けたものの、ハクロウサイの背は無残に切り裂かれている。老いた体はそこまで血を流さないが、一撃貰うごとに無理が効かなくなる。
「借りる、とは言ったが元は誰の技か。“影打ち”というらしい」
トリドでジェダから見取った技。かの若者ほどではなくとも、セイフもまた天才。その再現率は非常に高かった。
「…見損なったぞ、セイフよ。流派に対する誇りは無いのか?」
「それに関しては元より無い。そも俺の剣は流派というよりは生家に伝わる技だ。あの地で生き抜くための技術を集めたものに過ぎない」
剣聖同士だからといって武に対する思想が一致しているわけではない。強さへの欲求すらもセイフにはあまり縁がない。無いわけではないが、薄かった。
「ハクロウサイ。貴方も俺と同じだ。ある男が言っていたことだが…我々はここに来るべきではなかったのだ。生まれた地で家族や同胞と生きて満足するべきだった」
セイフと打ち合うことで、ハクロウサイはさらなる境地に近づける。だが近付いてどうするというのだ。強さだけが基準ならば行く道に果てはなく、満足することなどありはしないのだ。
それはセイフも同じこと。戦士としての生涯を全うしたいのならば故郷で充分だった。中央の誇りは砂漠の誇りとは異なっていた。
かつてセイフがそうであったように、そこから否定されることは誰も望まない。ハクロウサイは矜持のために攻撃を再開する。
全く同じ接近を選んだのは、老人の脳にも血が上っていた証だろうか…
距離を詰めて、敵の長所を封じ込める動きにセイフは同情を込めて対応した。
大刀を真上にかかげ、体を僅かに捻って放つ。超至近距離からの攻撃。限定された状況でしか使えない技は会ったことも無い勇者が使っていたという。
「境涯剣。クィネの相棒である女が倒した勇者が使っていたのだったな」
至近に対する迂遠な斬撃。剣豪剣聖英雄勇者。全く強者というのは変わり者ばかりだ。
雲から顔を出した月光が、頂きが見えない夢に生きた老人が輪切りになった姿に涙を流した。
技で劣るセイフはその独特な歩法で動き回る。技で勝るが体において大きく水を開けられているハクロウサイは動かない。
互いに剣技の巧者であり、攻撃の際には近付かなければならない。
セイフは無駄に体力を消耗しているようにも見えるが、そうではなかった。
「ふっ――!」
ハクロウサイの間合いに入るかどうかの境界線で振るわれる剣。ハクロウサイは静謐な動きでそれをいなすが、いなした後には既に二撃目が飛んでくる。
一振りで首を5つ飛ばすと唄われていたのは伊達ではない。セイフの剣の間合いは異常に広い。全ては南方蛮族独特の体型にある。長身と細長い手足。それをもって他人種では不可能な体勢…極端に斜めに傾いた姿勢で剣を放つのがセイフの生家につたわる剣技だ。
他の剣豪であれば一度は可能だろうが、その姿勢のまま連撃を放てるのは筋肉の質の違いだろう。彼の肉体は鍛えられていながらもゴムのように柔らかく、粘り強い。
自分の間合いの外から相手が一方的に連撃を行う…近接で戦うものにとっては悪夢そのものだ。
「妬ましい…!」
しかし、相手も剣聖である。細身の剣を折ることもなく連撃を防ぎ、時に躱す。その顔は溢れる感情に歪み、戦う前の血気盛んな老人の姿は既にどこにもない。
「その腕があれば、儂の剣はあと3尺は伸びた…その足があれば…」
底冷えのする囁きとともに、ハクロウサイは当然に踏み込んできた。セイフの目からも突然に近づかれたようにしか見えないほどだ。
「縮地とかいう歩法か!」
「その足があれば、このような小技に頼る必要も無かった…」
ハクロウサイの剣が閃く。セイフの剣とは真逆に小さくまとまった剣閃。息がかかるほどに近い距離で美しい曲線を描いて、セイフの頭部を狙っていた。
二人の間の僅かな間合いに響く衝撃音。咄嗟に柄をつかってセイフがハクロウサイの斬撃を防いだのだ。しかしこの光景をスフェーンが目撃していたのならば、心底驚いたはずだ。
セイフの頬に赤い線が走って、雫を落とした。彼が避けきれなかったのだ。
ハクロウサイは取り立てて二つ名を持たない。それは彼が正当な流派を学び、ケレンのない戦闘…言い換えれば地味な戦い方をするせいでもある。
しかしあえて付けるというのなら“妄執”とでも呼ぶべきか。
「妬ましい…妬ましい…」
老い先短い老人が冥土の道連れにせんと、地のそこから湧き上がるような声で囁きかけていた。
/
信じ難いことではあるが、ハクロウサイは若い頃は大した剣士ではなかった。それでも剣を諦めずにしがみついていた彼は、他国の剣術を修めることで技量の上乗せを図ろうと、西方へ流れることを決めた。そして、それが彼の転機となった。
それはどちらかといえば心の転機ではあったが…大陸中央部の人種は東方蛮族よりも体格が優れていることが多かった。自分より努力していない人間が自分より強い事実に耐えられなくなったハクロウサイの努力は凄まじく、老いる頃には頂点へと立っていた。
「きぃえええええ!」
枯れ木のような肉体のどこにそんな怪力が隠されていたのか、ハクロウサイは至近でのつばぜり合いでセイフを押し返しつつあった。
剣士でありながら中距離と言っていい距離での攻撃を可能とするセイフを倒すために、ハクロウサイは徹底して距離を詰める。
ハクロウサイの顔がセイフの目に映り込む。長年の鍛錬で日焼けた顔の黒さは自分に近く、やつれた顔に嫉妬の目玉が張り付いている。
妬み。そして己の才能に対する失望。そこから来る怒りだけを燃料にして、老いた剣士は剣聖位までたどり着いたのだ。例え負の感情であろうとも、心の要素が極まった果だった。
同じ負の感情ではセイフも負けてはいないが、セイフは物分りが良すぎた。そして年齢が違う。未だ若い範疇に入るセイフと老いるまで凝縮されてきたハクロウサイでは重みが違う。本来はセイフのほうが上である筋力で押され始めているのは、精神力で補っているからだ。
心の力で道理を捻じ曲げる…怪物や英雄だけの特権を持っているのはセイフだけではなく、ハクロウサイもまたそうなのだ。
だからこそ、負けられはしない。同格との勝負にこそ己の真価が問われるのだ。セイフは無理矢理に距離を開けることにした。
つばぜり合いの最中からの蹴りによって。
「ぬふっ!」
「ぐっ…!」
ハクロウサイも同様に考え始めていた頃だったのか、腹に食らわせた膝蹴りは効果が薄い。しかも離れ際に左手の指を折るという土産まで残していく老獪さには舌を巻く他はない。
系統は異なれど互いに実戦向きの武術。剣だけに頼る気は両者共に無かった。
距離を詰めるという成果は挙げたが、痛手を受けたのはセイフの側だ。老いた体に入った蹴りは効いてはいるだろうが、ハクロウサイは百戦錬磨。しかも凡人から成長した手合であり、痛みに対する耐性は高いと見ていい。
体で勝っているが、左手の人差し指を折られたことでさらに技は離された。口惜しいが、このまま真っ当な勝負では勝ち目はやや不利。
「…借りるぞ、クィネ」
己に宣言して、もうひとりの自分の経験を使う。セイフとクィネは完全に別人格というわけではなく、根を同じにした双頭の蛇のような存在だ。
クィネが見聞きした技術はセイフも使える。
//
「鏖殺のセイフ…お前を倒して儂はさらに上へ…」
「それはゴメンだ。俺には精算していない過去があるのだから。…真っ当な勝負は貴方の勝ちでいいが、生命はやれない。どちらかが死ぬまでが勝負というのなら…足掻くまでだ」
現在のセイフは何もかもが借り物だ。ならばためらうことなどない。
薙刀に似た大刀を斜めに構えて、体を傾けると同時にハクロウサイの視界からセイフの姿が消え去った。本来はハクロウサイがかかるような技ではないが、セイフを知っているからこそ見失う。まさか彼が他人の真似をしようなどとは思わなかった。
「お主…」
勘に従って避けたものの、ハクロウサイの背は無残に切り裂かれている。老いた体はそこまで血を流さないが、一撃貰うごとに無理が効かなくなる。
「借りる、とは言ったが元は誰の技か。“影打ち”というらしい」
トリドでジェダから見取った技。かの若者ほどではなくとも、セイフもまた天才。その再現率は非常に高かった。
「…見損なったぞ、セイフよ。流派に対する誇りは無いのか?」
「それに関しては元より無い。そも俺の剣は流派というよりは生家に伝わる技だ。あの地で生き抜くための技術を集めたものに過ぎない」
剣聖同士だからといって武に対する思想が一致しているわけではない。強さへの欲求すらもセイフにはあまり縁がない。無いわけではないが、薄かった。
「ハクロウサイ。貴方も俺と同じだ。ある男が言っていたことだが…我々はここに来るべきではなかったのだ。生まれた地で家族や同胞と生きて満足するべきだった」
セイフと打ち合うことで、ハクロウサイはさらなる境地に近づける。だが近付いてどうするというのだ。強さだけが基準ならば行く道に果てはなく、満足することなどありはしないのだ。
それはセイフも同じこと。戦士としての生涯を全うしたいのならば故郷で充分だった。中央の誇りは砂漠の誇りとは異なっていた。
かつてセイフがそうであったように、そこから否定されることは誰も望まない。ハクロウサイは矜持のために攻撃を再開する。
全く同じ接近を選んだのは、老人の脳にも血が上っていた証だろうか…
距離を詰めて、敵の長所を封じ込める動きにセイフは同情を込めて対応した。
大刀を真上にかかげ、体を僅かに捻って放つ。超至近距離からの攻撃。限定された状況でしか使えない技は会ったことも無い勇者が使っていたという。
「境涯剣。クィネの相棒である女が倒した勇者が使っていたのだったな」
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