「魔王が倒れ、戦争がはじまった」

松脂松明

ただ一人の狂信

 夜が明けて、そらが徐々に陽光の恩恵を受け初めたが…それでも北方に引っかかる位置にあるトリドの朝は寒い。吐く息は白く、汗をかくには少しばかり注意が必要な気温だった。

 粗末な木造監視塔の前で、上半身を露にして旋風を巻き起こす男がいた。
 褐色の肌、針金のように細長い肉体。伸び始めた髪は手入れをしておらず、バラバラの方向に尖り始めていた。かつて剣聖セイフと呼ばれた男にして、今やクィネと名乗る男だった。

 武をある程度まで修めたものならば、彼が何を行っているかは分かるだろう。最も単純だが、それゆえに古今東西どこでも行われてきた鍛錬…素振りである。
 刀を立てて振ればカマイタチじみた斬風となり、横にして振ればなぎ倒すような突風となる。その力量はヒトの限界点に達していると言って良いだろう。

 寒いのが嫌い…と言いながらも、熱心に鍛錬を続けているのは日課でもあるが…ソレ以上に今までにない先を目指してのことだ。

 そして、ソレを見守る者もあった。小柄な体に、柔らかそうな髪。緑の瞳は静かに、遥か彼方にある木々の楽園のようであった。

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 強化された上に、自身も鍛錬を積んでいるスフェーンにはクィネの剣の動きがよく見えていた。
 しかし、スフェーンは強化されてから鍛錬を積んだ者だ。人魔融合という整った土台の上に強さを築いているために、スフェーンはクィネに敗れたのだ。
 それを朧気ながらに理解しているからこそ、こうして観察を続けているのだが…

「程々の距離で見れば、何か掴めるかとも思いましたが…やはり私では分かりませんか」

 クィネの剣速が極まっているとは言うが、あくまでヒトとしての話だ。
 魔族や融合個体からすれば標準。そしてその中でも最上位に位置するスフェーンからすれば時に緩慢にすら映る。しかし、実際にはどうだったか?良いように切り刻まれて終わった…までならいいが、過程で正面から撃ち合いの形にすら持って行かれた。

「理解不能。勇者、英雄、魔王…あなた達と魔将わたしの差は一体何なのでしょう?」
「何か言ったか?」

 鍛錬を終えたらしいクィネが静かにスフェーンへと歩み寄ってきた。その肉体からは湯気が立ち上っているが、どういうわけか汗が流れていない。

「どういう仕組になっているのですか?貴方の肉体は?熱は篭もるのに汗はかかない…まさか、人間に偶発的に誕生した亜種?」
「人をいきなり怪生物認定するな。鍛えすぎた連中には意外といるものらしい。ハクロウサイもそう言ってたしな」
「ハクロウサイ?東方出身の剣聖が…」

 スフェーンはセイフをあくまでクィネとして扱っていた。
 それがクィネには心地よいが…スフェーンと接するときほどクィネとセイフの境目が曖昧になっていくことに、自身が気付いていないようであった。ハクロウサイと会ったのはセイフであり、クィネでは無いはずなのにも関わらず。

「意外と傷が無いのですね。この細い肉体から、どうやればあれほどの膂力が捻り出せるのでしょうか…?実に興味深い」

 スフェーンの白く細い指がクィネの肉体を這う。
 その顔は真剣そのものだ。

「一発貰えば終わりだから、そりゃ傷なんか余り増えるものでもないだろう。あと力はそこまで無い。高位の魔族達に比べれば赤子同然だろう?」
「それはそうでしょう。種族が違うのですから。私が話しているのはあくまで、人としての話。あなたのような強者の性能はどうも生物的な限界を無視しているような…」

 …ぺたぺたと呑気な音が響き渡ること、数分。

「…おい、雇い主の雇い主殿」
「何か?」
「人の体を触りまくるな。噂に聞く変態というやつか?」
「…へ?…ひゃあっ!す、すいません、つい…」

 白い顔を赤く染めて、スフェーンはクィネから距離を取った。
 祖国を離れてから親しい男性など同盟者である皇帝ぐらいのものであり、その皇帝も老人であったスフェーンは今更に羞恥を覚えた。

「いいんだが…俺はどうにも昔から脇腹を探られるのはたまらん。笑いが止まらなくなる」
「それは少し見てみたいですが…表情もあまりありませんよね?やはり人間では…」
「中央人からすれば分かり辛いだけだ。いつも普通に笑ってたりするんだが…顔をしかめているだけに思われたりもするな?」
「な?と言われても…あと近い、近いです!」

 クィネを前にすると、スフェーンは小娘のようである。
 常ならば他を圧倒する戦闘力において、クィネの方が上であるから仕方が無いとも言える。

 スフェーンとクィネの関係は曖昧だ。どちらが主人でどちらが配下なのか分からない。それを仲間や友人と呼ぶことを二人共忘れているのが哀れであった。

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 監視塔の扉が開いて、女傭兵ライザが顔を覗かせた。
 何か言おうとしたようだったが、外にいるクィネが半裸でスフェーンと向き合ってるのを見て、しばらく考え込んだ。

「…ありゃ?お楽しみ中だった?ごめんねー」
「違います!」
「いや、それなりに楽しかったが」
「違・い・ま・す!」

 良い気迫だ。そう感じながらクィネは鎧下を身に着けた。
 ライザはその間、ずっと顔を覗かせたままだった。

「…それで?」
「また喧嘩。タンザノとホエスが団長様の部下と。あたしじゃとめらんなーい。どっちもあたしより強いし、怪我するだけなんでどっちか来て」
「ということは、サポールですか。あの子は我が強くて困りますね」
「融合個体相手に素晴らしい度胸だ。さすがは傭兵。…止めなければ更に成長するのではないだろうか?」

 良からぬ考えを弄び初めたクィネを、スフェーンとライザが屋内へと押し込んだ。

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 監視塔の中、申し訳程度の玄関を抜けて室内に足を踏み入れたクィネに、椅子が飛び込んできた。それを片手で受け止めて、床に下ろしてからクィネは現状を把握した。

「何度でも言ってやるよ!おっさんみてぇな老練気取りの寄生虫なんざ、いたって邪魔なんだよ!」

 吠えているのはサポールという若者だった。
 成功例もあまり無い融合個体だったが、性格は極端に二分される。

「サポール…抑えろ…我らが決めることではない…」

 壁際に佇んだままの軍装の男たちのように、自身を化物として定義して思考を放棄した者たち。

「はぁ!?脳まで腐ったか!俺たち選ばれた超越者にサポートなんざ不要なんだよ!あんたらだってソレぐらい分かってるだろうが!」

 融合個体を完全に人間の上位互換として扱い、特権意識を持つ者たちとだ。
 それを受けて只人である、タンザノが拳を構えた。ホエスもゆらりと立ち上がっている。

「上等だ。クソガキ。人魔戦争の覇者がどっちだったか教えてやる」
「劣等種がどちらか、刻んでやろう」

 傭兵二人の言はあながち虚勢でもない。
 ある程度の年齢まで生き残っている戦士は人魔戦争の経験者である。低位とは言え魔族相手にも、食らいついて生き残った自負がある。

「…ホエス。ナイフを袖に隠すのはやめろ。というか所属が同じなのだから争うな」
「出てきやがったな、英雄気取り…!」

 サポールは今更にクィネに気付いた。それだけで力量差が分かるようなものだが、歪んだ精神は止まらない。

「サレイオスを倒して、団長に気に入られたからって調子に乗りやがって。今日こそケリをつけてやるよ」

 クィネの癇に障ったのは態度ではない。味方のはずの者が味方に牙を向ける状況に対してだった。
 …ああ、許せはしないと示すかのようにクィネの眼が剣呑な光を帯びた。

「あくまで、その力を敵に向ける気は無いと?」
「クソ食らえだ!」
「じゃあ、死…」

 言い終わる前に首を飛ばそうとした、直前でクィネは剣を振り切るのを止めた。
 タンザノと融合個体の一人がサポールを殴り飛ばしに入ったのを認識したからだった。大剣はタンザノまであと少しのところで止まった。

 注意を払ってない左右から同時に衝撃を与えられたサポールは、異形化前だったこともあり気を失い崩れ落ちた。

「…タンザノ」
「おい。どっちが問題児だ。こっちは喧嘩を買おうとしただけで、首を飛ばそうとまでは思ってねぇよ。…お前脳みそが剣に付いているんじゃねぇのか」

 黒衣の男は何も言わない。他と違って割り込みに入ったあたり、残る7人とは性格が違うようではあったがクィネに好感は抱いていないようだ。

「何でもかんでも、殺す敵とソレ以外とに分けやがって。自覚あんのか?」

 その言葉にクィネは衝撃を受けた。
 全てを自覚して、戦闘ではない場で覚醒を遂げていく。

「ああ…タンザノ。貴方は本当に良い目をしている」
「…は?」

 タンザノが期待していた人間らしい反応とかけ離れた言葉を、クィネが口にしていた。
 今までクィネには奇妙だが、愛嬌もあった。それゆえに少しは常識的に変化してくれると、タンザノは誤解していた。

「そうだ。それこそがセイフの願い。敵と味方では駄目だったのだ!貴方のおかげでようやく夢が分かった。形になったのだ。感謝する。します」

 突如として、日常が祈りの場へと変化した。
 その光景を見なくて済んだサポールは幸いである。

「分けるべきは“我ら”と“彼ら”。それが“殺していい者”と“殺さなくて良い者”に繋がる!」

 それがクィネという形を取ったセイフの願い。
 盗賊から奪った名が世界に広がる種は人知れずに萌芽した。

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「…団長様って男の趣味悪くない?本当にアレで良いの?」
「何度でも言いますが、違います。…それに私も人のことは言えない身ですから」

 ライザは逃げる準備だけは再度しておこうと誓った。

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