「魔王が倒れ、戦争がはじまった」
大魔女
彼女を知るものならば、さぞ意外に思ったことだろう。大魔女と讃えられる艶やかな女は、未だディアモンテ王国に留まっていた。
大魔女サリデ…サリデナールは、かつて存在したディアモンテ王国の勇者を好いていたから従っていたのだ。その縁が断たれた以上、大魔女は国に反旗を翻すか、もしくは去るだろうと魔王討滅の“真実”を知るものからは思われていた。
大魔女は今、予想を裏切り、王室図書館に篭りきりの生活をしている。突出した個という存在は従ってくれるのであれば、未だに有効な切り札となる。
加えていえば王国の魔導技術や魔術師の技量と言ったものを高める見込みのある彼女は、国の者にとっても大いに歓迎するべき存在だった。
いつしか監視の者も熟練の騎士から、小間使いを兼ねた若い騎士に変わっていた。
/
今日の大魔女は赤のドレスに身を包んでいた。どういうわけか、いつも選ぶのはスリットの深い衣装ばかりで年若い…というよりは幼い少年騎士の顔をドレスと同じくらい赤くさせていた。
 
妖艶なる姿とは裏腹にサリデの顔は静謐だった。真剣に書架から本を吟味し、白魚のような細指で取っていく。少し読むと、何かの基準に従って大きく二つに分けて置いていく。
書見台の上は既に山となって積まれていた。
「あ、あの!」
「なぁにー?」
「題名をおっしゃってくだされば、僕が取ります!」
沈黙に耐えかねたのか、はたまた別の理由か。少年騎士が勢い良く胸を張った。
鎧は少しばかり大きさが合っていないのか音が五月蝿い。
そんな子供にクスクスと邪気の無い笑いを大魔女は見せた。
「じゃあ、そこの棚の“精神世界の存在についてー推論ー”を取ってくれるー?」
大魔女は一番簡単な題名を上げる。探している分野としては初歩にあたる本だ。最も全く重要視されていないため分野とは呼べないものだ。
「は…はい!ええと…ええと…」
茶色の巻き毛がひょこひょこと揺れる。背丈からして大魔女よりも低い少年騎士が、大魔女の代わりに取るということは間違いだ。
「ほらぁ。背表紙も古代語で書かれてるから読めないでしょー?気遣いだけ受け取っておくわー」
シュン、と萎れる少年騎士が面白い。大魔女は笑みを深めた。
「そうね。どうしても手伝いたいって言うならー、相談相手になってくれるかしらー?」
「ええっ僕がですか!?」
「そうよー?」
大魔女は現在活躍する数多の魔術師の頂点に立つ。彼女と比肩する術士など神秘学校の長ぐらいのものだ。戦闘に関する分野だけでなく、その頭蓋は少年騎士が見ただけでふらつきそうな難解な文字で埋め尽くされているはずだ。
「無理です!しゃしゃり出て置いて申し訳ありませんが、大魔女様の話相手なんて!」
「いやー、それがねぇ。実はそういう人相手の方が丁度いいのよー。あまり専門家がいない分野だから、話して考えをまとめたいだけだからー」
//
大魔女は間延びした声のまま、真剣な顔つきになる。あてられた少年騎士も喉を鳴らした。
「あなたー、普通の人よねー?」
「僕は騎士です!普通じゃありません!」
林檎の様な顔になった少年だったが、思索に耽り始めた魔女は既に反応しない。
「そうそうー。じゃあ普通の騎士様ねー。…今、時代は大きく変わったわ。長きに渡った人魔戦争は終わってー、人間同士が争うようになったわー。ねぇ、なんで終わったのかなー人魔戦争」
そんなことは今では子供でも知っている。ディアモンテ王国民にとっては大いなる誇りだ。
「勿論!勇者姫様達が魔王を討ったからです!」
「…ああー、うん、そうねー」
その言葉で大魔女の顔が微妙に曇ったことに少年騎士は気づかなかった。
あの日以来、一党としての自分達は砕けたままだ。彼が欠けてしまった以上は残った三人が再会しても、以前のように纏まることは不可能。
それでもここに大魔女が残っているのは、後始末のためだ。年甲斐も無い恋を嘘にしないため、誰にも知られなかった彼の功績を守る。
「魔王が討たれてー、終わった。いつもそこが引っかかるのよー。なんで魔族軍は魔王が討たれた程度で終わっちゃったんだと思う?」
「…は?」
「正直なところ、私達切り込み側にとっても、それを使う立場の連中からしても予想外だったわー。魔王を討つことは勝利には絶対必要なことだったけれどー、それは人類側から見てのことであって、魔族から見ればそうでないと思っていたのよー」
そう。魔族は集団だった。人間と世界の覇権を賭けて戦う、大勢力だったはずだ。
それほどの集団、頭を討たれただけで全滅に近い形まで追い込まれるだろうか?…普通ならばあり得ない。魔王ならずとも魔将を初めとした高位魔族達もいたのだ。
魔王を討った結果、各魔将を中心とした派閥が誕生して魔族の勢力が分散する。そして人間側が一致団結し続ければ、勝利となる。魔族がどこにでもある一勢力へと落ちるまで長い長い時間がかかるだろうが、そこはそこだ。
それだけ長引けば、人間にとっては利益となる皮算用があった。魔族独自の技術などはヨダレが出るほど欲しかったはずだ。
「それがまぁ蓋を開けてみれば、魔王を討たれた魔族はおとぎ話のように突然いなくなっちゃったー。皆大はしゃぎのお祭り騒ぎ。魔族は今や辺境で細々と存在する弱小勢力。めでたしめでたしー」
「それは…」
幼い頭にも段々と話が分かってきた。…都合が良すぎる。いやそれとも少し違う。魔王が討たれて以来、魔族は大幅に数を減じて今や最盛期の一割以下。大きな争いは全て人間同士のもの。魔族相手の掃討戦も規模は小さかった。
「不思議よねー。何が不思議って皆が気にしないのが不思議だわー。…魔族って魔王が死ねば消える生き物だったの?だったら、なんでちょっとだけ残ってるの?…それってそもそも生き物なの?」
人間ならばどうだろうか?王が死んでも民は死なない。結果として死ぬことはあるかもしれないが、仲良く同時消滅したりはしない。
少年騎士は先程、大魔女が探していた本を思い出す。
「だから、精神世界…ですか?」
「あらぁ?君って意外と頭いいー?よしよしーよく出来ましたー」
「子供扱いしないで下さい!」
頭を撫でてくる手を振り払うこともできず、口だけで抗議する少年騎士。篭手を嵌めた手で触れてはいけないような気がしていた。
「精神世界というよりは幻想世界ねー。この世界には影…いいえ、裏かあるいは表がある。魔族は本来、そちら側の生き物。というのが今の私の推測ねー。ありきたりな結論だけど、これなら昔狂人の戯言扱いを受けた…」
サリデナールは書見台を指差した。
山となった本。しかし、この図書館の蔵書量に比べれば貧弱過ぎる。
「この本達の意味も分かるってものよねー。まぁ9割は本当に戯言でしょうけど、著者を調べれば結構デキる人が混ざってるのよねー」
///
「でもコレって…凄い大事件なんじゃ…大魔女様お一人で調べなくても…」
「え?ああ…別にすぐさま大事じゃないわよ。ただ、もう一度起こる可能性があるから、蓋をする方法を考えておくべきって話。送り返す方法でも良いけどねー」
そうしなければ茶番だろう。失われてしまったが、あの日々は確かにあった。
真面目過ぎてからかうと面白い聖女。怪物じみていたが変なところで間抜けの剣聖。愛しの勇者。そして――自分がそこにいた。
死へと向かうような旅立ったからこそ、全員が協力しあって無理にでも笑っていた。塔から動くことの無かった自分になぜだかもたらされた輝き。遅く訪れた青春だったのだ。
あれがもう一度…冗談ではない。味が薄くなってしまう。
火事に飛び込む人は賞賛されるが、火事を防ぐ方法を考えた人は見向きもされない――というのは、東方蛮族の格言だったか?そんな考えをもて遊ぶ大魔女だった。
////
人魔戦争の再来を防ぐ大魔女の試みは、誰からも省みられない当たり前として定着していくのだろう。しかし、それは気高い行いとも言える。
そして、そんな輝きをあざ笑うかのように愚行を成すのもまた人であった。
「…そう、大事なのは魔族が少しだけ残っていたということ。コレならば私の小さな願いは達成される」
笑いもせずに薄暗い地下で成果物を見上げる、サフィーレ帝国が第2軍団長。とうとう成功してしまった。
可憐な花が毒気を帯びた。
大魔女サリデ…サリデナールは、かつて存在したディアモンテ王国の勇者を好いていたから従っていたのだ。その縁が断たれた以上、大魔女は国に反旗を翻すか、もしくは去るだろうと魔王討滅の“真実”を知るものからは思われていた。
大魔女は今、予想を裏切り、王室図書館に篭りきりの生活をしている。突出した個という存在は従ってくれるのであれば、未だに有効な切り札となる。
加えていえば王国の魔導技術や魔術師の技量と言ったものを高める見込みのある彼女は、国の者にとっても大いに歓迎するべき存在だった。
いつしか監視の者も熟練の騎士から、小間使いを兼ねた若い騎士に変わっていた。
/
今日の大魔女は赤のドレスに身を包んでいた。どういうわけか、いつも選ぶのはスリットの深い衣装ばかりで年若い…というよりは幼い少年騎士の顔をドレスと同じくらい赤くさせていた。
 
妖艶なる姿とは裏腹にサリデの顔は静謐だった。真剣に書架から本を吟味し、白魚のような細指で取っていく。少し読むと、何かの基準に従って大きく二つに分けて置いていく。
書見台の上は既に山となって積まれていた。
「あ、あの!」
「なぁにー?」
「題名をおっしゃってくだされば、僕が取ります!」
沈黙に耐えかねたのか、はたまた別の理由か。少年騎士が勢い良く胸を張った。
鎧は少しばかり大きさが合っていないのか音が五月蝿い。
そんな子供にクスクスと邪気の無い笑いを大魔女は見せた。
「じゃあ、そこの棚の“精神世界の存在についてー推論ー”を取ってくれるー?」
大魔女は一番簡単な題名を上げる。探している分野としては初歩にあたる本だ。最も全く重要視されていないため分野とは呼べないものだ。
「は…はい!ええと…ええと…」
茶色の巻き毛がひょこひょこと揺れる。背丈からして大魔女よりも低い少年騎士が、大魔女の代わりに取るということは間違いだ。
「ほらぁ。背表紙も古代語で書かれてるから読めないでしょー?気遣いだけ受け取っておくわー」
シュン、と萎れる少年騎士が面白い。大魔女は笑みを深めた。
「そうね。どうしても手伝いたいって言うならー、相談相手になってくれるかしらー?」
「ええっ僕がですか!?」
「そうよー?」
大魔女は現在活躍する数多の魔術師の頂点に立つ。彼女と比肩する術士など神秘学校の長ぐらいのものだ。戦闘に関する分野だけでなく、その頭蓋は少年騎士が見ただけでふらつきそうな難解な文字で埋め尽くされているはずだ。
「無理です!しゃしゃり出て置いて申し訳ありませんが、大魔女様の話相手なんて!」
「いやー、それがねぇ。実はそういう人相手の方が丁度いいのよー。あまり専門家がいない分野だから、話して考えをまとめたいだけだからー」
//
大魔女は間延びした声のまま、真剣な顔つきになる。あてられた少年騎士も喉を鳴らした。
「あなたー、普通の人よねー?」
「僕は騎士です!普通じゃありません!」
林檎の様な顔になった少年だったが、思索に耽り始めた魔女は既に反応しない。
「そうそうー。じゃあ普通の騎士様ねー。…今、時代は大きく変わったわ。長きに渡った人魔戦争は終わってー、人間同士が争うようになったわー。ねぇ、なんで終わったのかなー人魔戦争」
そんなことは今では子供でも知っている。ディアモンテ王国民にとっては大いなる誇りだ。
「勿論!勇者姫様達が魔王を討ったからです!」
「…ああー、うん、そうねー」
その言葉で大魔女の顔が微妙に曇ったことに少年騎士は気づかなかった。
あの日以来、一党としての自分達は砕けたままだ。彼が欠けてしまった以上は残った三人が再会しても、以前のように纏まることは不可能。
それでもここに大魔女が残っているのは、後始末のためだ。年甲斐も無い恋を嘘にしないため、誰にも知られなかった彼の功績を守る。
「魔王が討たれてー、終わった。いつもそこが引っかかるのよー。なんで魔族軍は魔王が討たれた程度で終わっちゃったんだと思う?」
「…は?」
「正直なところ、私達切り込み側にとっても、それを使う立場の連中からしても予想外だったわー。魔王を討つことは勝利には絶対必要なことだったけれどー、それは人類側から見てのことであって、魔族から見ればそうでないと思っていたのよー」
そう。魔族は集団だった。人間と世界の覇権を賭けて戦う、大勢力だったはずだ。
それほどの集団、頭を討たれただけで全滅に近い形まで追い込まれるだろうか?…普通ならばあり得ない。魔王ならずとも魔将を初めとした高位魔族達もいたのだ。
魔王を討った結果、各魔将を中心とした派閥が誕生して魔族の勢力が分散する。そして人間側が一致団結し続ければ、勝利となる。魔族がどこにでもある一勢力へと落ちるまで長い長い時間がかかるだろうが、そこはそこだ。
それだけ長引けば、人間にとっては利益となる皮算用があった。魔族独自の技術などはヨダレが出るほど欲しかったはずだ。
「それがまぁ蓋を開けてみれば、魔王を討たれた魔族はおとぎ話のように突然いなくなっちゃったー。皆大はしゃぎのお祭り騒ぎ。魔族は今や辺境で細々と存在する弱小勢力。めでたしめでたしー」
「それは…」
幼い頭にも段々と話が分かってきた。…都合が良すぎる。いやそれとも少し違う。魔王が討たれて以来、魔族は大幅に数を減じて今や最盛期の一割以下。大きな争いは全て人間同士のもの。魔族相手の掃討戦も規模は小さかった。
「不思議よねー。何が不思議って皆が気にしないのが不思議だわー。…魔族って魔王が死ねば消える生き物だったの?だったら、なんでちょっとだけ残ってるの?…それってそもそも生き物なの?」
人間ならばどうだろうか?王が死んでも民は死なない。結果として死ぬことはあるかもしれないが、仲良く同時消滅したりはしない。
少年騎士は先程、大魔女が探していた本を思い出す。
「だから、精神世界…ですか?」
「あらぁ?君って意外と頭いいー?よしよしーよく出来ましたー」
「子供扱いしないで下さい!」
頭を撫でてくる手を振り払うこともできず、口だけで抗議する少年騎士。篭手を嵌めた手で触れてはいけないような気がしていた。
「精神世界というよりは幻想世界ねー。この世界には影…いいえ、裏かあるいは表がある。魔族は本来、そちら側の生き物。というのが今の私の推測ねー。ありきたりな結論だけど、これなら昔狂人の戯言扱いを受けた…」
サリデナールは書見台を指差した。
山となった本。しかし、この図書館の蔵書量に比べれば貧弱過ぎる。
「この本達の意味も分かるってものよねー。まぁ9割は本当に戯言でしょうけど、著者を調べれば結構デキる人が混ざってるのよねー」
///
「でもコレって…凄い大事件なんじゃ…大魔女様お一人で調べなくても…」
「え?ああ…別にすぐさま大事じゃないわよ。ただ、もう一度起こる可能性があるから、蓋をする方法を考えておくべきって話。送り返す方法でも良いけどねー」
そうしなければ茶番だろう。失われてしまったが、あの日々は確かにあった。
真面目過ぎてからかうと面白い聖女。怪物じみていたが変なところで間抜けの剣聖。愛しの勇者。そして――自分がそこにいた。
死へと向かうような旅立ったからこそ、全員が協力しあって無理にでも笑っていた。塔から動くことの無かった自分になぜだかもたらされた輝き。遅く訪れた青春だったのだ。
あれがもう一度…冗談ではない。味が薄くなってしまう。
火事に飛び込む人は賞賛されるが、火事を防ぐ方法を考えた人は見向きもされない――というのは、東方蛮族の格言だったか?そんな考えをもて遊ぶ大魔女だった。
////
人魔戦争の再来を防ぐ大魔女の試みは、誰からも省みられない当たり前として定着していくのだろう。しかし、それは気高い行いとも言える。
そして、そんな輝きをあざ笑うかのように愚行を成すのもまた人であった。
「…そう、大事なのは魔族が少しだけ残っていたということ。コレならば私の小さな願いは達成される」
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