「魔王が倒れ、戦争がはじまった」

松脂松明

魔王討滅

 くひっ、褐色の肌をした男が嗤った。
 もう彼には何も残ってはいなかった。それでも余人からすれば多くの物を持っていたが、当人にとってはそうではない。
 半ばで折れて剣先を失った大曲刀。
 逝ってしまった仲間。
 王国人や塔国人が蛮族と呼ぶ故郷の理に従った結果、その理に背くことになったのだ。
 そして今や追われる身だった。

 蛮族の法はこの地では純粋に過ぎた。文明では人と人が絡み合い、悪と正義が混在している。暴力と秩序が並び立つのが世の常でも、彼の故郷には誰かが陰謀を巡らせるほどに余裕が無かった。
 陰鬱な森の木にもたれ掛かる。故郷の砂漠が懐かしいと思ったが、あそこにいた時にはただ乾いているとしか思わなかった。
 謀殺された友のために血の報復を行おうとした結果が、これだ。もうこの国にはいられない。
 そもそも血の報復を行うならば失敗しそうだからと逃げてはならなかった。だが、そうするしかなかった。立ちはだかったのもまた、同じ水を飲んだ同志だったからだ。
 訳が分からない。
 生地の他にも誇りある人々はいた。先日までは友の横で剣を悪に向かって叩きつけていれば良かった。輝かしい勝利の果てにあったのは他者にとっては当然の、そして自分にとっては慮外の陰謀渦巻く世界だった。
 …本当に訳が分からない。
 重苦しい金属製の甲冑が途端に煩わしく感じられて脱ぎ捨てた。この地の鍛冶師が作ってくれた甲冑。初めて身に付けた日には王国と故郷の双方の誇りを纏った気がしたものであったのだが…

 大きな音を立てて地に落ちた甲冑。その音にか臭いにか。呼応するかのように人影が現れて男を取り囲んだ。
 闇夜に紛れるような装束を纏っているのだろう。何かがいるとは分かっても霞がかかったように細かい所が見えない。
 月の光を受けて白刃が輝いた。舞うようなソレを無意識に独楽のような動きで躱した。

 …どうやらまだ救いはあったらしい。
 目的を見失ってもまだ敵は現れてくれる。
 そうだ。敵も味方も理由なく増えるものだったのだ。だからこそ自分の過去はあんなにも輝いて、だからこそ今や追われている。

 そして折れた曲刀でも人を切ることはできる。
 ああ、祖霊よ感謝いたします。精霊よ、世界は本当に素晴らしい。
 そうだ、敵を見失ったのならば作ればいい。味方が減ってしまったのならば増やせばいい。
 世の中は矛盾に満ちている。ならば複雑に感じるも単純に思うも自分次第である。
 剣聖は嗤った。
 こいつらを手始めに、敵を探しに行こう。

/

 夜の帳が降りた漆黒の王城。
 ここに魔を統べし王あり。
 人と魔の争いの源泉。そこで人魔戦争の終焉が訪れようとしていた。


 こんな存在がいて良いのだろうか?そう疑いたくなるような光景だった。

「――見事だ!人の身でよくぞここまで鍛え上げた!」

 白髯を蓄えた長身が眼前の敵手達に純粋な賞賛を贈った。
 だがそれは上から下への評価である。なにせ――

「本気で魔王って感じだな…!」
「今更、過ぎる、ぞ!」

 “勇者”“剣聖”“聖女”“大魔女”
 人にありながら人の域を踏み越えた一行を相手に一人で魔王は戦っているのだ。
 片手に剣、片手に槍、そして発動体である杖も触媒も無しに口から紡ぐ言葉で魔法を形成して放つ。
 性能からして人間とは圧倒的な格差を持つが故の八面六臂。


 ――化物め。
 至近でその威力を感じ取る勇者と剣聖にとっては呼吸すら危うくなりそうな圧迫感が続いている。
 共に高め合い、とうとう人外の域にまで達したと自負する武技の数々。それが片手で防がれている光景は、軽口を叩いていなければ自信という背骨が粉砕されてしまいそうだった。

「長生きすれば、僕らもあそこまで行けるかな?」
「千年あれば行けるだろうさ」

 膂力を初めとした身体能力が違う。寿命が違う。
 特に後者が致命的な差である。単純に費やせる時間が桁違いであるために技量でさえ上を行かれている。
 片手間の修練が血反吐を吐く修羅の鍛錬を上回るという理不尽。

 神速の攻防…剣聖の大曲刀の一撃が逸らされた。
 勇者が放った鋭い聖剣による一突きが槍で巻き取られるように弾かれた。
 ほんの僅かに生じた隙にねじ込まれた反撃が両雄の体を浅く傷付けて血を吹き出す。共に金属製の甲冑を身に付け、勇者のそれは魔法を帯びてさえいるというのに容易く貫通していた。
 武器に毒でもあったのならばこれで終わっていただろうが、そこは魔王。そのような姑息な手段を用いることは無い。

 衝撃波を伴う絶技の数々に、魔の城内は徐々に瓦礫の山と化していた。

 魔王を化物と評した勇者と剣聖だったが、もしこの一戦を見守る観客がいたならば彼らもまた化物と呼ばれたことだろう。魔王に片手であしらわれているような形になっているが、逆に言えば二剣士は魔王の片手について行けているのだ。

 十を超える剣戟が瞬きの間に過ぎては一旦途切れる。その度に傷を負うのは人間の側だった。

「二人共、一旦下がりなさいな。危なっかしくて見ちゃいられなーい」

 それでも戦闘を続行できているのは、奇跡を行使できる女が二人もいるからだった。
 地面からせり上がる氷の壁。大魔女が使ったのは単純な〈氷壁〉と呼ばれる呪文だが、通常であれば人が持てる…それこそ盾程度の大きさが精々。しかし彼女が使えばまさに壁である。
 それが破壊されるまでのわずかの間に、聖女が傷を癒やしてくれる。

「癒やしの力もあと3回程度。お二方が戦っている間に試みた〈浄化〉も〈聖撃〉も効果はありませんでした…」
「そりゃそうでしょう?あの爺様が息と一緒に垂れ流してる魔力だけで並の魔法なら防げるわよ、アレ。自信無くしそうだわー」

 息を荒らげる勇者と剣聖は答えない。だが、前で切り結ぶ彼らと同じぐらいの汗を術士達もかいていた。
 魔法は無限に行使できるわけではない。負傷を即座に癒やす術など並の神官ならば一日に一度使えれば優秀とされる。…聖女は日に十回を可能としているが、それもすでに七度目。
 大魔女の師匠筋にあたる大魔導師が残した教えに「魔法というものは、真っ当な方法で腰と腕を使うのと同じくらい疲れるものよ」という言葉があるほどだ。性格故に表には出さずとも、聖女と大魔女も相当に疲労していると見て疑いはなかった。

「…持久戦では勝ち目が無い。魔王が勝手に下手を打って隙きを晒す、なんていう期待は捨てよう」

 現状の確認。
 勇者はそれを危機を乗り切る前にいつも行ってきた。剣聖も大魔女も聖女もその言葉に絶対の信頼を置いていた。
 決断前の男の顔を大魔女は頬を染めて見守る。剣聖は眩しそうに、聖女は微笑んで…

「セイフ!前に見せてくれた技で活路を切り開いてくれ!」

 勇者が剣聖を呼んだ。もう付き合いも長い、その言葉が意味するところは正確に伝わったが剣聖…セイフは眉をひそめた。
 剣を修め、この大陸の剣技院から剣聖の位階を授与されても未だに未完成な技。以前、戯れに見せたこともあったが、そんな未完成かつ不安定な技に頼るなどというのは正に博打だった。

「…正気か?魔王を相手にとなると百回に一回成功するかどうかだぞ?」
「このままだと確実に負けることを考えれば、良い方じゃない?ギャンブルは嫌いじゃないわー。それはそうと早くしてくれない?壊される度に魔力で補強してるから、そろそろ限界なんだけどー」

 氷の壁に罅が入る。そこから漆黒の剣が突き出て、穴を広げていく。
 確かに考えている猶予は無さそうであった。

//

「…ほう?」

 氷から抜け出た魔王は敵の“布陣”に興味を引かれた。
 4人の敵が一直線に並んでいる。長大な曲刀をすでに構えた茶褐色の剣士が一番前に、輝かしく鬱陶しい光輝の騎士はその後ろ。少し離れたところに術士が二人。
 氷の壁を形成した術士は神官に肩を借りて何とか立っているに過ぎない。力を使い果たしたと見える。〈氷壁〉は魔王をして驚くほど強固だったがソレを人の身で持続させ続けたのだ。無理もない。
 明らかなる劣勢に異な布陣。ならば誰から見ても何か起死回生の一手があるのは疑いない。眼前の人間達は地に蹲る弱者とは眼が違う。諦めていなかった。
 ならば今や彼らを強者と認めることに抵抗はない。そして認めるからこそ手を抜くことはあり得ない。

「面白い…乗ってやろうぞ…」

 人は有史以来常に魔に挑戦する側であった。そして今回もそうだ。
 圧倒的強者を自負する魔族。その長としては如何に非効率的であろうとも…挑戦は受けねばならない!

 魔王を中心に常人ならばソレだけで正気を失いかねない魔力が集中していく。
 そして色の付いた風のごとき流れが渦を巻き始める。

「焚き付けといてなんだけどー、何アレ。デタラメ過ぎないー?」

 魔法の深奥に達した大魔女はソレを正確に感知した。
 魔王はありとあらゆる属性の力を微細に操り、そして事もあろうに打ち消しあわずに撚り合わせているのだ。
 それは氷と炎を同居させて尚且つどちらも維持させるような…ようなではない。実際にそうしているのだ。火を示す赤と水や氷を示す青。大地を示す緑と雷を示す黄。さらに、さらに――。横隣に相反する流れを置きながら共存させて流していく。
 言葉にすれば正確なコントロール。それだけである。ただデタラメにソレが優れているのだ。

「行けるか!?セイフ!」
「…黙っててくれ、集中している!」

 あらゆる色の共演は魔王という肩書に相応しくない美しさと共に、魔王らしい荘厳さを放つ。
 精緻な彫刻を掘り上げるがごとき繊細さで、恐るべき単純な暴威を形作る。それ自体が相反しているかのような行為。
 最後に今まで魔王がその手綱を放す。今までに反発を許されなかった魔力の流れが高密度に凝縮されてから弾ける。
 これはただソレだけの術である。人には絶対不可能とさえいえる難易度であるだけで――

「渦巻け森羅。ここに――全てを織りなし裁きと化せ――〈渾然渦〉」

 氾濫・・する森羅万象の属性魔力。火のように燃えながら同時に冷気を発し。足下に干渉しながら音を超える速さで連鎖する。
 魔王。その名に相応しく魔を統べて万象を蹂躙する魔法の秘奥に他ならない。

 当然、一番にその破壊の渦に巻き込まれるのは陣形の先端にいる剣聖。崩壊していく城内と共に剣聖もまた瓦礫の、塵の仲間入りを果たすのは時間の問題。それも瞬きにすら満たない刹那に。

 だというのに、剣聖は口角を釣り上げて凄惨な笑みを浮かべている。
 不敵極まりない。自身の死を前にして狂気に侵されたとしか思えない顔だった。

///

 鈍化していく視界を知覚して、剣聖は己が極限状態ゆえの集中へと達したことを認識した。
 ――いいぞ、入った・・・
 見据えるは敵手に非ず。敵の業にこそあり。

 成功確率は百回に一回。そう仲間に語った言葉は強がりでもあったが、事実となった。
 本来は魔王程の相手ともなればこれから繰り出す技は万分の1といったところだろうが…敵の奥の手が思いの外、相性が良い魔法だった。
 引き伸ばされた時間の中では自分の動きすら緩慢に映る。
 ――間に合うか?間に合え。いや、間に合わせてみせる!

 撚り合わされた魔力のつなぎ目、そこに大曲刀を滑り込ませる。魔法使いとしての素養が無い剣聖にとってはあくまで暴風雨の境目であるのだが…

 そして奇跡は起こる。
 百回に一回の確率をものにして、ただの鋼が魔法を切り裂いた・・・・・

 わずか一振りで精も根も尽き果てた剣聖は膝をつきながら、後ろの本命に短い言葉を贈った。

「行け」

////

「――なんだと?」

 切り裂かれて形を失った自分の魔法を前に魔王は瞠目した。指向性を持たせた暴威が霧散して、ただのそよ風となっていくのを呆然と眺めている。

 有形無形を問わず、物や神秘には流れや波がある。
 その隙間に剣を差し込む…理屈としては剣聖が行ったのは単純な技である。奥義や必殺の技というものは常に基本を突き詰めた先にあるものだ。
 だからこそ魔王は己の術を破った敵の剣士が信じられないのだ。理屈で言えば人を断つことと何ら変わりがなくとも、その難易度は段違いどころではない。

 武においても勇者と剣聖の上を行く魔王ならば可能か?などという仮定も無意味である。
 そもそも百芸に通じる魔王はそんな無理を通す必要がない。ゆえに技量が可能な領域へと達していようとも、想像すらしたことがない。
 魔法を剣で斬る?馬鹿な、同じ魔法で対抗するのが常道。あるいは防具などの守りで抗するか、回避でも試みたほうが遥かに現実的。挑戦する意味がない。

 だからこそ、先の一剣が魔王の裏をかいたのは間違いない。
 膝をつく剣士の後ろから飛び出した勇者。…躍りかかる隙きを与えてしまったのだ。

 魔王が狼狽えるなど、それこそ神代の時代から無かったことだろう。その隙を見逃すような勇者ではない。その性根を表すかのように真っ直ぐと、恐るべき速さで突撃していた。

 無論、魔王がそれをただ見ている訳はない。
 両手の得物をハサミのようにして、懐に飛び込んできた勇者の首を跳ねようとするが、そんな行動を取った時点で魔王が如何に狼狽していたか知ることができるというものだ。魔王の敵は4人なのだ。

 右手の槍の柄の前に〈氷壁〉がせり上がってくる。先程に比べれば一般的な大きさ程度しか無いが出掛かりを潰すには十分だった。

「行きなさいなー」

 左手の剣の前に杖が突き立ち盾となる。聖女が投げはなった物だ。

「行って下さい…!」

 無防備になった胴体。余りにも時間が足らず、魔王は口から単純な〈火球〉を紡いで迎撃するが、勇者は防具の護りに任せたまま怯まない。
 そして…魔王に残された矜持が後退を許さなかった。

 迎え入れるような姿勢の魔王の胸を勇者の聖剣が貫き、内部から聖光で蹂躙する。魔の長にとってそれは猛毒にも等しかった。

「見事だ…!武功を歌い上げるが良い、人間達よ。とうとう貴様らは私の手から勝利を奪い去ったのだ…!次の勝者にその座を譲るまで、貴様達に栄光が輝かんことを…」

 魔王が誰に祈るのか。誰に願うのか。
 常に勝者であり続けた王は敵の輝きを寿ぎながら、崩れ去り塵と化した。

 ――ここに長きに渡った人魔戦争が終わったのだった。

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