TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

4-#  ワンコロとトリコロール


「海空ちゃん。会社の時間だよ」

 ――トリコロールの旗が海空の目の前で揺らめいていた。

***


〝あんたの手にかかると、どんな不正も是正されてしまうから――……だから鷺原に縋るしかなくなったんだ。私たちはちゃんとしているから〟


 あの後、二人と会話はほとんどしなかった。ロボットのように指を動かして、日常の業務の中、ぐるぐると海空は袋小路に迷い込んでいた。

 会話をすれば、また緩みそうで、総務部はお通夜のようだと佐々木あたりが言った気がするが、誰が味方で敵なのかもう判らずで。

「お局、帰っていいぞ」と天敵の尾城林に追い出されて、ハンドバッグを引き摺るようにして帰宅、マカロンのキーチェーンを手に、スーツケースを転がして……。
 毎朝の支度はいつも同じ。海空はこの会社に入って、遅刻はない。それが当たり前だと思っていたし、社会人として有給や突然の欠勤は軽蔑の類いにあった。
 そんな考えの基、しっかりやってきたはずが……。

 イモムシ再び。それでも、スーツケースには一応出勤の準備はしてある。ワンコロ(※海空の彼氏のこと)の部屋に来て、やけ酒して、そのまま部屋とシャワーを借りて眠りについた。
 深夜、ワンコロがキッチンでカタカタやっている音が聞こえて、安心して二度寝。
 暗い森を彷徨う夢を見た。光が見えないままの鬱蒼とした、森。夢でも鷺原により、呪詛をかけられた美しかった森は焼け爛れてしまって……。

『こっちですよ』『りょ!』二人が大きなトリコロールの旗をふって手招きしてくれている。

 あの二人なら大丈夫。あそこまでいけば、きっと光が――。

 目が醒めた。
 ――夢まで鷺原に翻弄された。だから夢のない夢なんてノーサンキューだ。

***

 体が重いし、犬が死んだって理由で休んでやろうか……などと考える海空の前にカタン、とトレイが置かれる音がした。早起きのワンコロが朝食を並べていた。
 朝ご飯なんか食べたところで。と起き上がった海空は自然と目に涙を浮かばせた。青と白と赤のトリコロールの旗がしっかりとクロワッサンに立っていた。寝ぼけて見ていたのか。夢でも助けてくれたは、きっと、この旗だ。

「トリコロール……」

「海空ちゃんが頑張れるようにって俺、クロワッサン焼いたんだから! サクサクだよ。焼きたて。あのさ、洋菓子ってこういうフランス系のおかずやパンを扱うのが普通なんだって。カボチャをぎっしり重ねたパイとか、ほら、グラタンとか高熱でやるやつ」

「あのさあ、なんでパンに旗が」不満を漏らすとワンコロは見えないシッポを振って笑顔になった。

「店長がくれたんだよ。他にもユニオンジャックと、日の丸と……」次々世界の国旗が出て来た。ワンコロはブスブスとクロワッサンに刺して、「好きなものをどうぞ」とパンを世界色に賑やかにして茶化す。

「トリコロールだけでいい」と頬を赤くしつつ、頬張った。

 サクサクサク。中にはご丁寧にハムが焼き込まれている。バターの香りも丁度いい。

「珈琲淹れてよ、海空ちゃん」
「何言ってんのよ。本職のくせに。あたしの珈琲にっがいわよ」そんなやり取りで元気になるから不思議だ。

「そうね、会社、行かなきゃね。いつもごめんね」

 さかさかと化粧をした以上は、背筋を伸ばす。それがオトナの女性の在り方だ。年下の二人が成長しているのに、こんなことでこの佐東海空が負けるはずがない。

 ――会社は無くならない。だから、大丈夫。それに、昨日は朦朧としていたけれど、今日は頭が冴えている。鷺原からは、まだ海空が聞きたい答を何一つ奪っていない。会社を手にするなら、すればいい。でも……。

(なんっかまだある気がするのよねえ……)

 西郷係長の死を利用して、会社を奪い取る。それは確かに理解したし、社内の裏切りももう咎める理由もない。残るは鷺原眞守の素性だった。
 そうまでして鷺原は、どうして首を突っ込んできた? 下手をすれば鷺原だって危険な橋を渡ることになる。あの男が、そんな危険を察知しないはずがない。
 人事部長に近づき、秘書課を丸め込み、雪乃を手玉(勝手に飛び込んで行ったのだが)にし。頭脳と美貌だけで、社内に味方を増やして、会社を揺らがし。

「西郷、鷺原……接点はない。単に会社が欲しかった?」

(またKOROKOROの出番かしら。以前いた社員? 鷺原はあたしより若い。覚えがないけど)

 いや、退職者なら絶対どこかで引っかかる。多分、違う。
 では、どこに接点がある?

 海空は顔を上げた。答えは見つからないが、これだけは判る。鷺原本人に問いただすしかない。
 これ以上雪乃を間に挟むも限界だろう。雪乃は充分協力してくれたのだから。

 ――いよいよ、本気で向かい合う時が来たのかも知れない。

 リベンジだ。株主さまだろうが、バイナリーのプロだろうが、知るものか。

「そうね、楯突くなら、ただの社員のわたしだわね」

 あの初日の「トイレトイレ」が無かったら。秘書課が蛍光灯を切らしていなかったら。それでもきっと、何らかで海空と鷺原は火花を散らしたに違いない。そして、雪乃は絶対どこかで鷺原に惚れているに違いない。
 世界はどっかで繋がってる。どこかで出逢って、やっぱり火花を……。

 ――なんか、楽しいじゃん?
 トリコロールの旗を引き抜いて、丁寧にティッシュに包んでポケットに入れた。

「行ってくる。スーツケース預かっててよ」
「りょ」とバンダナ巻いた頭がひょ、と動いた。

(不満だらけよ。それでも会社は廻るんだよ。だから、大丈夫。会社へ行こう。山櫻係長にきちんと返事しよう)

 答えは「私は総務部の主任だ」だ。加担はしません。革命だかなんだか知らないけれど、それなら退職届を叩きつけて辞める。鷺原の呪詛の掛かった森で彷徨うなんてしたくない。

 ――西郷さん、ごめんなさい。それで赦して貰っていいですか? 

「そうね、そうしたら、ワンコロ連れて南の島に……」

 玄関に雫が落ちた。違う違う。嘘をつくな、佐東海空。そんなに可愛い女じゃない。

「その前に、野良の狼の捕獲! いってきまーす!」
「狼の捕獲? ちょっと海空ちゃんっ! 怪我するよ?!」

 物騒が嫌いな平和主義者のワンコロの声が聞こえたが、海空はストッキングで階段を五段飛び降りたところだった。

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