TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

4-6  ソサエティが導く言葉③ ヒトの心を操る魅力

「俺が仕掛けた「封書」「荷物」住所を確認してごらん。答えは約束通り、総会の後で」


 鷺原の言葉に固まった海空を差し置き、鷺原はふ、と笑った。いつもの嗤いではなく、微笑ったというほうが近い。
 何かを覚悟している表情に、心動かされないなんて嘘はつかない。海空は改めて鷺原眞守に興味を持った。
 それは、恋とも、愛とも違う。
 ――くしゃ。前髪を掴む癖はいつぶりだろうか。心は脳が作る。そんな雑誌の1文を急激に脳裏に思い浮かべる。

「あんたに、興味があるわ」
「それは光栄。総務部のお局さまのお目がねに適ったかな」

 ――くそう、色男め。海空は頬を赤くして、「またね」と言うが精一杯。なんなんだ、あの男! 怪しくて、強くて、妖しくて美しいなんて卑怯の塊。あんなの野放しにしては駄目だろう。

***

「遅かったですね。―眞守さんと逢ってたんですか」

 こっちはこっちで面倒くさい。じとっとした雪乃の不安そうな頭を小突いて、海空は自席に座り、抽斗を開けた。

〝俺が仕掛けた「封書」「荷物」住所を確認してごらん。答えは約束通り、総会の後で〟

 謎はおそらく近い。答はすぐそこだ。

〝俺の「鷺原」は母姓でね。遣り手のエコノミストだった。その時の父の姓は「西郷」。西郷といえば、九州に多い苗字で、ルーツはほぼ重なるって知っていたか?〟

 ――まさか。

 海空はまた管理者データーベースを引っ張り出した。KOROKORO0821のパスワードは書き替えられていなくて、すぐに「ログイン尾城林省吾」と認証画面が出る。退職者のデーターベースの管理コードは「KORO」。なんなく照会画面まで来て、西郷美佳子のデータを呼び出す。先日は山櫻に気を取られて、肝心の西郷のデータを開いていなかった。

 ――ない。

(わたしの勘が正しけれ……ば)

 絶対に素性を教えないは、オンオフの切り分けだと思っていた。指が震えた。

『サ ギ ハ ラ ミ カ コ 』

 ――一件ヒット。

 入社した時、西郷美佳子の苗字はサギハラだった。つまり、鷺原眞守と同じ苗字。荷物を預かる相手はと考えると、それは二親等や三親等。年齢で言うと、鷺原のほうが年下。

「お姉さん……?!」

 鷺原眞守の姉が西郷美佳子? 

〝俺の「鷺原」は母姓でね。遣り手のエコノミストだった。その時の父の姓は「西郷」。西郷といえば、九州に多い苗字で、ルーツはほぼ重なるって知っていたか?〟

 ――違う。鷺原眞守の母の再婚相手は「西郷」でも、入社は「鷺原」これは偶然じゃない。なら、疑問がまた増える。

 鷺原と西郷と、この、羽山カンパニーの関係はなんだ!


***


 時間は穏やかに過ぎて行った。今頃会議室では、鷺原が過労死の証拠を手に、現役役員人事に退陣を迫っているのだろうか。
 あの微笑み。ヤケになどなっていない全てを覚悟したような慈愛を感じた。虎視眈々と狙い続けたも、全部今日のためだと言った。

 ――ああ、真実が知りたい。貴女ともっとお話したかったです。西郷さん。にこやかな笑顔の裏、相当の苦労を隠していたのでしょう。
 駄目な新入社員を必死で育ててくれた。数年経って、わたしは貴女を理解できるチャンスに恵まれたわけか。

 海空はデスクを見回した。西郷との写真が消えている。

「ねえ、あたしの写真知らない?」
「シュレッダーにはなかったですけど」とは鈴子。「ゴミ箱にもなかったです。主任、ゴミはちゃんと」A型の説教に背中を丸めたところで、尾城林が戻って来た。
「あれ? 俺のコロの写真は」
 同じような事情で焦っているので、落ち着く判断をした。こっちは恩人との写真で、ワンコロの写真とはわけが違う。
 海空は「ワンコロ」の言葉で、ふとカレを思い出した。ふとした時に心から顔を出す。それが好きということで、もう心に染みついているのだろう。

 ――鷺原よりもお馬鹿だけど、人間的には海空よりもオトナな年下のワンコロ。

「それにしても、写真……おかしいなあ」

「主任、珍しくデスクにお仕事重なってますけど。手伝いましょうか」雪乃がいつになく優しい。
「そうね、人事考課の準備進めましょう。会社が在る限り、総務はなくならないのよ」
「ごはん、明日も食べられますね!」
 鈴子のもっともな言葉に、海空は頷いた。鈴子はいつだって真実をちゃんと見つけてくる。尾城林への恋心だけが疑わしいが、そこは考えないとして。

「雀にごはんあげてましたよね」の鷺原を信じたい。雪乃の恋心を踏みにじるような男ではあっては欲しくない。

「そうね、明日も、明後日も、ずっと総務。ごはん食べられるわよ」

 鈴子はほっとした顔で、切手の集計を始めた。収入印紙をたくさん並べて、ひとつひとつの数を打ち込んでいくだけの単純作業だ。雪乃は隣でPMSの各部署への回覧を作成していて……。どっちも苦戦している様子。
 何も変わらない日々が愛おしいと思った瞬間に、終わるがさだめかも知れない。物事は「愛おしい」と感じるために全てにあるのなら、それは心のアポトーシス。

 海空は抽斗の「退職届」をすっとジャケットのポケットに忍ばせた。内ポケットがある。まずバレないだろう。
 雪乃がちらっとこっちを見た気がするが、すぐにイントラネットの画面に戻って行った。


***


 会社の始まりは「履歴書」「職務経歴書」で始まる。その終わりは「退職届」である。
 会社員としての自分を辞めること。山櫻の言葉はきっかけに過ぎない。

「……思い切れば、すんなりだわね」

 シュレッダーの前で足を止めた。だが、真実を聞いた以上、海空の心はバランスを崩しそうで。

 ――辞めよう。そう決めておかないと、あの鷺原には立ち向かえない。

 長ければ長いほど、会社が見えて来る。会社は社会で、世界。株主と一介の社員が向かい合う奇跡など有りはしない。
 それが、可能になったは、篠山雪乃の暴走した恋心があってこそで。トイレから出て来た鷺原に一目惚れ、次に偶然出逢った喫茶店で交流を持った時、鷺原眞守の株は僅か3%。それが一ヶ月後には80%。株主の筆頭にのし上がって、今や会社を揺らがしている。
 そんな魔王に、立ち向かうなら、全てを捨ててこそ。

「情けないわね。足、震えてるし」

 それにちょっと化粧が濃すぎ。何やりすぎてるんだ。これでは死に化粧だ。海空は頬を抑えた。鏡には会社員としての佐東海空。お局と呼ばれて、一生懸命やって来た――が映っていた。
 でも、ただの佐東海空は、努力を全否定されて、まだ続けられるほど強くない。

「ごめん、雪乃、鈴子……」

 嗚咽を堪えた。一介の会社員としてでは鷺原との距離は遠すぎて、まるで罪人と神のような距離感があるから、だから、「篠山雪乃の友人、佐東海空」として。最後の武器がこの退職届だった。

***

 四時半。13Fの会議室。この会議室はそこそこ大きい。だが、あまり使っていないし、埃だらけだろうと思ったら、綺麗に拭かれていて、興醒めした。

 まだ足が震えている。総会後に、真実を話す。鷺原眞守は本来は誠実な人間なのかも知れない。でなければ、一介の社員に時間を割いたりはしないだろう。
 ――すでに負けてるっての。
 海空はこつんと額を小突いた。突然消えた西郷係長の事情を知りたかった。もうすぐそれが判るのに、震えている暇はない。お局の覚悟を見せつけて対等に向かい合って見せる。

 コチコチコチコチ。
 時計が針を刻んでいる。何度も深呼吸を繰り返した。最初は小さく、そしてゆっくり。

『総会終了後、五時に13F会議室C』指定したは海空だ。そこなら、あまり使っていないし、営業がドタドタするフロアからも離れている。

 ――こんな形で終える何て思ってもいなかった。西郷もそうだっただろう。人生もっと生きたかったに違いない。

(一生懸命を覆されたことはどうでもいい。哀しかったは、一生懸命だったがために、何も知らされなかった事実だ)

 労働基準監督署を希むほど、苦しんでいるヒトがいた。働くヒトを出来なくなってやっと訴えたSOS。しかし、決死のSOSは海空が幾度も阻んでいた。
 総務としては正しくても……ヒトとしてはどうだったのか。
   考えない……とポケットに手を突っ込んだが、御守りのトリコロールは抽斗に入れたまま。海空が抜ければトリコロールは日の丸になる。紅白かもしれない。

 ――ごめん、それでも真実を聞きます。

 顔を上げたところで、ドアのノブが動いた。まさか海空がもういるとは思わなかったらしく、ファイルを抱えた鷺原は少し驚いたようだった。

 夕焼けが静かな会議室をORANGE色に満たしていく。5月も終盤になると、実は日はもっとも長くなり、夕焼けの度合いも増す。
 大きな窓に照らされる夕陽は海空の頬をORANGEに染め上げた。海空は立ち上がって、机に指を滑らせた。

「約束、護ってくれてありがとう。株主総会の内容なんか聞かないから安心して」

 先手必勝。とばかりに海空は座ったばかりの鷺原にす……と退職届を押し出した。

「一介の社員が口は出さない証拠。あたしは、佐東海空としてここに座っている」
「見上げた根性だね。海空さん」

〝お局さん〟とは呼ばないあたり、回転がいい。海空はにっこりと頷くと、「普通の海空さんは珈琲なんか用意してないわよ」と諭した。

「…………」

 鷺原はじっと海空を睨んだままだ。昼間の慈愛など感じさせない男の眼で海空を見ていた。

「――鷺原の苗字だったわ。西郷さんの履歴書」

 鷺原はぴく、と顔を引き攣らせる。「兄弟か、親子か、従姉妹か……そこからが判らなかった。なんらかの関係があるのだけは判った。そして、雪乃のためにも、あなたが悪人だとは思わないから安心してよ」

(動かない)

 サプライズ論理を駆使してみたが、鷺原は一向に海空の会話には興じていない。
「雪乃か」そう呟いただけで、ずっと俯いているが、泣きそうな錯覚を覚え始める。

「俺は、もう少しでジョージ・ソロスになれたんだけどな。知ってる? 2016年のドイツの銀行株価大暴落させた伝説の投資家」

 海空の退職届を指で滑らせながら、鷺原は続けた。

「ソロス・ファンド・マネジメント」で空売りで、銀行株をほぼ売りさばき、ドイツの銀行を破綻まで追い込んだ。俺の、経済の父親で。逢ったことはないが、彼をリスペクトしてきたんだ。――顔色を変えさせてやりたかった」
「ごめん、話が」
「――会社を奪ってやれば、俺を認知するだろうと思っただけだ」

 認知。

 海空は顔を上げた。鷺原の顔を初めて間近で見た。その確かな手腕、経済を一手にしても揺らがない精神は。まさに数百人の社員の頂点に立ち、家族を支えるある男に重なる。

「実際は、身動きひとつしなかったよ。――切り札を出せなかった」
「でも、苗字が違うわよね」
「だから、認知されてないからだって。……羽山の名前を継げるくらいまで、株で責め立てたのに、顔色を変えない。まるで俺が負けを認めるのが見えていたように」

 ――謎の答が見えて来た。海空ははっきりと問うた。

「あんた、羽山社長の息子だったの」

「どうやっても、認めないようだから、会社を奪って、ただのジジイに突き落としてやろうと思った。ソロスのように空売りを繰り返せば俺の資金は増えていき、その間に羽山カンパニーの信用取引を地に堕としたところで、売りつける。損得は発生せず、結果、東峰と同じく、仕手集団でいくらでも大暴落は引き起こせた」

「それが、切り札が、西郷美佳子の過労死……ねえ、本当に過労死なの? 関係は? あんたと、西郷係長、羽山社長は親子? ちょっと待って、整理がつかないの」

 鷺原はまたふ、と優しげな目をして見せた。

 ――やはり、事情があったのだ。やり方はあざとくても、何か、雪乃が信じ抜きたいような事情が。

「全部話してくれるのよね」
「……きみが会社を捨ててまで望んだ結果だ。総務の代わりを探すのが大変なんじゃない?」
「そうでもしないと、あんたには向かい合えない。弱いのよ、あたし」
「いや、強いだろ。美佳子とは、ふとしたときに知り合った。本来は社長令嬢だが、あの男は美佳子さんも認知しなかったようだ。美佳子の母は、羽山の前妻。その後僅かな期間、俺の母と過ごした。知り合ったのは、本当に偶然だった。あの、ここは雪乃さんにはご内密にお願いしたいんだが」

 鷺原はごほ、と咳込むと、視線を逸らせてみせる。

「色恋沙汰?」「おっしゃる通りで」と鷺原は軽く結び、「ええと」と言葉を探し始める。

 やっぱり、誠実なカケラが見える。それはああだこうだ、ふんぞり返りつつも、社員を案じてきた羽山カンパニーの王に似た面影のカケラだ。

「――なるほど、異母姉弟だとも気付かず、恋に落ちたわけね。ドラマみたい」
「海空さん。そのものずばりはやめてくれる? 関係を持つ前で良かった。互いに素性が判って、距離を置くようになったけれど、美佳子がある日「とんでもない新人が来た」ってメールして来たんだ」
「あー、あたしのご登場ですか」
「まあ、とんでもないね。俺から真実を聞くために、退職届なんか書いていいのか疑問だけど。美佳子も強いよ。会いたいがため、父親の会社に入社したんだから」

 海空は履歴書を思い浮かべた。それなら、「鷺原」の苗字だけが謎となる。

「ねえ、本当に過労死だったの? 偽造してないのよね」
「警察に掴まるよ。そういうと思って、持って来た。死亡診断書と、医者の見解と、告知書。あんたには見る権利があるだろうから」

 鷺原は2枚の勤怠用紙を差し出して、並べた。

 同じようにみえた勤怠用紙は、微妙に違う。赤線の引かれた部分は、勤務時間超過のデッドラインだ。「過労死ライン」と呼ばれるものである。
 ―過労死ライン(かろうしライン)とは、日本において、健康障害リスクが高まるとする時間外労働時間を指す言葉。労働災害認定で労働と過労死との因果関係判定に用いられる言葉だ。

「父親に認められたい一心だったんだろうな。あんたが入社する前、無茶な勤怠を改ざんしていた。この間の停電でIT管理の社員に全部抜いて貰った結果だ」

 海空は脳裏をざらりと何かに撫でられた感覚を味わった。

「自分で自分の勤怠を改ざんできるは総務だけだわ」
「そう。だから、美佳子は総務部を希望したんだ。しかし、やはり親父は認めなかった。――あんたに任せて、此の世を去ったとも言える」

 机が割れるような音に肩をびくつかせた。鷺原が机を全力で叩いたせいだ。暫くして、呻くような声音で、鷺原は声を震わせた。

「だから……っ! 俺はこんな会社を潰してやろうと思ったんだ。同時に、「美佳子の手を焼かせた社員全員」を路頭に迷わせてやろうと思った。東峰を陥れれば、給与口座は凍結。同時に空売りを進行させて、美佳子の事実を公表する――……。つもりだった」

 鷺原は唇を噛みしめていた。

「どうしてやらなかったのよ……これを出せば、もうこの会社は終わりよ。他にもたくさんある。あんたが覚悟を決めるならもっと――」

 海空は首を振った。違う、そうじゃない。会社は護らなければ。でも、ヒトとしては、女としては、部下としては……。

 会社の海空は一部分で人生には関与しない。違う違うちがう! 障壁がたくさん過ぎて、考えがまとまらない。

「雪乃さんが頑張っている会社を潰すわけには行かなくなったんだ」

 また鷺原は微妙な表情を浮かべて見せた。

「本当に、会社のことを嬉しそうに話してくるんだ。あんたのことが大半だった。どうしたら、佐東主任と巧くやれるとおもいますか?どうすれば鈴子をかわいがれますか? 秘書になりたい。もっと自分を高めたい。――そんな愚痴ばかりだよ」

(雪乃、やっぱり情報漏洩してたじゃない)

 呆れて、海空は吐息をついた。鷺原は続けた。

「俺は、判らなくなったよ。意固地になって来たけれど、組織から外れてしまった人間でしかないのを誤魔化しているのではないかと思うようになった。だから、会社のことを嬉しそうに話す雪乃さんといると、羨ましい反面、俺も環に入れた気がして」

 ――違うと思う。でも、言わなかった。鷺原の隠して来た本心は、恐らくもっと深い。

(あんたは、美佳子さんが好きだった。だからこそ晒し者には出来なかった。反面、父親の手腕をみとめてしまったのよ。負けを自覚したんだわ)

 もう退職届を出した以上、海空が意見を述べるは不要だ。お局としての役目は終わった。

「ソサエティの導く言葉は仲間だって」

 鷺原が顔を上げた。

「社長が良く言ってた。ソサエティとは、同志、志を同じくする仲間なんだって。あたしはもう外れるけど、あんたは、今度は株主として、この会社を良く出来る。それが、きっと」

 とうとう涙声になった。

「西郷係長の望みだったんじゃないかと思う。わたしには認知されない辛さは判らないけどね。退職届を出した以上、会社員としての見解は」

 鷺原は無言で海空の封筒を開けて、「くす」と形の良い唇を緩めてみせた。

「これが退職届ならな。だいたい、俺に退職届だされても困るし、良く中身みた?」
 並べられたは、犬の写真に、トリコロールの旗、それに西郷との写真だった。
「嘘!」
「きみに辞められたくない人間がいるんだろ。凄いな。総務のテクニック。綺麗に封筒を開けて、元通りに糊付け。――きみの背中を見てた人たちの仕業じゃない?」

 鷺原は机に並べたトリコロールの旗を摘むと、また優しく微笑んだ。

「会社は一介の人間が金で潰せるもんじゃない。株は現場で産み出された成果だ。きみたちが出来ない資金の調達を俺たちがやる。それは日々を応援しながら、会社の名誉を守り、社員たちを護る。俺の名には「詐欺」と「守り」があるから。必要悪だってやれたんだ」

 ――雪乃と鈴子の仕業だ。カッターで丁寧に開けるやり方も、糊付けも、教えた通り。

 多分鈴子は言うのだろう。

「退職届?  シュレッダーは見ないでかけちゃいますよ。B型だもん」

 多分雪乃は告げるだろう。

「退職届ですか? いつも言ってますよね。不要なものはとっととシュレッダーしなさいって。あ、課長の犬、見つかったんですね」

「参ったな……」もう、心はゆるゆるだ。鷺原の前で泣きたくはないのに。とんだサプライズ。二人が心配そうに見送っている顔を今更思い出した。

「逃げるなよ、佐東海空。これからもっと障害があろうが、もっと飛べる。俺の代わりはいるけど、あんたの代わりはいない。会社のために働くヒトは、もう会社なんだと判ったよ。会社って何だろうの応えは、仲間。――俺はバカなことをやった。悔しいけれど、負けだ」

 鷺原は「トリコロールに負けたんだってことだよな」ときっぱり告げた。

「――たった一人で、準備して、美佳子への想いを吹っ切ろうとした。でも、俺は負けた。後は、協力した山櫻や、営業たちが造反処分にならないように、手を打つよ。この社員はもう一人も欠けさせない。代わりに、株を買い戻して、半分だけ返す。返付性を利用して、俺は中堅の株主として、ガンガン経営に口を出していく」

 鷺原の口調には迷いがなかった。

「ヒトの間違いを是正するは、いつだって、毅然とした態度なんだよ。頑張れよ、総務お局。お互いに頑張ろう」

 ――お局。そう呼ばれるのが嫌だった。でも、「お局」が今はこんなにも誇らしい。

「……退職届がないんだもの。やるしかないわね。まだまだ縁の下の力持ち」


 死した人間を超えて。
 夢を引き継いで。

 ――会社はそんな風に続いていく。何も変わらない日々が来るだけだ。また陽は昇る。

「すっかり暗くなった」と鷺原が目を細めた先には星空があった。


***

 総務部に戻ると、まだ電気がついていた。雪乃と鈴子の姿が見えた。
 二人は人事考課とPMSの資料を並べて海空を待っていた様子だ。見つけると、とびきりの笑顔になった。


(この二人を、しっかりと育ててあげなきゃね)
 どうやら会社を辞める暇はなさそうだ。

「佐東主任、おかえりなさい!」
「おっかー」あーあー、無理して嘘の笑顔、バレバレ。

 海空はカツン、とフロアにヒールの音を響かせて、総務部に近づいて行く。

「――ただいま。ねえ、話したいことと、お説教があるんだけど、ごはんでもいかない? あたしの退職届どこやったのよ」

 鈴子が笑顔で「知らないですけど、さっき何かシュレッダーかけました」と告げ、雪乃は「課長の犬の写真、探さなきゃですね」とやっぱり笑顔で告げた。



《最終章》了

  
⇒後日談:
     純白のウェディング・トリコロールへ


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