双子転生 -転生したら兄妹に分裂してた。天才双子の異世界ライフ-

八木山蒼

第70話 洗脳

 幾重にも施されたロックを打ち破り、俺らはついに最後の部屋へと踏み入った。
 地下深くに隠された秘密の部屋は灯りとなる魔水晶で綺麗に照らされているが、室内はかなり乱雑だ。積み重なった無数の本、汚い字が殴り書きされた書類の山、なにがなんだかわからない物品の数々、食事の跡……そしてその中心に、部屋の主はいた。

「ひ、ひいぃぃぃぃぃ~~~~っ!」

 ゲルス・ワースト。丈の余った白衣を着た、ぐるぐる眼鏡の女性科学者。小柄な彼女は一見するとかわいらしく見えるが、その本性は外道極まりない悪魔だ。被験者を顧みない魔晶兵の研究、クローン人形の製造、洗脳技術の開発、そして王と兵士を保身のために利用した。
 悪徳貴族ゴーディーの兵器、『氷床の箱庭』に巣くっていたギャングの武器、ミリアを洗脳した魔法、サリアの記憶を奪った魔水晶……全てこの悪魔の手によるものだ。俺らとパイロヴァニアとの因縁は、このゲルスに集約されると言っていい。

「ようやく会えたな、ゲルス」
「私たちが言いたいこと、わざわざ言わなくてもわかってるよね」
「ひ、ひひひぃ~~~っ!」

 俺らがゆっくりと歩み寄るとゲルスは大慌てで逃げ出そうとする。この部屋は研究室で戦闘を想定しておらず、防衛システムなどは全て直前の部屋にあるのだろう。

『マギスフィア』
「ひひひひ、ひえぇ~~~~!」

 俺はサリアと手を取り合い、魔力の球体でゲルスを包み込み捕らえた。大慌てのゲルスは半透明のボールの中で跳ねたり転んだりするが逃れられるわけはなかった。

「わわわわわ、私を殺す気ですかぁ~? だだダメですよぉ、損しますよ~!」

 捕らわれたゲルスが必死で懇願する。

「損?」
「はい~! 私ほどの頭脳があれば、もっともぉっと魔法具を開発できるんです~! 私を殺したらみんなみーんな失われちゃいますよ~、そそそそれに、私は何も、悪い事してないじゃないですか~!」

 ゲルスの言い分には一応の筋は通っているようにも思えた。たしかにゲルスは数々の兵器や魔法アイテムを作っただけで、悪いのはそれを使った者たちとも言える。ゲルスたちの視点からすれば侵略者である俺らに応戦するのも当然の権利だ。
 だが……この悪魔に騙されてはいけない。

「たしかに俺らについてはそうかもしれない」
「じゃあゲルス、あなた王様や兵士たちに何か言うことはない?」

 俺らが問いかけると、ゲルスは眼鏡の下からきょとんとした顔を見せた。

「へ? 王と、兵士……?」

 それはごまかしや嘘の気配のない、本当に何を聞かれているのかわからないといった具合の顔だった。その邪気のない表情こそがこの女がこの上ない邪悪であることを示している、俺らは少し寒気すら感じていた。
 ゲルスはレグルオ王を操り自我を奪って戦わせ、王の悲願である『計画』すら己の保身のためにあっさり放棄、王を捨て駒にした。兵士たちは自身の兵器の燃料として何百人も捕らえて搾取してきた。これは他ならぬゲルス自身の悪行だ。

「ななななな、何を言ってるんですか~? わけのわからないこと言わないでください~!」

 だがゲルスにはその認識がまったくないのだ、自身が悪いことをしたという認識が。この状況下で命乞いをしているのに、表面上だけでも己の罪を謝るという発想すらない。

「そそそそそそれよりも、私の魔法具はすごいんですよ~? 魔導鎧に搭載した魔力機構に魔晶兵の技術、それに何より洗脳技術! 私が徹夜で作ったんですよ~、私を殺したらこれも失われちゃいますよ~損しますよ~!」

 なおも続けるのは自らの頭脳と技術力のアピールだ。この女にとっては自分と自分の技術だけが全てで、他は全てどうでもいい。倫理観そのものが欠落している狂人……どうあっても自分以外の全てに不幸をばら撒く、悪魔だ。
 俺はサリアと頷き合った。

「洗脳……それが『計画』の最終目標だったな。俺やサリアといった人間を洗脳し、強力な兵士にすること」
「ゲルス、最後に一度だけ聞くよ、人間を洗脳して操るっていうのがどういうことかわかる?」

 これがゲルスに与えるラスト・チャンスだ。つくづく俺らもお人よしだ、こんなクズにここまでの慈悲をやるとは。
 だがそれすら踏みにじるのが、このゲルス・ワーストだった。

「洗脳ですか? 便利ですね~、なんたってその力も知識もぜーんぶ利用できるんですから! 洗脳すれば実験材料にしても文句言いませんし、どれだけ働かせてもタダですし~、何よりも私の技術のすばらしさを実感できます! 人間を完璧に支配し掌握するなんて、世界広しといえどもできるのは私くらい……」
「もういい、充分だ」

 俺とサリアは同時に魔力球へと腕を突っ込み、ゲルスの頭を掴んだ。ひっ、とゲルスが怯えた声を上げる。

「わからないなら教えてやるよ、洗脳するということが……人の心を操るということが、どれだけ下衆で許されないことなのか」
「今あなた洗脳ができるのは私くらいって言ったよね、でも」

 ゲルスの頭を掴む俺たちの手に魔力が宿る。これまで封印してきた、邪悪で、忌むべき魔力。
 涙目で震えるゲルスに、サリアが宣告した。

「洗脳魔法は、私たちも使えるんだよ」

 そう……この世界のありとあらゆる魔法を使える俺たちには、洗脳魔法とて例外ではない。サリアは完璧に、俺は一部、人間を洗脳し操る魔法が使えるのだ。だが使用は固く禁じ、たとえ命を狙う敵ですら滅多なことでは使わなかった。それがどれほど恐ろしい魔法か知っていたから。

「心を支配し弄ぶことは、その人間の全てを否定することと同じだ」
「一度体を失った私たちはわかる、心がどれだけ大事なものか」
「今からお前にもたっぷりと思い知らせてやるよ」
「洗脳っていうのが……どれだけ悪い事なのかって!」

 今、この悪魔に対し俺らはあえて同じ地平に落ちよう。そうでなければ思い知らせることはできない!

「お前の命は奪わない、代わりに心を奪ってやる」
「でも心を奪ったら、ゲルス・ワーストは生きているって言えるのかな?」
「ひっ……や、やめっ……」

 洗脳に恐怖するゲルスの体を俺らの魔力が包み込む。邪悪な魔力は対象の魂を侵し、そのカタチを身勝手に書き換えていく。性格も記憶も……ゲルスの全てを支配し、否定できる。
 ゲルスの心を書き換えていく。ふさわしい罰を与えるために。



 ……やがて洗脳は終わり、ゲルスは解放された。彼女を捕らえていた魔力球が消えると同時に俺らも手を離し、小さな体がどさりと落ちる。

「う、うーん……」

 俺が見下ろす中、頭を振りつつゲルスは起き上がった。だがすぐにハッと目を見開いて立ち上がり、俺らを睨みながら後ずさった。

「て、てめえら……『オレ』に何しやがった!?」

 その口調も仕草もほんの数分前までのゲルスのそれではない。口調は荒っぽく、仕草は乱暴で……まるで男のようにガラリと変わっていた。

「ななななな、なんだこの体!? お、女の体になってる!? こんなチビで、ひょろひょろで……なんだこりゃあ~!?」

 ゲルスは元々女なのに女になったと驚き慌て、一切手が加わっていない自分の体を見て心底驚いていた。
 そう、ゲルスは『自分が元々男だった』という風に洗脳されているのだ。認識や記憶を書き換えられて、自分が男だと完全に信じ切っている。彼女の視点からすれば目が覚めたら女になったとしか思えないのだ、これは自分と同じ苦悩を味わわせるというサリアの発案だった。だがこんなものはまだ序の口。

「てててててて、てめえら何しやがったんだ!? オレにしたのは洗脳じゃないのか、なんで女になってんだよ! 説明しやがれコラァ~!」

 怒りに満ち俺に掴み掛ろうとするゲルス。だが。

「止まれ!」

 俺が強く命令すると、その体がピタリと止まった。

「しばらく座ってろ」

 再び命令しその通りにゲルスがぺたんと座る。その表情は驚愕と怒りでいっぱいだった。

「クソッ、てめえらに逆らえなくしたのか! なめやがって~!」
「そうだ、お前に施した洗脳のひとつが俺らへの服従」
「私たちが強く命令すればあなたは絶対にそれに従うの。これがどんなに怖い事かわかる?」
「ああ!?」

 なおも反抗的なゲルスに対し、俺らは努めて冷徹に告げた。

「俺が『死ね』と命令すればお前は今すぐにでも死ぬ」
「自分の指を折れと言えばどんなに痛くても嫌でも折るし、目を潰せと言えばためらいなく潰す」
「これからお前は俺らに全てを支配されるんだ、俺らがただ声を発するだけでな」
「ずっと、ずっと、生きてる限り……例えるならほんの数ミリ先にナイフを突きつけられた状態で一生過ごすってこと。いつ体に刺さるとも知れないナイフをね」
「お前は死ぬまで死の恐怖と隣り合わせの生活だ。死刑囚は執行までの数日間だけでストレスで死人のようにやつれるそうだが、お前の辛苦はストレスなんて言葉じゃ表しきれないだろうな……理解したか?」

 さしものゲルスの顔からも血の気が引いた。生かすも殺すも相手の気分次第、命令ひとつで声も動作も心すら支配される。ゲルスにはもう永遠に『自由』はない、俺らの監視する檻の中で生涯過ごすのだ。

「だっ、だだだだだだ……だが! 洗脳ったってそれだけかよ!」

 ゲルスは冷や汗を流しつつも笑って啖呵を切ってみせた、それが虚勢なのは明らかだったが。

「オレは今もピンピンしてるぜ! 自我はあるし、性格も、記憶だって全部元のオレのままだ! これが洗脳なんてちゃんちゃらおかしいぜ、オレならもっと完全に……」

 調子に乗ってわめき散らすゲルスに対し、俺らは真の恐怖の宣告をした。

「元のままだって、なんでわかる?」
「え?」
「性格も記憶も変わってないってなんで言えるの? 洗脳されて、そう思い込まされているだけかもしれないのに」

 俺らの言葉にゲルスがハッと気付く。それまでの虚勢も吹き飛んで、自信なさげに目を泳がせる。顔が再び青ざめていた。

「ばばばばばばばば、バカ言うなよ、オレはちゃんとオレで、性格も記憶も全部……ちゃんと……」

 ゲルスは自分の記憶を辿っているのだろう、『男として』過ごしたこれまでの記憶を……もうその時点で全て間違っているのだが。

「わからないだろ? 本当は性格も記憶も全部、俺らによって書き換えられた偽物かもしれない」
「そもそもあなたはゲルスなの? 本当にゲルス・ワースト?」
「なななななな、何を言うんだよ、オレはゲルス……」
「本当にそれがあなたの名前? 私たちが適当につけた名前かもしれないのに?」
「教えてやるよ、お前は元々女だが、今俺らに男だったと思い込まされているんだ」
「はぁ!? んなわけねえ、お、オレは生まれた時から男……」
「その記憶が書き換えられてるだけだよ、だって洗脳したんだもの」
「もう何百回も洗脳してるけどその度記憶消してるからな、そろそろ異常が起きる頃かもな」
「そそそそそそ、そんなわけねえ! そんな、わけ……」

 嘘を言われても真実を言われてもゲルスは動揺し取り乱す。当然だ、どんなに自分の記憶を探ったところで……そこには俺らの手が加わり、汚されているのだから。
 これが洗脳の真の恐ろしさだ。たとえただ一度、どんな些細なものであろうと、心を弄られれば人は自分を信じられなくなる。性格も記憶も、心の中の全てのものへ『洗脳されて植え付けられた偽物かもしれない』という疑惑が影を伸ばし、そしてそれを否定できない。
 ひとたび他者の手に垢をつけられれば、その心はもう本人のものではなくなる。心を失う、それは死よりも恐ろしい、まさに悪魔の所業なのだ。

「これがお前への罰だゲルス、お前は一生洗脳の呪縛から逃げられない」
「自分は正気なのか? 記憶は本当なのか? 今はいつでここはどこ? 目に見えてるのは現実か? 過去も現在も未来も、性別すら信じることができなくなる。洗脳されるって、そういうことなんだよ」

 俺らはゲルスの記憶には男と思い込ませた以外一切手を加えていないし、性格も口調など表面的なものはそれに合わせ調整したが本質的には何も変えていない、知識も人格も悪魔のゲルスそのままだ。だが今ゲルスにそれを伝えたところで彼女がそれを信じることはないだろう。

「そっ、そそそそそそそ、そんな……そんなぁ……」

 もはや虚勢は欠片もなく、ゲルスは大粒の涙を流しながら絶望に顔を歪めていた。それでも座っていろと命令された体は泣き崩れることすらできず姿勢正しく座ったまま。その狂った姿はまさに、洗脳行為の邪悪を象徴しているようだった。

「お前を野放しにすると何をしでかすかわからないから、俺らの屋敷でメイドとして雇ってやる。別に奴隷にするわけじゃない、それなりの暮らしはさせてやるよ」
「もっともただ暮らすだけですらあなたにとっては地獄だろうけどね。もしも、あなたが自分の罪を完全に理解して反省したら……許してあげる」

 俺らの言葉も届かないほどに絶望しているのか、ゲルスはただ涙するばかりだった。
 ひとまずサリアが睡眠魔法でゲルスを眠らせた。伝えた通り魔法都市アスパムに連れて帰り、これからゲルスの贖罪の日々が始まる。倫理観や罪悪感を自覚して、洗脳の呪縛から解放されるかどうかは彼女次第だ。

「ちょっとやりすぎちゃったかな……あとで恐怖心は和らげるようにしてあげよう」
「ああ、別にいじめたいわけじゃないしな。ただ罪の意識が微塵もないとなるとこれくらい荒療治じゃないとなあ」
「それ相応のことはしてきたし、これからもやりかねないから仕方ないね」
「さて、あっちに戻るか。戦いは終わったが、色々と後片付けが……」

 ゲルスを担ぎ、その場所を立ち去ろうとしたその時。
 俺らが忘れかけていた――このパイロヴァニアに潜む最後の敵が、俺らに牙を剥いた。

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