Abalone〜舞姫と影の少年〜

川島晴斗

第十五話:夢の終わり

 俺が化け物になるとか、俺が俺でなくなるとか、よく考えると怖くない。そこに苦痛が伴うかもわからないし、化け物になったところで綾か神楽がなんとかしてくれるだろう。

 もちろん、化け物にならないのが1番いい。神楽のくれた腕輪が守ってくれてるなら、それで助かるのかもしれない。智衣さんは"右半身"と言ってたけど、半身で済んでるのは腕輪のおかげ――か?

 よくわからないけれど、化け物になることへの懸念は、今は置いておく。
 それより問題なのは――俺の意識が海に向いているのかどうか。無意識に海に何かを求めてる、そうだとしたらきっと妹のこと。神楽――まだ小学一年生だった俺の妹。もう記憶も薄れ、大切だった妹の顔も朧げにしか思い出せない。

 たとえ死体を見つけたとして、俺はどうしたいのだろう。
 たとえ夢の中で妹に再会できたとして、俺は何を言うだろう。

 ――と、綾との歓談を終えて帰宅した俺は、部屋に布団を敷いてその上に寝転がりながら考えるのだった。最近は考えることが多く、こんなに頭を使ってたらアインシュタインみたいな天才になるんじゃないかと思うほど。努力なんてしてないから、比べるのもおこがましいけどな。

「…………」
「…………」
「……なんだよ?」

 そして、死んだ目をしている俺を神楽が見下ろしていて、無言の彼女に声を掛けた。人の部屋に勝手に入ってくるとか、そういうのは気にしないでおく。

「こーへい……今の私を見て、そんなこと聞いちゃう?」

 ジト目で睨んでくる彼女は紺色のコートを着ており、その下から覗く黄色いミニスカートは寝ている俺から中が丸見えだった。
 それはともかく、こんな服は男子1人しか子供のいないうちには無いもの。つまりコイツは今日、服を買って来たようだった。

「どんどん人間味が増して行くな。お前この先海に戻れんの?」
「んー……この際、戻らなくていいかな」
「人間と共に怠惰な暮らしを享受するのか。無為な人生を歩むがいむぐっ」

 顔を踏まれた。あんまり言うと暴力になるので、ここらでやめにする。俺は彼女の足をどかして起き上がり、改めて神楽の前に立って全身を見た。
 幼い顔立ちなのに黒のニーハイソックスを履くとは、よくわかってらっしゃる。

「素晴らしいな。是非とも公平事務所にスカウトしたい」
「あいにく、私は既に綾芸能プロダクションに所属している身……同時契約なんてしたら、週刊誌に取り上げられてビッグニュースに!?」
「お前みたいな小物芸人がなるわけないだろ? よくてウェブニュースの隅に載るぐらいだな」
「クッ……! この屈辱、ナンバー1お笑い芸人になって返す!」

 お笑い芸人なのか。
 なんてツッコミを入れるのはまた別として、服を着た神楽は本当に可愛かった。もともと白磁のように白い肌と整った顔立ちをしていたから、着飾れば良くなるのは当然のこと。紺色にしたのは、青っぽいから海を連想するためだろう。

「可愛いじゃねーか」
「えへへへ、どうもどうも」
「はい、見たから部屋帰って」
「扱いが酷い……」

 しくしく泣きながら、神楽は自分の部屋に帰って行った。
 そういえば、芸能とか事務所とか、アイツは磯女のくせに色々知ってるよな。それは最近になってテレビを見てるからっていうのもあるだろうけど、それにしては会話に慣れているし……。

 神楽の正体が気になる最中、俺は自分の夢のことを、次の夢まで忘れるのだった。





 ************





 夢を見ている。また海の中で、俺は漂っていた。
 今度はちゃんと、海が水色に見える。海面まで200m近くだろうか。どんどん浮いてきてるのはわかっていたけれど、こんなに早く上に来るなんて。

 今日はいろいろ考えて、綾から話を聞いて、わかったこともある。今までに比べると、少しは事情がわかった気がして――俺の精神とこの夢はリンクしてるのだろうか?
 海を浮上するのが早かった、つまりは俺が真相に近づけば近づくほど、浮いて来るのだろうか?

 だけどまだ空は遠くて、俺はただ海中を見つめることしかできない。太陽の日差しが届かぬ海で、俺は白く見える水面を見つめるのだった。

 ――しかし、今日はいつもと違うことが起きた。
 いつもは見かけない、黒くて大きな影がゆっくりと通っていた。

 形からして船なのがわかった。ここからだと少し遠くて、掴むこともできない。あの巨大な影に呼びかけたとしても、反応はないだろう。船が通った、ぢそれだけだ。

 ――それだけなら、良かったんだ。

 ズンッ!!!

「!!?」

 新たな影が船に重なり、俺は驚愕した。
 ――新たな影の正体、それは腕だった。遠目で正確な大きさはわからないが、映画に出てきそうなナントカ号って名前のありそうな大きさである事はわかる。あれは確か、全長300mぐらいだったな――とか。
 そんなことを思い出していると、片手で船底ふなぞこを握る腕は、船を掴んだまま消えて行った。
 その後、船の影だけはあったものの、船の澪は揺らめいて向かう先はおぼついていた。

 まさか、沈むなんて事は――。



 そんな心配をして、今日は目が覚めるのだった――。





 ************





 日曜の朝からリビングに居て、テレビの前に座る俺を神楽が訝しげに見ていた。当たり前だろう、今までこんなにテレビを見ようとなんてしなかったから。

「……こーへい、何してるの?」
「……テレビ見てる」
「ニュース番組を付け替えして、それだけな訳ないでしょ?」
「…………」

 確かに、俺はニュースを見続けていた。朝の7時、ニュース番組はちゃんとやっている。

 俺は昨日、夢で船の影を見た。もしも船が壊れていれば、大事故になってニュースに取り上げられてるはず。
 しかし、そんなニュースは今まだ見ていない。夢の話を現実にまで持ち出すのは、考え過ぎだったんだろうか――?

「……ねー、暇だよー。お母さん起きないしさーっ」
「うるせぇ……、暇なら俺の部屋でゲームでもやってろ」
「ゲームって何すればいいのー? こーへいのハードディスクとUSB他の記憶媒体を粉砕すればいいの?」
「お前は何でそんな言葉を知っている」

 妖怪がUSBとか喋る時代なのか。妖怪も随分と先進的になったものだ。

「私は何でも知ってるのです。たまに地上に来て字を勉強したりするし。何百年も経つと、書き方も字画も変わって困るからさ……」
「でも人間と生活することなんて、殆ど無いんだろ? 今回は特例じゃねーの?」
「特例も特例だよ……。こーへい、私に感謝してよね?」
「何を感謝するんだよ。居候の分際で生意気な、お前なんてあだ名を穀潰しにしてくれる」
「アルバイトもしないで休日に悠々自適としてるこーへいの方が穀潰しだよ。アメリカだと中学出たらバイトするのが当たり前なんだよ?」
「それ、結構前の情報じゃね?」
「そうなの?」

 外国なんて行ったことがないので知る由もなく、俺たちは顔にはてなを浮かべて沈黙する。
 流れているのは、テレビの音だけだった。

 《続いてのニュースです。九州沿岸沿いを渡航していたタンザナイト号が、船底に"掴まれた跡"があり――》
「――――」

 不意に流れて来た音声に、俺は言葉を失った。自然と視線はテレビに向けられ、硬直してしまう。写っていたのはそれこそ豪華客船というべき白い船体とその船底にある大きな手の跡。

 そして何より――背景の海は、俺がよく知っている場所。この街の磯貝浜だった。

「――こーへい?」

 名前を呼ばれて、また神楽の方を見た。少女の瞳は暗く虚ろを捉えている。しかし、彼女の目線がテレビへと向けられると、その表情は徐々に悲しいものへと変わっていった。

「……そっか、もうなんだ」

 ポツリと呟かれた言葉、その真意はわからない。しかし、彼女はこの船の出来事を知っているようだった。
 神楽は俺の前で立ち上がり、儚げに笑顔を浮かべて、俺を見下ろしながらこう呟いた。

「――海に、行こうよ」

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