Abalone〜舞姫と影の少年〜

川島晴斗

第十一話:人橋智衣

 その日はただぼんやりとしていた。昼休みになって綾にマザーオブパールについて訊いても答えは返ってこず、ずっとモヤモヤを抱えていた。

「じゃ、私は帰るから」

 綾は昨日の宣言通り、足早に帰ってしまった。美容院の予約があるのだろう。明日は土曜日だから会えないし、髪を切った綾を見るのは2日後になる。いつもと違う綾を見るというのは、少しばかり面白そうだ。

 神楽の方は相変わらず友達と談笑をしていたので、1人で帰ることになる。いつもは綾と一緒の帰り道は、1人だと寂しく感じた。

 海が見えてくると、俺はガードレールに身を乗り出して青い海を地平線まで眺める。神楽のことも、夢のことも、どちらも海の話だ。海は妹の命を奪った憎き存在。しかし、神楽がやってきたことで、悪いことばかりじゃないと思い始めた。妖怪という未知の存在だけど、少なくとも神楽は人間と仲良くしているし、好感を持てる。人懐っこいし、悪いことをしてるわけでもない。

 だから、神楽のことは良い。

 問題は夢の方だろう。
 あの夢は何なのだろうか? 静寂な海の底をひたすら漂う奇妙な夢。夢なのに意識ははっきりしているし、体も動かせるかといえば動かせる。しかし、水中でじたばたしたって何かが変わるわけではない。暗い深淵の底でずっと息を漏らすだけ。

 海、そして神楽という存在。
 もしかすると――

「俺の見てる夢は、沈んだ妹の体が見てる世界なのか――?」

 それなら話は合致すると思った。磯女は神楽という名前で現れた。それは俺の妹、砂賀浦神楽を意識してのこと。そして、俺が見る深海の夢。7年前に沈んだ神楽の体が今頃海の底に有ったって何らおかしなことではない。俺は神楽の視点から夢を見ているのか?

 でも、それに一体何の意味があるだろう。ちょっと変な夢を見るからって、夢は夢だ。特別何かが変わるわけでもないだろう。
 忘れてしまおう――そうして1つ問題が解決し、スッキリしたからか、体が軽く感じられた。

 俺は海から視線を逸らし、視界の開けた帰り路を見る――と、こっちに歩いてくる女が1人居た。
 遠目にわかるのは肩に髪がつくセミロングの黒髪と青いワンピース。ゆっくりと歩いてくるその女性の足取りは優雅なもので――綾の姿を彷彿させた。

 いや、それは当たり前だろう。俺は彼女を知っている。綾があんな風なのだから、

 同じ家に生まれた彼女もまた、優雅なのは仕方ない。

智衣ともえさん」

 近付いてくる彼女の方に俺も歩き、声を掛ける。すると智衣さんも俺の事に気付いて、手を振り返した。

 人橋智衣――市内の新設都立高校に通う現在高校3年生。背は妹の綾よりも低いが、その豊満な胸は妹に負けず劣らず大きかった。綾は鋭い眼光をしているが、智衣さんは綾よりも優しい、丸っこい目をしていた。
 そんな彼女は今、俺の前に立ってげんなりとしている。

「……久しぶりだね、砂賀浦くん」
「ええ、お久しぶりです。で、なんでそんな顔してるんですか?」
「…………」

 智衣さんは顔が引きつっていて、どこか嫌そうにしていた。別に俺の事は嫌いじゃなかったはずだけど、もしかして、彼女の能力・・が故だろうか――?
 俺の予想が的中し、智衣さんはこう答えた。

「――キミが半分、化け物に見える」





 ************





「へぇー、【神楽の磯女】がキミの家に、ねぇ?」

 喫茶店の一席で、向かい合う彼女は興味深そうに呟いてパンケーキを口元に運んだ。綾の姉である智衣さん、俺は彼女に神楽の事を話した。

 智衣さんは、化け物の姿が見える。

 それは幽霊でも妖でも関係ない、化け物が見える。俺は神楽にうろつかれてるからそれで化け物に見えたのかもしれない。
 もしくは――

「――キミの夢、絶対何かあるよ」

 パンケーキを一口飲み込み、彼女は続けてそう言った。夢の事も話したけど、何かあるらしい。とは言っても今の所変化はないし、のんびり構えているのだが……。

「同じ家に暮らしてるからって、キミが半身化け物になるなんておかしい。例えばさ、キミが幽霊に取り憑かれていたとして、ボクはキミ自身が化け物に見えるわけじゃない。その幽霊が近くに見えるだけ。つまり、キミ自身が化け物に見えるって事は、キミは化け物になり掛けてるんだよ」
「いやでも……全然そんな気しませんよ?」
「……そうだね。ボクもさ、こんなケース初めて見るよ。霊に取り憑かれて死にそうな人でも、キミみたいに右半身真っ黒になったりしないから」
「……右半身、ね」

 俺は右手を見つめ、グーとパーを交互に繰り返す。特に問題はないけど、智衣さんから見れば俺の右半身は真っ黒なようで、どうしたものかと考えものだ。
 思い詰める俺を見て突如、智衣さんはクスリと笑う。

「クスッ。キミはボクの言葉を信じるんだね。幽霊が見えるなんて言っても、普通は信じないのに」
「普通じゃない状況だし、智衣さんが嘘をつく理由もないだろ」

 俺の返答を聞くと、また彼女はパンケーキを1切れ口に放り込む。あまり俺の答えには関心がないようだった。

「理性的な見解だね。まるで綾みたいだ」
「綾とは毎日話してますからね」
「ふーん……」

 智衣さんはドスッとパンケーキをフォークで突き刺し、俺のことを睨む。この人は綾を溺愛してるから、綾に近寄る悪い虫が嫌みたいだ。ただ、それだといつまでも綾に友達ができないし、程々にセーブしているらしいけど。

「……ま、キミは死ぬか化け物になるかだと思う。もし化け物になったら、綾から離れてね?」
「……化け物になったらな」
「よい返事だぁ。それじゃ、私は予定通りに買い物して帰るから。勘定はよろしく頼むよ、男の子!」
「…………」

 最後の一切れを口に放り込み、フォークを皿の上に投げると、智衣さんはスタコラと店を出て行った。自由気ままな性格で、霊が見える事もおおっぴらにしている。

 だからこそ、綾は――。

「……まぁ、向こうの家庭事情に首突っ込む前に、俺自身の事情だよなぁ……」

 他人のことを考える暇はない。俺の体もおかしいらしいし、なんとかしなくちゃな……。
 と言っても、なんとかする手段は持ち合わせていない。綾のように、知識が無いとダメなんだ。スマフォじゃ得られない知識、となると本である。つまり、

「図書館だな」

 明日は土曜日、なんの予定も無いのだから行くにはもってこいだ。綾が教えてくれない事も、知ることができるかもしれない。
 ただ問題は、神楽が図書館に付いてくるかもしれないこと。俺が行ったとして、アイツは家でおとなしくするだろうか?

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