Abalone〜舞姫と影の少年〜

川島晴斗

第十三話:3日目の夜

 夜の海は静かでとてもキレイだった。
 幾千、幾万と見て来たこの海だけど、美しさは衰えることなく、飽きることもない。

 その日、たまたま海に木片が流れて来た。陸に着くか着かないかというところを、私は水面の上を歩いて木片を拾った。

 確か――海にまつわるおまじないで、こんなものがあったはず。

 ――海に流れ着いた木片に願いを彫ると、その願いが叶うって――

 ただのおまじない、叶うわけのない願い事。だけどもし、この想いを少しでもぶつけるのなら――

 ゴリッ、ゴリッ――

 私は指で木片に文字を掘り始めた。私は妖怪、尋常ならざる力を持っている。指で木を掘るなど、造作もないこと。

 妖怪がおまじないなんて、そんなの笑い話だけど――

 この願いが届くといいな――。

「――何をしているのかしら?」
「ッ――!?」

 途端に聞こえた流麗なる美しい声。その艶やかな女性の声は私の耳にすんなりと入り、月を背景にする少女に目をやった。

 私の知っている彼女と、少し違った。目までかかった前髪は眉と瞳の間まで短くなり、後ろ髪も膝下まで伸びていたのが腰あたりまでと控えめになっている。美しい黒髪はそのままの色で美しさを増したその少女は、人橋綾だった――。

「……こんな時間に、何してるの?」

 単純に思いついた疑問を投げかける。今は深夜2時を回っている、女子高生が出歩くには似つかわしくない。彼女は怯える様子もなく砂浜に立ち、答えた。

「姉にね、公平くんの話を聞いたの。公平くんは暗い海の中を漂ってるってなら、夜の海に何かあるはず――丑三つ時なら、なおさらじゃない」

 彼女の回答に、私はなるほどと頷いた。丑三つ時は午前2時から2時半の事、今の時間は丁度それだ。

「逆に聞くわ。貴女こそこんな時間に何をしているのかしら――?」

 鋭い声で尋ねられた。今の私は疑われてる事だろう。×××××が見る夢は私のせいなんじゃないかと思われてるんだから。でも、それは違う、本当に私は知らない。
 ここに来ているのだって、ただの散歩のつもりだった。私はこの海に住まう妖怪、この海から見る空の美しさを誰よりも知っている。

 私は空を見上げ、声ではなく、行動で彼女に返答した。

 静かに彼女に、掘った木片を向ける。指で掘ったから文字は汚いけれど、彼女なら読めるはず。そして彼女なら、流れ着く木片に文字を掘るおまじないを知っているはずだ。

 だって彼女は、姉に幽霊とか妖怪とか騒がせないために、その手のスピリチャルな知識を身につけたのだから。

「――――」

 私の見せた木片を見て、彼女は言葉を失い、

 そっと、涙を流し始めた。



「貴女は、そこまで想って――」

 美しい顔を涙がゆっくりと弧を描いて落ち、雫は砂浜に消えていく。悲しませるつもりはなかったのに、バレてしまったのは仕方がない。

「綾ちゃん、今夜の事は内緒だよ――」

 私は彼女に微笑んで、木片とともに姿を消した――。





 ************





 夢だ。また同じ夢を見ている。
 でも、今日は真っ暗というより、黒に近い青色だった。少しは浮上しているらしい。
 しかし、それ以外は変化もなくて、俺はただ1人海の中を漂っている。

 またこうだ。最初の夢では俺の姿をした男が居たけれど、それからはずっと1人で漂っている。会話もなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけ。とても退屈な夢だった。

 ――え?



 なんで最初の時は、"自分の姿を見た"んだ――?



 影――


 自分の姿――


 それって、都市伝説で言う――






 ドッペルゲンガー――?





 ************





 ――神楽は友達と服を買うとか言って、朝から家を出て行った。朝から家を出たのは俺も同じで、俺は図書館の隅に、机の上に本を積み上げて座っていた。

 妖怪にまつわる古びた本を開いては索引から求めるものを引き、調べては閉じる。その作業を繰り返している。喉がひりついても、腹が減っても、手を休める事はない。

 もしも本当にドッペルゲンガーなら、俺は死ぬのだろう。ドッペルゲンガーは見た日から3日でその人物を殺す。今日はその3日目、俺は生き延びる手段を求めていた。

 いざ死ぬと考えると、人間はこんなにアドレナリンが出るんだなって、そう思う暇さえもなくて――。

 ――ドンッ

 突如目の前に本の柱を追加されて、俺は漸く集中が途絶えた。10冊はあるだろう本の柱に手を乗せる人物は、髪を切ってスッキリ見せた人橋綾だった。

「死にそうな顔ね、公平くん。何をそんなに調べてるのかしら?」

 問い掛ける彼女の冷たい声に、俺はガタッと椅子を倒して綾にすがりついた。そうだ、コイツならなんでもできる。俺をなんとかしてくれる――!

「ちょっと、何よ!? こんな所で――」
「綾!!! 俺を助けてくれ!!!」
「…………」

 大声で助けを乞う俺を、綾は不思議そうに見て、それから表情がまた変わる。彼女の表情は真面目なものになって、話を聞いてくれるようだった。

「詳しく、聞かせてくれるかしら――」

【神楽の磯女】、
 謎の夢、
 マザーオブパール、
 ドッペルゲンガー……

 訳のわからない事だらけの俺に耳を貸す綾が、救いの女神のように見えた――。

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