妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)
ep5-020.リーファ奥殿(1)
――きらきら。
朝の陽光が、湖面の上で鮮やかに踊る。
ラウニール湖で冷やされた風が、木々の葉の間を通り抜けていく。林を切り開いた粗末な小路が頂上まで続いている。
ラメル、ツェス、イーリスの三人はゆっくりと小路を登っていた。夜が明けて間もないが、日差しは力強い。木々の緑が光を受けて、くっきりとした輪郭を顕わにしている。
ブーツが夜露を含んで僅かに柔らかくなった土を蹴る度に、薄い足跡を残していく。
ラメルが、真っ青の空を見上げる。齢六十に届かんとするとは思えない程しっかりした足取りだ。彼を四十代だといっても、疑う者は少ないだろう。
「養父、ライバーン王に拝謁するんじゃなかったのか?」
ツェスが我慢の限界を越えたとばかりに尋ねる。王の居城は丁度湖の反対側だ。三人が登っているのは『静謐の丘』の小路。丘の頂上にはリーファの奥殿があるのだが、どうみても其処に向かっている。
「その通り」
「師匠。リーファ奥殿は立ち入り禁止の筈じゃないの?」
イーリスがツェスの思考を先取りしたかのように付け加える。リーファの奥殿は、特別な儀式の時以外は立ち入りが許されていない。イーリスの口調の端々に、疑念の響きが浮かび沈みつしていた。
「今は特別な時なのだ。ライバーン王にはリーファ奥殿で拝謁することになっている」
ツェスとイーリスは、昨日ラメルから依頼された星墜ちの調査の為、ライバーン王と面会することになっていた。具体的な依頼内容と段取りを確認するためだ。
「養父、その星墜ちの件なんだが……。昨日のあの女と何か関係があるのか?」
ツェスは昨日の晩の出来事が頭から離れなかった。宙に浮く魔法を駆使し、いきなり現れた三体もの『異形の魔物』を不思議な筒で釘付けにしただけでなく、剣の一撃で真っ二つにした。敵か味方かも分からない。ただ、あの女が最近噂になっているという『異形の魔物』狩りであることは間違いないように思われた。
だが、彼女が吐く言葉は全く理解できなかった。この世離れしていた。神でも精霊でもないと言っていたが、そうだといってくれた方がまだ理解できた。それに何より、八年前に生き別れになった妹、アクサラインそっくりのあの容姿。指に髪を巻き付けるあの癖まで同じだった。
――やはり、あの娘がアクサラインじゃないのか。
――なにかの原因で記憶を失っているだけじゃないのか。
ツェスには、カゲフネと名乗ったあの少女がアクサラインではないのかとの思いを消すことはできなかった。
星墜ちが異常な出来事であるのは疑いないところだが、ツェスにはカゲフネとの出会いも普通の出来事とは思えなかった。
もしも、星墜ちとカゲフネの出現に何らかの関係があるのなら、星墜ちを調査することで、カゲフネの正体が明らかになるかもしれない。ツェスの心は、既に星墜ちの調査依頼を受ける方に傾いていた。
三人が歩く小路の斜面が次第に緩やかになっていく。急に視界が開け、ラメルが目的の場所に辿り着いたと静かに告げた。
三人の目の前に大きな白い神殿が現れた。
緩やかなカーヴを描いた正五角形の屋根が陽光に照らされ輝いている。
一抱えほどもある細かな装飾が施された幾本もの柱。それが白亜の五角を取り囲むように支えていた。
古びてザラザラになった石柱の隙間から顔を覗かせるのは最近塗り直されたらしき薄緑の大理石。装いも新たになった滑石は、円形に組み上げられて神殿の壁を作っている。大理石のブロックの上半分には金属製のレリーフが填めこまれていた。何かを象っている様だが、ツェスにはよく分からなった。
正面に大きな木の玄関。そこに続く三段程の石階段の両脇に、白い甲冑に身を包んだ騎士が二人、手にした槍を互いにクロスさせる形で玄関をガードしている。王の近衛兵だ。
近衛兵は、ラメルの姿を見ると、槍を上げて、柄を地に立てて、直立不動の姿勢を取った。
ラメルが軽く手を上げて挨拶をし、木の扉を重々しく開けた。
奥殿はホールのような空間になっていた。円形の内壁に沿って、幾本も並べられた石柱が吹き抜けの天井を支える。天井付近の横壁には天窓がいくつも設けられ、外からの光を招き入れていた。床には大理石。正四角形に整形された薄紅と白の滑石が市松模様に敷き詰められ、黒褐色の木の長椅子が並べられている。
一番奥は段になっていて、その上が祭壇になっている。祭壇奥には、磨き上げられた金の台座が置かれ、そこに背丈の三倍程もある乳白色の巨大な彫像が安置されていた。長い髪が風に靡くように大きく後方に流れ、腰の辺りで折り返して正面の膝にまで届いている。胸元近くまで開いた薄手の布を纏った姿が象られたリーファ女神像だ。
女神は目を閉じ、微笑みを浮かべていた。細い首からたおやかな曲線を描いて肩のラインを作り、体に沿ってぴたりとつけられた両腕は、肘の辺りから少しだけ外側に広げられ、両の掌を正面に向けて開いている。
祭壇を降りた床と長椅子最前列にはゆったりとしたスペースがあり、普段は置かれない肘掛けのついた椅子が一つ、特別に設けられていた。椅子は女神像を右手に直角をなす角度で置かれ、白い服の人物が座っている。
椅子の横には同じく白い甲冑の人物が控えていた。
椅子の人物は、白甲冑からラメル達が着いたことを告げられるとゆっくりと立ち上がり、こちらを振り返った。
四十半ばくらいの日に焼けた精悍な男。口髭を蓄えた整った顔立ち。知性溢れるブルーの瞳。威厳に満ちてはいるが不思議と威圧的ではなく、むしろ柔和な印象だ。
「陛下。遅れて申し訳ございません」
ラメルが恭しく頭を下げる。この白服の男こそ、中つ国フォートレートを治める王、ライバーン・フォン・ロイラック・レーベだった。
「ラメル大導師。よくぞ来られた」
リーファ神の信徒であることを示す、ゆったりとした白の法衣を着用したライバーン王は、ラメル達を見て口元を綻ばせる。
「陛下。ツェス・インバースに、イーリス・スィに御座います。昨日精霊契約の旅から戻って参りました」
ラメルは弟子の帰都を報告する。
「ツェスです。陛下、御機嫌麗しゅう御座います」
「イーリスです、無事戻って参りました。御拝謁の栄誉を賜り恐悦に存じます」
ツェスとイーリスがその場で片膝をつき臣下の礼を取る。
「おぉ、半腕のツェスに青い珠を放つ者のイーリスであるか。久しいの。畏まらなくともよい。面を上げよ」
ライバーンはツェスとイーリスを交互に見やると満足そうに頷く。
「しばらく見ぬうちに、逞しくなったな。イーリスよ、良き精霊と契約を結べたか?」
「風のテゥーリと契約いたしました」
「師と同じであるか。それは僥倖であった」
王は視線をツェスに移す。
「ツェス。契約の旅はどうであった?」
「はい。大陸各地を回り、見聞を広げて参りました」
「それは何よりだ。詳しい事は後で聞かせて貰おう。座るがよい」
だが、ツェスとイーリスは長椅子に座らず、その場で礼をとったまま動かない。ツェス達にとって、王の御前では当然の行動だ。ラメルも立ったまま座ろうとしない。
ライバーン王は諦めたように自らの椅子に腰を下ろした。王はツェス達に再度座れと言わず、咎め立てもしなかった。
「普段であれば、こちらからも紹介せねばならぬところであるが、既に汝等は知っておろう」
ライバーン王が隣に控える白甲冑に目配せすると、甲冑の男が一歩進み出る。
こちらも日に焼けた大男だ。ライバーン王も大柄であるが、さらに背が高い。甲冑を身に纏っているが、そのサイズからみて、胸板の厚さは相当なものだ。肩から覗く太い腕は筋肉で隆起しており、唸りをあげんばかりだ。
深紫色の髪は短く刈り上げられ、意志の強そうな瞳には力があった。口を真一文字に結び、一分の隙もない。だが、物腰は柔らかくフレンドリーであった。
「御無沙汰しております。ラメル先生」
甲冑男は深々と頭を下げる。しばらくして、顔を上げるとツェスとイーリスに向き直った。
「ツェス、イーリス、しばらく振りだ。大きくなったな」
甲冑の男はニイッと白い歯を見せた。
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