妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)
ep1-005.半腕の剣鬼(5)
天に咲いた蓮の月。
月は、地平の彼方に沈んだ日の光を乱反射して、幽遠な七色を地に投げかける。
天空の蓮が産み出す虹の光は、漆黒の闇に呑みこまれ、静まりかえっていた緑の山肌を、艶やかに染め直していく。
――ざわり。
風が騒ぎ、梢が踊った。
蓮華の月の七色が、千切れた枝や砕けた幹を地表に浮かび上がらせる。
やがて、朧な光は一人の少女の姿を映し出した。
歳の頃は十五、六。
中肉中背ながら、手足がすらりと長く、白く透き通る肌の質感は瑞々しい若さを主張していた。
成熟にはいま暫くの時間が必要だろうが、既に女性らしいふくよかな身体のラインを十分に身につけている。
小振りの鼻と可愛らしい小さめの唇は完璧に配置され、文句のつけようもない。流麗な曲線を描く眉の下には、未だあどけなさを残した大きな丸い目が収まっている。その奥に、深い知性を湛えた黒い瞳が、全てを見通すかのように透き通った輝きを放っていた。
少女の身を包むのは純白の装束。特上の材質で織られたそれは、両腰に取り付けられた紅の鞘と黒い革嚢との間で、鮮やかなコントラストを描いていた。
詰襟の上着には、銀色に輝くボタンが取り付けられ、肩から腰にかけて縦のラインを飾り、左の肩口には赤い腕章が留められていた。腕章には、何かの紋章と文字らしきものが刻まれている。
何処かの正装だろうか。こんな夜更けの山中を出歩くには、明らかに似つかわしくない恰好だ。
月明かりが少女の背後に巨大な白い影を映し出した。
二本の角を持つ蛇の如き頭。少女を一飲みにできる大口には牙が生え、長い首は甲羅で覆われていた。ドラゴンのような太い胴体には六本の足があり、長い尻尾を従えていた。それは昨日ツェスが倒した『異形の魔物』と同じ怪物だった。
だが、爛々と光っていた怪物の赤い目玉は固く閉じられ、ぴくりとも動かない。
怪物はとうに絶命していた。
少女は手にした業物をひらりと切り返す。
――カキン。
紅鞘の鯉口が、硬い鋼の鍔を銜える。
目の前の可憐な少女が、この巨大な怪物を屠ったなどと誰が信じよう。
びゅう。
少女の腰までもある艶めく深い藍色の髪が風に流れた。手で髪をおさえ、そのまま人差し指にくるくると髪を巻き付ける。
世俗的な所作だ。だが、どこか気品に満ち、優雅ささえ感じさせた。
――これで五体目。
少女の背後で怪物の骸が砂の様に崩壊していく。
少女は振り返ることなく左の手首を返すと、人差し指で軽く撫でた。
ホロプシーが起動し、ホログラムパネルが開いた。
生み出されたときからインプラントされた装置の一つだ。生命維持の為の基本機能が全て内蔵されている。
少女は、黄白色に輝くディスプレイを覗き込み、次の空間次元歪曲の出現予測ポイントを確認する。
――手掛かりはまだ掴んでない。
少女は天の月を見上げた。
半球の上に蓮の花弁を幾重にも重ねたものが浮かんでいる。普通の球体であれば、満月と呼ばれる筈の月齢を迎え、満開の華を咲き誇らせていた。
だが、その美しい蓮華も少女の心を動かしはしなかった。
――エネルギーを無駄にしている。
少女は溜息をついた。
――ダイソンスフィアを組めば、恒星のエネルギーをほぼ百パーセント利用できるのに……。
この世界の文明レベルは、原始人以下だ。ホロプシーによる言語の自動認識と翻訳があったとて、まともな意思疎通など不可能だ。原始人の理解を遥かに超える概念を表わす言葉など存在しないのだから。
だが、こんな取るに足らない虫けらのような世界に『オサフネシリーズ』の試作品にして全ての設計データが保存されている『零番』があるのだ。
――何故。
少女は諦めたように瞳を閉じた。
世界は理不尽で残酷だ。
我々は宇宙の全てを知り尽くしたと自惚れていたのだ。我らの世界が滅亡の危機に瀕しているのも、その報いなのかもしれない。
だが、それを易々と受け入れる訳にはいかない。
――我の存在こそがその証だ。
再び瞼を開けた少女は、そのまま宙に溶けるかのように姿を消した。
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