妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)

日比野庵

ep1-003.半腕の剣鬼(3)


 ――ギガァァァアアアアアアア。

 渦の中から、大きな鳴き声を上げて巨大な怪物が頭を出した。顔は蛇のようだが、頭の上に角が二本ある。口には上下に牙が生えていた。

 怪物はその長い首を擡げた。首には甲羅が重なっている。やがて、ずんぐりとした胴体が現れると甲羅がそこまで続いているのが見て取れた。ドスンと腹を地面につける。脚は三対あるが異常に短く、巨体を支える役には立っていないようだ。最後に続いた尻尾は首よりも太かった。

 怪物は腹を地面につけたまま、身を左右にくねらせて、ズリズリと渦から這い出てきた。

 ――デカい。

 さっきの巨猪ギガボアの二、三倍はある。小型のドラゴン並だ。全身は白に近い銀色だが背中は濃い藍色で、針の様な茶色の体毛が、尻尾の方に伸びている。

「なんだ、あれは?」
「見たこともないぞ」
「新種のモンスターか?」

 ギャラリーがざわめく。中には怪物の異様さに、顔を引き攣らせているのもいる。

「やっぱり、か……こんなところで遭うことになるとはな」

 ツェスの呟きはイーリスにしか届かなかった。イーリスは人差し指と小指を立て、長い方の指を自分の唇に当てた。

「待て、あの位置じゃ巻き添えになる」

 ツェスがイーリスを制止する。怪物の異様さを感じ取ったのだろうか、金ピカ鎧の二人は剣を抜いて構えを取っていた。

「なんだぁ。こいつはぁ」
「村長! こいつも狩れってか」

 顎傷が叫び、耳潰れが振り返る。村長は怯えた表情で頷いた。

「なら別料金だ。分かってるな」
「先生、こいつは俺達にやらせてください」

 金色鎧の剣士二人は『半腕の剣鬼』が頷くのを確認すると、怪物に向かって突進する。

「馬鹿! 止めろ!!」

 ツェスの叫びを無視して、二人の金色鎧は異形の怪物に斬りかかる。『半腕の剣鬼』の余りの強さにてられたのだろうか、自分達も強いのだと気負っているようにも見えた。一人は足、もう一人は腹に狙いをすまして剣戟を見舞った。

 ――ガキン。

 高い金属音が鳴った。金ピカ二人の剣は虚しく怪物に弾かれた。傷一つ付いていない。ドラゴン並なのか、とギャラリーの誰かが呻いた。

「ちっ、硬ぇな。もう一度だ」

 顎傷男が脇に耳潰れが剣を左上段に構えると、気合いと共に一撃を見舞う。先程の猪を仕留めた時よりも数段疾いスピードだ。これならば、とギャラリーの誰もが思った。ツェスとイーリス以外は。

 ――スッ。

 二人の剣は怪物に当たらなかった。いや、正確にいえば。まるで幻を斬ったかのように、剣が空をきったのだ。

 ――!?

 顎傷と耳潰れは再び、剣を振る。またすり抜けた。三度目の剣は当たったが、硬い皮膚に阻まれた。

「ど、どういう事だ?」

 金ピカ鎧の二人は明らかに混乱していた。剣が当たったかと思えば、次の剣はすり抜ける。何度も攻撃しても全くダメージを与えられない。

 様子を見守っていたギャラリーも異変に気づいたのか、騒めき出した。

「おい。どうなんだ」
「どうって言われてもよ。気味が悪ぃぜ、何なんだ、あのモンスターは」

 彼らの顔から、何か異常な事態に巻き込まれているのではないかという不安が滲み出る。

 先程ツェスの隣のテーブルに座っていた年輩の一人が思い出した様に呟いた。

「蛇の頭に六本足……。まさか、あれが『異形の魔物』?」

 年輩の言葉に周りが反応する。

「その話なら聞いたことある。東のボス村を全滅させたってぇ話だ」
「いや、それを殺したのが『半腕の剣鬼』なんだろ。俺はそう聞いているぜ」

 周りの視線が一斉に『半腕の剣鬼』に注がれた。

「先生!」

 顎傷と耳潰れは引きつった顔で『半腕の剣鬼』を呼んだ。『半腕の剣鬼』は剣をすらりと抜くと、前に進み出た。

「退け」

 『半腕の剣鬼』は二人を後ろに退かせると、剣を大上段に振りかぶる。柄を握る右手に力が籠もるのが遠目にも分かった。

 ――ドンッ、ドンッ、ドンッ!!

 爆発音が三度鳴った。『半腕の剣鬼』は目にも止まらぬ速度の剣を一息に三度放っていた。三つに切り裂かれた空気が悲鳴を上げる。巨猪ギガボアを真っ二つにした剣戟が『異形の魔物』に吸い込まれていった。

 ――ガキィィィィーーーーンッ。

 何か硬いもの同士がぶつかった様な音が響いた。異形の魔物の右後ろの木々が折れ、左後ろの土壁が爆発した。それは三度の剣戟のうち一つが怪物に命中したことを意味していた。哀れな怪物は『半腕の剣鬼』によって骸になったと誰もが思った。

 ――だが。

 その怪物は無傷だった。蛇の如き頭、甲羅がついた長い首。異様な棘を蓄えた背、太く長い尻尾。そのどこにも傷らしきものはない。『半腕の剣鬼』の剣など、最初から受けていなかったかのようだ。

 ――ギェアアアアアア。

 怪物はその恐ろしい首を擡げ、天に向かって咆哮する。空気が震え、大地が振動した。あまりの爆音に、居合わせた者は耳を塞いだ。

 ドンッ、ドンッと『半腕の剣鬼』は怪物に何度も剣を震った。あるものは皮膚に弾かれ、またあるものはすり抜けた。その度に周りの木が折れ、土壁に大穴が穿たれた。彼の剣が貧弱なのではない。怪物が異質なのだ。単に皮膚が硬いだけならば、何度も攻撃することでダメージを与える事が出来たかもしれない。だが、この怪物に対しての攻撃は、その多くがすり抜けてしまうのだ。

 一体何が。

その異様な光景に人々は戦慄した。

 二十本程も振った頃だろうか。『半腕の剣鬼』が動きを止めた。バテてしまったのか肩で息をしている。

 顎傷男と耳潰れ男が『半腕の剣鬼』の傍に寄り添う。だが、彼らの顔は恐怖に引き攣っていた。

 ブウン。

 怪物が巨大な躯を反転させ、尻尾を振った。その速度は決して速いものではなかったが、恐怖に飲まれた彼らは動く事ができなかった。そのまま尻尾の一撃を喰らった彼らは小石の様に吹き飛ばされ、もの凄い勢いで地に叩きつけられる。地面が草地でなかったら、きっと骨が折れていただろう。

 それでも防具を付けていたお陰で、顎傷男と耳潰れ男がなんとか上半身を起こすことができた。一方、防具を付けていない『半腕の剣鬼』はうつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。

 顎傷が『半腕の剣鬼』に声を掛けるが反応がない。耳潰れが顔を上げると、怪物が今にも喰わんとばかり大口を開けた頭を近づける。

「ヒイィ」

 顎傷と耳潰れが『半腕の剣鬼』をその場に置き去りにして、必死の形相を浮かべて群衆の所に逃げ込んだ。

「た、助けてくれ……」

 涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら二人は懇願した。豪奢に見えた金ピカの鎧も、今や己れを飾るだけの哀れな装飾だ。

「どうされたのですか。貴方達は半腕の剣鬼様の……」

 焦った表情で問う村長に、顎傷はとんでもない事を口にした。

「違う! 違うんだ! 俺達は『半腕の剣鬼』じゃねぇ。あいつも偽物だ。ちょっとばかし腕がたって、片腕だったから、そう名乗っていただけだ。俺達はただの冒険者なんだ」
「何ですって!」

 一同に緊張が走る。

「偽物だって!?」
「本当に『半腕の剣鬼』じゃないのか」
巨猪ギガボアを一撃で片づけたんだぞ」
「でも、あの怪物は巨猪ギガボアどころじゃないぞ」
「俺達もボス村みたいに全滅するのか」
「なんてツイてないんだ。選りに選ってうちの村にあんな怪物が……」
「もう駄目だ。逃げよう」

 あちこちで逃げる算段を始める観衆を横目に、ツェスはやっと乾いたばかり頭の髪を掻いた。

「しゃあねぇ、行ってくるわ。イーリス、サポートを頼む」
「任せて」

 ツェスはゆっくりと前に進み出る。

「お、おい! お前、何するんだ。やられちまうぞ!」
「死ぬ気か? 戻ってこい!」

 ギャラリーの警告を受けても、ツェスは一向に歩みを止めない。

「旅の方、早く御逃げください。此処に居ては、危のうございます」

 オロオロする村長を余所に、イーリスが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「貴方達、運がいいわ」

 観衆の視線がイーリスに集まる。不意に吹いた風に髪を抑えながら、翠色の髪の少女は振り返った。

「だって、本物の『半腕の剣鬼』が見られるのよ」

 イーリスのショートカットが揺れ、その先端が陽の光を受けてきらきらと輝いた。

「じゃあ、始めるか」

 ツェスが腰の剣を抜いた。
 

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