妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)
ep1-001.半腕の剣鬼(1)
――もう、どのあたりまで来ただろう。
山越えだから多少は涼しくなるだろうと思ったが甘かった。こんなに気温が上がるとは誤算だった。一息入れたいが、手頃な場所もない。相棒の軽口も少し前から鳴りを潜めている。
  額に浮かぶ汗を乱暴に手で拭う。拭き漏らした汗が頬に走る横傷を流れていった。忌々しげに空を見つめてみるが、それで日差しが和らぐ筈もない。雲一つない晴天はいつもより高い。
「暑いな……、いや熱い」
高い角度からの日光がジリジリと肌を焼く。帽子を被ってはいるが、鍔が日差しを全て遮ってくれる訳ではない。もう少し鼻が低ければ、日焼けも軽く済むのだろうか。峰の間を縫うように走る街道はどこまでも果てしなく続いている。遠くに見える景色も、朝か夕であれば、きっと気分を和ませてくれたに違いない。だが、それも間近に降り注ぐ陽光に溶かされ、揺らいでいた。
まだこの辺りは切り立った断崖ばかりで日陰になるような場所は殆どない。ただ、崖下を流れる河の御蔭なのか、時折、噴き上げる風があることだけが救いだ。
腰のロングソードが重い。投げ捨ててしまいたい衝動に駆られるのをぐっと堪える。それでも柄に手を伸ばしてしまった。柄に巻かれた滑り止めの革紐が擦り切れていた。この前、巻いたのは何時だっただろう。そろそろ交換しても良い頃合いだ。
「もう少しいけば、村があるわよ、ツェス」
「……キビエー村か」
「えぇ、そうよ」
「イーリス、もう少しゆっくり歩いてくれ。暑くて敵わん」
 
前を歩く若い女、イーリスは一旦足を止めると、腰に手を当てて振り向いた。明るい緑のショートカットが揺れる。彼女のサラサラの髪は先端だけ銀色だ。グリーンを彩るしろがねは、まるでラメのように陽光を反射してキラキラと光っている。
「なによぉ、情けないわね」
イーリスは、大きな栗色の瞳で護衛を務めるツェスを詰った。彼女の雪の様に白い首筋にも大きな汗が玉になって浮かんでいる。彼女の服は、薄い青で染められた膝上丈の袖なしワンピースだ。腰の辺りを黒い紐で絞っている。夜はマントを羽織るが、その程度の軽装だ。左程厚くないとはいえ、白い長袖チュニックの上に皮鎧を付け、荷を担いだツェスとは熱の籠り方が違う。ついでにいえば、ツェスの黒髪はイーリスの緑髪よりずっと熱を吸収する。
「こちとら荷物があるんだ。代わってくれるのか?」
「そんなこと出来る訳ないでしょ」
イーリスはツェスの申し出を当然のように拒否した。反論など許さない口振りだ。ツェスはいつもの事かと苦笑した。
二人は互いに難しそうな顔をして、それでも足を止めることなく道を進んだ。街道に迫るゴツゴツした岩壁が木々の茂る山肌に代わる頃、木と漆喰の白壁で出来た建物が一所に集まっているのが目に入った。
「ツェス」
「着いたか」
イーリスの声は弾んでいた。眉間の皴は何処かに消え、ほっとした顔を見せていた。やっと休める。早く行こうと、お互いに一言も喋っていないのに、まるで示し合わせたかのように村に向かって歩みを速めた。日差しは一向に和らぐ気配を見せない。陽が沈むまでまだたっぷりと時間がある。
少しばかり休んだところで罰は当たるまい。
◇◇◇
 
キビエー村は、峠の中腹に位置する村だ。付近の山からの豊富な湧き水を利用した棚田が広がり、穀物を栽培している。秋には豊かな穂を実らせ、その茶色の殻の中には、乳白色をした楕円形の身が詰まっている。村人はそれを石臼で挽いて粉にして食用にする。中には身のまま蒸して食べるのを好む者もいるのだが、ツェスはまだ試したことがない。
キビエー村は王都へと続くバステス街道沿いにあり、殆どの旅人はこの村で一息入れる。村人もそこら辺は心得たもので、村の入り口に茶屋を拵えて、旅人に水や簡単な食事を提供している。もちろん幾ばくかの金は取っている。
この村には名物がある。棚田から穫れる穀物の身を擂り潰して水で練り、丸めたものを蒸し上げた団子だ。この村を訪れる旅人は皆、この団子を村の名前を取って『キビエー』と呼ぶ。
「お疲れ様です。旅の方。お水をお持ちしましょうか?」
茶屋の長椅子にどっかと腰を降ろしたツェスとイーリスに茶屋の娘が声を掛ける。二人がびっしょりと汗を掻いているのが目に入ったのだろう。ツェスが頷くと、娘は注文を取るのも忘れ、水を汲みに茶屋の奥へと消えた。
茶屋は意外と広く、二、三十人は一度に入れる程のスペースがあった。チェダというこの辺りではふんだんに採れる木材から作った四脚のがっしりしたテーブルが五つ程置かれ、その長辺側に同じ木で作った長椅子がある。どれも一枚板から作られていて、継いだ天板はない。
茶屋には、ツェス達と同じく、暑さから逃げてきた旅人が三人程いた。此処に来るまでの街道で何人もの旅人や冒険者達とすれ違ったのだが、糞暑い中、彼らは皆どこか急いでいる様子だった。
  ――この辺りの峠で休めるような所は此処だけだった筈なんだがな。
妙に客が少ないなとツェスは店内を見渡した。
茶屋の天井は高く、縦横に太い梁が通っている。梁と柱は腐りにくくするために火で炙ってあり、焦げ茶に染まっていた。壁は村の他の住居と同じく漆喰で固められていて、しっかりした造りだ。とても片手間で造った代物ではない。大勢の客がくることを前提として建てられたものだ。
「前に来たのは、いつだったかな?」
「三年前よ」
イーリスは自分の手の平でパタパタと扇ぎながらつまらなそうに答えた。ツェスも脱いだ帽子を団扇代わりにしていた。ボサボサだった髪が汗でべっとりと頭皮に張りついている。
「前は、壁もない掘っ建て小屋だった。それでも、もっと客がいた覚えがあるんだが……。変わるもんだな」
「変わらないのは貴方の鈍さよね」
「お前の減らず口もな」
二人が軽口を叩き合っていると、先程の茶屋の娘が水を二つ持って戻ってきた。
「お待たせしました」
水の入った杯を二人の前に置く。チェダを真四角の板にして、それぞれの辺に臍をつくって組み合わせた杯だ。臍に少しでも隙間があると、水が零れてしまうのだが、杯の辺は隙間なくぴたりと合わされ、繋ぎ目には蜜蝋が薄く塗られていた。水が並々と注がれていたが、一滴も漏れる気配はない。見事な加工技術だ。
二人は杯を手に取ってぐいと飲み干す。冷たい液体が喉を流れ落ちた。
  ――旨い。
暑い中を散々と歩いた後だけに格別だ。
「もう一杯貰えるか」
当然のようにお代わりを要求したツェスをイーリスが窘める。
「ツェス、だから貴方は鈍いって言ってるのよ。水だけ頼む積もりなの?」
イーリスはツェスを少しばかり睨んだ後、取り繕うかのような笑顔を浮かべて茶屋の娘に尋ねた。
「ご免なさいね。お茶をお願い。冷たいのをね。あと……何か食べられるものある?」
「はい。緑茶でよろしいですか? 丁度、二番摘みの時期で、味も香りもコクも十分ですし、お勧めですよ。お食事は団子しかありませんけど……」
「それでいいわ。二人分ね」
茶屋娘が店の奥に引っ込んだのを見届けると、ツェスは黒の瞳をイーリスに向けた。
「俺が団子を食べたいって、何時言ったんだ?」
「貴方の顔見てりゃ分かるわよ。何年一緒に居ると思ってるの?」
ツェスとイーリスは、小さい頃から高名な大魔導士の下で、一緒に修行をした仲だ。大魔導士は、魔法理論だけでなく、読み書きや算術を手解きした。更には、知り合いの騎士を呼んでは剣術稽古をもさせた。そんな修行生活が五年程続き、それから二人で三年にも及ぶ旅を続けてきたのだ。お互いの性格も能力も知り尽くしている。
「お待ちどうさまです」
しばらく経ってから、茶屋娘が木板を加工したお盆を持ってきた。長方形の板の四隅に細長い板で縁をつけた簡単なものだ。これも杯と同じく臍で繋いである。お盆の上には緑茶が入った杯が二つと、団子が十個程乗っていた。その脇には丸太をくり抜いた小さな椀。中に蜜が垂らしてある。
「水出しの緑茶と団子です。蜜はお好みで付けてお召し上がりください」
茶屋娘は小さくお辞儀をした。イーリスがありがとうといって、王国青銅貨を四枚渡す。茶も団子も一品につき青銅貨一枚。算術を知らなくても困ることはない。
ツェスは団子を摘むと、無造作に口に放り込んだ。一口サイズだ。噛み切るまでもない。微かに草の香りが鼻孔を抜けていく。感じるか感じないかギリギリの塩味が舌の前側両端を刺激した。
イーリスは団子に蜜を少し付けてから両手で持ち、はむはむと齧るように食べている。
「いらっしゃいませ」
さっきの茶屋娘だ。別の客を案内している。新しい客は年配の男で、ツェスとイーリスの隣のテーブルにゆっくりと腰を降ろした。きちんとした身なりをしているが、額には汗が吹き出ていた。この暑さだ。仕方ない。
満員になるまでは此処で休もうかと店内をぐるりと見渡したツェスは、おやとばかり眉を上げた。新しい客の注文を取って、厨房に戻ろうとした茶屋娘を呼び止める。
「あそこの席だけ他と違うようだが、何かあるのか?」
店内の一番奥まった所に、誰も座っていないテーブルがあった。赤い敷布が四つの角を端から垂らす形で天板に敷かれている。何も敷いていない他のテーブルとは明らかに扱いが違う。よく見ると椅子も長椅子ではなく、肘掛けこそなかったが、背もたれのついた一人掛けの椅子が並べられていた。
「はい。有名な冒険者様がいらっしゃるとのことで、予約席とさせていただいてます。申し訳ありません」
「冒険者?」
「はい。私は詳しいことは存じませんけれども、強い剣士様ということです」
「ほう」
給仕の娘は、そっとツェスに近づくと、ここだけの話ですがと切り出した。
「近頃はこの辺りにもモンスターが出没するようになりまして、時々、旅人が襲われたりしているんです。称号持ちの冒険者の方でも大怪我をするくらいの強いモンスターらしくて。放っておいたら、旅人も村に立ち寄らなくなるからと、退治するために村長様がお呼びになったんです」
「イーリス、何か知っているか?」
ツェスはイーリスに水を向けた。
「知らないわ」
イーリスは興味なさそうに茶の入った杯の角に口を付ける。もしかしたら、客が少ないのはそのせいか。それなら、ここに来るまでにすれ違った旅人達が妙に急いでいたのも合点がいく。
本来なら多くの旅人が休息を取る筈のこの村でモンスターが出没するとなると討伐を考えるのは当然だ。どんな凄腕の剣士がくるのか知らないが、早めに退散した方がよさそうだ。そうイーリスに伝えようとしたツェスの思いは、残念ながら叶わなかった。
◇◇◇
何やらガヤガヤと外が喧しい。ツェスとイーリスが声のする方を見ると、茶屋の入り口から、数人の男が入ってきた。先導する中年の男は、恰幅があり、こざっぱりした薄紫色の半袖シュルコを着ていた。
「村長様です。剣士様がお見えになったみたいです」
茶屋の娘は、まるで雲間から光が指したかのような明るい笑顔をその男達に向けた。
「さぁさ、こちらへどうぞ」
村長が腰を低くして、三人の男を予約席へ案内する。三人の男のうち二人が身につけている防具は金ピカに輝いていた。まさか本物の金ではないだろうが安物ではあるまいとツェスは値定めした。
だが、ツェスの視線は最後の一人に注がれていた。
一番最後に続いた男は鼠色のチュニックに黒のズボンを履いている。防具の類は一切付けていない。腰には分厚い刀身のロングソードをぶら下げている。銀の長髪の隙間から覗く眼光は全てを射抜くかのように鋭く、他を威圧していた。袖から、よく日に焼けた右腕が伸びていたが、その筋肉は異様な程に盛り上がっていた。
しかし、彼の最大の特徴は他にあった。左腕に当たるところがぽっかりと空いていたのだ。
――隻腕。
長髪は片腕の男だった。チュニックの左袖が、餌を求める雛鳥の様に口を開けていた。周囲の客がざわざわと騒めいた。
「アリーシャ。お茶をお持ちしなさい。奥にとっておきの被せ茶があっただろう。ああ、あれにしなさい」
村長が茶屋娘に指示を出す。娘はツェス達に失礼しますと一礼すると、慌てた様子で店の奥に入っていった。
「まさか……いや、間違いない。噂通りだ」
今さっき、隣のテーブルに案内された年輩の男が驚いたような声を上げる。彼らの視線は隻腕の男に集中していた。興奮しているのか、彼の顔は赤みを帯びている。
「すまないが、あいつを知っているのか?」
ツェスは隣のテーブルに座った年配に失礼を承知で尋ねた。年輩の男は、ツェスの心配を他所にすんなりと返答してくれた。
「直に面識があるわけではありません。ですが噂の御仁で間違いないかと。貴方は『半腕の剣鬼』の話を聞いたことはありませんか?」
イーリスがぴくりと反応した。ツェスは僅かに眉を顰める。
「長旅の途中でね。そんなに有名なのか?」
「私も伝聞でしか聞いたことがないのですが……。昔、ある村が見たこともないモンスターに襲われ、壊滅したことがあったそうです。しかし、あわや全滅という時、一人の片腕の剣士が現れてそのモンスターを退治したのだそうですよ。生き残りによると、その剣士の戦い振りは、鬼神をも黙らせる凄まじいものだったそうで、とても人間とは思えなかった、と」
年輩男の話に一瞬だけ忌々し気な表情を浮かべたツェスは、イーリスの耳元に顔を近づけた。
「イーリス、そんな噂になっているのか?」
「あたしに聞かれても知らないわよ」
ツェスはイーリスにしか聞こえないように小声で話したのだが、イーリスは、少しむくれた顔できっぱりと答えた。イーリスは年輩男を問いつめるかのように身を乗り出した。
「ねぇ、おじさん。その片腕の剣士さんは、どうして『半腕』なの? 片腕の剣士でいいじゃない」
「はて。そう言われてみればそうですな。まぁ、噂ですしね。どこかで尾鰭や背鰭が付いたのかもしれませんな」
年輩の男はからからと笑ってみせた。あるいはイーリスの視線を躱す意図があったのかもしれない。
噂の『半腕の剣鬼』は、奥の予約席に腰を降ろす。お付きらしい二人も彼の両隣に座った。隣の二人は椅子の背もたれに身を預け、そっくり返っている。
金ピカ二人は共に短髪でがっしりした体格だが、右の金ピカは片方の耳が潰れ変な形になっている。左の金ピカは鼻筋が少し曲がっていて、顎に大きな傷があった。その風体はいかにもベテランの冒険者のそれだ。
ふんぞり返っている左右の金ピカに対して、真ん中の隻腕の男は、一言も発することなく、静かに座っている。これみよがしの鎧男達に両脇を挟まれているからか、防具を一切纏っていない『半腕の剣鬼』の姿は酷く不釣り合いなものに見えた。しかし、それが返って彼の凄みを感じさせた。
さっきの茶屋娘が茶を四つ持って戻ってきた。震える手で『半腕の剣鬼』一行と村長に茶を出すと、深くお辞儀をして退いた。
「ようこそいらっしゃいました。私がこの村の村長ルサンドです。村を代表して貴方様を歓迎いたします」
村長が平身低頭で挨拶する。左の顎傷男が奴隷でも見るような見下した視線を村長に投げつけた。
「で、何を狩ればいいんだ?」
「は、はい。このところこの界隈に巨猪が出没するようになりまして、大変困っているのです。普通の猪であれば、村の若い衆でなんとか追い払えるのですが、奴は大の大人も見上げるくらいの大物でして、村の男達では手に負えません。奴が出没するようになってから、おちおちと田畑で働けなくなりましたし、村に立ち寄られる旅人もめっきり減りました。このままではこの村は立ちいかなくなってしまいます。何卒、奴を狩っていただきたいのです。貴方様に巨猪を狩っていただければ、また元の元気な村に戻るでしょう」
村長がテーブルに両手をついて頭を下げる。店内の客がえっとばかり注目する。ざわざわとした雰囲気が店内を包んだ。
「へぇ」
ツェスがイーリスにも聞こえない程の小声で呟いた。普通、モンスターの討伐依頼など、人様の前で、あからさまにお願いする類のものではない。近くに出没するモンスターの討伐であれば猶更だ。第三者にとっては、自分達のいる場所が危険に晒されていることを意味するからだ。
だが、この村長は、客足が遠くなった原因である巨猪をおおっぴらに狩ってみせてそれを噂にして流すことを選んだ。そうすることで、去っていった客を呼び戻そうとしているのだろう。悪評はモンスター狩りをした噂で打ち消してやる。なかなかどうして、気弱そうな顔をしているがこの村長、したたかに計算している。
「そいつは、いつも出てくるのか?」
「此処の所は、二、三日おきに、村まで下りてきています。数日こちらに滞在くだされば、その間には必ず。すでに今朝から村の若い衆で山狩りをやっております。うまくすれば、今日明日にでも……。」
「それほどの大物であれば、報酬はたっぷりと弾んでくれるんだろうな?」
右の耳潰れ男が、恫喝するかのように、金ピカの脛当てを着けた脚をテーブルの上に投げ出した。
「は、はい。もちろん、村で出せる精一杯の報酬を御用意させていただきます」
村長は懐から皮袋を取り出して、中のものをテーブルに開けた。チャリチャリと金属音が聞こえた。遠目で良くは分からないが、音からして金貨か銀貨でも積んでいるのだろう。
「なんだこりゃ。こんな端金じゃ話にならねぇな。この三倍は持ってこい!」
耳潰れ男がテーブルに乗せた脚を少し浮かせ、踵をドンと叩きつけた。隣に置かれた杯が揺れ中の茶が少し零れた。茶は天板の敷布が黒い染みと引き替えに吸い取ってくれた。だが、音までは吸い取れない。
店中に響く耳潰れ男の大音声に周囲のざわめきがピタリと止まる。その場にいた誰もが、固唾を飲んで奥の席を見守った。
「あ、あの、ですが、村ではこれが出せる精一杯の額で……」
耳潰れ男の声に圧倒されたのか、こんな金では受けられないと言われた失望からなのか、村長の声は震えていた。
「行きやしょうや、先生。こんな小銭で先生を雇おうなんて、とんでもねぇ野郎だ」
耳潰れ男は、半腕の剣鬼と思しき男を先生と呼ぶと、脚をテーブルから降ろして立ち上がる。
左の顎傷男は、テーブルに積まれた硬貨を鷲掴みした。
「村長さんよ。こんな田舎に『半腕の剣鬼』様を呼んだ手間賃だ。今回はこれで勘弁しておいてやる。次はちゃんと相場を調べておけ」
顎傷男は右の腰にぶら下げた巾着袋の口を開け、掴んだ硬貨をジャラジャラと流し込む。
耳潰れ男もとんだ無駄足だったと捨て台詞を吐いて腰を上げる。次いで真ん中の『半腕の剣鬼』もゆらりと立ち上がった。
「お、お待ちください。残りのお金は後で必ず、必ず御用意いたしますので、なにとぞ、なにとぞ」
村長が懇願する。一体いくら積んだのか分からないが、街道沿いにあり、少なくない旅行者が立ち寄ってきたこの村なら、そこそこの金額を用意できる筈だと思われた。顎傷男が口にした相場という言葉が、妙にツェスの耳に残った。
「あぁ? 『半腕の剣鬼』様を呼んでおいて、その言い草はなんだぁ。もう話は終わった、とっとと失せろ!」
耳潰れ男が冷たく言い放つ。必死に取り縋る村長を乱暴に振り払い、店を出て行こうとする三人。だが、不意に彼らを詰る声があった。
「はん、とんだ『半腕』もあったものね」
イーリスが頬杖をついて、呆れたように言った。彼女のよく通る高い声は、三人組の耳にしっかりと届いていた。
「あぁ? 今なんて言った!」
耳潰れ男がもの凄い形相でイーリスを睨んだ。その怒声には女であろうと容赦しないぜという響きが含まれていた。
「大金をふっかけて、小銭を巻き上げるチンケな冒険者がいるっていったのよ」
「あぁ?」
イーリスに詰め寄る耳潰れ男にツェスが割って入る。
「止せ」
ツェスが左手を上げて、耳潰れの金ピカを制止する。もう一人の金ピカと『半腕の剣鬼』も何だとばかり顔を向けた。
「野郎、退け!」
耳潰れが乱暴にツェスの腕を払いのける。カチンと金属性の音がした。
「あぁ!?」
耳潰れ男が払いのけたツェスの腕を掴んで、裾を捲った。ツェスの左腕の手首から肘に掛けて、細長い黒の金属プレートがぐるりと取り囲んでいる。
「籠手か?」
耳潰れ男がおやという顔をした。金属の籠手を着けた剣士など珍しくはない。剣士同士で斬り結ぶときなど、手を護る籠手があるとないとでは全然違う。だが、籠手には手の甲を守る部分も付いているのが普通だ。
だが、ツェスの『籠手』は手首から肘迄をガードするだけで、手の甲や指先には何も無かった。その事に瞬時に違和感を覚える辺り、耳潰れ男も経験を積んだ冒険者と言えよう。
――カタカタカタ……。
金属同士が小さくぶつかる音が鳴った。ツェスの左腕が小刻みに振動している。
イーリスが一瞬不安そうな眼差しをツェスに向けた。ツェスはイーリスを一瞥して、心配ないと目で答える。
「はっ、この野郎、震えてやがるぜ。こいつはお前の女か。一晩俺に貸すってのなら、許してやってもいいぜ」
ツェスがビビっていると思ったのか、耳潰れ男が挑発した。その表情からツェスを完全に舐めきっているのが見て取れた。
耳潰れの後ろで顎傷男がヘラヘラと薄ら笑いを浮かべ、『半腕の剣鬼』は銀髪の隙間から冷たい視線を投げつけていた。
「詰まらん争いをする積もりはない。連れが失礼を言った事は詫びる」
「あぁ! 今更謝っても遅ぇんだよ!」
耳潰れがぐいとツェスの腕を引っ張って立たせた。鼻息が掛かるくらいまで顔を近づけて恫喝する。しかし、そんな一触即発の危機を逸らしたのはイーリスの一言だった。
「どうでもいいけど、あんた、そんな事している暇あるの?」
「あん?」
「お客さんが来たみたいよ」
イーリスが親指で外を指した。何やら騒がしい。遠くで叫ぶ声も聞こえる。突然一人の若者が店内に飛び込んできた。
「ルサンド村長はここですか!? 出ました! 巨猪です!」
店内の客が一斉に立ち上がった。
 
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