夢ノ城ノ中ノ部屋ノ君ノ声

陽本奏多

夢の話

 兎が笑っていた。
 無機質な、笑っているのに笑っていない目で、俺を笑っていた。
 笑っていた。笑っていた。わらっていた。わらって、わらった、わらって、わらっていた、わらってわらてあわらわらたわらって――

「ああああああああああ!」
「ようこそ、裏野ドリームランドへ!」

 すぐさま走った。俺は踵を返して走った。目に入った扉に全力で駆けた。
 永遠のようにも感じるその道を、俺はもがいて、必死に体を捩じって駆けた。
 半ば体当たりのような形で扉を破り、俺はその中へ。そして、そのままその奥へ倒れこんだ。
「ひゃぁっ!」
 扉の固い感覚の後、予想外の柔らかな感触。俺はそれとともに床に。
「いた……、んっ……? どうしたんですか、櫂さん」
「り、理沙……? ――っ! 逃げろっ! 早く! あいつが来る前に!」
「あいつ……? あいつって何のことですか?」
 はてと首をかしげる理沙。それに俺は、倒れこんだまま、後ろに体をよじり、指をさす。
「あいつだよ! あい、つ――……」
「……櫂さん? あいつって何ですか?」
「そこに、今……兎が……ラビが……」
「? なんにもいませんよ。怖いのはわかりますが、しっかりしてください」
 そんな理沙の言葉に、俺は落ち着きをとりもどし、まわりを確認する。いま飛び込んできた扉の向こうを見ても、さっきのあいつはいない。
 ちなみに、俺が飛び込んだのは、理沙と愛美華が入ったほうの扉だったらしい。こちら側も、俺と朝倉が入った場所と同じように、長い廊下に三つ扉があった。違うのは、廊下の右側に扉がついているところくらいか。
「まったく……恥ずかしくないんですか? そんな取り乱して」
「すまん……もう大丈夫だ」
 とりあえず理沙に謝って起き上がる。さりげなく理沙に手をさし伸ばしてみたが、残念ながら完全に無視された。
 しかし、あの兎は何だったのだろう……? 急に現れて、笑いだして……って、
 そこで俺はこちら側に来た当初の目的を思い出した。
「理沙! 愛美華は!」
「え? 愛美華さんはあそこの部屋のなかですけど……あっ、待ってください!」
 すぐさま理沙が指さした扉に入ろうとする俺。しかし、理沙に右手をつかまれそれは阻まれた。
「櫂さん、遥さんは……遥さんは大丈夫なのですか!?」
「朝倉? 朝倉がどうしたってんだよ」
 いつになく必死そうな理沙。そんな彼女に再び問いをぶつける。
「えっと……もうっ、こっちに来てください!」
 理沙はつかんでいた俺の手を引いて、二つ目の扉に手をかける。迷いなく扉を開く彼女に続いて、俺はかすかな青白い光が漏れるその中に入った。
「ここ……」
 そう呟く俺の眼にまず入ったのは、壁に一面にかけられたたくさんのディスプレイだった。これって、まるで……。
 そこまで考えた俺だったが、その思考は隣にたたずむ理沙によって遮られた。
「え……なんで……愛美華さん……? 愛美、華さんっ! どこですか!? ねぇ!?」
「……? どうした、理沙」
「か、櫂さん……愛美華さんが……」
 隣からこちらを見上げる理沙の瞳は、あまりにも必死だった。
「だから、その愛美華がどうしたんだよ。あと、朝倉がなんとかってのは何なんだ?」
 そうゆっくりと問いかけると、理沙はなにかもごもごと言おうとしていたが、俺にまったく伝わっていないのがわかったらしい。理沙は一度、大きく息を吸い込んで、大きく吐いた。
「落ち着いたか?」
「はい……すみません」
「じゃあ、最初から聞かせてくれ。愛美華がどうしたんだ?」
 そう尋ねると、理沙は一度俺から視線を外し、部屋の中に向けた。
「さっきまで、愛美華さんはこの部屋の中にいたんです。なのに、私が部屋を出て、櫂さんにタックルされて、ここに帰ってきたら……」
「なぜかいなくなってた、ってことか」
 はい、と頷く理沙。疑問、というか明らかにおかしい点は多いのだが、そこを尋ねていては話が進まない。俺はその後無言を返し、理沙に話を促す。
「それで、遥さんのことなんですが……これを見てください」
 理沙が指さすのは壁に掛けられたディスプレイ群。そこで、俺は改めて納得する。この部屋は、俺と朝倉がさっきまでいた部屋とまったく同じ部屋だ。でも、なんでこんな部屋が二つも?
「櫂さん、大丈夫ですか?」
「……あぁ。続けてくれ」
「はい。このディスプレイはこの城の内部を映す監視映像のようなもののようです。このなかのひとつ、これです」
 理沙はたくさんのディスプレイのうち、一つを指さす。
「これが、どうした?」
「……このなかにさっき、遥さんが映っていたんです ――まるで、何かに怯えているようでした」
 そう聞いて、絶句した。
 俺の頭の中で、さっき見た愛美華の姿と、理沙の言う朝倉の姿がぴったりと重なった。
 もしかして、俺が朝倉を置いてきたから、あいつも愛美華と同じように……。
 ということは、俺が朝倉を――? 
「――さん、櫂さん! しっかりしてください!」
「ん……あぁすまん。少しぼーっとしてた」
 そんな俺に、小さく鼻を鳴らして理沙は続ける。
「櫂さん、それであなたはなぜこちら側に来たのですか? あちらの扉の奥には剛さんはいなかったのですか?」
「いや……まだ全部は調べてない」
「じゃあ、なんでここに?」
「お前と同じ理由だよ」
 この言葉に、理沙は首をかしげる。さすがの彼女もこれだけでは伝わらないか。
「俺も、何かに怯えた愛美華をディスプレイで見てこっちにきたんだよ。お前も、怯えた朝倉を見て、あっち側に行こうとしてたろ?」
「なるほど……って、あちら側にもこんな監視室が?」
「あぁ、そうだ」
 怪訝な顔の理沙に、頷く俺。淡く、青白い光に包まれた暗闇の中、俺たちはしばし黙りこくった。
 沈黙の中、俺は考える。
 朝倉が今現在どうなっているのかはわからない。はっきり言って、何が起きているかなんて予測不能だ。俺があの時、冷静になって朝倉を説得していたら、もしかしたら今も隣にいてくれたかもしれない。なのに、なのに……。
 そこで思考を止めて、どつぼにはまりそうな自分を制する。今考えることができるのは消えた愛美華の謎だ。
 理沙の話によると、俺と理沙が廊下でぶつかっているとき、愛美華はここの部屋にいたはずなのだ。なのに、俺たちがこうして部屋に入ってくると、そこには誰もいなかった。なら、考えられるのは一つ。
 俺は、先ほどディスプレイで見た、愛美華が腰を抜かしていた場所に座り込んでみる。
「何してるんですか?」
「まぁ、見てろって」
 そうして、彼女がしていたようにゆっくりと後ずさる。
 一つ……二つ……三つ、後ずさったとき、手の下で、カタンという何かがずれる感覚があった。
 そして、そこの上に敷かれたマットを端からはがしてみる。
「これ……!」
「あぁ、開くぞ?」
 そこから出てきたのは、鉄の枠だった。その端には小さな取っ手が取り付けてある。
 俺は立ち上がって、それをゆっくりと開いた。そこから出てきたのは、人が一人ぎりぎり通れそうな縦穴だった。その壁には梯子はしごが下まで設置してある。
「行くか……?」
「もちろんです」
 頷く理沙を確認し、俺はその梯子に足をかけた。
「下りきったら合図出すから。そうしたら下ってきて」
「え……? 私もすぐに――」
「馬鹿か。下に危険があって、二人一緒にやられるかもしれないだろ。ほかの奴らを探せなくなったらどうすんだ」
 あえての厳しい言葉。そこに込められた俺の意思を感じ取ったのだろう。彼女は小さくうなずいた。
 梯子に手をかけ、ゆっくり下る。その中で、俺は考えた。なんでさっき俺はあんなこと言ったのだろうか、と。しかし、その答えはすぐに出た。なぜなら、この下に剛の言っていた『あの部屋』があって、そしてそこに佇む兎の姿が脳裏に浮かんだからだ。
 手汗で滑りそうになりながらも、俺はゆっくり一つ一つ下っていく。
 冷たい手すりと、下から漂ってくる鼻をつく刺激臭。くらくらしてくる頭を俺は何とか制して、下っていく。
 そして、下に足がついた。そこを包むのはひどい匂いと暗闇のみ。
 だんだんと、目が慣れてくる。あまりにも静かなその空間に、耳鳴りまでする。
「だ、だれっ?」
 その暗闇の中から声がした。
「もしかして……櫂?」
「愛美華、か?」
 やっと暗闇に慣れた目をこする。すると、そこに一人の少女の姿が見えた。
 この、カールした髪は、間違いなく彼女だ。
「か、櫂……私、わたしっ……!」
 そうして、涙を浮かべ、彼女はこちらに一歩一歩近づいてくる。
 上の監視室で、何かにつかまりそうになり、偶然見つけたあの縦穴を見つけ、ここまでくだってきた、といったところか。
 そのうえ、この暗い部屋で一人……。
 愛美華は、まるで赤子のように泣きじゃくり、俺の体に倒れこんだ。
「もう……っ、もういやだよ、こんなところ……!」
「あぁ」
 ひたすらに顔を押し付けてくる愛美華。彼女から伝わってくる熱はあまりにも熱かった。
 半ば落ちるようにしてここまで下ってきたのだろう。彼女の服は砂ぼこりで汚れ、ところどころ破れかけていた。
「さっさと剛も、朝倉も探し出して、こんなとこ出よう。そして、学校で剛をみんなでいじめてやろう。みんなで……」
「うんっ……みんな、で」
 俺の胸に顔を押し付けたまま、頷く彼女に、思わず苦笑いしてしまう。――さぁ、早く出よう。
 そこで俺は、理沙への合図をすっかり忘れていたことに気づく。俺は、ひっついたままの愛美華を優しく離して、縦穴を見遣る。
「きゃああぁぁ!」
 だから、そこから響いてくるその悲鳴は俺の耳によく届いた。
「理沙っ!?」
 反射的に俺は梯子に飛びつく。
「櫂っ、待って!」
「ごめんっ、ちょっと先行くっ!」
 死に物狂いで俺は上る。ひたすら上る。下から聞こえてきた愛美華の声には叫ぶように返事した。
 そして、だんだんと青白い光が近づいてくる。あと三つ、二つ、一つ……
「理沙っ!」
 再びそう名前を呼んで、俺は最後の一つを登りきる。しかし、
 そこに理沙の姿はなかった。
「嘘、だろ……?」
 ただ呟き、かくつく膝を立たせて、部屋を見回す。そのどこにも彼女の姿はない。
 閉まった扉を開いて廊下に出てみる。右を見ても、左を見ても、彼女の姿はやはりない。
 「――なんで……なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……
 どうしてこうなる。俺が何をした。ふざけるな。何がドリームランドだ。ふざけるなぁっ!」
 そう一度哭いて、俺は目を瞑った。その奥からあふれてくる何かを必死に抑え込むために。

 

 
「…………………ごめん」
 思わず、涙がこぼれた。
 ぽたり、ぽたりとこぼれる雫は頬を伝って、床に染みを作った。
 もう一度部屋の中に目を遣る。壁際に、ガラスが無残に割れたメガネが転がっていた。
 歩み寄り、膝をついてそれを拾い上げる。
 その時、縦穴から囁くような、小さな声が聞こえた。
「櫂…………さよなら」
 直後、響く断末魔。
 拾い上げたばかりのメガネが、するりと手からこぼれ落ち、かたりと床に落ちた。
 ――苦しい。息が詰まる。胸が締め付けられる。のどが開かない。
「愛美華……」
 まともに手足の感覚がつかめない中、俺は梯子を下り、地下へ。
 先ほどはあれほど不快に感じた刺激臭も、今は何とも感じない。
 そこに、なにも、誰もいなかった。
 ふと床に何かが落ちているのに気が付いた。広めのこの空間。床に散乱しているのは猿轡さるぐつわなどの拷問道具。
 なんだか、今更驚きもせず、俺は踵を返した。
 梯子を上って、一つ目の扉をくぐり、廊下を歩いてまた扉をくぐる。
 その先に広がるエントランス。そのだだっ広い空間は、おかしいくらいの静寂に包まれていた。
 かつかつと足音を響かせながら、妙に冷たい空気を裂いて歩く。
 部屋で一番最初に目に入った大階段。その正面に俺はただ佇んだ。その無駄に長い階段を、なにも考えることなく俺は見つめた。
 そして、後ろを振り向く。涙で霞む視界の中、4つの人影が俺の眼に入った。

「じゃあな、櫂」
「バイバイ、坂本君」
「さようなら、櫂さん」
「またね、櫂」

 四人は、まるで光がぱっと開いたような、ただただ美しい微笑みを浮かべてそう言った。
 壁の塗装は剥げて、シャンデリアの明かりは半分くらい消えてて、何より廃園になった遊園地のなかなんていうシチュエーション。
 そんな、ふざけてて、馬鹿らしくて、ありえない状況なのに、俺はいままでの人生で始めて、青春を感じた気がした。

「みんな……、ごめん、ありがとう、さよなら…………」

 あいつらに届くかなんて考えず、今にも消え入りそうな小さな声でそう呟く。
 またこぼれそうな雫を逃がさないよう、俺は、天井を仰いだ。
 そして、再び彼らに視線を戻す。

 兎が笑っていた。
 けたけたと笑っていた。

 いま、ここになってやっとわかった。笑っているようで笑っていない無機質なあいつの瞳。それが何を意味しているのか。
 そうだ、あれは、泣くことができず、笑うことを強要されたわが身を呪い、そして、心の中で心の底から泣いているのだ。

 佇む4匹の兎たちが寄ってきた。
 俺は全身を持ち上げられ、どこかへ運ばれていく。
 大階段を上って、王の間を通り、その奥の扉を開いて、長い長い階段を下る。
 つんとした刺激臭を感じながら、俺は目を閉じる。
 移動が止まった。
 俺は床に下され、壁に手、足を固定される。
 ……あのキリスト教っぽい十字架は、こうして使うのだな、と身で学んだ。

 目を開く。
 こんな、拷問部屋の中でも、兎たちはけたけたと笑っていた。

 

      *     *     *


「今日で6年だってね」
「あーそうそう。あれでしょ? ドリームパーク廃園」
「やばいよねー。あの中マジ怖そう」
「確かに。そこら辺のお化け屋敷とか比べ物にならないよね!」
「でさ、これ知ってる? 昨日のタイムラインで回ってきたんだけどさ――」

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