死んだ恋人と愛し合うことを誓えますか?

青キング

第4話

今日の彼は、朝から焦慮を心に宿していた。
彼女が念入りに着る服を選び、いつにもなく化粧をして、いかにも誰かと会うための出で立ちで出掛けたからだ。
出勤ならば、あそこまでお洒落はしない。そこまでして何をしに出掛けるのだろうか。
もし俺の知らない男との会う約束だったら、と考えたくない想像を頭の中に抱いてしまい、その想像が彼を苛立たせる。
かといって、実体のない彼に何ができるのか? __残念だが何もできない。



繁華街が近くにある駅前の広場、休日のため男女二人組や家族連れが多い、楽しげな空気が漂う雑踏に交ざり込んで、彼女は同じ職場の男性と待ち合わせていていた。

「ああ、やっと見つけた」


彼女のもとに、薄手で紺色のポロシャツとロングチノパンの装いをした、彼女の働くコンビニの店長が人混みのなかを走り寄ってきた。
店長はちょっとすまなさそうに微笑む。


「ごめん、待たせた」
「いえいえ、遅れたのは私の方ですよ。店長さんは時間通りに来ていたんでしょう。それなのに、ごめんなさい探させてしまって」


店で働いている時と同様の態度で、彼女は申し訳なく手のひらを振る。


「今日は店長って呼ばないで欲しいな。仕事じゃないんだからさ」


彼女の態度に、店長は苦笑混じりにそう言った。


「そうですか、名前では呼び慣れていないのでつい」
「君が店長って呼びたいなら、店長でもいいんだけど……」
「できるだけ、名前で呼ぶようにします」
「そうしてくれると助かるよ」
「それでどこに行くんですか?」
「まぁいろいろ。着いてきてくれれば、わかるよ。じゃ、行こうか」


そして店長と彼女は、駅前の広場から繁華街へ繰り出した。
しばらく談笑しながら歩いていると、ふと彼女の目に宝石店の飾り窓が留まった。
彼女は飾り窓を見つめて、不意に立ち止まる。


「どうしたんだい?」


急に立ち止まった彼女に、半歩分進んだ位置で振り返り店長は尋ねた。
彼女の注視している飾り窓から覗けるのは、赤いフェルトを敷いた段差の一段ごとに数個、種類や値段の違う指輪が四角い専用の箱を開け広げで展示してあった。


「指輪か、興味あるの?」
「いえ、興味というか目に留まったので」


彼女の傍に歩み寄り、


「気になるのあるかい?」と、店長は聞いてみた。
改めてじっくり数々の指輪を見比べだした彼女は、淡い水色の透過している宝石が乗った指輪を指し示す。


「選ぶなら、これですかね」
「なんだろうね、この宝石の名前。そういうの疎いから、わかんないや」
「買ってもらうつもりはありませんから、お気になさらず。そうだ、店長さんはどこかお気に入りのお店とかあります?」


唐突に聞かれて、店長は腕時計に視線を落とす。


「昼食まで時間はあるし、近くの服屋でも回ろうか」


そうして二人が足を運んだのは、知名度がそこそこあるレディースファッションのお店であった。


「これ、どうかな?」


傍の店長に、手に取ったウエスト部分を紐で絞めるワンピースを掲げてみせて聞いてみる。


「いいんじゃないかな。君に似合うと思うよ」
「じゃあ、試着してみようかな」


彼女はワンピースを持ち、手近な試着室に入りカーテンを閉めた。
カーテンを閉めた手が、何故かそこから動かなかった。


「あの人との初デート時も、こんな感じで試着室に入ったな……」


店長には聞こえないぐらいの声で、彼女は大好きな彼との思い出を脳裏に蘇らせて呟いた。
記憶の中で彼は笑っている。似合ってるよとも言ってくれた__


「って、何で私泣きそうなんだろう。店長に心配されちゃいます」


スッと涙は、溢れる前に引いていった。
彼女は着替え終えると、カーテンを開けた。


「すごい…………」


試着室の前で、彼女が着替えるのを待っていた店長は出てきた彼女を一目見て、綺麗さのあまりつい呆けてしまった。


「どうですか?」
「……あっ、うん似合ってると思う」
「そうですか、ありがとうございます」


彼女は無邪気に、そしてちょっと他人行儀な言い方で笑った。


「欲しいかい、その服?」
「いえ、欲しいとは思いません」


彼女はしれっと言って、ワンピースをハンガーにかけて元の場所に戻した。
店長は彼女から視線を移し、自身の腕時計を見遣る。


「十一時半か。そろそろ昼食にしないか?」
「そうですね、程よくお腹も空いてきましたし」


二人はお店を出た。
店長の案内のもと到着したのは、近頃評判のあるスパゲッティの専門店だった。店長はこの店に数回、友人と食べに来ている。
洋風造りのガラスドアを押して店内に入ると、途端に彼女の鼻孔をゆで上がった麺の温かい匂いがくすぐる。
彼女は鼻をくんくんさせて、浮き漂う匂いを嗅ぎ、「麺の匂いがします」と分かりきった事を口にした。
店の中はポツンポツンと客がいるだけで、大体の席が空いていた。


「どこか、座りたい席とかある?」


店長が聞くと、彼女は窓際の隅を指差す。


「あそこにしましょう」


「そうだね、そうしようか」


二人は彼女が指差した四人用ボックス席に、意味もなく向かい合って座った。
まもなく注文を聞きに来たバイトの少年に、店長は入店する前から決めていたとしか思えない早さで注文すると、メニュー表を開いたばかりの彼女に視線を遣る。


「うーん、どうしようかな」


開いたメニュー表に目を走らせて呟く。


「あんかけスパゲッティ、なんかどうかな? 一度食べたことあるけど、美味しかったよ」


食べたことのある経験から店長は、メニュー表のあんかけスパゲッティに人差し指を当てて提案した。


「店長が美味しいって言うなら、それにします。あんかけスパゲッティ、一皿お願いします」


注文を承ったバイトの青年は、注文表の紙に慣れない手付きで二品を書き記し、厨房の方まで早足に持って行った。
バイトの少年を眺めていた店長が、何の前触れもなく彼女に尋ねた。


「どうだい、楽しめてる?」
「……えっ、唐突になんですか?」


いまだメニュー表に目を走らせていたため、彼女は間が空いてから、遅まきに意味がわからぬといった表情で視線を上げた。


「楽しめてる?」


再び、同じ質問。
彼女の口から、なんともなさそうに言葉が返ってくる。


「はい、楽しめてますよ」
「それなら良かったよ。誘った甲斐があった」


店長はホッとして微笑んだ。
彼女も、手を口元に当てる品位高い仕草で「もう、聞かなくてもわかってるでしょう」と、微々たる笑みを浮かべた。
その彼女の婀娜っぽさに、店長の胸は頭が冴えるような短兵急なときめきを覚えた。
店長が胸をときめかせている時、二人の間にスパゲッティの盛られた平皿二つがテーブルに乗せられる。
店長はすぐに食べ始める。


「うん、やっぱり美味しいね」
「どれくらい美味しいんですか」
「どれくらいって……」


うまい切り返しも思い付かず、店長は困り顔で唸った。


「わかりませんか? 残念です」
「いや、美味しかさを説明できなかっただけで残念がられても」
「食べてみれば、わかりますか」
「最初からそうしてよ」


フォークに絡めたスパゲッティを、彼女は口に運ぶ。


「美味しい、ですね」
「どれくらい?」
「ええ……その、言葉にするとなると難しいですね」
「君はさっき、それを僕にさせようとしたんだよ」


彼女はふくれ面になる。


「だって、気になったんですもん」
「まぁまぁ、そうむくれないで」

彼女のたまに見せるちょっとした反応も、店長は可愛いと内心で思いながら彼女を宥めた。






























































































コメント

  • ノベルバユーザー599850

    短編が続くかと思いきやの展開に最後まで読みたいと思わせられました。
    時間が出来たら続きを読ませてもらえればと思います。
    ありがとうございました。

    0
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