鳥カゴからのゼロ通知
chapter1-19 「見えない傷」
「あー、全然分かんねーよ。こんなん習ったっけ?」
「習ったよ、てかそれ習ったの最近だからね?」
「あはは、それ結構難しいよね。私が教えてあげよっか?」
「マジ? 助かるわ~」
僕たちは今、種明さんの家で夏休みの宿題をやっている。宿題を早く終わらせて残りは思いっきり遊ぼうという魂胆だ。昨日の夜の電話もそのことだった――。
***
「はい、もしもし」
「あ、天津君!? 良かったーやっと出た~。もう、今まで何してたの? 私も新井君も何回も連絡したんだからね?」
「ご、ごめん。ちょっと携帯壊れちゃって……」
そう言えば二人には何も言ってなかったな。でも仮に言おうとしても二人が納得できる言い訳なんて思いついただろうか。旅行に行くって言ったとしても連絡が繋がるはずだ。何にしたって怪しまれる。
「そうなんだ、なら仕方がないね」
「それよりどうしたの?」
「うん、明日三人で私の家で夏休みの宿題やらない? 美孝君がいないのは残念だけど、宿題を早めに終わらせて美孝君の分もいっぱい遊ぼうって、新井君と話してたんだ」
「わ、分かった。僕も行くよ」
『美孝君の分も』という言葉に創の胸が苦しくなる。さっきまで自分は、その美孝と結衣の為にあの世界に行ったはずだった。しかし何の結果も残せず、ただ怪我だけをして帰って来たみたいな。何の為に剣を振るったのか分からなくなってた。
「本当!? じゃあまた明日……ねぇ、天津君。何か辛い事でもあったの?」
「――!」
不意な問いに喉の奥から出すはずがない声が漏れてしまった。悟られないようになるべく普段通りに話していたはずだった。彼女に心配はかけまいと、それなのにばれてしまったのかと。
「べ、別に! 何もないよ!」
「……そう、よかった。じゃあまた明日ね」
「うん、おやすみ」
電話を切る。心臓の鼓動が激しくなっているのが分かる。
すると足元に何か固いものが当たる。拾い上げてみると、それは護身用に持っていた剣だった。その剣を見てデュエルでダートを貫いたことを思い出す。あの時の自分は一体どうなっていたのか。何故あんなことになったのか。それは本人にも分からない。ただ一つ言えることは、あの力があればあの世界でも多少は通用するということだ。しかし、あの時は自分を制御できなくなっていた。今後もあのようなことが起こってしまったら、無意識に誰かを傷つけるかもしれない。そんな不安が襲っていた。
「……寝るか」
***
「あ、やっべ。もうそろそろ帰る時間だわ」
「そういえば今日は何か予定があるんだっけ?」
「ああ。まあ別にそんな大したことじゃないんだけどな。悪いけど俺は先に帰るわ」
「うん。気を付けて帰ってね」
「またな、蓮」
蓮が部屋から出て行くと、静寂な空気が訪れた。空は茜色に染まり、カラスの鳴き声だけが聞こえてくる。だが二人はその空気を気まずいとは思っていなかった。むしろこの時間さえも心地いいと感じている。
二人ともシャーペンを持ってノートと顔を向かい合わせているが、その手は一切動いてはいなかった。
「……あのさ」
静かな空気の中、創の声が唐突に響く。
「ん? 何?」
「これから時々さ……僕と連絡がつかなくなる時があるかもしれないけど、何も心配しなくていいから」
創は今日宿題をやる為ではなく、このことを伝えるために来たのだ。“連絡がつかなくなる”それはあの世界に今後も行くかもしれないから。
「――っ!」
結衣は何も言い返さない。やっぱり自分の勘は当たっていたと、それでも何も言わず、じっと堪えて創の話を聞いていた。
「大したことではないよ。ちょっとだけ、やらなければいけないことがあるんだ」
「……それは、その怪我と何か関係があることなの?」
見破られていた。未だに創の体には包帯が巻かれている。服を着ているから普通にしていれば分からないはずなのだが、身体を動かす度に痛みに襲われ顔を歪ませていたのを結衣は見逃してはいなかった。しかしそのことは敢えて指摘はしなかった。創自身から話してくれるのを待っていたのだ。
「それは……」
「本当は叫びたいんでしょ? 痛いんだって、辛いんだって。でも私たちに心配をかけないように無理して我慢してるけど、その苦痛が身体から溢れちゃってるよ」
創が何かを隠していることは何となく察してはいた。でもそれがこんなに身体がボロボロになることだとは思ってはいなかった。助けたいという気持ちが止まらない。何かしたい、支えてあげたいと心が言っている。でも逆にそれが迷惑になるかもしれないと思い、葛藤していた。
「私は知ってるよ。天津君はとても優しい性格だって。中学の頃からそれは変わらなかった」
気付けば目で一人の男の子を追っていた。特別何か才能がある訳でもなく、どこにでもいる感じだったが、必要以上に相手の顔色を伺い、気を配っていた。その優しさが彼としては当たり前で、その当たり前を誰も分かってはいなかった。本人もそれを望んでいたのかもしれない。でもそれが不安で怖くて仕方がなかった。いつか壊れてしまうんじゃないか、いつの間にかその姿が霞んでしまうんじゃないか。
それが今も変わらない。創の変わらない優しさと、胸を締め付けるこの変わらない想い。抱きしめていないとすぐ何処かに行ってしまう。
「だから余計に心配しちゃうんだよ」
創が感じている苦痛を半分受けてあげたい。その半分だけでもとても辛いことかもしれない。でも分かってほしい。
「そんなんじゃおかしくなっちゃうよ。ねえ……創くん――」
君が知らないところで、こんなにも君を想っている人がいることを。張り裂けそうな想いを押し殺して君を見ていることを。君のその優しさが、誰かを傷つけていることを――、
「お願い、何処へも……行かないで……」
――知ってほしいんだよ。
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