TS娘が親友を世界一嫌いになる話。

闇緒恣恣

6話。

 突如として、違和感を感じた。

 腹痛であれば腸を捕まれたような不思議な感覚と一緒に締め付けられる痛みが起こっただろう。怪我とかだとすればもっと早くに気づいて処置をしなければ手遅れだ。俺は目をぱちくりとさせながら、ぼうっと朝の部屋の隅っこを眺めた。

 布団はひとつのリビングに二つ敷いて、寝相の悪いときは姉と雑魚寝状態。時々布団と垂直になって寝ていることもある。目覚めれば布団を畳んで、代わりにローテーブルを用意するのが通例だ。椅子はあるにはあるけれど、大体が寛ぐとき用。

「うぅ……嫌な予感がする」

 起きたくない、という原理を理解してしまった俺は今日から不登校にもなれそうな勢いである。切実に思う、この予感が思い過ごしであってくれと。じゃないと多分、俺の心が折れるもん。

 うんうんと唸っていると流石に時間が差し迫ってくる。いやいや髪を手櫛しながら布団から這い出して、パジャマのズボンを確認した。

 特に問題はない。問題はないけれど……違和感はしっかりとついていた。我らが家の洗濯物事情はすべて洗濯機が解決してくれるので、さっさと脱いで放り投げたらいいだけなのに。

 ドクリ、ドクリ、と心臓の音が耳につく。

 そりゃそうだ、イビキも寝言も言わない姉は息が止まっているかのように一切音を立てずに眠っている。時々布の擦れる音がするくらいである。しかも早朝、よほど大声をあげたりしなければ姉も起きない。

 この時ばかりは、近くの職場に就職が決まって九時近くまで余裕のある姉に感謝したい。

「よ、良し。多分、あれだ」

 腹痛というにも若干惜しいこの不調は、腹でも冷やして下痢か便秘になったんだろう。この季節は夜も暑く、今日ももしかするとタイマーに設定を間違えたのかもしれない。女性は便秘になりやすいと聞く、俺はそう感じたことはないけれど、股間どころか腹の中まで男と違うんだ。そんなこともきっとあるさ。

 俺はパジャマズボンとシャツを洗濯機に放り込んで、汗を吸い込み若干湿っているショーツを下ろした。

「……っ!?」

 変声期を過ぎる前の喉元、初めて自分の声を聞いたときは驚いたものだった。まるで女子の声、そして間違いなく女子の声。声を作らずとも男の時と比べ、数段階は高いと言えるその声がごく自然に喉から出てきたんだ。……暫くは自分の理想の女子とやらを演じて、見舞いに来た家族に醜態を晒したと言う事は出来れば忘れてしまいたいけれども。

 今でもこうして、映画のワンシーンみたいな甲高い悲鳴が喉から飛び出した。足に籠っていた力は、俺を置いて何処かへ飛んでいってしまった。へなりと力の抜けた足が折りたたまれて、ペタンと尻餅をついていた。

 ……結論としては、姉が叩き起こされた。

 果たしてこれは、許されて良いことなんだろうか。値引きアプリとまだ化していないこれに報告を上げれば、もしかすると逆にこちらがお金を貰わないといけない程に値引きされてしまうやも知れない。特に早朝起床組の二人はノックアウトされてしまう可能性さえ出てくる。百合小学生は多分まだ寝ている。

 そもそも報告しないとやっていけないほどでも……あるのか。下腹部の不調のせいか、やる瀬なさというか……気持ちまでどことなく不調、もっとオノマトペを使って直情的に表すと「モヤモヤ」「イライラ」する。もしかすると、これが月に一度あるという女子の憂鬱そのものなのかもしれない。

「ほら、部屋の隅で体育座りしてないでさ。取り敢えずコレ……つけたらどうなンよ?」

「解ってる……解ってるけど、さぁ」

 紙袋に包まれ、そしてビニール袋に入れられたもの。それをポイとこっちに投げてくる。俺はそれを足で転がして、何度目かのため息をついた。何が入っているのかはもう口頭で聞いているし、姉が買って来たものだと言う事も解っている。

 ……あの時に既に俺がこうなるんだろうな、と知っていたのなら、先に言っておいて欲しかった。いや、でも姉が言わなかったのには訳がちゃんとあるんだろう。モヤモヤする頭で考えても、俺が姉の立場だったら同じ行動をとりそうだ。

「だって、そん時アンタに言ってもしょうがないでしょ? 元々……と言うか、唯でさえ元が男で不安定な所があるのに、そんなこと言ったってそもそも聞き入れないでしょうが。ぶっちゃけて言えば、生理前のモヤモヤで逆ギレされる可能性もあったし……」

 ごもっともです。

 ダラダラ長々とではあるけれどしっかりと説明してくれる姉には感謝、それでもこの……生理用品とやらを装備するには、未だレベルが足りないと俺の心が囁いている。装備は出来そうだけれども、装備すると「精神力が低下する」とか言う副作用が起こってしまいそうだ。呪われた装備、と言い換えても良い。それだと買ってきてくれた姉に申し訳ないけど。

 俺はいやいやビニール袋を弄びながらも開き、紙袋を取り出した。それがどうにも悪いものの入っている宝箱のように感じて中身を見るのを躊躇してしまう。もう中が何なのかは知っていたとしても。……玉手箱だ、この紙袋を開ければ中から多分、白い布みたいなのが大量に出てきて、俺を女モドキから完全な女の子に変化させてしまう。生理と言うものが俺を鎖で縛り現実に繋ぎ止めて、誤魔化す事も出来ないほどの巨大な「女」という焼き印をグリグリと押し付けてくる。

 両手で数えていたら恐らく二度ほど開いて閉じてを繰り返すくらいの、何度目かのため息が零れ落ちた。

 幾度と零したため息に嫌気が差したらしい姉ちゃんがため息を掻き分けて、がしりと俺の肩を掴んだ。凄んでいるから尚のこと怖い、そしてどうして生理用品の袋を持ちながら俺の肩を掴んでいるんだろう。

「さっさと付けないと、私が無理やりつけるよ」

「は、はぁ!?」

「自分も含めて女子の裸見るの未だ恥ずかしいんでしょ、それなら私が着けるから。アンタは目でも瞑っときなさい」

 何を言っているんだこのお人は。そして何故ズボンを脱がそうとする!?

「わ、解ったから、自分で着けるから! 女子の裸見るより姉ちゃんに脱がされる方が恥ずかしいわ!?」

 そして結局、姉の策略に嵌った……という訳だ。

 正直な感想。焼き印と言うよりも拘束具、手錠みたいなものだ。犯人であることを手に掛けられた手錠を見て自覚するといった、そんな感覚が股間にずっとこびりついている。ゴワゴワとしている気がするけども技術の進歩は凄いらしい、高いものを買えばもう少し着心地が良いとも。

 取り敢えずまあ。

 ……やっと慣れてきたと思っていた女性用下着が、物凄く新鮮に感じて辛くなったので生理用品は一生恨み続けるだろうと思った。


 ●


 とまあ、今朝に色々あったけれども無事学校に着くことは出来た。隣を歩く親友クンの視線がちょっとばかし気になって、登校中にどんな会話をしていたのかさっぱり忘れていたけれども、些細な問題だろう。

 俺が教室で机に突っ伏しヘタっていれば、自然とクラスメイトが寄ってくる。多分、皆も文化祭モードに入り、クラスメイトとのやり取りを円滑にしたいんだろう。今はともかく下腹部の鈍痛を出来るだけ意識しないように、会話は続けていった。

 製造に関係するところにはいかず、どうやら企画書に書く内容を詰める為に色々と情報が錯綜しているらしい。取り敢えず話を聞く限り、「輪投げを打ち出す射的的な物」が出来上がりそうな感じだ。これが生理のせいなのか、はたまた本当に伝言ゲーム状態なのかは今の俺の頭では判断が付かない。いつの間にか前の席にいた一木さんまで苦笑いだ。

「取り敢えず、輪投げと射的とボウリングに決まりそうだね。合体ロボみたいにならないと良いけど」

「それは……その、一木さんも後に加わるレンジャー的な展開でどうにか場を治めて……っ」

 人数的に可笑しいかも知れないけど。そんな言葉の続きも出なかった。

 波状攻撃とは舐めた真似をしてくれる、自分の体の事であったとしてもそんな感想ばかり出てくる。心のどこかで自分の精神と肉体を別々に考えてしまっている俺が居るのかも知れないけれども、今回ばかりはそんなところから出てきた感想では無かった。本当に面倒臭い。

「どうかした? 入院してたんだし、体調悪いんだったら保健室に連れていこうか?」

「ああいや、今はちょっと体が弱いくらいで……。後、今日はその。月の日、と言うか、初めてのその日……だったりとか」

 その瞬間、一木さんの顔が不気味に凍り付いた。

「え、それって……え? ホントに?」

「ホントだよー……、だいぶ遅いんだよね。取り敢えずこんなに酷いとは思わなかった」

 椅子から立ち上がって頭を撫でたり腰を撫でたり頭を撫でたりしだす一木さんに感謝が絶えない。ただどうしてそんなに頭を撫でるんだろう、俺は一木さんの娘的な何かなんだろうか。

 俺が一応、季節外れのカイロを装備している事を、頭痛薬もとい生理痛薬も今朝飲んだことを説明して、遅れてやって来た宮崎さん佐々木さんにもそれを知られて驚かれて。けども別に話題がタブーだったとかいう訳ではなかったようで、また詳しく聞かせてと言う謎の進言と共に男子たちの前じゃ恥ずかしいからという理由を頂戴した。

 大体小学校の終わりごろから中学校の途中でほぼ女子の皆が経験しているらしくて、ついつい授業中に酷くなったら保健室に行ってお湯の入ったペットボトルを借りたりとかしていたと語る女子たち。それをフムフムと真剣に聞いて、メモを取っている俺。

 ……これは、俺が女子をやっているといっても良いんだろうか。女子にしては言葉通り稚拙でどうにも女子ぶりたい小さい子のように感じてならない。それに集まってきた他の女子たちにも、子供扱いされているような気がする。いや、これは多分生理のせいで気が立っているだけだ、そんな筈はない。けど、なぁ。

「どうして頭、撫でるのさ」

「何でだろうね、撫でやすい位置に頭があるから……とか」

 そこまで背は低くない。

 ともあれ親切に生理の時の注意事項を教えてもらったのは感謝こそすれど、まるでそれが頭を撫でるための料金として発生している気がして素直に喜べない。全員にではないけれども、それでも……といった感じ。

 女子トイレを出て閉塞感から解放されても、下腹部の不快感は拭えない。ちゃんとトイレとしての用途を使っていればもしかしたら一緒に拭えたりしたのかもしれない。

 ただひとつ、結論があるとするのならば。中に突っ込むタンポンとやらだけは使いたくなかった。

 女子を味方につけたような謎の安心感と共に授業を迎えることはできた。気持ちの持ちようと言うのも大事なのか、心なしか佐々木さん達に聞く前よりも下腹部のシクシクとした痛みはましになったような気がした。それでも違和感は尽きず、そもそも男に存在しなかった器官を意識してしまうから、元男としては普通の女子よりもつらいところが多いのかもしれない。

「終わ……ったぁ」

 いつも以上に長々と感じられた授業が終わり、毎度お馴染みのSHR。

 実行委員の話や文化委員の話、そして先生の話。それらが終わる頃にはすっかり皆は授業のことが抜け落ちて、帰宅、部活、文化祭ムードに入っていた。俺はその光景を眺めながら、ひとつため息をつく。

 今日一日で「生理」という男にとっては得たいの知れない怪物の一部が分かったのだ。それは喜ぶべきことだとは思うけれども、余計にその怪物の全貌がとても強大で凶悪なものだということまで知ってしまった。果たしてこうなってしまえば喜んで良いのやら、見えた巨体に気圧されて諦めてしまうのか、わからなくなってしまった。周囲の楽しそうな声が空っぽな頭の中に響いた。

「辛いなら今からでも保健室つれていくよ? 私、これから保健室行くからさ」

「いやぁ、そこまでしなくても。取り合えず、今日は帰って休むよ……変なことするより、さっさと帰りたいし」

「そっか。じゃあ、気を付けてね。」

 六車ムグルマ君にも宜しく言っといてね、と言いながら一木さんは立ち上がった。俺もいつも通り立ち上がって一木さんの後についていき、いつもよりも声の掛かる頻度が多いクラスを抜け出して、階段前の柱に向かった。

 ……あれ? 今日は珍しく一誠のクラスはまだ終わっていなかったらしい。俺はゆっくりと腰に余り振動がいかないようリュックを下ろして柱にもたれ掛かる。

 一誠を待つ間、やっぱり話しかけられる。クラブに入ったりすると顔見知りが増えそうだけれど、俺はそんなことをしていないせいで同級生にも真新しく見られていた。

「……あ、一誠。じゃあ、帰ろうか」

 一誠がクラスメイトや他の人に何か言われたり、俺が女子や男子達に囃し立てられるのも気がついたら慣れてしまっていた。恥ずかしいのは変わりないので、ごまかすような笑顔しか浮かべられないんだけども。

 校舎を出て、ウォーミングアップを始める運動部の掛け声の間をすり抜けて、校門を出て。

 少し寄り道していこう、と俺が言っていつも通っていた道を逸れた。少し前から一誠をつれてコンビニに入ったりしていたので特に拒否もせず、俺は少し通学路から離れた公園の中を突っ切った。放課後だから小学生もちらほらと見える。

 遊具には集っているけれども、ポツンと取り残されているベンチに二人して座り込む。俺が背もたれにもたれたからか、あるいは一誠がかは分からなかったけど、ベンチの軋む音が鳴った。

 太陽はいまだ空高く、夏至っていつだったかなと思いながら口だけは思考と切り離されて動いていた。

「あのさ、俺……朝、変だったっけ」

「まあ、そうだな」

 一誠には、話しておこう。どうしてそう思ったのかは疑問だ。ただ、俺を男だったと知る親友には俺が正真正銘「女だったということ」にはちゃんと説明しておきたかった。親友相手にスフィンクスごっこなんて、相変わらず自分が嫌になる。

 全てを全て、生理によるホルモンバランスの異常で片付けてしまうのはどうかと思うけど。それでも生理は辛いなー、ということは身をもって実感した。

「そう、か。そうだよな、女子だもんな……宇季も」

「子供作れるんだからなー、もう確実に女子だ。……こんな俺でも親友って言ってくれるか?」

 当たり前だろ。

 そういう返事に、思わず答えを聞いたスフィンクスのように身をよじってしまった。胸を押さえようとするけれども、胸の脂肪が邪魔してもどかしい。

 途端に崩れていく表情に、一誠に助けられている部分が大量にあるんだな……ということに気づかされる。一誠は癒し、ということだろうか。いや、仏頂面の男に癒しを感じてどうするんだ。一誠の隣が落ち着くというのはあるけれど、別にそういう訳じゃない。

「例えば、さ。俺が子供を産んでも親友って言ってくれるか?」

 妊婦姿の俺が思い浮かんだ。相手は誰だろうと構わない、ただどうしても一誠に認めてほしかった。例外なく、取りこぼしなく、俺が一誠の親友であると言ってほしかった。

「まあ、そりゃそうだな。どれくらい先のことかは知らんが」

「じゃあ……じゃあ。誰かを好きに、例えば男を好きになったりしても、か? 結婚したりとかでも良い」

「そもそも誰を好きになるかなんて、佑樹……宇季の自由だろ? 親友には変わりないんだし」

「じゃあ、もし……いっ」

 その先は言わなかった。……そして俺は今、一体何を聞こうとした!?

 俺は言葉を飲み込んで、唾を飲み込んで、息を飲み込んだ。段々と冷静に鳴るどころか、自分の羞恥心が太陽光で熱せられてどんどんと顔が熱くなっていっているのが分かる。

「……どうかしたか?」

「何でもないから! ほんっとーに何もないから!」


 ●


 生理は一日で終わりではないらしい。まさに死の宣告、地獄の日々だ。人によっては二日目の日の方が酷かったり、特定の日だけ酷いとかそういうのがあるらしい。

 俺の場合は……日を跨いだ波状攻撃はないようだった。

「まあ良かったじゃん。ただ隔月で酷くなる人もいるって聞くし、来月は注意しときなー」

 不穏なことは言わないでほしい、と姉には切実に願ったけれど手遅れだ。生理とやらに期間も周期も決まっているようだしそれを覚えるまでは必死に耐えるしかできることはない。

 ゾンビのように部屋や学校をさ迷うことはなかったことに感謝はすれど、それでもシクシクは止まらない。男子の頃が羨ましい。こんなことが毎月起こるのであれば、たまに不足の事態で金的に攻撃を食らって悶絶することになる男子の方がよっぽどましだ。

「甘いもの食べたい」

「砂糖でも舐めとけ」

 そこまで俺は飢えていない。

 何はともあれ生理痛との戦いは早くに見通しが立ったので助かった。まだ皆の言う「この世の終わりを錯覚する痛み」とやらに出会っていないのが救いだけれども、むしろそれが気になって気が気じゃない。……月経周期だとか、生理痛に良い食べ物とかを調べれば調べるほど俺の男としての部分が崩れて言っている気がする。そういう意味では、もうこの世の終わりは迎えているのかも知れない。

 パブリックな側面の俺は、未だに親友と言えど男に生理の事を伝えてしまった事に負い目を感じてはいる。

 でも特にあれから冷やかしが一誠から飛んでくることも無ければ、むしろ気を使ってもらってばかり。今日の登校もこの通り、カバンをひったくられて、手持無沙汰な俺は大きな一誠の背中を引っかくくらいしかできない。

「あのさぁ、そこまで貧弱扱いしなくても良いんだぞ? リュックだって持てるし」

 俺が手を伸ばして取り返そうとしても、体を揺らして迫り来る腕を回避する一誠。その光景はまるでボクシングの練習をしているかのよう。

 ぶーたれてだらしなく手を下ろせば普通に歩幅も合わせてくれて、自然と横に広がった状態になる。顔が見えていると安心するものだ、顔が見えず後頭部とか背中ばかり見ていると身長の差が歴然として自分としては嬉しくない。

 一誠の表情が見えていると、普通に話ができて気が楽。

「無理するなよ。女って言うのもあるけど、お前の体はヤワなんだからさ」

「お前も俺を撫でるのかよ……」

 ごく自然に頭の上に手を置きぽんぽんと二度ほど軽く叩く一誠の腕。いつかの時とは違い、髪の毛のセットが崩れない程度の優しい手つきだ。

 ……ぬぅ、俺がセットしていない時に限って。

「すまん、つい手が出た」

「まあ、俺には良いけど女子の髪のセットって時間掛かる奴は時間掛かるからな? 俺には別に良いけど、女子の頭撫でる時は気を付けろよ」

 そういうとスッと手が上がり、再び俺の背負うべきリュックの位置を直すためにその腕は忙しなく働いていた。撫でるのは止めるんかい。

 痛みをごまかすのには誰かと話しているというのも良いのかもしれない。あるいは一誠相手だから、という心因性の部分にも何か効果があるのかも。

 結局、電車に乗るまでリュックは返してくれなかった朝の一コマ。一誠といたとしても下腹部が痛いのは痛いけど、余り気にならないのでこの時間は貴重と言えた。ただ一応、リュックを毎回奪われるのはしっかりと抗議している。

「……それで、そう言う訳ね」

 単に、運が良かっただけかも。

 俺は教室にはいるや否や机に突っ伏して、霧状になった胃液を吐き出すかのようにため息をついた。

 そう言えば生理痛とはホルモンバランスの異常が云々と聞かされていた。余りにも強烈な違和感を伴う下腹部の痛みに意識が逸れすぎて、肝心の生理痛薬に書いてある症状のこととかをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 色々と不調なところはあったけれども、簡単にひとつ挙げるとするのならば……気持ち悪い。

 流石にもう生理云々を喋る気恥ずかしさを理解してしまったので、ここでは含みのある苦笑いを浮かべて終いだ。相手は男子の一誠じゃないんだから、何となく伝わった。

「まあ……ガンバッ! アタシらはそれなりに経験値積んでるから誤魔化せるけど、初めの頃の辛さはヨークわかってるから!」

 言ってくれるのはありがたいけれども、耳元でこそこそと喋られると、物凄く体が反応してしまうので是非とも止めていただきたい。

 例え女子の体に欲情しなくなってしまったとしても、敏感なところは敏感なんだ。脇とか、背中とか、横腹とか、耳とか。

 ……誉めるべきは、間違いなく自分自身で、感謝すべきは、周囲の女子たちなんだろう。

 結局授業に集中できないほどの激痛に見舞われることもなく、途中でぶっ倒れて保健室に直行するとか言うこともなく、大量の経血で下着どころか制服まで汚れてしまうと言うこともなく。できればもう二度とやってこないでほしい初めの月経こと初潮の騒乱の幕は閉じた。

 大体一週間くらい。今のところ耐えがたい痛みではないけれども、ボディーブローを何度も食らわせられるような痛みは休み休みで勘弁願いたいものだった。

 それにしても、期末テストと期間が重ならなくて良かった。今でもギリギリだったのが、間違いなく赤点になっていただろう。

 期末テストが終われば、本格的に文化祭へと皆の頭が切り替わる。その前に夏休みというところ、それでも夏休み中にも終わらせられるものは終わらせていこう……というのが、佐々木さんの意思だ。

「だって、去年の奴さ。野球部の男子達が主催しといて『何とかなるって!』とか言いながら全然準備に取りかからないし、ギリギリになってやっとこ腰を上げたくらいだし。結局女子と親切な男子数名で完成させたからねー」

「それは……お疲れさまです」

 口調こそ穏やかで表情も落ち着いているけれど、沸々と言葉の端に殺意に似た何かが混ざっているのを、近くで聞いていた俺たちは確実に認識していた。後、佐々木さんは怒ると目が細くなる。

 テスト返却で一喜一憂したり、期末テスト後の決まって怠け始める授業態度に苦笑いしたり、またあるいは夏休みの予定を考えたり。

「宇季っちさ、夏休み……何か予定ある? 私は軽音部でライブとかあるんだけどさー」

「あーどうだろ、何処かに遊びにいこうとは思ってるけど。皆はクラブ入ってるから、そうだよね」

 夏休みまでまだ二週間ほどあるというのに、会話の内容が殆どこう言うのばかりだ。女子も男子も、こういう辺りは似た者同士なのかもしれない。

 男子といっても、女になってしまってから男子の友達はそういえばいない。作ろうとすることに若干嫌悪感があった。一誠は元々親友で中身もバレているけど、他の男子には果たして、俺の中身をさらけ出せるのか……その辺りが物凄く不安。

 短縮授業が終われば午後からは自由。クラブという束縛のない俺と一誠はいつもより南中に近い位置にいる太陽のもと、帰路についていた。

 工作をしていて楽しそうだったから文化祭準備を手伝おうとしたものの、「今は人手が足りているから帰っても良い」と言われてしまった。中々にショックだったけれど、体ほど精神は軟弱じゃない……多分。

 ふと、俺は一誠の肩を叩く。

「……一誠は、夏休みに何か予定入っていたりするか? なかったら、何処か遊びにいきたいんだけど」

「佐々木さんとか、一木さんとかは良いのか? 同じクラスだし、俺よりも予定作りやすいんじゃ」

 女子と仲が悪いとか、女性恐怖症ではないにしても、女子に女子として遊びに誘うことがどれ程勇気のいることか親切丁寧に説明してほしいのか。俺がムッとした表情をしていると何かを察したらしい。

 夏休み、夏休みだ。

 春先一番にクラスメイトの顔を覚えて、その後すぐにぶっ倒れて入院して女の子になって。二ヶ月ほど療養して、そして今はもう夏休み前。

 高校生活において、ここまで充実しすぎの一学期は絶対にないだろう。けれども乗り越えた。後二週間の辛抱だけれども、それで学生生活の中で一番のイベントが始まるのだ。

「……あ、そう言えば」

 まるでもう思い残すことはない、と成仏前の幽霊のように色々と記憶がよみがえったけれども、その過程でひとつ思い出した。あの掲示板の皆だ。

 確か、「生理が来た」と書き込んだんだっけ。アプリケーションを確認してみるとビックリ仰天、あの値引きアプリが遂にお金配布アプリになり果ててしまっていた。……見なかったことにしよう。

 俺はスマホをスカートのポケットにしまい、大分慣れたなぁと独りごちる。

「なあ、また何処か遊びにいこうぜ、夏休みに」

「そだな。夏休みの宿題もささっと終わらせないと」

 その辺りは思い出したくなかった。いや、しかしもうすでに宿題の範囲はプリントに明記されて配布されている。さっさと終わらせてしまえば、夏休みは文化祭の準備に向けた登校日以外自由に近いんじゃないだろうか。

「そうだなー、じゃあ勉強会ならず宿題会でも開くか。他の友達誘うとかもしてさ」

 そうだな、と返事をしながらそそくさと前の方へ早歩きしていく。そんな一誠を眺めながら思案する。

 俺にしてはなかなか良いアイデアではないだろうか。一誠の家は広いし、居候している俺は家主である姉に許可をとる必要があるし、第一狭い。一誠の親が許可してくれるのであれば他の友人を誘うのもありかもしれない。

 俺が誘うとしたら女子三人、か。可能性としては佐々木さんがあの幼馴染み君をつれてくるとか、そういう感じ。なら一誠も誘うとなると、誘ったメンバーが全員来たとして大所帯となりそうだ。

 ……一誠も誘う。あれ、一誠も誘う?

「なあ一誠、お前ってさ……俺以外に勉強会誘えるような友達いたっけ?」

 俺が今にも駆け出しそうな勢いで一誠に追い付いてそんなことを聞いてみれば、今にも何処かに転がっていきそうだったカチャカチャと動く足はピタリと止まった。

 そして、苦々しい表情を浮かべながら一誠は返事をした。

「……ほっとけ」

 地雷でした。


 ●


 後日談として、後で改めて暇な時間に三桁を突破した通知マークを示すアプリを開いてみれば、阿鼻叫喚というかまさに大叫喚地獄。しばらくはキーボードを平手打ちしたような読み上げソフトであってもまともに言うことはできないだろう文字列を叩き出していた。

 ただホルモンバランスや、生殖器の成熟というのか、俺が大体女になって三ヶ月近くで初潮が起こったと言うことは、肉体年齢が小学生なヤマネ以外に月のものが始まってもおかしくなさそう。

 順に起こっていくのかもしれない。ただ当然、元社会人で頭の回るヤマネはその辺も理解しているらしく、独り勝ち逃げしたような態度を終始貫いていた。

 だから俺はひとつ、爆弾を落としてやろう……と。

『普通の場合、小学生くらいから初潮って来るらしいよ』

 ヤマネは今度こそ発狂した。

「TS娘が親友を世界一嫌いになる話。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「現代ドラマ」の人気作品

コメント

コメントを書く