自首した男

山本正純

第7話 呪縛

警視庁の取調室に連れてこられた工藤岬は、目の前に座る木原と神津に尋ねる。
「いつから私が犯人だと分かったのですか?」
「遠藤昴が転落したマンションの屋上に残された犯行声明が教えてくれた。二十四年前、あなたは三人の命が奪われたことに心を痛めたんだと」
神津の言葉を聞いた工藤岬は、肩に力を抜き、天井を見つめた。
「遭難事故で私に希望をくれた広田光雄さんを見殺しにした三人の被害者が許せなかった。お母さんはあの遭難事故の責任を追及され、自殺した。あの事故で二人も失った私は復讐したくなりました」


同じ頃、別の取調室では三回目の大橋陽一の取調べが行われていた。合田の口から工藤岬が逮捕されたと聞いた大橋は、これまでとは違いペラペラと真実を話し始める。
「隣の家に住む北原夏希さんが、あの遭難事故の所為で自殺したと知った俺は、俺と一緒に遭難した小松原正一を殺した。被害者の広田光雄や自殺した北原夏希の遺族に見舞金を送ろうと提案したが、アイツはそれを受け入れなかった。そんなことをしたら、浅野静子に弱みを握られてしまう。全ては正義のためなんだ。あの時の彼の言葉を忘れたことはなかった」
「なぜ自首しなかったのでしょう?」
大野の問いかけに対して、大橋は腕を組む。
「北原夏希さんには岬ちゃんという娘さんがいた。彼女の父親は行方不明で、女手一つで育てていたから、俺は彼女の父親代わりとして接してきた。彼女の父親は行方不明で、女手一つで育てていたから、俺は彼女の父親代わりとして接してきた。そんな俺が自首したら、彼女は一人になってしまう。心臓病の彼女がショックを受けて死んでしまうかもしれない。そう思ったら、自首できなかった」
「遠藤昴が転落死したと聞いたあなたは、ダメだったと呟いた。あなたがこのタイミングで自首した理由は、彼女の復讐を止めるためだな?」
「そうだ。自首するために職場を辞めた日、俺は真実を岬ちゃんに打ち明けたんだ。小松原正一を殺したって」


「大橋さんから真実を聞いた私は、復讐を誓いました。あの遭難事故の被害者で生き残っているのは、遠藤昴だけ。彼を呼び出してマンションから突き落としました」
「次の標的は、法務大臣の井伊尚政。彼は二十四年前、交通事故で亡くなったホームレスのシゲの遺体を、小松原正一の物と偽装した。シゲは行方不明だったあなたのお父さん。だから犯行声明に三人の命を奪ったと書いたんですね?」
木原の問いに対して、工藤岬は首を縦に振った。
「そう。法務大臣という立場でありながら、遺体を偽装した彼が許せなかった」


工藤岬の衝撃な告白から一時間後、講演を終えた井伊尚政を、大野と合田が待ち受けた。二人の刑事の姿を見た尚政は、話しかける。
「今度は何ですか?」
「井伊尚政法務大臣。あなたは二十四年前、ホームレスのシゲさんの遺体を、小松原正一さんの物と偽りましたね?」
そのことかと法務大臣は鼻で笑う。
「どこで知ったのかは知らないが、証拠がないでしょう。遺骨からDNA鑑定なんて不可能です」
「お言葉ですが、小松原正一さんの白骨死体が見つかっています。この件がマスコミに知られたら遺体偽装が追及されるでしょう」
「事件を隠蔽すればいいだけの話です」
そう答えた法務大臣は公用車に乗り込む。そして、走り去る公用車に対して、合田は怒りをぶつけ、睨み付けた。


翌日、遠藤昴の葬式が行われた。その場には当然のように喪服を着た浅野房栄公安調査庁長官が出席する。
葬式の後、木原と神津は喪服姿の浅野房栄を日比谷公園に呼び出した。
「あなたのお母さんが、二十四年前の殺人事件を隠蔽したと考えています。そうでなければ、遺体を偽装して殺すなんてできないんですよ」
「そうなのよ。でも、既に時効だから法で裁かれることはないわ。それと、これは関係者しか知らない真実なのだけど、大橋陽一は私のお母さんに買収されていたの。殺害後に事件を隠蔽する契約を結び、彼は十億円を手に入れた。もちろん、そのお金は母の使途不明金の一部。痛い腹を探られたくなかったというのも理由の一つだけど、本当の理由は若手の警察庁の官僚、榊原栄治を上層部に送り込むため」
常軌を逸する目的を聞き、神津の怒りが爆発した。
「そんなことのために、事件を隠蔽したのか?」
「自分の息がかかった駒を上層部に送り込みたかった。それだけのことよ」
浅野は体を回転させ、人差し指を立てて言葉を続けた。
「このことは、誰にも話さないでほしいわ。まあ、事件は時効を迎えているから、何をしても無駄なのよ」
そう伝えた浅野は、二人の刑事から離れた。


夕闇が空を赤く染めた頃、警察庁の刑事局長室を衆議院議員の酒井忠義が訪れた。酒井は机の前に座っている榊原刑事局長に夕刊を渡す。
「上手い事をしましたね。まさか三面記事に追い込むとは」
そう言いながら酒井は、問題の新聞記事を指差す。
『昨日午後六時頃、東京都ロイヤルホールで、介護施設の事務員、工藤岬さんが講演会場でナイフを取り出し、現場を警備していた警察官に逮捕されました』


「色々と手回ししたんですよ。現法務大臣の不祥事を隠すために。浅野先生には感謝していますからね。ここまでしないと恩返しできないでしょう。浅野先生の秘書だった酒井忠義さん」
三面記事を読んだ後、榊原の声をかけられた酒井は、頬を緩めた。
「私にも感謝してください。二十四年前、浅野先生の命令で、小松原正一の弱みを握ろうと尾行したら、大橋陽一が小松原を殺害したのを目撃。あの時、私が浅野先生ではなく警察に電話していたら、あなたはこの場にいなかったのだから」
「もちろん感謝しているよ。政界の悪しき風習を始めた浅野先生にもね」
榊原が頭を下げると、酒井忠義は満足そうに刑事局長室から立ち去った。それから榊原は机の引き出しから黒いクリアファイルを取り出した。
すると、ノック音と共に浅野房栄公安調査庁長官が刑事局長室に姿を見せた。
「待っていたよ。遠藤昴が転落死した現場で燃えていた手紙だ。二十四年前の事件の全容が書かれていた告発文だ。元データは削除済み。これをあなたに渡せば、当初の目的通り、真実を葬り去ることもできる」
榊原からクリアファイルを受け取り、中身を確認した浅野は、鞄からUSBメモリーを取り出す。
『交換条件よ。公安調査庁が独自に入手したテロ組織、退屈な天使達の構成員リスト。殆どが末端構成員の物だけど、使い道あるでしょう』

警察庁の近くで、一台のポルシェボクスターが路上駐車した。運転席には金髪スポーツ刈りの外国人が乗っている。
男の自動車からは、浅野房栄公安調査庁長官の声が流れ、運転手は頬を緩めた。
「構成員リストか」
直後、助手席の上に置かれた男の携帯電話が鳴り、彼は慌てて手に取った。着信欄にはラグエルというコードネームが表示されている。
「俺だ。公安調査庁が俺達の構成員リストを入手したらしい。最も、殆どが末端構成員の情報らしいが」
『そうですか? 一応サマエルに探らせましょう。こちらは自信作が完成しました』
「そうか。そっちはお前に任せる。そろそろライフルが撃ちたくて、ゾクゾクしているぜ」
『そう思って、仕事を用意しました。肩慣らしとして撃ってください。それでは、さようなら。レミエル』
電話は一方的に切れ、レミエルというコードネームの男は、助手席に携帯電話を投げ落とす。それから、テロリストの車は、満月を背に発進した。


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