茶師のポーション~探求編~

神無乃愛

プロローグ1


 とある町にある、小さな店「茶店」。

 そこを経営するのは、五十代のナイスミドルな「マスター」と呼ばれる男だ。
「……不肖の弟子は大丈夫でしょうかねぇ」
 日本最大級の迷宮「富士樹海迷宮」において大規模な魔物大暴走モンスタースタンピードがおき、高ランクの「探求者」たちが現在調査に乗り出している。
 その情報を伝えた客が使っていたグラスを拭きつつ、マスターは呟いた。
「マスターの弟子なら、大丈夫だろ」
 常連客の一人である高根たかねが、新作を試飲しつつ言った。
「そうは言いますが、何せギルドにも記録として残っていない魔物大暴走の調査ですよ」
 マスターとて第一線からは退いたとはいえ、「探求者」だ。魔物大暴走の話はとっくに入っていたし、それが予想をはるかに超えたものだということも知っていた。

 弟子が直接店に来て各種ポーションを購入しつつ、その調査をするとともに、「指名依頼」でとある魔物の肝を納入しなくてはいけないということも聞いた。その魔物というのが問題で、普段であれば「富士樹海迷宮」の中層のヌシといわれる、凶暴な猪型魔物なのだ。

 本来であれば、こういた魔物大暴走が起きたとき、納入クエストはすべてキャンセルされるはずである。
今回キャンセルされなかったのは、依頼金がやたら高い上に、とある政治家の名前を出してキャンセルを拒んだことと、そのクエストを発注したギルド支部のマスターが、その政治家及び、依頼主と懇意であったことなどが重なり、続行されたのだ。
 そのクエストを最初に受注した「探求者」が大暴走初期で命を落としているにもかかわらず、だ。

 元々、迷宮に入ってしまえば、己の命を守るのは「探求者」自身であり、その責任を負うものはいない。
 だからこそ、ベテランの「探求者」になればなるほど、準備を怠らない。

 マスターの弟子も周囲には「ベテラン」と呼ばれる「探求者」だが、マスターからしてみれば、まだまだひよっこ。心配するのも仕方がない。
「マスター、ポーション出来た?」
 からんからん、という音とともに入ってきた若い男がすぐさま言った。
「いらっしゃいませ。既に出来ております」
 この男の名を井瀬いのせといい、同じ雑居ビルの中にある「井瀬薬局」の店主であり、雑居ビルの大家の家族だ。
「悪いね、急がせて。ギルドからもせかされてさ」
「でしょうねぇ。ギルドでもポーションはストックしておかないと、今回はまずいでしょうし」
 ポーションと薬は、厳密に分けられている。ポーションは「薬師」と呼ばれる者が作り魔物から負わされた怪我や状態異常等にしか効かない。そのほかに関しては、薬でなくてはならないのだ。
 ちなみに、ポーションは「探求者」以外も買えるが、「探求者」が買い求めるよりも十倍近い金が必要になる。
「ポーションの納入頻度がかなりヤバい。昨日納入してもらったの、半分以上ギルドに徴収された上に、全部はけた」
 ぴくり、高根の顔が引きつった。
「マスターの作るポーションっていったら、上級から特級レベルだよ? お値段だっていいし……」
「そう。ギルド側で備蓄してるってだけならいいけどさ、それが無くなるくらいなんて言ったら、かなりだね」
「なるほど。いい情報をありがとうございます。私も伝手を使って、ポーションのはけ具合を確認しますか」
 一息つけるための茶を井瀬に出しつつ、マスターは呟いた。
「お、今日は何のお茶?」
「井瀬様が大好きな、中国紅茶『正山小種ラプサン・スーチョンです」
「サンキュー。ちょうど切れたから、これも買ってく」
「ありがとうございます」
 中国紅茶「正山小種ラプサン・スーチョン」。紅茶の茶葉を松葉で燻して着香したフレーバーティの一種であり、中国紅茶の一つだ。この燻した匂いを好むか否かで、好き嫌いが分かれる茶でもある。井瀬は正山小種の中でも薫香くんこうが弱いものを好むため、一般に出回っている正山小種では飲みにくいらしい。

 ここに来る常連だけでなく、一度でも来た客の好みをすべてマスターは覚えている。
 それも仕事のうちと思っているというのもあるが、少しでも茶を好きになって欲しいという、マスターの想いが強い。
「ごちそうさん。やっぱりいつものアールグレイがいいな」
「ありがとうございます。高根様専用にブレンドされた、アールグレイでございます」
 ああでもない、こうでもないと高根と話し合いつつ作ったアールグレイ。色々試飲しても、高根が買っていくのはこれだけである。
「師匠!!」
 ベルがけたたましく鳴ると同時に、乱暴に扉が開いた。
「行儀が悪いですよ、この馬鹿弟子」
 礼儀作法と「探求者」としてのノウハウだけは弟子に教え込んだはずである。

「悪い! だけど急ぎなんだ。ここに井瀬さん呼んで!!」
「はい、何かな? 裕里ゆうさと君」
「急患! 上級の回復ポーションと特級の解毒ポーションを複数ずつ!!」
 直接マスターに言ってこないということは、弟子と一緒にパーティを組んでいる輩が、状態異常にかかったわけではない。
「はいよ。ったく、仕入れて、、、、ひと段落着いたばかりなんだけどね。すぐ使う場合は、割増になるけど大丈夫なの?」
 その言葉に、弟子が後ろをちらりと見た。顔を青くした一人が頷いたのを見て、高根と井瀬がすぐさま契約書を作成した。
 あとでごねられては困る。一本無いがために、ギルド側に納品が出来なくて困るのは、井瀬である。マスターはあくまで、井瀬からの依頼を受けてポーションを作っているに過ぎない。

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