~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。

簗瀬 美梨架

ようこそ、我が、神の業火の世界へ

 炎が二人を包み込んだ。誰も訪れない、地下の井戸。ひっそりと眠っていた壁画が燃え落ち、たくさんの男姿の影がティティの前を通り過ぎた。アケト・アテンに生きた王たち。誰も彼もが未来を見て、裁きを否定し、非情になって、民を導いた。

***

(すごい。諱の力は世界を繋ぐ。霊魂アクとなって、星の命にかえってゆくの)


 サアラ神に抱きかかえられた銀河の世界。数多の諱がキラキラと飛び交っている。揺れる泉に舞い降りた。


「星の命の泉。役目を終えた諱が眠る場所。何とか行けそうだ。一休みするか」

 星の海の中で、ティティは首を振った。

「一刻も早く、イザークのところへ行きたい」

「では、急降下だ。眼を瞑って。イザークとの夜でも考えていればいいだろう」

 足元の巨大な炎は黒い臭気を放っていた。銀河の一角の赤い渦。炎は中心で燃えさかっていた。「あれ、何……」あまりの恐怖で、ティティはサアラの肩にしがみついた。

罪人アザエルの灼熱海。マアトは最下部だ。マアトは、あれを作るために我らを貶めた。時期になれば、この炎の中から舞い上がり、汝の世界へ裁きに向かう」

 ティティは辺りを見回した。生命の泉は大きな樹を生やし、ゆっくりと傾いでいる。足元にはぱっくりと開いた地獄の業火が見えた。天上は遠き世界。様々な世界が時空の中に恰も雫の如く、浮いている。
「わたしの来た世界はどこ?」


「常に背後だ。死んだわけではない。見よ、あれが、本来の私の姿。あの結びつけているものが何だか、わかるだろう。ティティインカ」

 白く蠢く物体に赤く滲んだ鎖は人の手と、諱だ。たくさんの聖刻文字が、輝こうとする球体を抑えつけていた。

「汝らで言う、太陽。もう分かっているのだろう」

 サアラは視線を懐かしそうに雁字搦めになった球体に向ける。

「うん、サアラの名前はアラー、だもの。太陽神さま。でも、人の諱で捕まってる。神さまなのに、人の邪念に負けちゃったの?」

「ネフトに似て来たか? 大した物言いだ。心を律せ。憎悪に勝つ。飛び込む――」

 ティティを横抱きにして、サアラは炎に飛び込んだ。視界が霞む。髪が炎に焼かれて、頬が痛い。「もう少しだ。緩ませるなよ」サアラに頷いて、ティティはぎゅっとスカラベを握りしめた。燃えさかる炎は黒炎だ。

 心を焼き尽くそうとする、捨てられた人の無数の諱炎。

「平和を望まない争いの種。不要とされた諱を悪諱と呼ぶ。イザークも本来はこの炎の仲間入りだ。ネフトも、私も依存はない。だが、マアトはイザークを裁きはしたが、生かしている。もしかするとマアトは千年ぶりに愛を裁く気か」

 ティティは轟音の中、サアラの手を握りしめた。マアト神は絶対にイザークとティティを認めやしない。やっとの想いで邂逅した瞬間でさえ、二人を引き裂いた。

「わたしたちの愛は裁きに負けたりしない。信じて」

 サアラは炎を泳ぎながら、返事の如く、ゆっくりとティティの手を握り返した。

「ティティインカ。――ここまでのようだ」

 サアラの顔が溶け始める。サアラはふわりと炎の銀河に浮いた。

「神であろうと、全能とは限らない。強い想いには勝てない、忘れるな」

「サアラさま!」炎に崩れ落ちたサアラの姿は、見えなくなった。無数の赤い手が伸びてきた。降下するティティの邪魔をする悪諱たちだ。クフの腕、ターナパトラの腕。捨てられた悪諱たちが待ち構えている。ぞっとしてティティは眼を瞑った。

(怖い! 助けて、誰か……呑み込まれる。悪諱の呪いに)

 眩い閃光が泉から走った。

 星命泉に、王の姿をした父と王妃の母が浮かび上がった。諱を世界に貰い、身体を作ってくれた父母は、子供にとっては神だ。いつだって一緒だ。


『神さまお願い、の言葉は父母を超え、我らに届く。神に祈るより、互いに、己のために、己の力で、己の幸せを祈ればいい、不思議な娘――ティティインカ。きみの諱の意味を教えよう。希望だ。我らの世界から、生まれた。今こそ、行け――』


「サアラさま……貴方の最後の力?」


 涙が止まらずに振り返ると、縛り付けられた球体は、どろどろに溶け始めていた。あの球体がサアラの本体の、本来世界にあるべきはずの太陽だ。銀河の、炎の地獄に投げ捨てられた命の塊。人とともになければならない愛情をマアトはまず奪い去った。

 地獄の世界を与え、裁きに晒した。


(ネフトさまも消えた、とサアラさまは告げた。幾千の人と出逢いと別れを繰り返し、親子も終わって、最期はたった一人ぼっちになる。生は一期一会で、繋がりなどない。それでも、貴方にまた出逢いたい――)


 悪諱の手を振りきり、ティティは神の空間で絶叫した。


「イザーク! わたしを引き寄せて! 今こそ、繋がりたいの!」


 ティティは霊魂アクとなって、炎の坩堝に飛び込んだ。霞む左眼から、腕、足が動かない。動かす、との認識もゆっくりと、消えてゆく。視る、聞く、感じる……すべての感覚が神の手で剥がされる。五感の奥に潜む、小さな炎まで吹き消されそうな。


(イザークへの愛! これは、手放さない! 繋がっているのは諱じゃない。心だ)


 今こそ、繋がる。心と心で。これは、渡さない!


 ティティはぽつんと残った心臓イブを透けた腕で抱き締めた。翅は無限銀河に広がり、ティティの意識はぷつんと途絶え――。



***


『あ、目覚めたみたいですぅ。うふふ、驚いてますぅ。判りますか~?』

 ティティはぺたりと手足をつけた。気付けば無数の瓶の中の一つにティティはいた。

 服はない。身体もどこからが肉体で、どの感覚が生きているのか分からない。霊魂アクだ。
 瓶の向こうでせせら笑いと、マアト神の声がした。


『――サアラ神も、ネフティス神も消えた。ようこそ、我が、神の業火の世界へ』

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