~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。
神への対抗手段
*4*
マアト神の手には四つに分かれた大きな剣。振り回しては大地を割る。
ティティは震えを抑えられず、それでも必死に懇願した。
「止めて! もう、クフは裁いたのでしょ! イザークを返して! 愛してる、わたしの夫に逢わせて!」
「……愛? 愛している夫とは、先ほど下劣に響いた声の主か?」
――黒い大きな翅、動かない瞳。裁きのための剣を握った腕。
ティティは何度も唾を飲み込んだ。ちろ、とマアト神の双眸が動いた。
マアト神はずいっとティティに顔を近づけた。
――神の眼を間近で見た。深淵だ。炎の深淵。ティティは震えそうになる足を叱った。それでも、もう限界だった。ティティは恐ろしさの前で、頽れた。
「イザークに、逢いたい……お願い、神さま、夫、イザークの声が聴きたいの」
マアト神は片膝をつき、ティティに屈み込んだ。
「神の前では静かにするものだ。汝、うるさい」
「逢いたいの! ねえ、どうして! どうしてみんなを裁くの? そんなにわたしたちは生きていてはいけないの? じゃあ、どうして諱なんかがあるの!」
マアト神は立ち上がり、また耳に小指を突っ込んだ。ティティは構わず続けた。
「イザークに、逢いたいのよ! 逢わせて!」
「裁きを再開して構わないか。ティティインカ……か。よい諱を貰ったものだ」
墨を流した眼がティティをモノの如く一瞥した。びく、とティティは肩を震わせてマアト神を見詰めた。マアト神は耳を塞いだ手を下ろし、空を見上げた。一際明るい光が赤黒い空を奔った。
「――赤い流れ星……何という事態だ。近くにサアラが、いる。面倒はご免だな」
呟くとマアト神は大きな翼をはためかせて羽ばたき、オベリスクの上空に浮かんで鳥瞰の姿勢になった。
「待って! わたしも連れて行って!」懇願の中、黄金の翼を翻したマアト神は、一瞬だけ地上のティティに視線を投げたが、大きく羽ばたいて天に消えた。
無人の神殿で、赤いオベリスクだけが変わらずに聳えていた。
***
ティティは呆然と座り込んでいたが、ようやく動いてオベリスクに歩み寄った。涙を振り切ってオベリスクに手を当てる。ひんやりと、冷たい。
イザークの名前は上から人々の怨念の籠もった聖刻文字で雁字搦めになっていた。助けられそうにない。涙目で、ティティはオベリスクを見つめた。慰霊碑の迫力を今さらながら、感じる。〝未亡人〟思いついた言葉に愕然とした。
「イザーク……弟さんがそっち行ったよ? わたしはまた、ひとりぼっちよ……どうしたら、いい? 神さまに苛められてるのに! なんで来てくれないのよ!」
名前を出して、泣き崩れた。
(どこにも、いない。また逢えるなんて奇跡はない。深い心の絶望の沼に陥りそう)
こういうときに、聞こえた声は、どんな声音だった? 絶望する度に包んだ腕は。
(ちょっと力強くて、でもよわよわで、奥深しいようでいて、大胆な明るい声で)
『大丈夫だ、ティ。愛してる』
吐息がした。
(吐息? あ、うん、そう、こんな感じ。ここまで正確に表現出来ると怖い気がする)
『気付いてねえなあ……おーい、ティティインカ。愛してるぜ~』
幻聴ではない? ティティはまた慌てて周囲を見回した。生き残った者達が蠢いている。『こっちだ、こっち』声はティティの中から聞こえてくる。
『世界は、全てが緻密に繋がった平織りの布。表裏一体。クフが悪かったな。俺が残した諱を見つけ、正しい裁きに導いた貴女に礼を言う』
きょろきょろとティティは首が痛くなるほど、見回したが、声の出所は判らない。
「どこにいるの? こっち、見えて……あ」
想像もできない遠い世界。手の中のスカラベだった。イザークはティティの御守りを今も持っているのだ。繋げているは、ティティの想いの籠もった甲虫石だった。
『ああ、やっと気付いたか。ティティ、これだけは言いたい。どこにいようが愛してる。身体なんか要らん。俺は、魂レベルでティティを抱けるぜ。今もずっと抱いてる』
……裁かれても変わらない口説きの連発。本当。離れていても、こんなにも近い。
「テネヴェが滅ぼされたよ」
『心配要らん。この俺を産んだ国だ。そのうちケロリと立ち直る。ティ、これでスタートに戻った。教えるよ。アメン=レストはラムセスの本名だ』
イザークの声は少し間を置かれ、響いた。ぼそりと告げている顔が浮かぶ。
(逢いたい)緩みそうになる心は自分で支えて。ティティは久々の声音に耳を貸した。
『全ては、マアト神から世界を取り戻すための作戦だ。俺は諱を故郷に封じ、ラムセスは死者の聖典を手にする。神への対抗手段を見つけるまで、非情にならねばならなかったんだ』
言葉が止んだ。ティティは眼を閉じた。父が、母が、兄が浮かんでは消える。
『ラムセスは多分、手中にしている。《死者の聖典》だ。見ればこの世界の不条理や、謎が解ける。いつの時代も、神に逆らう存在はある。この時代では、俺と貴女だ――』
神に逆らうための存在――……ティティはスカラベを強く握りしめた。
(戻っただけだ。わたしには、一人でラムセスに向かい合う義務があった。アケトアテンに戻らなければ)
「どうしても、気になることがあるの。一人でも、やるから、見ていて」
ティティは告げ終えると、スカラベをそっと仕舞った。もう充分だ。歩き出せる。愛する人は、きっと迷わずに導いてくれる。遠い世界から、繋がりの何処かで。
「わたしは、今より、家族の敵を取る。そうして、貴方を奪い返すのよ」
大気になって、貴方にもう一度会えたなら。魂無くしても構わない――。
マアト神の手には四つに分かれた大きな剣。振り回しては大地を割る。
ティティは震えを抑えられず、それでも必死に懇願した。
「止めて! もう、クフは裁いたのでしょ! イザークを返して! 愛してる、わたしの夫に逢わせて!」
「……愛? 愛している夫とは、先ほど下劣に響いた声の主か?」
――黒い大きな翅、動かない瞳。裁きのための剣を握った腕。
ティティは何度も唾を飲み込んだ。ちろ、とマアト神の双眸が動いた。
マアト神はずいっとティティに顔を近づけた。
――神の眼を間近で見た。深淵だ。炎の深淵。ティティは震えそうになる足を叱った。それでも、もう限界だった。ティティは恐ろしさの前で、頽れた。
「イザークに、逢いたい……お願い、神さま、夫、イザークの声が聴きたいの」
マアト神は片膝をつき、ティティに屈み込んだ。
「神の前では静かにするものだ。汝、うるさい」
「逢いたいの! ねえ、どうして! どうしてみんなを裁くの? そんなにわたしたちは生きていてはいけないの? じゃあ、どうして諱なんかがあるの!」
マアト神は立ち上がり、また耳に小指を突っ込んだ。ティティは構わず続けた。
「イザークに、逢いたいのよ! 逢わせて!」
「裁きを再開して構わないか。ティティインカ……か。よい諱を貰ったものだ」
墨を流した眼がティティをモノの如く一瞥した。びく、とティティは肩を震わせてマアト神を見詰めた。マアト神は耳を塞いだ手を下ろし、空を見上げた。一際明るい光が赤黒い空を奔った。
「――赤い流れ星……何という事態だ。近くにサアラが、いる。面倒はご免だな」
呟くとマアト神は大きな翼をはためかせて羽ばたき、オベリスクの上空に浮かんで鳥瞰の姿勢になった。
「待って! わたしも連れて行って!」懇願の中、黄金の翼を翻したマアト神は、一瞬だけ地上のティティに視線を投げたが、大きく羽ばたいて天に消えた。
無人の神殿で、赤いオベリスクだけが変わらずに聳えていた。
***
ティティは呆然と座り込んでいたが、ようやく動いてオベリスクに歩み寄った。涙を振り切ってオベリスクに手を当てる。ひんやりと、冷たい。
イザークの名前は上から人々の怨念の籠もった聖刻文字で雁字搦めになっていた。助けられそうにない。涙目で、ティティはオベリスクを見つめた。慰霊碑の迫力を今さらながら、感じる。〝未亡人〟思いついた言葉に愕然とした。
「イザーク……弟さんがそっち行ったよ? わたしはまた、ひとりぼっちよ……どうしたら、いい? 神さまに苛められてるのに! なんで来てくれないのよ!」
名前を出して、泣き崩れた。
(どこにも、いない。また逢えるなんて奇跡はない。深い心の絶望の沼に陥りそう)
こういうときに、聞こえた声は、どんな声音だった? 絶望する度に包んだ腕は。
(ちょっと力強くて、でもよわよわで、奥深しいようでいて、大胆な明るい声で)
『大丈夫だ、ティ。愛してる』
吐息がした。
(吐息? あ、うん、そう、こんな感じ。ここまで正確に表現出来ると怖い気がする)
『気付いてねえなあ……おーい、ティティインカ。愛してるぜ~』
幻聴ではない? ティティはまた慌てて周囲を見回した。生き残った者達が蠢いている。『こっちだ、こっち』声はティティの中から聞こえてくる。
『世界は、全てが緻密に繋がった平織りの布。表裏一体。クフが悪かったな。俺が残した諱を見つけ、正しい裁きに導いた貴女に礼を言う』
きょろきょろとティティは首が痛くなるほど、見回したが、声の出所は判らない。
「どこにいるの? こっち、見えて……あ」
想像もできない遠い世界。手の中のスカラベだった。イザークはティティの御守りを今も持っているのだ。繋げているは、ティティの想いの籠もった甲虫石だった。
『ああ、やっと気付いたか。ティティ、これだけは言いたい。どこにいようが愛してる。身体なんか要らん。俺は、魂レベルでティティを抱けるぜ。今もずっと抱いてる』
……裁かれても変わらない口説きの連発。本当。離れていても、こんなにも近い。
「テネヴェが滅ぼされたよ」
『心配要らん。この俺を産んだ国だ。そのうちケロリと立ち直る。ティ、これでスタートに戻った。教えるよ。アメン=レストはラムセスの本名だ』
イザークの声は少し間を置かれ、響いた。ぼそりと告げている顔が浮かぶ。
(逢いたい)緩みそうになる心は自分で支えて。ティティは久々の声音に耳を貸した。
『全ては、マアト神から世界を取り戻すための作戦だ。俺は諱を故郷に封じ、ラムセスは死者の聖典を手にする。神への対抗手段を見つけるまで、非情にならねばならなかったんだ』
言葉が止んだ。ティティは眼を閉じた。父が、母が、兄が浮かんでは消える。
『ラムセスは多分、手中にしている。《死者の聖典》だ。見ればこの世界の不条理や、謎が解ける。いつの時代も、神に逆らう存在はある。この時代では、俺と貴女だ――』
神に逆らうための存在――……ティティはスカラベを強く握りしめた。
(戻っただけだ。わたしには、一人でラムセスに向かい合う義務があった。アケトアテンに戻らなければ)
「どうしても、気になることがあるの。一人でも、やるから、見ていて」
ティティは告げ終えると、スカラベをそっと仕舞った。もう充分だ。歩き出せる。愛する人は、きっと迷わずに導いてくれる。遠い世界から、繋がりの何処かで。
「わたしは、今より、家族の敵を取る。そうして、貴方を奪い返すのよ」
大気になって、貴方にもう一度会えたなら。魂無くしても構わない――。
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