~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。

簗瀬 美梨架

古代の神々に聞こえる。神殿ではお静かに

***


 アケト・アテン王国の中枢、首都カルナヴァルの大神殿は代々の王の居住地である。光溢れる空と広大な大地が見渡せる絶景は、王女であるティティの住まいでもある。



 ――先日までは……の話。




(突然現れた軍事国テネヴェからの軍に、居城は瞬く間に押さえられた。父と母にはまだ逢えていない。王女のわたしだけ捕獲され、王の前に引き摺り出され!)

「さて、我が妹。思う存分叫ぶはいいが、古代の神々に聞こえる。神殿ではお静かに」

 はっと口を押さえた。兄モドキのラムセスの口調が独特の冷たさではあるが、優しくなった。背後の男がちら、とラムセスを見やる。充血しているかの如く赤い瞳。まるで夜の狼。獰猛な気配だが、笑顔は意外にも普通で、拍子抜け。

「背後の狼はおまえのために、呼び寄せた。神殿を追い出されても、商人の妻としてなら、まァ、裕福な暮らしができるはずだ」

(商人の妻?)首を傾げたティティの前で、ラムセスはすっと王座から立ち上がった。

 頭に来る冷静なこの態度。近づくなり、スイと指で顎を引かれた。

「フフ、どことなく、似ている。妹か。やはり兄妹がいる事実はいいものだ」

 ティティは至近距離で兄モドキを睨み上げ、憎まれ口を叩いた。

「どこが兄妹よ。似てないわよ。わたしは平然と侵略を企てる陰険な目はしていない」

(――がつっと顔を捕まれた。面白がられている)

 屈辱を噛み締めたティティに気づき、ラムセスはニィと眼を細めた。

「残念だ。妹でなければ、我が妻にし、神殿に住まわせてやれた。しかし、妹となれば、さすがの俺もそばに置けないし、父と母のように消すも忍びない。なかなか好みの顔をしているが、神の教えには背けないな」

 意味の分からない言葉を並べるだけ並べて、ラムセス王は笏丈をティティに向けた。

「感謝しろ。マアト神の裁きが蔓延る世界に、一人では生きて行くも辛かろう。俺の親友を伴侶として授けてやる。ティティインカ王女、王の厳命を下す。イザーク・シュラウドの妻として降嫁せよ。イザーク。いい加減にティティのほうへいけ」

「すまん、ついつい特等席で鑑賞しちまった。やり取りが微笑ましくてね」

 感情豊かな声が耳に届いたが、言葉が出ない。ティティは眼を瞠って、ラムセスを睨んだ。

「このわたしに、商人の妻になれと? わたしはかのラムセス十六世の第一王女」
「死した王になんの権限もないだろうに」

(――死した? 死……?)憂うティティに気付いたのか、狼がズカズカと歩いて、ティティの横に並ぶ。蹌踉けたティティの肩をしっかりした腕が掴んだ。

「おい、ラムセス。女に嘘は良くねぇ。――生きてるぜ。貴女の両親。俺が逃がしたんだから間違いがない。そもそもラムセスの目的は――おい、大丈夫か」

 ほ……。安堵と緩みを顔に出して、ティティは思わず両手で頬を叩いた。くるりと背中を向けた。敵の前で安堵を見せた、自分への怒りがわき上がった。

(正統なるアケトアテン王国王女たるもの! このままにはしないわ)

 ティティは袖に手を突っ込み、お護りを確認した。こっそり握った石はスカラベと呼ぶ。中に生きた虫を詰めて使うことで、古代神への交渉する媒体になる。

(奥の手、出してやる。誰が大人しく言うことなんか聞くか。もう容赦ナシ。全力で行く。まとめて、スカラベに封じ込めてやるんだから!)

 アケトアテンにおいて、甲虫を使用した宝玉呪術は大切な祭事。男二人に虚仮にされたティティは怒りをぐっとこらえ、ふんと言い放った。

「貴方、わたしの能力を知らないようね。わたしは生まれつきの呪術の能力がある。運命や諱が分かれば、あんたの運命もちっぽけなスカラベに変わるのよ!」

「まさか、おい、ラムセス。この王女、本物の呪術使いか……?」

 イザークがティティを窺ったが、激昂しているティティにはどうでもいい。冥府への交渉の神はネフティス神。助力を願い、精一杯呪文を込めるだけだ。

〝ティ、いーい? 神さま一人一人にちゃんと想いを込めるのよ。必ず、応えてくれるから。でも、何が在っても、憎しみを込めてはいけませんよ〟

 母の優しかった呪術を思い出す。でも今、憎しみを込めなかったら、いつ使うのか。

(わたしはどうなってもいい。――そのための、神が許した呪術力だ)

「やれるものならやってごらん。だが、それには俺の魂名――諱が不可欠。面白い。古の呪術を扱えるとの噂は本当か。ははっ、兄妹喧嘩の発展系が古代呪術か! 面白い、面白いぞ、気に入った、妹……!」

「おへそまがり! 言葉に二言はないわね? 厳格なネフティス神の前で、みっともなく土下座すりゃいいのよ! 父と母を帰して! 闇に取り憑かれて消えなさい!」

 スカラベを指に挟み、呪文を思い浮かべた。

(諱なんか知らなくても、冥府の女神の力で鉄槌は下せる……やってやる!)

 突如肩をぐいと引き寄せられた。イザークの腕環が視界に飛び込む。やたら高級な紅水晶は磨かれて、ティティの憎悪を映していた。

「巻き添え食らいたいの? そうよね、貴方も同じ立場のようね!」

「王女、落ち着け。相手は愚兄かも知れないが、今やこの大陸のアテインアテン王だ。神の代弁者を殺せば、あんたの命も危なくなる」

 ティティは震える腕をまっすぐにラムセスに向けた。イザークは動じずに、ゆっくりと予言者のように耳元に唇を寄せ、諭す口調になった。

「王女。王女が無事であることをあんたの両親は望み、地を去った。自分たちの命は構わない。だから、ティティインカを助けてくれと。ラムセスはあんたを殺そうとはしていない。――俺と結婚することが、たった一つの生き延びる術だと理解しろ」

「生き延びる……」呆然と洩らした呟きに、ひゅっと怒りが消えてゆく感覚。

 イザークは、ゆっくりとティティから視線を逸らさずに繰り返した。一縷も視線を外さない。赤い眼の後では、元の色の灰色の瞳が煌めいている。

(なんて、強い眼差し。燃えてるみたい)

 ティティは小さく頷き、唇を軽く咬んだ。ラムセスへの怒りもあるが、窘められて気力負けした事実が悔しい。

「邪魔したな。だが、生き延びれば、親父さんたちに逢える。相手が俺で良かったな。歴代の王女たちが辿った捕虜の運命を考えれば分かるだろ? さすがの悪魔の親友も妹に手はださんようだ」

 翳した手から、スカラベがするんと落ちた。動きを止めた頭上では、イザークが声を張り上げていた。

「ラムセス! 予定通り、俺は王女を連れて行く。行こう、ティティインカ王女」
「フン、マアト神の裁きがあらんことを」

 最大の厭味を最後に、ラムセスは背を向けた。吐息と共に、腕の力が強くなった。



 ――泣くものか。空を見上げた。光はあるが、太陽など見当たらない空を。

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