~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。

簗瀬 美梨架

マアト神の裁きの気配が近づく夜

***

 ――ここで暮らすの。

 風景に愕然とした。家は粗末の一言に尽きた。歩くとすぐに外に出た。イザークが手車から降ろした商品を部屋に運び込み、山にしたお陰で、更に小屋は狭くなった。

「狭いんですけど!」

 膨れた前で、イザークはずいとティティに顔を近づけて見せた。

「いいだろ? 距離が近いぜ」言うと、コポコポと水差しから水を注ぎ、差し出した。

「ご苦労さん。今日は商売終わりだ。大きな取引前にラムセスに呼ばれたんでね。聞きたい話がありそうだから、貴方のご機嫌伺いが優先とみた。ふくれっ面」

 むに、と頬を抓まれて、ティティはばし、と手を振り払った。だが、話の機会はありがたい。甘えさせていただきましょ、と向き直る。


「――わたしと、ラムセスが兄妹って話。本当? 父と母を逃がしたって……あなたはラムセスと知り合い? あと、目がどうしていつも充血していて狼のようなの?」

「待て待て待て待て。質問が多い上に、早い。俺には呪文扱えるような機転はねえぞ」
「どうして、邪魔をしたのよ……」

 イザークは困惑笑いを漏らし、「言った通りだ」と繰り返した。

「あんたの両親に頼まれた。ラムセスは間違いなく兄で、俺とは遠き国のテネヴェで知り合った親友だ。俺の眼? 寝てなくて、大抵充血してる。以上だな」

「じゃあ寝たら?」ティティは告げて(わたしの寝床)と眼で追ったが、どう見てもベッドは一つしかない。背中に冷や汗が垂れた。まさかと思いながら、質問を重ねた。

「もう一つ、いい? わたしの、寝る場所……ここ?」


 イザークが水を噴き出した。肯定だった。ややして――


***


「こっち来ないで! 放っておいてくれないなら、スカラベに封じちゃうから!」

 ティティは上布にくるまって蓑虫になっていた。
 裁きの前の暴風の中、既に険悪な暴風がハピの家に吹き荒れた。

「いいぜ、好きにしろよ。寂しくなったら俺の腕に潜り込め。裁きもそのうち怖くなくならァ。俺は床で寝るから構わない。おやすみ」

(信じられない! 床? 床って! 絶対、頼るものか!)

 意地を張っていたが、深夜になると、暴風は遠慮なく家を軋ませた。
 神殿と違って火がすぐに消える。マアト神の裁きの気配が近づいて来た。
 神は邪悪と思しき生命を狩りに夜現れる。狂った月が悲鳴を上げ始めた。

 ティティは蓑虫になったまま、背中を丸めた。嵐に晒されるなど、生まれて初めてだ。どの神さまを呼んでも、きっと世界に嫌がらせをするマアト神には適わない。

(うう、耐えられない! 神殿に戻りたいよ……っ! 小屋、潰れちゃうよ)

「ほら、意地張ってんじゃねえ。おまえは俺の妻(予定)だ。こっち、おいで」

 むっくりした上掛けの上に、重量感を感じ、ティティはもそっと顔を出した。イザークがティティを上から抱き締めている。すん、と鼻を啜った。

「やっぱり泣いてたな。ティティインカ、俺を信用しろ。――おまえが生きるために、世界に用意された夫(予定)だ。悪いようにはならんよ」

「世界って大袈裟過ぎ」
「いないよりマシだろ。そこはラムセスに同感するね」

 きょと、とティティは闇の中で瞳を瞬かせた。

「一緒にいてくれるの? 何で? ラムセスに命じられたから?」

 イザークは闇の中で、ティティの手を握った。裁きの赤い光が姿を浮かび上がらせる。分かる、微笑んでくれてる。同情はごめんだといいかけたところに、先手が来た。

「俺が一緒にいてやりたいと思った。……と言ったら?」

 ティティはがばりと起き上がった。コブラ髪をふわんと揺らして、僅かに驚いた様子のイザークの手を握りしめ、矢継ぎ早に問うた。

「なら、一緒に父、母を探してくれる? それと、ラムセスの諱も、あと――」

「分かった、分かったから。一緒にいるし、ラムセスにゃ悪いが、俺は業突く張りで分からず屋の親友なんぞ、平気で裏切るタダの商人ですのでね」

(くすす)笑いの滲んだティティの濡れた頬に大きな手が添えられた。頬を撫でられる経験すら初めてのティティは大きく目を瞠った。

(男の人の手って、なんて心地良いの。お母様とは違う。なんだろう……わたしは、こんな感触は知らない。心まで届くような、こんな安定した安心感は知らない)

「いい子だ」きょと、と瞬きを繰り返していたが、ほんのりとした砂の匂いに瞼が重くなってくる。

 出逢ったばかりだ。なのに、どうして安心なんか出来るの……。
 ――ああ、駄目。裁きの雷が怖い。

(それより、これ、あったかい。うん、悪くな……い。でも一応、用心はしておこう)

 ティティはむぐむぐと神への呪文を呟き始めた。


「……嘘を裁いてくれるのはネフティス神……呪文は……」

 微睡む直前、唇を撫でられた気がする。瞬間、呪文も何もかもが真っ白になった。


「嘘を裁く? 鋭いな。ティティインカ。俺と貴女は――」


 いつになく真剣な優しいイザークの声がティティを包む。しかし最後は微睡みの波に呑まれ、聞き取れなかった。

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