本音を言えない私にダサ眼鏡の彼氏ができました。
2 神崎くん家で勉強会
8月3日木曜日、11時から勉強会は始まった。
玄関扉が開くと、黒のTシャツにスキニーデニム、そしてダサ眼鏡をかけたラフな格好の神崎くんが迎えてくれた。私服、普通だ。久しぶりにダサ眼鏡を見たけど、髪型がさっぱりしたから無理すればオシャレ眼鏡に見えなくもない、ような気がするのはさすがに身内びいき過ぎるかな。
そんな神崎くんに案内されて部屋にお邪魔すると、前に来たときはなかった折りたたみのローテーブルがあって、そこにショートカットの女の子が勉強道具を広げて座っていた。
黒髪で日に焼けていて、細いけど、胸は大きい。Tシャツの胸のところがはちきれそうになっている。胸は負けた。しかも、つり目がちだけど、かなり可愛い。しかも、ショーパンから伸びる足はすらりと長い。きっと何かスポーツをやってたんだと思わせる健康的な美人だった。
考えてみたら、サッカー部のエースでモテモテの田辺くんの妹なんだから、美形でもおかしくないんだった。
「紹介するよ。電話でも言ったけど、田辺ヒロカ。ジローの妹で俺の幼馴染だ。それで、こちらが相田ナナさん。俺の彼女」
「はじめまして、ナナです♡ 受験生なんだってね。勉強一緒に頑張ろ! ヒロカちゃんって呼んでいい?」
私は愛想よくヒロカちゃんに話しかけた。するとヒロカちゃんは機嫌悪そうに頷いた。明らかにこちらに敵意を感じる。予想はしていたけど、やっぱりか。
「こら、ヒロカ。相田さんにちゃんと挨拶しろよ」
「ええ。だってダイチくん。この人ホントに勉強する気あるのかよ? こんな短いワンピースにキメキメの髪にがっつり化粧して来て。ダイチくんとイチャイチャしに来ただけだったら、邪魔!」
たしなめられると、ヒロカちゃんは男の子っぽい言葉遣いとは裏腹に拗ねたような甘え声で神崎くんに訴えた。そう言われて、神崎くんが私を見た。
今日の私は、デニムの半袖ワンピースに、お兄ちゃんに編んでもらったふわふわ三つ編みに麦わら帽子、そして神崎くんがくれた薔薇のネックレスだ。ちなみに素足に白のウェッジソールのサンダルで来たけど、それは今玄関においてある。
もちろん、ペディキュアもばっちり塗ってきた。白と透明で描いたハート柄。透明のジェルは透けるから自爪のピンクが浮かんで見える仕様になっている。今日のために、お兄ちゃんの友達のネイリスト見習いさんにやってもらったの!
神崎くんは、目が合うと照れて目線を外した。そう言えば、私服を見てもらったのは初めてだったっけ。悪くない反応かな。当然!
「化粧してるなんて気付かなかった。相田さんはいつも通りだ」
「ええ!? 学校行く時もこんなにキメキメなのか!? 信じられない! 不良!」
「ちょっと待って! 私、お化粧なんてグロスくらいしかしてないよ」
耐え切れなくなって、思わずそう訂正すると、ヒロカちゃんは仰け反って驚いた。
「だって、そのまつ毛! マスカラも無しにそんなに長いわけ」
「残念! これは、自まつ毛です」
思わずドヤ顔になってしまったかな。信じられない、という顔で黙るヒロカちゃん。ふふ。敵が中学生と知っていたからね。こんなこともあろうかと今日はお化粧なしで来たんだ。本当は学校行く時は、もう少しお化粧して行くんだけどね。
「ふ~ん。顔だけは可愛いみたいだね」
ヒロカちゃんはそう言うと、悔しそうに俯いて勉強を始めた。
「ごめん、相田さん。ヒロカのやつ態度悪くて。今日機嫌悪いみたいなんだ」
「ううん。いいの。受験生だから仕方ないよ」
もちろん、ヒロカちゃんが機嫌が悪いのは、受験生だからなんかじゃないことは分かっているけど、物分りの良い優しい彼女を演じる作戦で通すって決めたんだ。多少、イラついても気にしない。
すると、そんな私の気持ちを察したのか、ヒロカちゃんは神崎くんの黒いTシャツの裾を引っ張った。
「ダイチくーん。ヒロカここ分かんなーい」
「ん? どこ?」
神崎くんは、ヒロカちゃんの横に座って、家庭教師モードを発動させた。
ああ! あんなにくっついて! 別に体が触れ合ってるとかではないけど、横に座ってるだけでイライラするう。そこは私の場所なのに!
ヤキモキした視線を送っていたら、ふと神崎くんが顔を上げた。
「ごめん、相田さん。狭くて。俺の勉強机空いてるから、よかったら使って」
ニコ、と笑った神崎くんの顔に他意はない。親切で言ってくれてるんだろうことは分かるんだけど、二人がローテーブルで、私だけ勉強机って、それはないよ!
「そうだよ、ナナさんそんなミニスカートじゃ床に座れないでしょ。ダイチくんはヒロカに教えないといけないから、遠慮しないで勉強机使っていいよ」
ここぞとばかりに意地悪な笑みを浮かべたヒロカちゃんがダメ押しして来て、私は笑顔が剥がれそうになってしまった。
確かに、ローテーブルは狭くて、とても三人が座れるようなスペースはない。あああ、こんな初っ端からイラついてて、4日間も勉強会続けられるのかな!?
「あ、ありがとう」
私は引き攣りそうになる顔をなんとか笑顔の形にして、勉強机に座った。
゜+o。。o+゜♡゜+o。。o+゜♡゜
30分くらい経った後、神崎くんはお昼ご飯を作るためにキッチンに立ったので、私も少しだけ集中して勉強ができた。勉強というか、夏休みの宿題だけど。
だんだんお部屋にいい匂いが漂ってくる。玉ねぎを炒めた時の匂いと、お醤油とお肉の煮えるいい匂い。
「美味しそうな匂い! お腹減って来ちゃった」
「もう出来る。ちょっと待ってて。ヒロカ、悪いけどキリのいいところでテーブルを開けてくれ」
「OK」
ヒロカちゃんは、元気に返事をすると、すぐにテーブルを片付け始めた。ふうん。神崎くんにはずいぶん素直なのね。
神崎くんは紙皿に出来立ての炒飯をつぐと、大きな深皿に盛った豚の角煮と一緒に持って来た。ローテーブルに三人分の食事が並ぶ。お箸はコンビニでもらった割り箸で、コップは足りないから神崎くんは500mlのペットボトルから直接飲む。一人暮らしって感じがして、何故か少しテンションが上がった。
「すごーい! 美味しそう!」
「美味しそうなんじゃなくて、美味しいんだよ」
ヒロカちゃんが、まだ食べてもいないのにドヤ顔で言って来た。
「口に合うと良いんだが」
心配そうに頭をかく神崎くん。
「じゃあ、さっそく。いただきまーす!」
私は手を合わせると、遠慮なく豚の角煮を自分の紙皿にのせた。割り箸で半分に崩して、脂の照りが美味しそうなお肉を頬張る。脂がとろっと溶けて、肉汁が口の中いっぱいに広がった。
「お、美味しーい!」
感動して思わずにやけてしまう。
「これが、八角が入ってるっていう、豚の角煮かあ。思ったとおり、とっても美味しい!」
「当たり前でしょ。ダイチくんが作った料理は全部美味しいんだよ」
何故か偉そうにヒロカちゃんが口を挟む。いや、私は神崎くんに言ったのよ。なんでヒロカちゃんがドヤ顔なの。私が密かにストレスを貯めていることに神崎くんは気づかない。ポリポリと頭をかいて照れている。褒められて嬉しそう。
「ゆで卵も出汁が染みてるはずだから、食べてみて。たくさん作ったから、おかわりもあるよ」
神崎くんに勧められるままに、ゆで卵も頂く。お醤油と肉の甘い味が染み込んだゆで卵もびっくりするほど美味しかった。
「お、美味しい!」
ほっぺたが落ちそう。
「ヒロカ、ダイチくんの炒飯大好き。普段ピーマン食べれないけど、ダイチくんの炒飯に入ってるピーマンだけは美味しく食べれるから不思議」
「小さく刻んであるからな。というか、ヒロカは好き嫌いが多すぎ。野菜くらい普段から食べないとダメだろ」
「えー。ダイチくんが毎日ご飯作ってくれたら良いよ」
「ばか。無茶言うな」
ちぇーと口を尖らせるヒロカちゃん。神崎くんは呆れ顔だ。そして私はストレスが溜まりすぎて笑顔が剥がれないように全神経を集中させていた。
ていうか、さっきから思ってたけど、「ダイチくん」って呼ぶのなんなの! 名前呼び! 私なんて未だに苗字で呼び合ってるのに! 羨ましい!
思った通り、幼馴染だけあって滅茶苦茶仲がいい。神崎くんもリラックスしていて、口数も多い気がする。素の神崎くんって感じがして、それも悔しい。
私は卵とハムと野菜の炒飯を頬張った。くそう。美味しいよう。
ヒロカちゃんは、ふと改まったように口を開いた。
「はあ。ダイチくんのご飯久しぶりに食べたー。前はしょっちゅうウチに来てくれてたのに、高校入ってから全然なんだもん。寂しかったよ」
ちょっと! そのセリフは、彼女の目の前で言うセリフかなあ!? と思うけど、言い出せない自分の内気さに嫌気がした。
「バイトが忙しかったからな。それに、あの人に会うかもしれないと思うと行く気がしないんだ」
あの人って誰? 神崎くんの表情を見つめるけど、いつもの無表情で感情が見えない。
「あー。確かに。まあ、近所だから仕方ないか。ヒロカもあの人嫌いだよ。ダイチくんの家に居座るだけじゃなくて、再婚もしてないうちから、おばさんの写真全部捨てちゃうなんて、最低だもん。許せないよ」
あ。あの人って、神崎くんの義理のお母さんのこと? そんな人だったんだ。それは確かに会いたくないかもしれない。神崎くんが高校進学と一緒に家を出たのも頷ける。神崎くんって、いつも淡々として無口だし、私には優しくて愚痴も言わないから忘れがちだけど、実は結構重いもの抱えてるんだよね。
気まずい空気を破ったのは、神崎くんだった。
「でも、確かにこの前久しぶりにジローの家に行って楽しかったよ。イチ兄に会えなかったのは残念だったけど。元気にしてる?」
ヒロカちゃんは、ほっとしたように微笑んだ。
「あ、うん! イチ兄は元気だよ! 大学では何故かいきなりボクシング部に入ったらしくて、生傷が絶えないけど、元気だけは有り余ってる感じ!」
「へえ。ボクシング部。イチ兄らしいと言えば、らしいかもな」
神崎くんが感心したように唸った。
「イチ兄って、田辺家の長男さん? イチローさんってお兄さんがいるの?」
「イチ兄はイチタよ。それでね、一昨日なんて――」
私の質問はヒロカちゃんの素っ気ない返答によって解消されたけど、続くマシンガントークにも私の知らない人物の名前が平気で出て来る。それをいちいち確認できる空気じゃない。絶対にわざとだ。話に置いてけぼりなんですけど。仕方ないから私はご飯を食べる。角煮が美味しいのがせめてもの救いだよ。
「イチ兄もダイチくんに会いたがってたよ。ねえ、家に来るのが嫌なら、今度また錦公園に集まらない? 久しぶりに天体観測しようよ! イチ兄とジロ兄も一緒に4人で!」
天体観測!?
何その楽しげなイベント! 神崎くん、天体観測なんてするの!? そう言えば、本棚に星の写真集とかあるもんね。やっぱり、星とか天体とか好きなんだー。へー。知らなかった。私って、神崎くんのこと何にも知らないんだな……。
神崎くんが無口なのもあるけど、いっつも自分の話ばっかりしてたから。黙って聞いてくれるから嬉しくなって、ついつい話しすぎてしまってて、気づいたらお別れの時間になってるんだよね。
「ああ、いいな。相田さんも一緒にどう?」
「へ? あ、うん。行きたい!」
神崎くんに話を振られて、慌てて頷く。神崎くん、誘ってくれた。優しい。当然仲間はずれかと思ってたから、嬉しい。
「私も、神崎くんの本棚に写真集があるの見て、星とか良いなあって思ってたんだ。天体観測なんてロマンチック! すっごく興味ある!」
すると、ヒロカちゃんは案の定面白くなさそうな顔で口を開いた。
「ええ? 夜遅くなるけど大丈夫なんですかあ? ナナさんみたいな可愛い人が夜出歩いたら危険ですよお」
「平気だよ!」
思わず言い返すと、神崎くんも頷いてくれた。
「ああ、いざとなったら俺が守るから。それに、イチ兄はボクシング部に入ったんだろ? 変な奴が現れても問題ないだろ。心配しないで」
「そうだけどー」
不服そうなヒロカちゃん。どうしても私と一緒に天体観測に行くのは嫌なのか、強引に話を変えられてしまった。結局、詳しい日時とかは決まらないまま、その日の勉強会は終わってしまう。
ヒロカちゃんは、思った通り、絶対神崎くんのことが好きだと思う。
それだけじゃない。すごく神崎くんのこと理解してる感じがする。それは、幼馴染として小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたから仕方ないかもしれない。出会ってから積み重ねてきた時間の差はどうしても埋められない。
私、この子に負けてる。どうしよう。
ううん。いまはナナが彼女なんだもん。絶対負けない!
玄関扉が開くと、黒のTシャツにスキニーデニム、そしてダサ眼鏡をかけたラフな格好の神崎くんが迎えてくれた。私服、普通だ。久しぶりにダサ眼鏡を見たけど、髪型がさっぱりしたから無理すればオシャレ眼鏡に見えなくもない、ような気がするのはさすがに身内びいき過ぎるかな。
そんな神崎くんに案内されて部屋にお邪魔すると、前に来たときはなかった折りたたみのローテーブルがあって、そこにショートカットの女の子が勉強道具を広げて座っていた。
黒髪で日に焼けていて、細いけど、胸は大きい。Tシャツの胸のところがはちきれそうになっている。胸は負けた。しかも、つり目がちだけど、かなり可愛い。しかも、ショーパンから伸びる足はすらりと長い。きっと何かスポーツをやってたんだと思わせる健康的な美人だった。
考えてみたら、サッカー部のエースでモテモテの田辺くんの妹なんだから、美形でもおかしくないんだった。
「紹介するよ。電話でも言ったけど、田辺ヒロカ。ジローの妹で俺の幼馴染だ。それで、こちらが相田ナナさん。俺の彼女」
「はじめまして、ナナです♡ 受験生なんだってね。勉強一緒に頑張ろ! ヒロカちゃんって呼んでいい?」
私は愛想よくヒロカちゃんに話しかけた。するとヒロカちゃんは機嫌悪そうに頷いた。明らかにこちらに敵意を感じる。予想はしていたけど、やっぱりか。
「こら、ヒロカ。相田さんにちゃんと挨拶しろよ」
「ええ。だってダイチくん。この人ホントに勉強する気あるのかよ? こんな短いワンピースにキメキメの髪にがっつり化粧して来て。ダイチくんとイチャイチャしに来ただけだったら、邪魔!」
たしなめられると、ヒロカちゃんは男の子っぽい言葉遣いとは裏腹に拗ねたような甘え声で神崎くんに訴えた。そう言われて、神崎くんが私を見た。
今日の私は、デニムの半袖ワンピースに、お兄ちゃんに編んでもらったふわふわ三つ編みに麦わら帽子、そして神崎くんがくれた薔薇のネックレスだ。ちなみに素足に白のウェッジソールのサンダルで来たけど、それは今玄関においてある。
もちろん、ペディキュアもばっちり塗ってきた。白と透明で描いたハート柄。透明のジェルは透けるから自爪のピンクが浮かんで見える仕様になっている。今日のために、お兄ちゃんの友達のネイリスト見習いさんにやってもらったの!
神崎くんは、目が合うと照れて目線を外した。そう言えば、私服を見てもらったのは初めてだったっけ。悪くない反応かな。当然!
「化粧してるなんて気付かなかった。相田さんはいつも通りだ」
「ええ!? 学校行く時もこんなにキメキメなのか!? 信じられない! 不良!」
「ちょっと待って! 私、お化粧なんてグロスくらいしかしてないよ」
耐え切れなくなって、思わずそう訂正すると、ヒロカちゃんは仰け反って驚いた。
「だって、そのまつ毛! マスカラも無しにそんなに長いわけ」
「残念! これは、自まつ毛です」
思わずドヤ顔になってしまったかな。信じられない、という顔で黙るヒロカちゃん。ふふ。敵が中学生と知っていたからね。こんなこともあろうかと今日はお化粧なしで来たんだ。本当は学校行く時は、もう少しお化粧して行くんだけどね。
「ふ~ん。顔だけは可愛いみたいだね」
ヒロカちゃんはそう言うと、悔しそうに俯いて勉強を始めた。
「ごめん、相田さん。ヒロカのやつ態度悪くて。今日機嫌悪いみたいなんだ」
「ううん。いいの。受験生だから仕方ないよ」
もちろん、ヒロカちゃんが機嫌が悪いのは、受験生だからなんかじゃないことは分かっているけど、物分りの良い優しい彼女を演じる作戦で通すって決めたんだ。多少、イラついても気にしない。
すると、そんな私の気持ちを察したのか、ヒロカちゃんは神崎くんの黒いTシャツの裾を引っ張った。
「ダイチくーん。ヒロカここ分かんなーい」
「ん? どこ?」
神崎くんは、ヒロカちゃんの横に座って、家庭教師モードを発動させた。
ああ! あんなにくっついて! 別に体が触れ合ってるとかではないけど、横に座ってるだけでイライラするう。そこは私の場所なのに!
ヤキモキした視線を送っていたら、ふと神崎くんが顔を上げた。
「ごめん、相田さん。狭くて。俺の勉強机空いてるから、よかったら使って」
ニコ、と笑った神崎くんの顔に他意はない。親切で言ってくれてるんだろうことは分かるんだけど、二人がローテーブルで、私だけ勉強机って、それはないよ!
「そうだよ、ナナさんそんなミニスカートじゃ床に座れないでしょ。ダイチくんはヒロカに教えないといけないから、遠慮しないで勉強机使っていいよ」
ここぞとばかりに意地悪な笑みを浮かべたヒロカちゃんがダメ押しして来て、私は笑顔が剥がれそうになってしまった。
確かに、ローテーブルは狭くて、とても三人が座れるようなスペースはない。あああ、こんな初っ端からイラついてて、4日間も勉強会続けられるのかな!?
「あ、ありがとう」
私は引き攣りそうになる顔をなんとか笑顔の形にして、勉強机に座った。
゜+o。。o+゜♡゜+o。。o+゜♡゜
30分くらい経った後、神崎くんはお昼ご飯を作るためにキッチンに立ったので、私も少しだけ集中して勉強ができた。勉強というか、夏休みの宿題だけど。
だんだんお部屋にいい匂いが漂ってくる。玉ねぎを炒めた時の匂いと、お醤油とお肉の煮えるいい匂い。
「美味しそうな匂い! お腹減って来ちゃった」
「もう出来る。ちょっと待ってて。ヒロカ、悪いけどキリのいいところでテーブルを開けてくれ」
「OK」
ヒロカちゃんは、元気に返事をすると、すぐにテーブルを片付け始めた。ふうん。神崎くんにはずいぶん素直なのね。
神崎くんは紙皿に出来立ての炒飯をつぐと、大きな深皿に盛った豚の角煮と一緒に持って来た。ローテーブルに三人分の食事が並ぶ。お箸はコンビニでもらった割り箸で、コップは足りないから神崎くんは500mlのペットボトルから直接飲む。一人暮らしって感じがして、何故か少しテンションが上がった。
「すごーい! 美味しそう!」
「美味しそうなんじゃなくて、美味しいんだよ」
ヒロカちゃんが、まだ食べてもいないのにドヤ顔で言って来た。
「口に合うと良いんだが」
心配そうに頭をかく神崎くん。
「じゃあ、さっそく。いただきまーす!」
私は手を合わせると、遠慮なく豚の角煮を自分の紙皿にのせた。割り箸で半分に崩して、脂の照りが美味しそうなお肉を頬張る。脂がとろっと溶けて、肉汁が口の中いっぱいに広がった。
「お、美味しーい!」
感動して思わずにやけてしまう。
「これが、八角が入ってるっていう、豚の角煮かあ。思ったとおり、とっても美味しい!」
「当たり前でしょ。ダイチくんが作った料理は全部美味しいんだよ」
何故か偉そうにヒロカちゃんが口を挟む。いや、私は神崎くんに言ったのよ。なんでヒロカちゃんがドヤ顔なの。私が密かにストレスを貯めていることに神崎くんは気づかない。ポリポリと頭をかいて照れている。褒められて嬉しそう。
「ゆで卵も出汁が染みてるはずだから、食べてみて。たくさん作ったから、おかわりもあるよ」
神崎くんに勧められるままに、ゆで卵も頂く。お醤油と肉の甘い味が染み込んだゆで卵もびっくりするほど美味しかった。
「お、美味しい!」
ほっぺたが落ちそう。
「ヒロカ、ダイチくんの炒飯大好き。普段ピーマン食べれないけど、ダイチくんの炒飯に入ってるピーマンだけは美味しく食べれるから不思議」
「小さく刻んであるからな。というか、ヒロカは好き嫌いが多すぎ。野菜くらい普段から食べないとダメだろ」
「えー。ダイチくんが毎日ご飯作ってくれたら良いよ」
「ばか。無茶言うな」
ちぇーと口を尖らせるヒロカちゃん。神崎くんは呆れ顔だ。そして私はストレスが溜まりすぎて笑顔が剥がれないように全神経を集中させていた。
ていうか、さっきから思ってたけど、「ダイチくん」って呼ぶのなんなの! 名前呼び! 私なんて未だに苗字で呼び合ってるのに! 羨ましい!
思った通り、幼馴染だけあって滅茶苦茶仲がいい。神崎くんもリラックスしていて、口数も多い気がする。素の神崎くんって感じがして、それも悔しい。
私は卵とハムと野菜の炒飯を頬張った。くそう。美味しいよう。
ヒロカちゃんは、ふと改まったように口を開いた。
「はあ。ダイチくんのご飯久しぶりに食べたー。前はしょっちゅうウチに来てくれてたのに、高校入ってから全然なんだもん。寂しかったよ」
ちょっと! そのセリフは、彼女の目の前で言うセリフかなあ!? と思うけど、言い出せない自分の内気さに嫌気がした。
「バイトが忙しかったからな。それに、あの人に会うかもしれないと思うと行く気がしないんだ」
あの人って誰? 神崎くんの表情を見つめるけど、いつもの無表情で感情が見えない。
「あー。確かに。まあ、近所だから仕方ないか。ヒロカもあの人嫌いだよ。ダイチくんの家に居座るだけじゃなくて、再婚もしてないうちから、おばさんの写真全部捨てちゃうなんて、最低だもん。許せないよ」
あ。あの人って、神崎くんの義理のお母さんのこと? そんな人だったんだ。それは確かに会いたくないかもしれない。神崎くんが高校進学と一緒に家を出たのも頷ける。神崎くんって、いつも淡々として無口だし、私には優しくて愚痴も言わないから忘れがちだけど、実は結構重いもの抱えてるんだよね。
気まずい空気を破ったのは、神崎くんだった。
「でも、確かにこの前久しぶりにジローの家に行って楽しかったよ。イチ兄に会えなかったのは残念だったけど。元気にしてる?」
ヒロカちゃんは、ほっとしたように微笑んだ。
「あ、うん! イチ兄は元気だよ! 大学では何故かいきなりボクシング部に入ったらしくて、生傷が絶えないけど、元気だけは有り余ってる感じ!」
「へえ。ボクシング部。イチ兄らしいと言えば、らしいかもな」
神崎くんが感心したように唸った。
「イチ兄って、田辺家の長男さん? イチローさんってお兄さんがいるの?」
「イチ兄はイチタよ。それでね、一昨日なんて――」
私の質問はヒロカちゃんの素っ気ない返答によって解消されたけど、続くマシンガントークにも私の知らない人物の名前が平気で出て来る。それをいちいち確認できる空気じゃない。絶対にわざとだ。話に置いてけぼりなんですけど。仕方ないから私はご飯を食べる。角煮が美味しいのがせめてもの救いだよ。
「イチ兄もダイチくんに会いたがってたよ。ねえ、家に来るのが嫌なら、今度また錦公園に集まらない? 久しぶりに天体観測しようよ! イチ兄とジロ兄も一緒に4人で!」
天体観測!?
何その楽しげなイベント! 神崎くん、天体観測なんてするの!? そう言えば、本棚に星の写真集とかあるもんね。やっぱり、星とか天体とか好きなんだー。へー。知らなかった。私って、神崎くんのこと何にも知らないんだな……。
神崎くんが無口なのもあるけど、いっつも自分の話ばっかりしてたから。黙って聞いてくれるから嬉しくなって、ついつい話しすぎてしまってて、気づいたらお別れの時間になってるんだよね。
「ああ、いいな。相田さんも一緒にどう?」
「へ? あ、うん。行きたい!」
神崎くんに話を振られて、慌てて頷く。神崎くん、誘ってくれた。優しい。当然仲間はずれかと思ってたから、嬉しい。
「私も、神崎くんの本棚に写真集があるの見て、星とか良いなあって思ってたんだ。天体観測なんてロマンチック! すっごく興味ある!」
すると、ヒロカちゃんは案の定面白くなさそうな顔で口を開いた。
「ええ? 夜遅くなるけど大丈夫なんですかあ? ナナさんみたいな可愛い人が夜出歩いたら危険ですよお」
「平気だよ!」
思わず言い返すと、神崎くんも頷いてくれた。
「ああ、いざとなったら俺が守るから。それに、イチ兄はボクシング部に入ったんだろ? 変な奴が現れても問題ないだろ。心配しないで」
「そうだけどー」
不服そうなヒロカちゃん。どうしても私と一緒に天体観測に行くのは嫌なのか、強引に話を変えられてしまった。結局、詳しい日時とかは決まらないまま、その日の勉強会は終わってしまう。
ヒロカちゃんは、思った通り、絶対神崎くんのことが好きだと思う。
それだけじゃない。すごく神崎くんのこと理解してる感じがする。それは、幼馴染として小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたから仕方ないかもしれない。出会ってから積み重ねてきた時間の差はどうしても埋められない。
私、この子に負けてる。どうしよう。
ううん。いまはナナが彼女なんだもん。絶対負けない!
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