砂漠王子の愛は∞!~唇から風の魔法の溺愛アラヴィアン・ラブ~

簗瀬 美梨架

第七章 水の聖母

*1*
〝なんだか強そうな〟水の精霊がズンと動いた。闇の王は懐かしそうに目を細めた。
《久しいな。水の精霊王。道具ごと地下に追い落としたはずだが》
 水の精霊王はムカっと唇を噛みしめ、長い髪をかき上げた。
「ええ。気に入っていた住処の水鏡を。逢えて早々ですけれど。貴方にはお帰り願いましょうか。ほら、ほら、触ると溶けてしまうのでしょ? いい加減自覚しなさい。貴方は誰より弱いから、呼び出されてノコノコ契約するのよ。本当の強い生き方は」
 水の精霊はアイラににっこり笑うと、ぱん!と闇の精霊王の頬を叩いた。
「人に揺らがされない、チッパイをどーんと突き出して、自分の足で進むものよ」
(お母様! 肝心なところで、それはない! ううん。チッパイ突き出して生きて行くよ。この手をしっかり掴んでね!)
 頬を叩かれた闇の精霊王は情けなくヨロヨロした。水の精霊王は圧倒的に強い。
 振り帰り樣に、水の精霊王は吐き出すように告げた。
「さようならですわ。闇の。あーあ、ドレスが汚れてしまったじゃないの」
「ようやく起きてくれましたか……これで、すべて、終わる……」
 大きな水飛沫に気付いたルシュディの、微かな声と水の波の中、闇は霧散した。
 目を開けたはずのルシュディの瞼が、再び硬く閉じられていく。
「兄貴が! まさか本当に? アイラ、兄貴が瞼を! 闇は消えたのに!」
「大丈夫よ」とゆっくりと水の精霊王が微笑んだ。す、と王のいる宮殿に向けて靜かに腕を上げた。ラティークに向かって、ドレスを抓んで、丁寧にお辞儀をした。
「ルシュディは闇に心を売り、手を貸した。心の闇は深く、浄化が必要。苦しい戦いになるわ。今一度、過去を突きつけられ、乗り越えねば戻れない。苦痛から安らぎを得るまで戻れない。でも、精霊になりかけた闇の心がなくなれば、きっと、元の優しい王子に戻る。精霊力は喪われるけれど」
「本当か!」ラティークが噛みつくように言い、「良かった……」と手を握りしめた。
 水の精霊王はにっこり笑ったが、やはり腹黒い母の顔にしか見えない。
「貴方は、これから……良かったらラヴィアンに」
 ラティークに水の精霊王はまた聖母の笑みを浮かべた。
「これから、砂漠の地下で震えている子供達を起こして回るわ。ゆっくりとではあるけれど、彼女たちが力になるでしょう。水も愛情も、ゆっくり、染みこむものだから。知っているでしょう?」
 ラティークと顔を見合わせたアイラに水色の手が触れた。
「水の子、頑張ったね。一生懸命に愛一杯の声で「起きろ~起きろ~、この弱腰!」言われたら、寝ていられないわ。今度は靜かに起こすのよ。わたくし、神殿に戻る」
「あ、ウンディーネ様」水の精霊王が「なあに?」と振り向いた。美しい瞳で蒼く微笑み、さっと消えた。
(ありがとう、ラヴィアン王国を、助けてくれて)
 ラティークとアイラは歓喜の気持ちで消えゆく水飛沫を願うように見続けた。
 やがて青のオーラはすっかり消え、水の浄化の気配の中で、ラティークが告げた。
「アイラ、そろそろ兄貴を寝かせてやろうと思うんだ。千日後、兄貴の世界が光で溢れるかは分からない。一緒に来て欲しい。許せないだろうけど」
 ラティークの手は震えていた。
(ルシュディが悪いわけじゃなかった。あたしはどうしたら……決まってる)
「ラティークの心の傷をつけたお詫びは欲しいよね」
 ラティークは少しだけ泣き笑って、ルシュディを抱きかかえ、一緒に倒れた緑の虎を抱き、立ち上がった。ところで緑の虎がぱっちりと眼を開けた。ラティークは頬ずりして笑顔になった。シハーヴは嫌がって子供姿に戻り、不思議そうに見ていた。
★2★
 ラティークはルシュディを抱いて回廊を通った。部屋の中は元通りだった。悪夢まで一緒に消えたのだろうか。
「何か、あったの?」と聞き返すアイラに微笑んで、ラティークは首を振った。
「なんでも、ないよ」
「ね、お母さんに会えて、嬉しかった? うふふ、優しい顔してたから」
 アイラの可愛らしい質問に、どう答えようかと考えている前で、人影があった。アリザムが一人の女性を連れて歩いて来たところだった。アイラの顔が明るくなった。
「レシュ! アリザムも! ねえ、レシュ……あの……」
「王女。いつぞやは済まなかった。そいつはあたしの夫になるべき男だ。一緒に行く」
「まさか……レシュ……もしかして、ルシュディ樣を本気で……」
 レシュは懐かしい笑みでアイラに微笑みかけた。
「手紙に書いただろ。王女。あたしは、闇の王子を愛してしまった。全部書いたよ。あんた、あたしの質問に答えていないよ。世界は、誰かが誰かを愛することで、成り立ってる。意味わかる? ってやつ」
「スメラギが濡れた手で持ってきて、滲んで読めなかったの……そうだったんだ……」
 レシュは涙目で、瞼を硬くしたルシュディを覗き込んだ。
「バカな王子。勝手にくれた愛のお陰で、闇の影響から、腹が護ってたというのに」
 ――腹? そういえば、膨れている。仰天するアイラとラティークに「じろじろ見るな。胎教に悪い」とレシュは恥ずかしそうに笑った。
 ルシュディの永遠の眠りと引き替えに、本殿の王が眼を開けた報せは、間もなく第二王子の元へ届くだろう――。
★☆★
 ルシュディはラティークの判断で第一宮殿の一室に靜かに横たわらせる話になった。ただし扉は閉ざし、一切の情報を遮断するという厳しいものだった。
 アイラの前で、一瞬だけルシュディは、眼球を小刻みに震わせ、恐怖に顔を歪ませた。ラティークが顔を背けた。アイラもぎゅっと目を瞑った。
「……あ、あああぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ――!」
 叫びを最後に、伸ばした腕ごと白い波動に囲われて、姿は見えなくなった。
「門の音を閉ざすから闇なんだ。行って来い。今度こそちゃんとあたしを見ろ」
 レシュの言葉に白い靄がユラユラと揺れた。
(闇に手を貸した罰。もう始まったのかも知れない。想像を絶する心の浄化が)
 見ているうちに、涙が滲んできた。アイラはそっと白い靄に指先を浸らせた。
「おやすみ。ルシュディ樣。起きたら、皆に謝って……だから、今は休んで」
「聞きたいことはたくさんある。でも、もう、悪夢は終わらせよう、兄貴。悪夢でも、自分で終わりにすることができる」
 ラティークなら、終わりにできる。ラティークがルシュディへの憎悪を抱くことはなかったのだから。なんて大きな心で、しっかりと生きているのだろう。
(闇のヤツは、そここそ楔だと思ったのかも知れない。兄弟が争う図を楽しみにしていたのかも知れないよね。文字通り、真相は闇の中。ね……ウンディーネ様……)
 アイラは涙を振り切った。ラヴィアンの空に青い虹が見えた。
★☆★
 土色だった水も白く輝く水流に変わって、庭園には元通りの噴水が美しさを振りまいている。第二宮殿の跡地も、さっぱりとした砂漠に変わっていた。水の精霊王は丁寧な世界の修正をして、消えたらしかった。
 アイラは受け取ったコイヌールをじっと見詰める。
(何となく、この中でまた元気に戦っている気がしてならない。また、いつか逢える気がする)
「ありがとう。……あたしも、もっと修練積んで、また逢えるようにします」
(それにしても。またお母様の擬態なのかな……驚いた。考えないようにしよう)
 思うアイラの前で、「見て、水のヤツ」とシハーヴが突然首を伸ばした。
 水の精霊が、二人、ひょこっと顔を覗かせていた。アイラがひらひら手を振ると、嬉しそうににこっと笑顔を見せた。あれほど望んだ水の精霊が戻っている。ひそひそとラティークを見ては「ちょっと良くない?」とお喋りをしている。
「うふ、可愛い。ねえ、ラティーク。結局、第三の王子は誰だったのかな」
 ラティークは優しい眼差しをアイラに向けた。
(落ち着くなり魔法。こう、魔法ばかりかけられると困惑するんだけどな)
「僕には分かった。けど、多分その人物はどうでもいいと思っているに違いない。王位なんかなくても、変わりません、次期王の教育を立派にして見せますってところか」
 ラティークの目線を追った先には、アリザム。それより、今ラティークは……。
「え? 次期王って言った? 王樣になるの?」
 ラティークは少し腹黒い笑顔を見せた。
「兄が目覚めたら、譲るつもりだが、代行する話になる。王妃が必要だ。……というより、きみをヴィーリビアに帰さずに済む方法を思いついたら、王になる話だった」
(――どうしよう。一足飛び。でも嬉しさで全然ついて行けない……っ)
 アイラは眼を瞠って、ラティークを見上げた。一瞬頭上に輝ける王冠を乗せ、肩に誇らしげなマントを戦がせ、広大な砂漠王国を支配する、若き王の姿が見えた奇跡は、風の精霊の悪戯かも知れない。
(これ、参ったな……)と椰子の木に指をぐりぐりしながら、アイラはモゴモゴ言い返した。
「あたし、まだ残るとは決めていないし……ほら、皆を連れて帰らなきゃだし……うふふ、王妃なんてまだ、考えられないしさ……そりゃ、並んだらお似合いかも……」
「ラティーク、先に歩いてったぜ。チッパイ鈍感王妃。なんだァ、ブツブツ……」
 スメラギに向かって足を振り上げたところで、サシャーの声。気付けばラティークも足を止めてアイラを待っている様子だ。
 ――今は、魔法にかかって、そばにいよう。アイラは手を振って走り出した――。

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