砂漠王子の愛は∞!~唇から風の魔法の溺愛アラヴィアン・ラブ~

簗瀬 美梨架

第四章 魔法? イエス、魔法!4

★☆☆
 砂の王国の雰囲気をふんだんに醸し出す夕暮れがやって来た。
 長く影が伸びる中、競りを終えた掘っ立て小屋はあっという間に解体作業に入った。
 アイラの膝には、黒い布に包まれた〝コイヌール〟があった。掌ほどの大きさの、傷だらけになった無残な石をアイラは大切に抱いていた。
(隣にいる僕にまで、痛々しさが伝わってくるな。……強いアイラに戻って欲しい)
 願う前で、スメラギがいつもの調子になった。
「ほら、俺の功績って言うの? 第一宮殿に放っておかれた大切~な石をさ、見事引っ張り出した、このスメラギ海賊船長の智略を褒め称え、報酬は」
 アイラにぎんと睨まれ、スメラギは「出港の準備すらァ」とスゴスゴ去って行った。
 スメラギの姿が消えるなり、今度は虎から子供に戻ったシハーヴが顔を覗かせた。
「それ、闇の精霊が入ってる。近寄りたくない。黒いうじゃうじゃがいっぱいいるだろ。コレ全部闇の精霊だ。アイラ、離れたほうがいい。触れすぎると闇んなる」
 アイラはまるで自分の心を抱くように、石を抱き締めたまま動かなかった。
 ぽたり、と秘宝にアイラの涙が落ちては、滑って地面に染みこんだ。
 心を硬く閉めたアイラに、ラティークは隣でゆっくりと会話を仕掛けた。
「こんな状態では、ラヴィアンはいずれ終わるな。アイラ、僕にして欲しいことは」
「ない」と簡潔な答。ランプの蓋を開けると、シハーヴは「ぼくは知らないからな!」と怒って中に飛び込んで行った。
 ラティークは立ち上がろうとして、上着が引っ張られている事実に気付いた。座ったままのアイラが引っ張っている。もう一度座り直した。
「出港の準備が出来るまで、たわいのない話でもしようか」
 コクン、とアイラの頭が動いた。
(何の話をしたら、元気なアイラに戻せるだろう。今までで一番難しく、大切な交渉だ。ラティークは空に眼をやった。王女だから、珍しい宝石とか。いや、勇ましいから、古代の闘牛の伝説とか。もしくはラティーク自身の話を腹を割って言うか。それとも……明るくなれる話がいいだろう。明るい話、明るい話だ)
 決めて、まずアイラの名前を呼んだ。
「アイラが、好きだよ」
 驚きの黒檀の眼。アイラが眉を顰めて見ている。
「たわいない話じゃない……」元気をなくした声音で、アイラはそっぽを向いた。
「僕も驚いた。話そうとしたら、この言葉だった。なら、真剣にアイラのどこが好きかを探す。裏付けになるけど仕方がない」
「好きの裏付けなんて聞いたこともないよ。もう! 仕方がないって何よ」
 アイラは泣き笑いになって、じ、と膝に視線を落とした。
「レシュと、民は無事だって分かったし、そろそろお兄が戻ってくる。一度、ヴィーリビアに戻るにいい頃合いなの。黙って出て来ちゃったし。ばれたら大変」
「ヴィーリビア無敵艦隊の司令長官の兄か。厳格そうだ。噂には聞いているよ」
 アイラはまだ服を掴んで、ラティークを引き留めている。
(もしかして、落ち込んでいた理由はコイヌールとやらだけではない? 離れたくないとか? いや、期待はしないでおこう。寂しいから、一人にされたくないだけだ)
「僕は今からレジスタンスの準備だ。精霊についても調べないと。先に逃がした民も、ニンフも心配だ。それに、さっき僕は身分を明かしたも同然の言葉を吐いたから、もうユーレイトの大陸を離れたほうがいい」
「……スメラギの船が、蒸気を上げてる……」
 夕暮れの波止場で、商船が煙を上げ始めた。スクリューを回して、次に三角帆、二番帆、メインセイルが張られれば、後は漕ぎ出すだけだ。ラティークは船を見上げた。
「さすが、艦隊のある国の船だ。ラヴィアンにも艦隊が欲しい。そうしたら、自由に貿易が出来るのに」
「行くね」とアイラはそっけなく立ち上がった。
(やはり気の迷いだな。片思いなど性に合わない。さっさと止めたほうがいい)
 ラティークは生まれて初めて、小さな絶望を味わった。
(アイラは僕が〝魔法をかけてる〟と疑ったままだ。ああ、本当にかけられるなら、かけておきたい。そうすれば、きみはずっと僕に囚われたままでいられるだろう?)
「ああ、僕も早々に、アリザムと計画を練る。王子だった立場が嘘のようだな」
 アイラは少しだけ微笑むと、背中を向けた。(最後まで、王女の姿勢を崩さないか)と諦めかけたラティークの前をアイラは素通りした。
 雫が横に舞い散って、ラティークの前に流れた。
 ――違う。終わってなるか。
「アイラ!」呼ぶとアイラは泣き顔で飛び込んで来た。頼りない肩だ。この体一つで、まだ見知らぬ王国に飛び込むなんて、どれだけ怖かっただろう。
〝ねえ、待ってよ。離れないで〟〝いいよ、あたしひとりで〟〝そうだよね〟〝怖かったよ……!〟泣き顔のアイラはいつだって王女ではなかった。受け止めるラティークも、もう王子ではなかった事実に早く気付くべきだった。
「さっきの理由だけど、きみが好きだよ、の理由」
 ひっくひっく泣くアイラの肩を押さえて、身を屈めた。
「我慢する姿、虚勢を張る姿、果物の皿を運ぶ姿、アイラはいつも一生懸命。好みなんじゃない。一生懸命さを僕が好きになったんだ。帰したくない」
「ん、そばにいる。帰らない……っ!」
 ――帰したくない。ラティークは更に腕を強く回そうとして、拳を握った。
(傷付いているアイラのそばで、手を握っていてやりたい。優しい心に傷をつけた全てのものを奪い去って、跡形もなく砕いて銀河の果てにバラ撒いてやりたい気分だ!)
 理不尽な怒りと、アイラへの感情で昂ぶる四肢を制御し、眼を瞑って、優しい口調を取り戻した。愛情は、愛する人の背中を押すことだ。ならば、とるべき行動は……
「ヴィーリビアか……遠いな。生きていれば、逢えるだろう、きっと」
 アイラはまた頭をラティークに擦り付けた。
「離れたら魔法が終わる」とは何とも可愛らしい口説きだ。
(僕にはアイラを束縛する権利はない。しかし、僅かな時間、王女の仮面を外してやる。ほんの少しだけ、少女に戻って自由にさせられるのは僕だけだ)
「僕の魔法は強力だ。きみが、心を手放さない限り。僕はそばにいる。離れた時間が愛を育てるなど信じてはいないけれどね。だが、信じよう」
 ラティークはアイラを抱き締め、唇を重ね、頬に眼に、鼻先に唇を押しつけた。
 決意を固めるに充分な愛しさの中、見えないようにランプの蓋を開けた。緑の虎がしゅっと空に舞い上がった。
「風の精霊。僕の王女を死ぬ気で護れ」

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