砂漠王子の愛は∞!~唇から風の魔法の溺愛アラヴィアン・ラブ~

簗瀬 美梨架

Prologue~唇から風の魔法~

 隠された双眸の向こう。子供をあやすような優しい口調にほっとした。

「よし、僕の魔法にかかったな。さて、手を離そう。風景をよく見るんだ」

(魔法? ああ、あたしのチッパイが高鳴って来た……)

 矢先、声音がグッと低くなった。
 アイラ自身のささやかな胸に、愛を込めて呼ぶ〝チッパイ〟が少しだけ膨らんだ。
 ラティークの手が離されると、アイラの前の風景は一気に鮮やかになる

 ――ここはラヴィアン王国、砂漠の風が通り過ぎる、熱砂の王国。

 時刻は夕暮れ、砂漠の夜は穏やかで、少しだけエキゾチックで気分が高揚する。
 ニヤ、と笑ったラティークの顔が眩しい。

 アイラはラティークの両肩に腕をしなだれかけ、色っぽく、夢うつつに囁いた。

「ねえ、あたしを奪って、滅茶苦茶にして」
「さすがは、〝どんな夜でもお手の物〟の娼婦だ」

 ラティークの乾いた茶色の髪が光に透けた。深い色に包まれた金と緑の瞳、砂漠育ちの割りには焼けていない肌。綺麗な唇が少し開くと、揃った真っ白い歯が見える。

 着用している服は変形させたトーブ。腰にぶら下げているランプも値打ちモノだ。首に提げた鈍い光の石は歴史を感じさせる如く厳かに光っている。肉体も、ハレムを切り盛りする王子らしく、磨かれていて、時折香る匂いも嫌いではない……。

(あ、あたし、何魅入ってんの……!)

 ラティークは寝台を軋ませ、アイラに上半身を近づけた。頬を傾けられると、砂漠の薔薇水が香る。ついと顎を指で持ち上げられて、眼を閉じた。

 ――キスだ。初めての。どうしよう、どうなるんだろう、どうしよう。

 心臓が爆発したら、世界は終わってしまうのか。揺れた睫が悪戯をする。めくるめく世界はすぐそこ――……。

 アイラの一文字の唇に、すっと冷たい唇が触れた。
 途端に、燃え上がり切った熱が引いていった。

 ――あれ? 何、この取り残され感。

 アイラは眼を開け、まじまじとラティークの虎の眼を見やった。当のラティークはニヤニヤしていたが、すぐにアイラの異変に気付いて首を傾げた。

「急に冷め切った表情になったな……」

 しばし考え込み、間を開けて、「もう一度」とアイラに唇を重ねた。やはり胸には広がる虚無感こそあれど、先ほどの高揚はない。チッパイにつむじ風が吹き抜けた。

 ――なに、この趣味の悪い部屋。

 刳り抜かれた窓から、砂だらけの大地が見える。腰のランプは汚れすぎ。

(急に見窄らしく見えて来た。首飾りは古風っぽくて趣味が良くないし)
「どうなってる?」

 低く虎のように唸ってラティークは、ゲンコツでランプを殴った。とたんにモクモクと緑の煙が注ぎ口から立ち昇り、もそもそと光の環になった。ぽわ、と小さな爆発がして、ラティークにそっくりな吊り目の金の瞳がぶつかった。

 緑のフサフサの毛並みを揺らし、背中を向けたそれ。小さな緑の虎が、ちょこんと白い手足を揃え、丸い耳を伏せ気味にしてアイラの足元に座っていた。

(やだ、可愛い! だっこしたい! なに、この生きもの!)

 ラティークは遠慮会釈なく、緑の虎の首根っこを持ち上げた。

「おい、シハーヴ! ど・う・い・う・こ・と・だ。説明してもらおうか! 魔法効いていないぞ! この、半人前精霊!」

 見ていると、緑の虎は暴れてラティークから逃れ、壁を蹴ってくるんと宙返りした。

 髪は薄い緑。よく見ると、肌もほんのり緑の光に輝いている。眼は赤いが、金を混じらせた色合いだ。人ではない。

(まさか、精霊? しかも、子供?)

 アイラは驚愕の眼差しで、虎から人型になった精霊とラティークを交互に見やった。子供の精霊は金の眼にめいっぱい涙を溜めている。

 精霊を使役する行為は、この世界では珍しい話ではない。しかし、子供の精霊は初めて見る。アイラの故郷、ヴィーリビア王国にも同じく水の精霊文化がある。
 精霊を召喚するにはいくつもの規定や、資格が必要だ。重要な規定の中でも、召喚については厳守すべき事項だと『精霊召喚法』にきちんと記されている。

 アイラの国の水のウンディーネ樣の像も、それは見事な熟女であり、母である。

 かつてこの世界は精霊で溢れていた。古代には人と精霊の戦いが幾つもあった。だが、いつからか彼ら精霊は、人間と契約を結ぶ形式を取るようになった。

 子供の精霊シハーヴはだだっ子の口調でアイラを指し、腕を振り上げた。

「だから! こいつに、ぼくの魔力が通じないんだ! バカ王子!」

 ラティークはキロと虎の眼を動かした。

「シハーヴの魔力が通じない? ただのニンフだろ……仕方ないな。もう一度」

(もう一度? 冗談じゃない!)アイラは颯爽と手を上げ、平手打ちの準備をした。

「ニンフだか、ニンプだか知らないけど、やってみなさいよ。きっっつい一発お見舞いしてあげるから」
「おい、助けろっ! 何やら不吉な予感が」

 アイラの振り下ろした腕を焦り顔で掴んだラティークと精霊が喧嘩を始めた。

「誰が助けるか! ラティークのバカ王子! ひっぱたかれちゃえばいいんだよ!」

 精霊はランプに突進し、ぱぁんの音に重なって、ガコ! と蓋を閉めてしまった。
「っつ……」拳で頬を擦るラティークにアイラは聞き返した。

「精霊召喚法、知っているでしょ。精霊との契約は大人の精霊のみと決まっているの! 子供は自我が不安定だから、契約してはいけない。規律、堂々と破って!」

 頬を押さえたまま、ラティークはアイラから視線を逸らせた後、怒られた子供の表情でアイラを睨んだ。

「召喚法? やけに精霊に事情通。精霊を扱えるは一定の王族だけだ。本当に奴隷か疑わしくなって来るな」
「貴方、あたしを買ったでしょうが。ハレムの奴隷として大金出して。ニンフって何?」

 冷や汗で言い逃れた。幸運な話、ラティークは「ふむ」と頷くと、ランプを軽く小突き、アイラに向いた。ほ、と安堵したい気持ちでアイラは眼を閉じた。

 いきなり王女だとばれるところだった。気を引き締めなければ全ては水の泡。

 ラティークはアイラから視線を外し、置いてあった薔薇水を口に含んだ。

「ここでは奴隷をニンフと呼ぶんだ。ニンフとは神のお世話をする者。神とは我ら王族だ。つまりは召使いを指す言葉だよ。風の魔法が効かないニンフか。名前は?」

「アイラよ。ただの、アイラ。そう、そうそう、ニンフ、ニンフニンフ」

 しれっと言い返してやった。睨み合った後、ラティークは楽しそうに微笑んだ。

「そう。僕を叩いた威勢は有効活用しよう。ふふん、暇なハレムの日常の楽しみができた。礼を言うよ。奴隷たちは忙しそうだが、本当に、暇でたまらない」

 厭味ったらしく言い残し、シャッと天幕を閉めた。わらわらと女性が飛び込んで行ったが、一人として自国ヴィーリビアの民の姿は見当たらない。

 散らかった果物の合間にいくつもの書類が見える。いったいこの部屋はなんだろう。

(ラヴィアン王国にて行方知れずになっている、ヴィーリビアの少女たち。失踪には絶対にラティーク王子が絡んでいるに違いない)

 そっと爪先を滑らせ、廊下に出るなり、どっと怒りが湧いてきた。

(虚仮にされた気がする。堂々と規律破りしておいて!)

「なに、あの態度! 風の魔法で心を操らせてる? 神聖な精霊をなんだと思っているのよ。つまんない仕事させて! あたしが精霊なら天罰下すよ!」


 砂ばかりの大地ラヴィアンには、どうやら、アイラと波長の合う水の精霊はいない様子だ。前途多難。でも、不可能なほど、燃えるもの。

 ヴィーリビアの王女の役目は果たして帰る。
  民、秘宝、親友。手にすべき大切なものはたくさんある上、時間も少ない。ふざけた魔法にかかっている暇はない。

「レシュ、そう思うでしょ。来たわよ、みんな、どこにいるの……」

(この広い宮殿のどこかに、民は囚われている。親友も、秘宝も)

 アイラはやたら広い庭園を見詰め、唇を噛んだ。色合いが激しすぎて、双眸が痛い。色とりどりの装飾なのに、孤独感を煽られる。ラティーク王子との諍いのせいだ。

 一瞬、好みの容姿に見惚れたが、現れた内面は残念と来た。

(まあ、美形は古来より性格が悪いらしいし。ここは期待しないでおこう……)

 それより、精霊召喚法を護らず、子供の精霊を連れているほうが問題。禁忌を犯し、精霊の子供を連れた第二王子なんて多分、ロクな男じゃない。

 手すりを握りしめた。

「あたしのドキドキと、ファースト・キス返せ――っ!」

 砂漠に響いた声の先では早くも夜が降りてきていた。
 瑠璃色の空と金の砂漠の間、アイラは半日前の行動を思い返した――。

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