魔獣の森のお嫁さん

天坂コーキ

谷川の別れ

音を立てて流れる川の上にも、うすい霧のような雨が降っている。
川は進むごとに岸を削り、次第に深さを増しながら川幅を狭めていく。長い月日が大地を削り、深い峡谷を森の中に作り上げていた。
ジルバーはその峡谷に渡された人ひとりが通れる幅の吊り橋へとたどり着くと、後に続くエーミールを振り返った。

「はあ、はあ。やっと橋に着いた……」
「あとは向こう岸に渡るだけだ、頑張れ」

肩で息をするエーミールを励ましてから、その後ろで揺れる木々を見る。オオトカゲはなぜか時々立ち止まっては何かをしているようで、距離はそれほど詰められてはいない。
これならエーミールを担ぎ上げて運ぶ必要がないと、ジルバーはホッとしていた。
しかし直後、エーミールが大きな声を上げたので、飛び上がりそうなほど驚いた。

「あー!しまった!!落としてる!」
「うわっ!なんだ、どうした、荷物を落としたのか?忘れ物か?むしろ今は全部置いて、後で取りにくればいいと思うぞ」
「そんなの!邪魔な荷物なんてとっくに捨ててるよ。僕が落としたのは例の木の実だ。ほら見てよ、もう一個しか残ってない」

涙目で手のひらに乗せた木の実を見せてきたので、ジルバーは無表情に払い落とそうとする。するとエーミールはそれを素早く回収して、懐にしまいこんだ。

「なにするんだよ。もうこれしか残ってないんだぞ」
「だから、追われている原因はそれだろ。捨てられたくないなら、早く橋を渡ってくれ。2人が一緒に渡るとすごく揺れるから、1人ずつ渡った方が早いんだ」
「分かったよ。絶対に揺らすなよ」

そう文句を言いながら橋を渡り始めた。

オオトカゲが遅くなったのは、エーミールが木の実をこぼしていたからだろう。オオトカゲはそれを探しながら歩いてきたので遅くなり、彼らが逃げ切れそうな余裕ができている。
ジルバーは、おっかなびっくり進んでいるエーミールを見送りながら、自分の荷物の中からナイフを取り出した。

エーミールが吊り橋の半分を渡り終わったところで、ついにオオトカゲが森から顔を出した。
以前ジルバーが見かけたものよりもさらに大きな4足歩行のトカゲが、木々の間から進み出てくる。
暗緑色の体表が雨に濡れ、薄暗い光を反射した。
感情の読めない瞳で周辺を見回し、そしてジルバーに目を止めた。警戒しながらもゆっくりと顔を近づけて、ニオイを嗅いでいる。
さんざんジルバーのニオイを嗅いでから首を傾げ、再び周囲を見回した。
そこへ、川の向こう岸から声がかかった。

「ジルバー!渡ったよ、キミも早く……ってうわっ!出た!!」

橋を挟んだ彼岸と此岸で、エーミールとオオトカゲの視線が合う。その無感情な瞳の迫力に、エーミールはまるで石になったかのように動けなくなった。
オオトカゲはエーミールから漂う木の実のニオイを嗅ぎつけ、ジルバーから興味をなくしたように橋へと一歩近づいた。

「だ、大丈夫。あのオオトカゲには狭すぎる。通れないさ、大丈夫。大丈夫」

エーミールはそう自分に言い聞かせながらも、オオトカゲから目を離すことができない。
そんな彼の見ている前で、オオトカゲは吊り橋の上に乗った。ごうごうと流れる川の上に張られた綱の上に、器用に足を乗せている。橋はオオトカゲの重さに軋んでいるが、落ちる気配はまるでなかった。

揺れる吊り橋の上で器用にバランスをとりながら、オオトカゲは一歩一歩進み始める。目の前で行われているそれを、エーミールは動くことができずに見ているだけだった。
オオトカゲの体が全て橋の上に乗った時、その顔は橋のちょうど真ん中にあった。それはエーミールの持っている木の実を求めて、彼を見つめていた。
エーミールが呼吸を忘れそうになるほどの恐怖を感じていると、不意に目の前のオオトカゲがぐらりと揺れた。

オオトカゲは突如バランスが崩れたために、吊り橋をしっかりとつかむ。
揺れが収まってから背後を見れば、橋を固定している綱の一本がきれいに切れていた。

「ジルバー、何をしてるんだよ!」

オオトカゲの視線が外れたことで動けるようになったエーミールは、綱の横でナイフを握るジルバーを見つけた。

「こいつから逃げるには、こうするしかない。吊り橋を落としたことについては、後で一緒に謝ってくれよ」
「でもそっちで切ったら、キミはこっちに来れないんじゃないか?」
「それは大丈夫だ」

ジルバーはピンと張られた綱にナイフを当てて力を込める。綱はブチブチ音を立てて切れて、再びつり橋が大きく揺らいだ。

今やつり橋は片側2本だけで両岸をつないでいる。その残った綱もオオトカゲの重さを支えきれずに、ギシギシと悲鳴をあげている。

「そろそろいいだろう」

ジルバーはナイフを持ったまま後ろに下がると、助走をつけて跳んだ。
ゆるい放物線を描いてオオトカゲの背に着地し、その上を走る。そのまま傾いた橋を軽やかに走りぬけて、エーミールの目の前にまで到着した。

「ざっとこんなものだ」
「す、すごいねキミは」

ジルバーはナイフ片手にオオトカゲを振り返る。

「まだ橋が落ちないなんて、思ったよりも丈夫だな。仕方ないから、もう1本切っておくか」

そう言ってナイフを綱に当てた時、ギシリと大きな音を立ててつり橋が揺れた。

まだつり橋の上にいたジルバーは、ナイフを持ってない方の手だけで綱を握る。
そのまま振り返れば、前足1本で綱を握りながら、もう1つの前足をジルバーへと伸ばすオオトカゲの姿があった。

ジルバーはとっさに綱を握る手を離して自ら落ちる。たった今彼がいた場所をオオトカゲの前足が握りこむ。

「ジルバー!?」

エーミールが橋から身を乗り出して叫ぶと、切れた綱にしがみつくジルバーの姿があった。

「ジルバー、待ってろ。今助けるから!」
「ダメだ、来るな。今ので橋がもう落ちる。エーミールまで川に落ちたら、俺には助けられない」
「でも、このままだとキミは……」
「俺1人なら、なんとかなる。エーミールは追い込み部隊に報告してくれ」
「そんな!僕にはできないよ!」
「追い込み部隊は上流の方からくる。川をさかのぼれば合流できる!広い場所で部隊の全員で待ち伏せさせろ!コイツはお前の持ってる木の実を狙っているから、自分から飛び込んでいくはずだ。わかったな!」

ジルバーが早口でまくし立てている間にも、つり橋はミシミシ音を立てて傾いていく。
エーミールはそれに巻き込まれそうになり、慌てて吊り橋から離れると、ついに橋が土台ごと崩れて落ちていった。

「ジルバー!」

大きな水音が響いた。
エーミールが覗き込んだ時には、暗緑色のオオトカゲは遥か先まで流されていた。

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