魔獣の森のお嫁さん

天坂コーキ

ハンターのノイン

その時の私には、時間も場所も、全く関係がなかった。

「まったく、アタシをこんな時間に呼び出すなんていい度胸だね。それなりの対価は覚悟して……ってなんだいその娘は!?ちょっとアンタ邪魔だよ!」

体中が熱く、意識は朦朧とし、絶え間なく襲いかかる悪寒と痛みに苛まれていた私は、その時の状況を全く憶えていない。

「ああ、これはヒドイ怪我だね、それに炎症まで起こしてる。オイなにぼさっとしてるの!さっさと熱い湯を沸かしな!あとキレイな布をたくさん用意!すぐ!」

耳に聞こえても、目に見えても、肌に触れても、憶えていなければ何にもならない。

「アンタがこんなに汚れてんのが一番問題だよ!さっさと川にでも行って洗い流してきな!しっかり乾くまで戻ってくんじゃないよ!」

でも私にとってその時のことは、一番重要なことだった。
なにせ私は、生死の境目を彷徨っていたのだから。



私の名前はノイン・ロットカッパー。職業は狩人ハンター
祖父もそのまた祖父も、そのまた前の祖父も、この森でハンターとして生きてきた。

家族は祖父母と父と母、そして兄が3人と妹が1人いる。
私はそのロットカッパー家の9人目の子供だからノインと名付けられた。
つまり本当はもっと兄弟姉妹がいたのだけど、色々な理由があって残っているのは私を入れて4人だけ。
その兄弟も、真ん中の兄はハンターとして遠くの街へ行き、下の兄は王都の軍へ入隊した。
私も去年から独り立ちして、同年代の仲間と共にハンターとして生活している。

ハンターたちの仕事は主に森での狩猟や採取。
ペロウ大森林と呼ばれるその場所は、近隣住民にとって生きるためにはなくてはならない場所。

たくさんの木の実や動物、薬草やキノコ。
家を建てるための木材や、火を起こすための薪木。

私たちは、生活の大半を森に頼って生きている。

しかし森は、数多くの危険が潜む場所でもある。
昼でも暗い森の中では視界が悪く、うっかり足を滑らせて命を落とす人が毎年何人もいる。
また、狼や熊などの肉食動物だけでなく、猪や鹿などに襲われて大怪我をする人もいる。

ハンターはそれらの危険から住民を守り、彼らの代わりに森の恵みを収穫したり、動物達を狩ったりするのが仕事。

私は兄と一緒に、祖父と父からハンターのいろは・ ・ ・を習った。
おかげで、独立してから他のハンター達と一緒に狩りをした時も、私がいつも一番活躍していた。

ハンターは、基本的に男社会の仕事。
体力と筋力は、同じように鍛えたならば男の方が強くなるのは自然なこと。
でも、私は経験や知識をあらかじめ詰め込んであったおかげで、ベテランハンターに追いつきそうなほどの成果を上げていた。

薬草や木の実をすぐに見つけ、獲物を逃がすことも少なく、剥ぎ取った皮に傷も少ない。
私は教えられたことを努力して実行し、それができたことを誇らしく思っていた。

しかし同年代の男にとって、これはとても面白くなかったみたい。

私は次第に、彼らから邪険にされるようになった。

「女のくせに」

「女の仕事じゃない」

と何度も言われたりもした。

しかし私もまた、意地っ張りだった。
そんな言葉は気にせずに、むしろより大きな成果を、見せつけるようにして過ごしていた。

まだお互いに15、6歳の若造だということもあった。

そしてそんなことが続いたある日、私はついにこらえきれなくなって、彼らに言ってしまった。

「いいわ。貴方たちが私と組みたくないっていうなら、私は1人でもやってやるわ」

こうして私は愚かにも、1人で森の中へと入ったのだった。
そして、恐ろしいものと出会ってしまった。

森と共に生きる人々が、『生きた災害』と呼んで何よりも恐れる存在。

【魔物】と。



目が覚めたのは、夜になってからのことだった。

いや、正確な時間はわからない。
その時の私には、時間の感覚なんて全然なかったから。
火がはぜる音と、壁を照らす明かりから、その時が夜だと思っただ。

体はだるく、意識はまだ霞がかかったようにおぼろげだったけど、私のすぐ近くにいた大きなシルエットを見て、すごく安心した。
それは、父や兄たちのような、たくましい男の人の背中だった。

私は助かったんだ。

はっきりと全てを思い出していたわけではないのに、なぜかそれだけは確信できた。

燃える火の暖かさに誘われるように、私はまた深い眠りへと落ちていった。



私は、夢を見ていた。

夢の中で私は、これは夢だと気づいていた。
なぜなら私の目の前に、今にも死にそうな私の顔があったから。
普段は顔を洗う水の中でしか見ていない自分の顔が、血の気が失せて青白くなっていた。

ああ、私はこのまま死んでしまうのだろうか。

私は私の顔を覗き込みながら、他人事のように冷静に見ていた。
でも、すぐにそれは間違いだと気が付いた。
なぜなら私は、誰かに背負われて、ものすごい速さで森の中を運ばれていたから。

私を運んでくれている人の様子は、暗くてよくわからない。
陽が落ちた森の中は、一歩先も見えないほど暗くなる。

しかし私を運んでくれている人は、まるで先が見えているかのように走っている。
木の根でデコボコしているはずの地面など、関係ないとでも言うように。
膝下まである草が隠したぬかるみや穴など、お見通しだと言うように。
背負った私をほとんど揺らさずに、森の中を駆けている。

この人は、なんてすごいんだろう。

この森を他のハンターの誰よりも知っているはずの祖父でさえ、夜の森を歩き回ろうとはしない。
太陽の高い昼でさえ、見通しの効かない森の中で走るのは愚かなことだと教えられた。

でもこの人の走りは、恐れなど全くない、自信に満ちたものだった。

私は絶対に助かるだろう。
私の横でそれを見ていた私は安心して、また深い眠りへと落ちていった。



次に目が覚めた時は、昼間のようだった。
ここはどこだろうか。

ぼんやりとしていた意識が覚醒していく途中で、誰かが近づいてくる気配を感じた。

「おや、気が付いたかい?意識が戻ったってのは本当だったのか」

私の顔を、キレイな女の人が覗き込んでいた。
黒く長い髪、やわらかな肌を惜しげもなく晒す服。
慈母のように優しく、悪魔のように魅惑的な女の人。
私は彼女を知っていた。いえ、森に関わる者なら、皆知っているはず。

「まじょさ……さま」

「ああ、無理にしゃべらない方がいいよ。ほら、この水を飲みな」

キレイな女性――森の魔女様――は、そう言って私に木のコップを差し出してきた。
私は受け取ろうとするが、腕が重くてあまり持ち上がらない。

魔女様はそんな私の後ろから頭と腕をささえ、水を飲ませてくれた。

「ゆっくりでいいからね。落ち着いて飲みなよ」

私はうなずいて、言われたとおりゆっくりと水を飲んだ。
透き通った、おいしい水だった。
それが喉を通り、乾いた体中に染み渡っていくような感じがした。

水を飲み終わると、また寝かせてくれた。
私の顔を見て魔女様が優しく微笑む。まるでお母さんみたいだ。
普段の魔女様は恐ろしく、近づきがたい方なので、このような顔は初めて見た。

「あの、魔女様。私は……」

「アンタはノインだろ?ロットカッパ-のお転婆娘。会ったことは何回かあるね」

まだあまりうまく声が出せなかったので、私はうなずくことしかできなかった。
最初は父に連れられて、最近になってからは仕事で、魔女様の家を訪れたことがあった。

「アンタは死に掛けてたんだよ。恐い魔獣に襲われてねそれで……」

「ありがとうございます。魔女様に、助けていただいたんですね」

私がそう言うと、魔女様はなぜか外の方を見てから、また私を見ました。

「確かにアンタの治療をしたのはアタシだけどね。魔獣から助けたのは別なヤツさ」

「それは誰ですか?」

「今は狩りに出かけている。ちょっとワケアリなヤツだが、悪いヤツでないことは保障しよう。アンタはとにかく弱っているから、今はまだ寝ておくことだね」

魔女様が私の顔の前で手を振ると、途端に眠気が湧き上がってきた。

「明日また来るよ。それまでお休み」

魔女様の言葉が終わらないうちに、私は眠りへと包まれていた。

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