魔獣の森のお嫁さん

天坂コーキ

魔物の襲撃

カンテラの明かりによって、そのシルエットが浮かび上がった。

だらんと両腕を垂らした、猫背の姿勢。
それでもなお、その頭はログハウスの軒先に届きそうなほど高い。

その頭には木々の枝葉が頭髪のように絡みついている。
男はそれを乱暴に払い落とす。
その手は太く、まるで丸太が動いているかのようだ。

男が一歩こちらへ踏み出す。
私は思わず後ずさる。

男がこちらへ近づくたび、カンテラによってよりはっきりとその姿が見えるようになる。
それは、熊のような生き物だった。
最初に人だと思ったのは、それが熊にしては細い腰だったから。
引き締まった逆三角形の上半身、どっしりとした下半身。
人であればたくましい男だと言えるけど、それの体は黒く短い体毛で覆われていた。

男と熊を足し合わせたような生き物。
その姿に得体の知れない不気味さを感じる。
人の尊厳を汚すような、悪魔が生み出した生き物。
私はあまり信心深くはないけれど、そんなことを思ってしまう。

そしてそれが私へ向けて、口を開いた。

「……あぁら……った。……さ……ぇ」

言葉を、しゃべった!
舌足らずで間延びしているし内容は理解できないけれど、確かに人の言葉だ。

普通の獣とは違う異常な外見を持ち、人の言葉を話す。
これは典型的な魔物の特徴だ。

これは大変なことになった。
魔物はハンターたちの基本的な知識として、一番危険な部類だと教えられる。

ケモノ魔物マモノは見た目は近いかもしれないが、全くの別物。
獣はただの動物で、自然の中で生まれて育つ。
対して魔物は、発生のしかたが見つかっていない、不自然な獣のことだ。
その生態はまちまちではあるが、ただ一つだけ全ての魔物に共通することがある。それは、他の生命体への異常なまでの攻撃性だ。

魔物が発生したならば、人だけでなく森の生命すべてが危険にさらされる。
森が滅べば、その恩恵を受ける私たちもまた滅ぶしかない。
だから森に生かされている人々はハンター協会を作り、ハンターを育てた。
そしてハンターたちは、人々を助け、森の安全を守るのだ。

魔物は存在そのものが災害であり、例え小物であっても、複数人のハンターが協力して討伐に当たらなければならない。
そうでもしなければ狩れないほどの、恐ろしい存在だった。

それが今、私の目の前にいる。
この森の中で、私は1人きり。
だとしたら私は、ここで死ぬのだろう。

さんざん聞かされてきた恐怖の対象を前にして、私の心は不思議なほど落ち着いていった。
実感が湧かない?そうかもしれない。
私は死んだことがないから、それがどんなものか分からない。
でも私以外の人の死なら、もう何回も経験している。

ハンターの仕事は危険と隣り合わせ。
見知ったハンターの姿を数日見ないと思ったら、森の奥でその死体が見つかるというのはザラにある。
私を含めたハンターたちはみんな、いつか自分がそうなるかもしれないことを理解している。
いや、させられている。
お祖父さんから、お父さんから、そして先輩たちからその覚悟を問われたことが何度もある。
そしてこの森自身から、ベテランハンターでさえも死ぬという現実を見せつけられている。

これは、この今の状況は、私にその順番が回ってきたというだけだ。

ならば私はどうすればいい?
魔物と戦う?それは無意味。
私1人では、どうあってもアレに勝つことなどできない。
見ただけでそれが分かってしまった。

じゃあどうする?諦めてこの身を差し出す?
それはダメだ。私にはまだやらなくちゃいけないことがある。
ロットカッパー家の者として、そしてハンターとして、自分の役目を果たさずに死ぬことは許されない。

次に何をするべきかはわかっている。
だから私はそれを実行するために、身をひるがえして駆け出した。
すれ違いざまにカンテラを引っかけるようにつかみ、腕に抱える。

背を向けて逃げ出す者を見れば、相手はそれを追おうとする。
それは獣も魔物も同じ。
魔物は獣よりも恐ろしい。
たぶんすぐに追いつかれるだろう。

それでも私は、目的のために逃げる必要があったし、ある程度までなら時間が稼げると思っていた。

でもそれは、ものすごく甘い考えだったとすぐに思い知ることになった。

ログハウスの横を抜けきらないうちに、地面に重いものを連続して叩き付けるような音が背後から聞こえてきた。
馬が走るよりなお速く、大槌を叩くよりなお強い音。
まさかと思って振り返ると、すでに目の前にまで熊の魔物が迫っていて、しかもその腕が振り上げられているのが見えた。

反射的に身構えようとして、足がすべる。

「あっ」

雨のせいで、地面がぬかるんでいたのだろう。
踏みしめる力の行き場がなくなり、私の体が宙を泳いだ。

そこへ、丸太のような腕が振り下ろされた。

私は文字通り、宙を舞った。
腕と体に衝撃が走り、そのまま数秒ほどおいてから、再び体に衝撃を感じた。

殴られた衝撃のせいで、そこからさらに地面の上を転がる。

どっちが天で、どっちが地なのかわからない。
頭がくらくらして、体に力が入らない。

それでもなんとかして目を開けると、少し先で揺らめく火が見えた。
抱えていたカンテラが、衝撃で割れたのだろう。
殴られたせいか、地面に落ちたせいかはわからない。
貴重なガラスが割れ、中のオイルが漏れ出して、それに火が点いたのだろう。
それも少しすれば消えてしまうに違いない。

私は思うように動かない体に鞭打って、なんとか立ち上がった。

魔物は火の向こうに立っている。
火を恐れている様子はまったくない。
アレは私を観察しているようだ。
火に照らされたその顔は、獣には決してできない醜悪な笑みが浮かんでいる。
だらしなく開いた口からは、舌が垂れ下がって揺れている。

「えぇさぁ……ぉくれよぉ。おぉうぃーのぅ、ふふ」

こいつ、えものをいたぶって、楽しんでいるのか。

こいつのこれは、狩りじゃない。
遊びなんだ。
仔猫がネズミをいたぶるように、圧倒的な強者が時間をかけてじゃれているのだ。
私はそれに気がつくと、思わず笑みを浮かべてしまった。

そうよ、私は小さなネズミ。
満足するまでじゃれて遊べばいいわ。
でもネズミにだって、猫を殺すことができるのだ。
それをこれから教えてあげる。

私はつねに身につけている皮袋から、大人の親指ほどの丸薬を取り出す。
ハンターなら必ず持っている重要な道具のひとつ。
それを精一杯の力を込めて、魔物へ向けて放った。

向こうから見たらそれは、破れかぶれの悪あがきに見えただろう。
弱っている獲物が、その場しのぎで投げた塊。
しかもそれは魔物じぶんに届かずに、手前で燃える火の中にボトンと落ちた。

魔物はニヤニヤ笑って私を見る。

でも私もまた、ニヤニヤと笑っていた。

私の顔を見た魔物は、少し不思議そうに顔をゆがめる。
それは当然だ。
私の笑顔は、勝利を確信したそれだから。
圧倒的に不利な人間がなんでそんな風に笑えるのか、理解できないのだろう。
だから私は声をかける。
人の言葉を理解できるという魔物へ向かって。

「魔物さん。私がこんな風に笑えるのが不思議?貴方が今まで狩って来た獲物は、みんな怯えてばかりだった?」

魔物はいぶかしそうにこちらをにらむ。
どうやら本当に私の言葉を理解できているようだ。
そしてだからこそ、その意味を理解できずにいる。

「たぶん貴方は、ハンターを相手にしたのは初めてなのね。だったらいいこと教えてあげる」

そこで私は、もったいぶって言葉を切る。
不敵な笑顔で、勝利を確信して、堂々と言ってやる。

「貴方は死ぬわ、近い未来に。今の貴方は襲う側かも知れないけれど、すぐに追われる側になるわ。だって私はハンターなんだもの」

私をにらむ魔物の足元で燃える火が、不意にその様子を変えた。
バチバチと爆ぜる音を響かせて、そこから赤い炎をほとばしらせる。

魔物は驚き後ろに下がった。
私はそれを見逃さずに、身をひるがえして森へと走り出した。

肩越しに振り返ると、火は勢いよく煙を吹きあげ、天高く赤い柱が昇っていくのが見える。
あれは特別に調合された狼煙のろし玉。
赤は魔物や獣の暴走などの驚異が出現したしるし。

これで私が死んだとしても、危険は皆に伝わるだろう。
この場所を調べれば、なにがあったかすぐにわかる。
例えあいつが逃げたとしても、熟練のハンターたちなら必ず追いつめることができる。

前を見れば、森まではまだ距離がある。
小さな広場だと思っていたのに、こんな時に限って広く感じる。
私の体は万全ではなく、大した速度は出せていない。
それでも森の中に逃げ込めれば、もしかしたら生き延びることができるかもしれない。

痛む体に活をいれて、森に向かって走り続ける。
あと少し、もう少しで森に入れる。
そうやって走っている私の足に、不意に何かが音を立ててぶつかった。

「あぐっ!?」

足から頭まで突き抜けような痛み。
思わずその場に崩れ落ちる。

見れば先ほどまでカンテラだったものが、私の足に突き刺さっていた。

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