魔獣の森のお嫁さん
ジルバーのため息
◇◇
ノインが去った後のテーブルを、ジルバーは少し悲しそうに見つめていた。
人と魔獣は相容れない。少なくとも、森とともに生きる人間たちはそう思ってる。
だからジルバーは魔女から、決して人間に関わるなと言われていた。
今まではその言葉を守り、興味があっても絶対に見つからないように生きてきた。
でも、ノインを助けてしまった。
それは、あの時放っておいたらノインは助からないと思ったから。
もし彼女を見捨てたら、もう二度と人間に近づくことはできなくなる。そんな確信に似た恐れを感じたからこそ、ジルバーは魔女の忠告に背いて人間を助けた。
その時の決断に後悔はないし、今のノインが魔獣を恐れてはいないことを喜んでもいる。
でも、そのことがジルバーの心を苦しめてもいた。
ノインがいればもしかしたら、人と仲良くなれるかもしれない。
でもそうはならず、通じ合えたと思ったノインにさえ恐れられる日が、いつかくるかもしれない。
だったら、もう二度と会わないようにするのがいい。
ノインの怪我が治ったら村へと送る。
あの足ならば森を抜けてここまで来るのは無理だろうし、誰かがノインの話を聞いてここに来るようであれば、追い返すなりジルバーがこの家を出て行けばいい。
それがいい。
それが誰も傷つかない一番の方法だろう。
ジルバーは自分の心の痛みを無視して、そう結論を出していた。
人と同じような知性と心を持つジルバーにとって、友人と呼べるような話し合い手は森の魔女だけだった。
でも彼女は気まぐれで、ごくたまにしか会ってはくれない。
せめて獣でも飼えればと試したこともあったが、逃げるか立ち向かってくるか、それとも死を受け入れるかしかなかった。
そんな日々の後でノインと交わした昨夜の会話は、彼にとってとても心踊るものだった。
強敵との闘いや狩りの時とはまた違った喜びが、ジルバーを浮かれさせていた。
だから油断をしてしまったのだろう。
ノインを1人で森に置いて行ってしまった。
シャーディックの攻撃を避けそこなってしまった。
顔の形をした皮を落としたことに、気が付かなかった。
いくつもの失敗が浮かんできて、それがジルバーの心にのしかかってくる。
あの失敗が無ければ、別な道があったかもしれない。
ジルバーが魔獣だと知られないままで、人間たちと交流ができたかも知れない。
森の奥で暮らしつつ、たまに人間の村へ行って森の恵みを売り、人里でしか手に入らないものを買って帰る。
ノインやその家族、そしてその友人たち。そんな人たちと仲良くなれたかもしれない。
そんなささやかな幸福な妄想までもが、今のジルバーを苦しめる役にしか立っていなかった。
ジルバーは大きなため息をつくと、八つ当たりでもするかのように皿に残っていたパンにかぶりつき、スープで流し込んだ。
「まったく。アンタいったい何をしているのよ」
「ぶっ!」
簾を分けて入ってきた魔女を見て、ジルバーはむせた。
今日の魔女は露出は少ないが、体のラインにぴったり合った服を着て、明るめのコートを羽織っている。
不機嫌そうにしたその表情もまた、男の興味を引きつけずにはいないだろう。
だがジルバーはそれどころではなくなったようだ。気管に入ったスープによって、盛大にげほげほ言っている。
「けほっ、えほっ。い、いきなりはいってくるなよ!」
「あたしはノックした。聞き逃したアンタが悪い。それで、いったいどういうことなのか、説明してもらおうじゃないの」
魔女はジルバーの向かいに座り、蠱惑的にも見える目線で訴えた。
「べ、別に大したことじゃ……」
「ノインの怪我の治療をあたしに頼んだのはアンタでしょ。昨日のことをしっかり話しなさい」
「ああ、そっちか」
自分の物思いを見抜かれたのかとジルバーは焦ったが、それは違うようだった。
「そっちか、じゃない。どちらにしても、あの娘の体に関わる問題よ」
魔女の剣幕に押され、ジルバーはつたない言葉で話しだす。
魔女はわかりにくかった部分は細かく突っ込んで質問し、ジルバーは冷や汗をかきながら補足した。
一通り説明が終わるころには、テーブルの上の料理は冷め切っていた。
「つまり、アンタはノインを連れ出したあげく、森の中にひとりでほっぽりだして危険な目に遭わせたということなのね」
「そうなる。すまん」
「あたしに謝ってどうする。ノインには謝ってあるんだろうね?」
「それはもちろん……」
「それと、本当にあの娘に怪我はさせなかったんだろうね?今また怪我をしたら、危ない状態に逆戻りするかもしれないんだよ」
「だいじょうぶだ。ノインにはゆびさきほども、さわらせてない」
「それならいいわ。じゃあ次」
「まだあるのか……?」
ジルバーはうんざりした顔で冷めたスープをすすり、喉をうるおす。
魔女は水差しからコップに水を注ぎ、優雅に一口飲んだ。
「今のも重要だけど、こっちも問題よ。アンタ、その顔は何なの?あたしの作った『人の皮』をいったいどうしたっての?どうしてその顔をノインに見せることになったのよ」
テーブルに肘をついて、魔女が睨み付ける。
「その……シャーディックとたたかったときに、ちょっと破かれた」
ジルバーが端の破れた『人の皮』を差し出すと、魔女はそれを受け取った。
広げてかざし、無残な傷痕を確認する。
「確かにこれじゃ、魔道具として役に立たないわね。かなりの自信作だったのに、なんて事してくれるのよ」
「ほんとうにごめん」
「いいのよ。今のはアンタじゃなくシャーディックに言ったんだから」
魔女は『人の皮』を服の内側に仕舞った。
「これを直すには結構かかるわ。あたしにも色々用事があるし、ひと月は先になるわよ」
「なおしてもらえるだけでもうれしい。よろしくたのむ」
「ノインの治療代と合わせて、後でしっかりいただくからね」
「わかってる。じゅんびしておく」
魔女の鋭い目線を、ジルバーはしっかりと受け止めた。
「わかればよろしい。じゃああたしはノインの様子を見て来るから」
魔女が予想していたよりも怒っていないことに、ジルバーはホッとした。
懸念がなくなってしまえば、後はいつものように行動すればいい。
食べ物や道具の材料など、必要なものをいくつか思い浮かべて、この後どうするかの方針を決める。
「おれはあとで、きのみをとりにいく、つもりだ」
「わかったわ。今日はあたしがノインについていてやるから、心配しなくていいわ。その代わり、日が暮れる前には戻ってきなよ。夜に大事な話をするからね」
「だいじなはなし?それはなんだ?」
「今はまだ話せないわ。色々確かめなきゃいけないことがあるのよ」
魔女はいたずらっぽい表情をして、手をひらひら振りながら、部屋を出て行った。
「なんなんだ?……まあ、いいか」
ジルバーは首をかしげながらも立ち上がり、テーブルの上を片づけ始めた。
ジルバーは考えることをすぐに諦め、冷めた料理を片づけ始めた。
ノインが去った後のテーブルを、ジルバーは少し悲しそうに見つめていた。
人と魔獣は相容れない。少なくとも、森とともに生きる人間たちはそう思ってる。
だからジルバーは魔女から、決して人間に関わるなと言われていた。
今まではその言葉を守り、興味があっても絶対に見つからないように生きてきた。
でも、ノインを助けてしまった。
それは、あの時放っておいたらノインは助からないと思ったから。
もし彼女を見捨てたら、もう二度と人間に近づくことはできなくなる。そんな確信に似た恐れを感じたからこそ、ジルバーは魔女の忠告に背いて人間を助けた。
その時の決断に後悔はないし、今のノインが魔獣を恐れてはいないことを喜んでもいる。
でも、そのことがジルバーの心を苦しめてもいた。
ノインがいればもしかしたら、人と仲良くなれるかもしれない。
でもそうはならず、通じ合えたと思ったノインにさえ恐れられる日が、いつかくるかもしれない。
だったら、もう二度と会わないようにするのがいい。
ノインの怪我が治ったら村へと送る。
あの足ならば森を抜けてここまで来るのは無理だろうし、誰かがノインの話を聞いてここに来るようであれば、追い返すなりジルバーがこの家を出て行けばいい。
それがいい。
それが誰も傷つかない一番の方法だろう。
ジルバーは自分の心の痛みを無視して、そう結論を出していた。
人と同じような知性と心を持つジルバーにとって、友人と呼べるような話し合い手は森の魔女だけだった。
でも彼女は気まぐれで、ごくたまにしか会ってはくれない。
せめて獣でも飼えればと試したこともあったが、逃げるか立ち向かってくるか、それとも死を受け入れるかしかなかった。
そんな日々の後でノインと交わした昨夜の会話は、彼にとってとても心踊るものだった。
強敵との闘いや狩りの時とはまた違った喜びが、ジルバーを浮かれさせていた。
だから油断をしてしまったのだろう。
ノインを1人で森に置いて行ってしまった。
シャーディックの攻撃を避けそこなってしまった。
顔の形をした皮を落としたことに、気が付かなかった。
いくつもの失敗が浮かんできて、それがジルバーの心にのしかかってくる。
あの失敗が無ければ、別な道があったかもしれない。
ジルバーが魔獣だと知られないままで、人間たちと交流ができたかも知れない。
森の奥で暮らしつつ、たまに人間の村へ行って森の恵みを売り、人里でしか手に入らないものを買って帰る。
ノインやその家族、そしてその友人たち。そんな人たちと仲良くなれたかもしれない。
そんなささやかな幸福な妄想までもが、今のジルバーを苦しめる役にしか立っていなかった。
ジルバーは大きなため息をつくと、八つ当たりでもするかのように皿に残っていたパンにかぶりつき、スープで流し込んだ。
「まったく。アンタいったい何をしているのよ」
「ぶっ!」
簾を分けて入ってきた魔女を見て、ジルバーはむせた。
今日の魔女は露出は少ないが、体のラインにぴったり合った服を着て、明るめのコートを羽織っている。
不機嫌そうにしたその表情もまた、男の興味を引きつけずにはいないだろう。
だがジルバーはそれどころではなくなったようだ。気管に入ったスープによって、盛大にげほげほ言っている。
「けほっ、えほっ。い、いきなりはいってくるなよ!」
「あたしはノックした。聞き逃したアンタが悪い。それで、いったいどういうことなのか、説明してもらおうじゃないの」
魔女はジルバーの向かいに座り、蠱惑的にも見える目線で訴えた。
「べ、別に大したことじゃ……」
「ノインの怪我の治療をあたしに頼んだのはアンタでしょ。昨日のことをしっかり話しなさい」
「ああ、そっちか」
自分の物思いを見抜かれたのかとジルバーは焦ったが、それは違うようだった。
「そっちか、じゃない。どちらにしても、あの娘の体に関わる問題よ」
魔女の剣幕に押され、ジルバーはつたない言葉で話しだす。
魔女はわかりにくかった部分は細かく突っ込んで質問し、ジルバーは冷や汗をかきながら補足した。
一通り説明が終わるころには、テーブルの上の料理は冷め切っていた。
「つまり、アンタはノインを連れ出したあげく、森の中にひとりでほっぽりだして危険な目に遭わせたということなのね」
「そうなる。すまん」
「あたしに謝ってどうする。ノインには謝ってあるんだろうね?」
「それはもちろん……」
「それと、本当にあの娘に怪我はさせなかったんだろうね?今また怪我をしたら、危ない状態に逆戻りするかもしれないんだよ」
「だいじょうぶだ。ノインにはゆびさきほども、さわらせてない」
「それならいいわ。じゃあ次」
「まだあるのか……?」
ジルバーはうんざりした顔で冷めたスープをすすり、喉をうるおす。
魔女は水差しからコップに水を注ぎ、優雅に一口飲んだ。
「今のも重要だけど、こっちも問題よ。アンタ、その顔は何なの?あたしの作った『人の皮』をいったいどうしたっての?どうしてその顔をノインに見せることになったのよ」
テーブルに肘をついて、魔女が睨み付ける。
「その……シャーディックとたたかったときに、ちょっと破かれた」
ジルバーが端の破れた『人の皮』を差し出すと、魔女はそれを受け取った。
広げてかざし、無残な傷痕を確認する。
「確かにこれじゃ、魔道具として役に立たないわね。かなりの自信作だったのに、なんて事してくれるのよ」
「ほんとうにごめん」
「いいのよ。今のはアンタじゃなくシャーディックに言ったんだから」
魔女は『人の皮』を服の内側に仕舞った。
「これを直すには結構かかるわ。あたしにも色々用事があるし、ひと月は先になるわよ」
「なおしてもらえるだけでもうれしい。よろしくたのむ」
「ノインの治療代と合わせて、後でしっかりいただくからね」
「わかってる。じゅんびしておく」
魔女の鋭い目線を、ジルバーはしっかりと受け止めた。
「わかればよろしい。じゃああたしはノインの様子を見て来るから」
魔女が予想していたよりも怒っていないことに、ジルバーはホッとした。
懸念がなくなってしまえば、後はいつものように行動すればいい。
食べ物や道具の材料など、必要なものをいくつか思い浮かべて、この後どうするかの方針を決める。
「おれはあとで、きのみをとりにいく、つもりだ」
「わかったわ。今日はあたしがノインについていてやるから、心配しなくていいわ。その代わり、日が暮れる前には戻ってきなよ。夜に大事な話をするからね」
「だいじなはなし?それはなんだ?」
「今はまだ話せないわ。色々確かめなきゃいけないことがあるのよ」
魔女はいたずらっぽい表情をして、手をひらひら振りながら、部屋を出て行った。
「なんなんだ?……まあ、いいか」
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