魔獣の森のお嫁さん

天坂コーキ

ジルバーとジャンヌ

◇◆

ジルバーは小川での水浴びを終えて、家の前に立った。
普段なら何も気にする必要などないのだが、今日に限っては足が重く感じる。
毛皮に着いた水分はほとんど振り落としたが、それでもまだ完全には乾いてないからだろうか。
いや違う。
今ある問題の原因は、彼が油断していたせいだからだ。

今日、ジルバーはいつものように森で狩りをしていた。

彼がいつものように仕掛けた罠を見回っていると、獣の鳴き声が聞こえた。
それはいくつもの獣の警告音。危険が迫っていると、周囲に知らせる切羽詰まった声だった。

ジルバーは、獣をはるか超える筋力を使ってその警告音の示す方角へ向かう。
そうして地を駆け、木々をかわしながら進んだ先で見つけたものは、今まで目にしたことのないほど大きなトカゲだった。

「深いところのやつか」

ペロウ大森林は奥深く、今ジルバーがいるところでさえ全体から見れば半分に届いていない。
そして森が深くなればなるほど、獣は大きく恐ろしくなる。
このトカゲも、ここより奥から出てきたものだろう。
頭から尻尾の先まで、およそ3m。
大きな馬のような体を器用にくねらせ、立ち並ぶ木々をすいすい避けて進んでいる。

「道具も、ない。今日は、やめておくか」

知らない獣相手に、何の準備もせずに挑むのは死にに行くのと同じだ。
ジルバーは、ベテランハンターであるメッサーからそう教わっていた。
ノインもハンターのことを教えてはいたが、彼女の父親であるメッサーも時々家にやってきては、ジルバーにハンターとしての心得を説いていた。
叩き込むという表現が正しいスパルタ式のものではあるが、森で生きてきた天性の狩人たるジルバーにとって、その教えはとても馴染むものだった。
今まで彼がなんとなくで行動していたことに、明確な理由と意味をつけられる。
それはジルバーが初めて味わう、理解する快感というものだった。

そうして手に入れた知識を使うことで、ジルバーの狩りはより洗練されていった。
今回もまた、遠くから観察するだけに留めておいて、次の本番狩りに備える。そのつもりだった。

オオトカゲは目標があるように迷いなく進んで行く。
ジルバーがだんだん距離を近づけても気づく様子はない。
間にいくつもの木々を隔てて並走しても、オオトカゲは全く周囲に気を配ってないようで気付かなかった。

「この先に何かあるのか?」

不審に感じたジルバーは、スピードを上げて先行することにする。
オオトカゲは森の浅いところへ向かって進んでいるようだ。
彼の方向感覚が正しいなら、ハンターたちの狩場からはかなり離れているのですぐに誰かが遭遇する事態にはならないだろう。

そう思った矢先に、見慣れない人影を前方に見つけた。
森に向かない服装をした、森にいるはずのない少女。
その姿に魔女の姿を連想するが、すぐにその幻想を振り払って少女へ向かって駆けだす。

「おい、逃げろ!大型の獣が来てるぞ!」

「え?」

森から飛び出したジルバーを見た少女は、なにも理解していないように首をかしげる。
ジルバーに続いて、茂みを掻き分けてオオトカゲが飛び出してきた。

「悪いが、動くなよ」

「ああっ!ちょっと、なにするのよ」

ジルバーは少女を強引に抱え上げると、オオトカゲの前を横切るように森へ飛び込んだ。
オオトカゲの目標が先にあるなら、このまま通りすぎるはず。
そう思いならがら首だけ振り返ると、ジルバーへ向かって方向転換するオオトカゲが見えた。

「なんで、こっちへ来るんだよ」

予想外の事態に毒づきながらも、ジルバーは走りつづける。
どちらへ逃げればいい?
ハンターたちがいる方へ行くと、彼らに犠牲が出るかもしれない。
このまま逃げ続けると、森から出て村人に被害がでるかもしれない。
ならば森の奥へいったん逃げて、そこでオオトカゲをいてから戻って来るしかないか。
でもそれには抱えている少女が邪魔になる。

そう考えながらチラリと視線を向ければ、なぜかキラキラ光る瞳を向けた少女がいた。

「あ、えーと、大丈夫か?」

「すごい!あなた人を助けるのね、魔獣なのに!」

【魔獣】、そう呼ばれて初めて、ジルバーは自分の失敗に気がついた。
その時彼は人間の姿になれる『人の皮』を脱いで、魔獣の姿を晒していた。
森の中で走り回ると『人の皮』を傷つけてしまいやすく、さらに動きづらい。そんな理由で3日に一回はこっそり『人の皮』を脱いでいた。
今日狩りをしていたそこは、ベテランハンターも近寄らないほどの森の奥だったから、知らない人に出会うことなんてなかった。
だから、何も心配していなかった。

つまり、完全に油断していた。

「ああ、その……」

「ジャンヌ!アタシのことはそう呼んで。あなたのお名前は?」

「ジル、ジルバーだ」

「ジルバー?わかったわ!よろしくねジル」

少女の予想外の反応に、ジルバーは目を白黒させる。
その強烈な勢いに押されて色々話してしまったが、背後から聞こえる藪を蹴散らす音に意識を戻される。

「お嬢ちゃん、今はひじょうじたい、だから……」

「ジャンヌ。アタシのことはジャンヌって呼んで。でないと返事しないわよ」

頬を膨らませる少女にわずかに戸惑うが、そんな暇などないことを思い出す。

「じゃあ、ジャンヌちゃん。あのトカゲを森の奥へおいてくるから、君はちょっと隠れててほしい」

「あら、あいつを追っ払いたいの?」

「そうだ。このままだと迷惑になるから……」

「そうね。ジャンヌもジルともっと落ち着いてお話ししたいし、あの子はちょっと邪魔かもね」

「ああ、だから俺が追い払うから」

「アタシに任せて。簡単だから」

説明しようとしたジルバーを遮って、ジャンヌは胸元から小さな袋を取り出す。

「えーい」

袋をジルバーの肩越しに、放り投げる。
するとどこからともなく現れたフクロウがそれを空中で掴み、木々をすり抜けて飛び去っていった。

「いったい何だ?」

振り返るジルバーの視線の先で、オオトカゲが急に止まったかと思うと、フクロウが消えていった方向へ向けて方向転換した。
そして藪をかきわけながら森の奥へと消えていった。

「なんだったんだ」

呆然とつぶやくジルバーの腕の中で、ジャンヌがピースサインを作って笑った。

「いえーい、大成功!やっぱりカラブの実はトカゲに効くわね」

「カラブの、実?」

「そうよ。森の奥で取れる木の実なんだけど、その硬い殻を割った中身が、トカゲの大好物なのよ」

「えと、つまりあのオオトカゲは、ジャンヌを追っていたってことか?」

「まあそうなるかもね。でもいいでしょ?簡単に追っ払えたし」

面白そうに笑うジャンヌに、ジルバーは思わずため息がもれる。

「あのなあ……」

「そうだ、ジルの家ってどこにあるの?ここから近い?けっこういい服着てるし、洞穴暮らしとかそんなんじゃないよね。ジャンヌちょっと疲れちゃったし、連れていってくれない?」

無邪気に笑う少女を見て、叱ろうと思っていた気力が萎えるのを感じる。
もうどうにでもなれと思いながら、ジルバーはジャンヌを家まで運ぶのだった。

そしてそのせいで要らぬ疑いをかけられることになるとは、この時のジルバーは思ってもいなかった。

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