ファンタジー作品に使えるかもしれないふわっとした中世ネタ

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魔女狩りって?

魔女狩りとは被疑者に対する訴追、裁判、刑罰、あるいは法的手続を経ない私刑等の一連の迫害を指す言葉です。妖術を使ったと疑われる者を裁いたり制裁を加えることは古代から行われていました。


中世末期である15世紀には、悪魔と結託してキリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の魔女の概念が生まれるとともに、最初の大規模な魔女裁判が発生し、後の歴史書に載るような悲劇が起きました。


現代では、歴史上の魔女狩りの事例の多くは無知による社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったと考えられています。


さて、魔女狩りは中世から始まったイメージですが、上記に書いてあるように最盛期は15世紀から17世紀でした。
ではなぜ中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になったなどと語られることが多かったかというと、19世紀の中世ヨーロッパを題材にした小説にそう書かれていて、昔の歴史家がそれをノンフィクションだと思い込んだのが原因だと言われています。


魔女の概念は当時のヨーロッパを覆っていた反ユダヤ主義とも結びつき、子供を捕まえて食べるかぎ鼻の人物という現代の一般人が連想する魔女像が作られました。


魔女の集会がユダヤ人にとって安息日を意味するサバトという名称で呼ばれるようになるのも、反ユダヤ主義の産物であったと思われます。
このように人々の間に共通の魔女のイメージが完成したのが15世紀のことでした。


15世紀に入ると、魔女と妖術に関する書物が一種のブームとなりました。たとえばニコラ・ジャキエの異端の魔女の鞭や、ウルリヒ・モリトールの魔女と女予言者についてなどがあり、特に有名なものとしてドミニコ修道会の異端審問官であったハインリヒ・クラーマーによって書かれた魔女に与える鉄槌があります。


なぜ魔女狩りが加熱したのか、それは旧約聖書22章18節の「女呪術師を生かしておいてはならない」という言葉が発端と言われています。
当時聖書の言葉は絶対で、聖書に書かれていないものは異端や悪魔の所業であると言われてました。


魔女の処刑方法で一般的だったのが火あぶり。イギリス方面では絞首刑、溺死刑も記述がありました。

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