名前を呼ばれた日

とびらの

名を呼ばれない日



10月10日。


 二年半ぶりに、ヒロシさんの家を訪ねた。彼はちっとも変っていなかった。わたしの顔を見ると、目をまんまるにして、呆然とした。

「……リカ。君、戻ってくれたのか……!」
「ええ。また一緒に暮らしましょ。あなたがよければ、だけど……」

 わたしはそう言ってから、玄関のハイヒールに気が付いた。なんてこと。わたしが新しい彼と出ていくとき、あれだけ泣いてすがっておいて。たった二年で新しい女と暮らしている。
 舌打ちし、踵を返そうとすると、彼は慌てて引き留めてきた。

「違うんだリカ。これは、君のものなんだ。うちにいるのは君なんだよ!」

 何を言っているのかは、すぐにわかった。
 彼の後ろから、エプロン姿の女が顔を出したのだ。わたしは悲鳴を上げた。



 11月1日


 奇妙な共同生活が、三週間も続いてしまった。
 わたしとヒロシさんと、それからわたし。

 事情を聞いて、わたしはこれを浮気だとは責めなかった。だって、わたしだもの。やはり彼はこの二年半、ずっとわたしを想い続けていたのだもの。
 だからそれは、どうでもいい。

 問題はこの人形をどうするかだった。

 さすがにここから、三人で愛し合おうなんてわけにはいかなかった。自分と同じ顔と仕草、しかし少しだけなにかが違う人形。はっきり言って、気持ち悪い。

「ただの家政婦だと思えばいいんだよ……」

 ヒロシさんはそう言った。
 たしかに、よく働くし、なんでもしてくれる。便利な道具ではあり、ずるずると今に至る。



 12月4日


「キッシュを作ったの。どうかしら」
「不味い。なんでキッシュが甘いのよ」

 わたしが言うと、人形は首を傾げた。

「キッシュってそういうものだわ」

 わたしは彼女を叩いた。
 もう限界だった。やっぱりダメだ。
 しょせんは機械。彼の好みもなにも知らないんだ。彼女はこの家の嗜好に合っていない。
 洗い物も一日に何度もやってうるさいし、平気で虫を退治するのもあてつけがましい。



 12月11日


 わたしたちは真剣に、機械人形のことを話し合った。

 理屈じゃなく、とにかく気持ち悪いということ。
 わたしが嫌いなものを、あなたが庇うのが気分が悪いということ。
 とにかく早く、ゴミに出したいということ。

 お互いが意見を出し合い、汲み合って、その結論に至った。それでもどこか不服そうに見える。わたしはヒロシさんに詰め寄った。

「それともわたしより、あの人形のほうがいいってこと。そりゃ、なんでもしてくれるし、あんたの思い通りに動くものね。よく働いて失敗しないし、口答えもしないし」

 彼は首を振った。

「……たしかに、彼女は完璧だ。だけどそれは機械だからこそ。そして君に不満があるのは、君が人間だからこそ。……やっぱり、人間を金属で作ろうなんて、僕が間違っていた。こころから愛しているよ、リカ」

「ありがとうヒロシさん。私も愛してる」

 そう言ったのは、隣に座っていた機械人形。
 わたしたちはいよいよゲンナリし、おおやけのごみ処理施設に電話した。



 12月20日


 ごみ処理場に、人形をつれてやってきた。
 なにもかもを砕いてくれる処理場、扉の前で、職員が紙を渡してきた。

「ここ、この項目のとこに品名を書いてください」
「品名……」

 ヒロシさんはなぜか戸惑って、ペンをもち、小さく震えた。

 そしてペンが、「リカ」の名を書く。
 わたしは絶叫した。

「やめてよ、これはわたしじゃないでしょ?」

 ヒロシさんは頷いた。そして、

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