優先座席に座る時はそれ相応の覚悟を持て。
優先座席に座る時はそれ相応の覚悟を持て。
これは俺が実際に体験した世にも恐ろしい優先座席での話だ。この時の俺はなんとも愚かだったと思う。まさかあんな事が起こるなんて。
♢ ♢ ♢
特に大きくも小さくもない、そんな普通の街を走る電車の中、俺は座っていた。
この電車は大きく分けて二つの座席がある。一つは赤色シートの一般席。もう一つは灰色シート、優先座席だ。
部活帰り、家に帰るべく夕方の電車に入ると、赤色シートはすべて人によって埋め尽くされていたので、今座っているのは灰色シートの優先座席である。
若いくせにと嘲る人間もいるだろう。でも少し待ってほしい。俺は部活帰りで足が疲れているのだ、動けないくらいに。つまりそれはハンデを抱えている人間とそう立場が変わらないという事になる。
ていうかそもそも、今は誰も立っている人はいない。だから別に座ったところでさしたる問題にはならないだろう。
さてアプリでもしようかとスマホを起動しようとするが、無情にも電池マークが表示される。どうやら充電切れらしい。
仕方ないかと周りに目を向けると、優先座席には若い人もそれなりに見られた。前後ろ俺含め十二名のうち半数が若者とは日本の世も末だな。どうせお前ら全員健康体なんだろ? 俺はともかく。
やれやれと日本の将来を憂いていると、ふと隣の車両から席を求めてか人がやってきた。だが生憎ここにも余りの席は無い。かと言ってここは電車の最後尾。席を訪ねて何千里したのかは知らないが、諦める事だな。
入ってきた人もそれは悟ったのか、優先座席のすぐそばの扉にあるつり革を握る。それと同時に、顔がこちら側へと向けられた。
……なるほどそういうわけか。
席を求めてやってきた人はおばあさんだった。恐らくそこで構えて誰かが代わってくれるのを待っているのだろう。白髪だし、しわがれてるし、見るからに足腰が弱そうだ。
だが腐ってもここは日本、流石に誰かが代わるだろうと腕を組みふんぞり返るも、膠着。
動くのは時々電車に連動して揺れるつり革のみだった。
よもや……よもやここまで日本は腐り切っていたというのか! 同じ日本人としてこれほどまでに恥ずべき事は無い!
あのおばあさんのためにも、ここは目で他の若者に威圧して訴えかけるしかないな!
まず目の前であくびをした金髪の兄ちゃんに目配せしてみる。
「グゴー」
途端、眠り始めた。
こいつ、あからさまにわざと寝たフリしやがったな⁉
「チラッ」
しかも俺の事を片目で確認しやがった! ていうか分かりやすく効果音つけなくていいからさぁ! 寝る振りするならもう何も言わず目を閉じとけよ!
クソッ、こいつは駄目だ。ならばさっきから片手でスタイリッシュっぽく右隣で本を読んでいる眼鏡だ! 今は本の活字を凝視しているが俺は知っている、おばあさんが通り過ぎてこちらを見た時に、こいつも顔を上げたのを!
さぁ代わってやれ!
念じると、俺の意図をくみ取ったのか、眼鏡はフリーだったもう片方の手をすーっと黒長ズボンへと移動させる。
ここでパチンッって本を閉じてスタイリッシュっぽく立ち上がるんだろぉ⁉ そうなんだろぉ⁉ 俺は知っているぞぉ!
だが、俺の予想とは反して眼鏡が立ち上がる事は無かった。
代わりに、勢いよくズボンの裾がまくられ、ふくらはぎが露わになる。
同時に、俺は驚愕の嵐に打ちひしがれた。
ギプスだ。こいつ、長ズボンの下にギプスつけてやがった!
「フッ」
しかも勝ち誇ったように笑いかけてきやがったぁ! 眉と口角同時に吊り上げてこっちを片目で見てきやがる! くっそぉ! 滅茶苦茶うざい顔だけど俺の完全敗北じゃねぇか!
ケッ、こいつも駄目だ。ならば今度は一番扉側に近くてなおかつおばあさんのすぐ傍のあいつだ! 目が若干見開き歯がギザギザでいかにも小賢しそうな子供だがきっと見た目で誤解されがちでも実はとっても優しい設定な子なはっずぅ!
さぁ今こそ誤解を解く時だ! 飛び立て明るい未来へと純情ボーイ!
俺の慈愛に満ち溢れた眼差しを送っていると、純情ボーイは素敵な笑顔を見せてくれる。
「キッシッシ」
おい誰だ、今虫の羽音みたいな音が聞こえたとか言ったやつ。あのボーイはごきぶりじゃないんだぞ!
まったくけしからん奴だと誰かに向けて突っ込んでいると、ゴキボーイはカサカサとポケットを探り始めた。
一体何を……あ、分かったぞ! きっと席を譲る時に「おばあちゃんホウ酸団子あげるっ」て言って大変微笑ましい光景を見せてくれるんだな、きっとそうだ!
だが、予想とは裏腹に取り出されたのは黄色いスティックだった。
相も変わらず素敵な笑顔を向けてくるゴキボーイは黄色いスティックを俺に見せつけてくる。
待て、あれはどこかで!
瞬間、昔破けたジーパンが俺の脳裏をよぎる。
そうだ、あの時応急処置として使った……瞬間接着剤だ!
だが、一体どういう……いや、なるほどそう言う事か! あいつはあれで自らの尻をシートに貼りつけた。それにより強制的にシートから離れられない状況を演出したのか! なんて小賢しい! 見た目通り最低野郎だなこのゴキブリめ! この場に熱湯かゴキジェットがあればぶっかけていた所だが、生憎部活帰りにそんなものは持ち合わせていない。
チクショウ! となればこいつも駄目なのか! だったら次は俺の斜め左前に座る白ワンピースの女の子だ! 前髪から後ろ髪まで長く目が見えないが、肌は綺麗だから推定十代後半から二十代前半だろう。リアルSADAKOを見ている気もするが、きっと髪の毛を優しくかき分けてあげれば超絶美少女な子に違いない! そして普段不気味でも実は可愛いのなら心の方も清廉そのものに違いない!
さぁ今こそ君の可愛い顔を見せておくれ、と脳内妄想でおでこを出してあげると、気のせいか、髪の毛ごしからこちらに見られた気がする。
髪の毛越しに見つめ合いロマンスしていると、脳内美少女は無い胸元からはさみを取り出す。
なるほど、自ら髪を切り俺と歩む決意を見せてくれるんだな! 女の子って何かふっきれたり変わったりしたら髪の毛切るっていうのは物語でよくあるもんな! オーケー、君がその気なら俺はどこまでだって着いて行くぜ?
俺の未来のお嫁さんは銀のはさみを何故かアイスピックのように持つと、振りかざす。
「ヒギャァッ!」
瞬間、妖怪の如き咆哮と共にはさみが振り下ろされた。
銀の刃先がワンピースごしの太ももに突き刺さる!
え? え? ちょ、何してますのん?
俺が戸惑っている間もヒギャヒギャと貞子は自らの太ももに何回もはさみを突き立てる。
だがやがて満足したのか、動作を止めると、髪の毛の隙間から血走った目を覗かせ、ハァハァ俺へ満面の笑みを浮かべてくる。
……なるほどそうか! こいつ、座りたいがために自傷行為で自らにハンデを付与したってのか!
さっきどこまでも付いて行くと言ったが、あれは嘘だ。はっきり言うよ、馬鹿じゃん⁉ もう立てばいいじゃん⁉ 痛いでしょ⁉ ていうかまだこっち見てるんだけど怖過ぎィ!
兎にも角にもこいつは駄目だ! 死線から逃れるべく右へ目を逸らすと、最後の砦、ゴキボーイの隣に座るタンクトップのお兄さんと目が合う。
野生の香りがするが、細マッチョで見たところケガも無い。恐らく健康体と見える。公衆の面前でタンクトップはちょっと引くが、それを差し引けば別に悪い人では無さそうだ。
よし、君に決めた! タンクトップ、おばあさんに席を渡すんだ! 意気込んで心内で告げると、タンクトップの目が俺の視線と合う。
同時に、ささっとタンクトップの中に手を入れ込んだ。
勢いよく取り出されたのは銀の袋。あれは一体なんだ?
目を凝らすと、よく見れば活字が印刷されているのに気付く。
レと、ルと、カレー?
いや違う、あれはレトルトカレーだッ!
待て待て、どういうことだ、電車の中でレトルトカレー? 一体どういうつもりだ⁉
おやちょっと待てよ? あのタンクトップ、俺に視線を向けたままレトルトカレー片手に腰を浮かせたぞ⁉ レトルトカレーが何かは分からが無いが、遂におばあさんに席を譲る気になったんだな!
だが、完全に浮ききるかと思われた腰は中途半端な位置で留められる。
刹那、タンクトップは銀の袋を噛み千切った!
まさかこの場で食べるというのか! 温めずに食べるというのか! 固定された中腰でカレーを飲むというのかぁ⁉
だが、違った。
タンクトップは韋駄天の如く身を翻すと、なんとレトルトカレーをシートにぶちまけた!
「フンヌ!」
さらに力強い鼻息と共に座ったぁ! ドロドロのカレーの上にどっぷり座ったぁ! ビジュアルだけ見たらもう汚い! ほんと汚ねぇ! あとカレー臭ぇ!
いや待てよ、そう言う事か! 自然界に存在する動物は自らの縄張りを誇示するために糞尿をぶちまけるという。
そう、俗に言うマーキングだ! どことなく野生の香りがすると思ったら本当に野生人間だった! いや節度をわきまえてレトルトカレーを選択したあたりぎりぎり人間なのか! チキショウ、俺の完全に負けだ! 人間が自然に勝つなんて不可能だ!
クソッ、どうする、もう他に若者がいない!
やるしかないのか、俺がやるしかないっていうのか! 今まで自らを棚上げして触れてこなかったけどもう若者は俺しかいねぇ! チッ、分かったよやってやるよ! やればいんだろ! 部活帰りの身体に鞭打って立ってやるよ!
落ち着け俺。さぁ立つんだ俺!
地面にしっかりと足をつけ、力を籠める。言いようのない疲労感が全身を襲うが気にしない。
「そいやァ!」
自らを鼓舞すべく叫び、立ち上がる。
おばあさんの元へ歩み寄ると、一言口を告げる。
「よかったら席どうぞ」
言った瞬間、なぜか腹に凄まじい衝撃が走る。
「がは……ッ!」
あまりの衝撃に胃酸が逆流しそうになりつつも、自らのお腹へ視線を移す。
腕がめり込んでいた。誰の腕なのか、それを確認する前に俺は吹き飛ばされ、電車の扉に叩きつけられる。
軽い脳震盪を起こしつつも前方へ目を向ける。
見れば、そこに白目をむき蒸気を噴き出したおばあさんの姿があった。ま、待て、これはどういう……!
「言うのが遅いわいこの青二才がァッ!」
状況を飲み込めないでいると、瞬間、おばあさんの回し蹴りが俺の側頭部を強襲した。
それからの記憶はありません。
♢ ♢ ♢
とまぁこういう事があったわけだ。
俺が言いたいことはただ一つ。別に座る事は悪くない。だが、
優先座席に座る時はそれ相応の覚悟を持て。
♢ ♢ ♢
特に大きくも小さくもない、そんな普通の街を走る電車の中、俺は座っていた。
この電車は大きく分けて二つの座席がある。一つは赤色シートの一般席。もう一つは灰色シート、優先座席だ。
部活帰り、家に帰るべく夕方の電車に入ると、赤色シートはすべて人によって埋め尽くされていたので、今座っているのは灰色シートの優先座席である。
若いくせにと嘲る人間もいるだろう。でも少し待ってほしい。俺は部活帰りで足が疲れているのだ、動けないくらいに。つまりそれはハンデを抱えている人間とそう立場が変わらないという事になる。
ていうかそもそも、今は誰も立っている人はいない。だから別に座ったところでさしたる問題にはならないだろう。
さてアプリでもしようかとスマホを起動しようとするが、無情にも電池マークが表示される。どうやら充電切れらしい。
仕方ないかと周りに目を向けると、優先座席には若い人もそれなりに見られた。前後ろ俺含め十二名のうち半数が若者とは日本の世も末だな。どうせお前ら全員健康体なんだろ? 俺はともかく。
やれやれと日本の将来を憂いていると、ふと隣の車両から席を求めてか人がやってきた。だが生憎ここにも余りの席は無い。かと言ってここは電車の最後尾。席を訪ねて何千里したのかは知らないが、諦める事だな。
入ってきた人もそれは悟ったのか、優先座席のすぐそばの扉にあるつり革を握る。それと同時に、顔がこちら側へと向けられた。
……なるほどそういうわけか。
席を求めてやってきた人はおばあさんだった。恐らくそこで構えて誰かが代わってくれるのを待っているのだろう。白髪だし、しわがれてるし、見るからに足腰が弱そうだ。
だが腐ってもここは日本、流石に誰かが代わるだろうと腕を組みふんぞり返るも、膠着。
動くのは時々電車に連動して揺れるつり革のみだった。
よもや……よもやここまで日本は腐り切っていたというのか! 同じ日本人としてこれほどまでに恥ずべき事は無い!
あのおばあさんのためにも、ここは目で他の若者に威圧して訴えかけるしかないな!
まず目の前であくびをした金髪の兄ちゃんに目配せしてみる。
「グゴー」
途端、眠り始めた。
こいつ、あからさまにわざと寝たフリしやがったな⁉
「チラッ」
しかも俺の事を片目で確認しやがった! ていうか分かりやすく効果音つけなくていいからさぁ! 寝る振りするならもう何も言わず目を閉じとけよ!
クソッ、こいつは駄目だ。ならばさっきから片手でスタイリッシュっぽく右隣で本を読んでいる眼鏡だ! 今は本の活字を凝視しているが俺は知っている、おばあさんが通り過ぎてこちらを見た時に、こいつも顔を上げたのを!
さぁ代わってやれ!
念じると、俺の意図をくみ取ったのか、眼鏡はフリーだったもう片方の手をすーっと黒長ズボンへと移動させる。
ここでパチンッって本を閉じてスタイリッシュっぽく立ち上がるんだろぉ⁉ そうなんだろぉ⁉ 俺は知っているぞぉ!
だが、俺の予想とは反して眼鏡が立ち上がる事は無かった。
代わりに、勢いよくズボンの裾がまくられ、ふくらはぎが露わになる。
同時に、俺は驚愕の嵐に打ちひしがれた。
ギプスだ。こいつ、長ズボンの下にギプスつけてやがった!
「フッ」
しかも勝ち誇ったように笑いかけてきやがったぁ! 眉と口角同時に吊り上げてこっちを片目で見てきやがる! くっそぉ! 滅茶苦茶うざい顔だけど俺の完全敗北じゃねぇか!
ケッ、こいつも駄目だ。ならば今度は一番扉側に近くてなおかつおばあさんのすぐ傍のあいつだ! 目が若干見開き歯がギザギザでいかにも小賢しそうな子供だがきっと見た目で誤解されがちでも実はとっても優しい設定な子なはっずぅ!
さぁ今こそ誤解を解く時だ! 飛び立て明るい未来へと純情ボーイ!
俺の慈愛に満ち溢れた眼差しを送っていると、純情ボーイは素敵な笑顔を見せてくれる。
「キッシッシ」
おい誰だ、今虫の羽音みたいな音が聞こえたとか言ったやつ。あのボーイはごきぶりじゃないんだぞ!
まったくけしからん奴だと誰かに向けて突っ込んでいると、ゴキボーイはカサカサとポケットを探り始めた。
一体何を……あ、分かったぞ! きっと席を譲る時に「おばあちゃんホウ酸団子あげるっ」て言って大変微笑ましい光景を見せてくれるんだな、きっとそうだ!
だが、予想とは裏腹に取り出されたのは黄色いスティックだった。
相も変わらず素敵な笑顔を向けてくるゴキボーイは黄色いスティックを俺に見せつけてくる。
待て、あれはどこかで!
瞬間、昔破けたジーパンが俺の脳裏をよぎる。
そうだ、あの時応急処置として使った……瞬間接着剤だ!
だが、一体どういう……いや、なるほどそう言う事か! あいつはあれで自らの尻をシートに貼りつけた。それにより強制的にシートから離れられない状況を演出したのか! なんて小賢しい! 見た目通り最低野郎だなこのゴキブリめ! この場に熱湯かゴキジェットがあればぶっかけていた所だが、生憎部活帰りにそんなものは持ち合わせていない。
チクショウ! となればこいつも駄目なのか! だったら次は俺の斜め左前に座る白ワンピースの女の子だ! 前髪から後ろ髪まで長く目が見えないが、肌は綺麗だから推定十代後半から二十代前半だろう。リアルSADAKOを見ている気もするが、きっと髪の毛を優しくかき分けてあげれば超絶美少女な子に違いない! そして普段不気味でも実は可愛いのなら心の方も清廉そのものに違いない!
さぁ今こそ君の可愛い顔を見せておくれ、と脳内妄想でおでこを出してあげると、気のせいか、髪の毛ごしからこちらに見られた気がする。
髪の毛越しに見つめ合いロマンスしていると、脳内美少女は無い胸元からはさみを取り出す。
なるほど、自ら髪を切り俺と歩む決意を見せてくれるんだな! 女の子って何かふっきれたり変わったりしたら髪の毛切るっていうのは物語でよくあるもんな! オーケー、君がその気なら俺はどこまでだって着いて行くぜ?
俺の未来のお嫁さんは銀のはさみを何故かアイスピックのように持つと、振りかざす。
「ヒギャァッ!」
瞬間、妖怪の如き咆哮と共にはさみが振り下ろされた。
銀の刃先がワンピースごしの太ももに突き刺さる!
え? え? ちょ、何してますのん?
俺が戸惑っている間もヒギャヒギャと貞子は自らの太ももに何回もはさみを突き立てる。
だがやがて満足したのか、動作を止めると、髪の毛の隙間から血走った目を覗かせ、ハァハァ俺へ満面の笑みを浮かべてくる。
……なるほどそうか! こいつ、座りたいがために自傷行為で自らにハンデを付与したってのか!
さっきどこまでも付いて行くと言ったが、あれは嘘だ。はっきり言うよ、馬鹿じゃん⁉ もう立てばいいじゃん⁉ 痛いでしょ⁉ ていうかまだこっち見てるんだけど怖過ぎィ!
兎にも角にもこいつは駄目だ! 死線から逃れるべく右へ目を逸らすと、最後の砦、ゴキボーイの隣に座るタンクトップのお兄さんと目が合う。
野生の香りがするが、細マッチョで見たところケガも無い。恐らく健康体と見える。公衆の面前でタンクトップはちょっと引くが、それを差し引けば別に悪い人では無さそうだ。
よし、君に決めた! タンクトップ、おばあさんに席を渡すんだ! 意気込んで心内で告げると、タンクトップの目が俺の視線と合う。
同時に、ささっとタンクトップの中に手を入れ込んだ。
勢いよく取り出されたのは銀の袋。あれは一体なんだ?
目を凝らすと、よく見れば活字が印刷されているのに気付く。
レと、ルと、カレー?
いや違う、あれはレトルトカレーだッ!
待て待て、どういうことだ、電車の中でレトルトカレー? 一体どういうつもりだ⁉
おやちょっと待てよ? あのタンクトップ、俺に視線を向けたままレトルトカレー片手に腰を浮かせたぞ⁉ レトルトカレーが何かは分からが無いが、遂におばあさんに席を譲る気になったんだな!
だが、完全に浮ききるかと思われた腰は中途半端な位置で留められる。
刹那、タンクトップは銀の袋を噛み千切った!
まさかこの場で食べるというのか! 温めずに食べるというのか! 固定された中腰でカレーを飲むというのかぁ⁉
だが、違った。
タンクトップは韋駄天の如く身を翻すと、なんとレトルトカレーをシートにぶちまけた!
「フンヌ!」
さらに力強い鼻息と共に座ったぁ! ドロドロのカレーの上にどっぷり座ったぁ! ビジュアルだけ見たらもう汚い! ほんと汚ねぇ! あとカレー臭ぇ!
いや待てよ、そう言う事か! 自然界に存在する動物は自らの縄張りを誇示するために糞尿をぶちまけるという。
そう、俗に言うマーキングだ! どことなく野生の香りがすると思ったら本当に野生人間だった! いや節度をわきまえてレトルトカレーを選択したあたりぎりぎり人間なのか! チキショウ、俺の完全に負けだ! 人間が自然に勝つなんて不可能だ!
クソッ、どうする、もう他に若者がいない!
やるしかないのか、俺がやるしかないっていうのか! 今まで自らを棚上げして触れてこなかったけどもう若者は俺しかいねぇ! チッ、分かったよやってやるよ! やればいんだろ! 部活帰りの身体に鞭打って立ってやるよ!
落ち着け俺。さぁ立つんだ俺!
地面にしっかりと足をつけ、力を籠める。言いようのない疲労感が全身を襲うが気にしない。
「そいやァ!」
自らを鼓舞すべく叫び、立ち上がる。
おばあさんの元へ歩み寄ると、一言口を告げる。
「よかったら席どうぞ」
言った瞬間、なぜか腹に凄まじい衝撃が走る。
「がは……ッ!」
あまりの衝撃に胃酸が逆流しそうになりつつも、自らのお腹へ視線を移す。
腕がめり込んでいた。誰の腕なのか、それを確認する前に俺は吹き飛ばされ、電車の扉に叩きつけられる。
軽い脳震盪を起こしつつも前方へ目を向ける。
見れば、そこに白目をむき蒸気を噴き出したおばあさんの姿があった。ま、待て、これはどういう……!
「言うのが遅いわいこの青二才がァッ!」
状況を飲み込めないでいると、瞬間、おばあさんの回し蹴りが俺の側頭部を強襲した。
それからの記憶はありません。
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