天の仙人様

海沼偲

第211話

 しばらく、この家に居候していたムウも再び旅立つことになった。ハルたちは、その報告を聞いたときには、名残惜しそうな雰囲気をにじませてはいるが、奥底では、明らかにガッツポーズをとっているだろうというのは見えていた。ただ、それが極限まで隠されていたというところに、成長というものを感じる。前であれば、露骨に喜んでいた可能性だってあり得る。それをしなくなったというだけでも十分だろう。出来ることならば、そういう思いを抱かないでほしいのだが、それは望みすぎであろう。
 唯一ルクトルだけは、彼女に非常になついていたので、心の底から残念そうにしていた。だが、彼は……いや、彼女たち全員が、ムウが俺の部屋に入り込んできたということを知らないので、この程度で済んでいるだろう。その事実を知られていたら、たとえ、ルクトルであろうとも血祭りにあげていることだろう。だから、知られることがなくてよかったと、ほっとしている。
 あれ以来、彼女からのアプローチと呼べるものがなくなったのも功を奏している。どうやら、俺に近づこうとすると、変に頭痛がするそうで、あまり近くに寄ることが出来ないのだとか。とはいっても、普通に会話をするだけの距離ならば、なんでもないそうだ。肉体が触れ合うほどの距離に近づいてはならないというだけらしい。
 それを聞いてしまうと、俺は何者かに守られているのか、妨害されているのかということになる。肩に何かが乗っかっているように感じはしないし、憑りつかれているわけではないだろう。もし、そうであるならば、ユウリが何かを言ってきてもおかしくはないのだし。そういうところから考えても、その可能性はないと断言できた。
 ただ、俺に触れることで痛みを感じるのは、ムウだけだというのも興味深いところではある。ハルたちにはそういうことが一切ないのだそうだ。ならば、俺と結婚した人のみが、触れるのかと言うとそうではない。当然ユウリも触れるわけであるし、アキだって、何の問題もない。それが、不可解なこととして残ってしまったのである。

「それでは、またいずれどこかでお会いしましょう。あなたたちとは再び会える気がしますからね。この場所以外のどこかで」
「ええ、そうね。私たちも、あなたと出会えることを楽しみにしているわ。これから先の未来でも、あなたのことを忘れたりはしないわ。またいづれか。そして、それまでの時間をお元気で」

 別れを惜しんでいるかのようだ。恐ろしい程の仮面のかぶり方であろう。全く思っていないこともこうまでも真実であるかのように口から出すことが出来るのかと思わずにはいられないのである。ただ、それに気づいてはいない。今この空間では、俺たちの別れを惜しんでいるのだから。それ以外の感情は少しも介在してこないわけなのだ。不気味なほどに別れることに寂しさを感じているのである。この場にいる全員が。まるで、そちらへと思考を誘導されているかのように。
 考え過ぎなのだろうか。そうなのかもしれない。ただ、あまりにもこびりつくかのように引っかかってしまっているのである。どれだけ無視しようとも無視できないような引っ掛かりであった。放置してしまえば、少しばかり気持ちが悪い。そんな感覚なわけである。誰かの意思によって誘導されているのかと周囲を誰にも悟られないように警戒するわけだが、それでも、何者かが介入しているであろう痕跡は存在しない。俺の思い過ごしである可能性が非常に高いということを証明してしまったのである。
 此方へ向けていた顔は振り返るようにして外れる。真っ直ぐに前を向いているのである。そうして、彼女は再びふらふらとこの地から離れていった。故郷へと帰るのだそうだ。いろいろと報告したいことがあるからと。それはとても満足気である。なにか、目的を達成できたのだという、空気を纏っているのだ。その視線は、最後にルクトルに向けられていたというのが、少しばかり気になるところではあるが。
 ムウは、おのこと自分自身のことを言っていた。ルクトルと同じように女性的な男性というべきか。であれば、ルクトルもおのこということになるだろうが、彼女いわく、まだ真におのこになってはいないそうである。まだ、足りないものがあるのだそうだ。それを彼に伝えたわけではないのだという。彼が、真におのことなることを望んだ場合にのみ、それを与えなくてはならない。半端な気持ちでは、手に入れることが出来ないものなのだそうだ。それを、難しい顔で語っていたわけである。

「どうかしましたか、アラン様? そんなに難しい顔でわたしのことを見て。もしかして、変なものでもついていますか? それとも、実は見とれていたということでしょうか? そうなのでしたら、じっと口を閉じてこちらを見るだけではなく、ちゃんとわたしに伝えてくれてもいいんですよ。わたしは、もうしっかりとアラン様と愛し合う準備は出来ておりますので」
「ああ、ごめんよ。確かに、ルクトルの顔が美しいということは当然なわけで、それに見とれてしまうのもあるのだけれども、それとはまた別に考え事をしていたんだ。それに、その発言のせいで、今この屋敷は一段階重い位へと移動しているわけだが、それには気づいているのかい?」
「え? ……あっ」

 びりびりと空気が震えている。ぴたりと口を閉ざして窺うようにして彼女たちの居場所を探している。明らかにこの部屋の近くにはいない。だというのに、どうして彼の言葉を聞き取ることが出来たというのか。女の第六感というものであろうか。現実味がなさすぎるが、それを許容してしまえる事態でもあることは確かだろう。今この屋敷には、多くの人がいるというのに、それを感じさせないだけの静寂が支配しているのである。
 俺は、この事態が収まりつつあることに図書館へと足を運んだ。もしかしたら、ムウが言っていたことが、何かに記されているかもしれない。そう思ったのである。言葉のみであれば、それはまだ弱い。文字として、記録として残ることによって、それは形を生み出すのだ。そういうわけでもあって、彼女が話していた内容に似たような、物語であったり、伝記であったりを探す。フィクションのもとになるのは、基本的には現実、ノンフィクションなのだから。物語が、文献を探すうえで意味のないものとなることはないわけである。
 いくつもの棚の本を読み進めていくわけだが、それらしいものは見られない。さすがに、王立図書館に蔵書はされていないのだろうか。そんな考えが浮かんでくることだ。諦めようかと思ったそんなときである。確かに書かれている。おのことは一言も出てこないが、確かに、男同士で妊娠出産を行っているということが書かれている。本当に小さな、見逃してしまいそうな、そんな短い行だけである。
 それは、冒険家が書いた、一冊の冒険記であった。その中の一つの村では、女が生まれることがない。だから、一部の男は女性として生きることを、神から伝えられるのだそうだ。そして、神によって女として生きることを命じられたものは、女と同じように妊娠が出来るのだとか。最初はあまりにもバカバカしく思っていたようだが、何日か滞在してそれが、本当なのだとわかったらしい。そこで、終わっている。その次には、また別の町のことが書かれている。
 あまりにも嘘くさい。小さな数行程度にしか書かれていないのだから。だが、それがあまりにも信ぴょう性を増やしてもいた。これほどまでに小さな嘘を冒険記でつくのかということだ。嘘ならばもっと壮大につくだろう。気づかれないような、読み飛ばされるような嘘など意味があるのか。だとして、これが本当なのだとすれば、ルクトルがまだ真におのこではないというのは、神に女として生きることを命じられていないからということになる。であれば、どの神に命じられるというのだ。
 普通は、神と名付けられる存在は、大神之御子様である。一般的な宗教での信仰の対象なのだから、そうなるのも当然であろう。その御方たちの、親を神と呼ぶ場合は、御子様と呼ばれる。つまりは、彼らが信仰している神は御子様の誰かということになる。では、誰なのかという話になるのは当然のことである。
 宗教関連の棚へと向かって、適当な本を持ってくる。これには、大神之御子様が全員載っているとされている。世界初の預言者が書き記したものをコピーした本であるのだ。おそらく、世界で最も、出版された本であろう。
 大神之御子様というのは、どれだけの数がいるのかと言うと、万を超えると言われている。なぜ、言われているのかという、曖昧な表現になるのかというと、数を数えることが出来ないからだ。この本に書かれている御子様の人数を数えようと読んでいくと、途中で、頭がボーっとして、自分が今まで何をしていたか、また、それを思い出しても、どこまで進んでいたかというのを忘れてしまうのだ。だから、数えることは不可能なのである。ただ、本の厚さと、一ページに書かれている、御子様の人数を計算して、大体万を超えるくらいだろうということなのだ。しかも、精神が弱ければ、一ページに書かれている御子様の数すらも数えられないのだから、相当に強力な呪いがかかっているのである。
 可能性があるとすれば、愛の大神之御子様だろう。生物の愛をつかさどる御子様であり、彼が存在することで、生物は愛し合うことを知ったのである。あとは、性の大神之御子様とかもあり得るだろう。生物が性別という分類がされているのは、彼のおかげであるとされる。しかも、性の御子様は両性である。なので、おのこという存在を生み出すことが出来る可能性はあるだろう。だが、それは、御子様自身の役目を否定していることだろう。男と女がいることで子が成るという思想を持つ、御子様が、男のみで子を成すことが出来るのだと、言うだろうか。ないだろう。
 御子様の種類の豊富さに目を回しそうになる。そのどれかかと、発見すること、特定することは出来るのだろうかと。思わないではない。それほどまでに、数が多い。一般的に信仰されている御子様は、全員をすらすらといえるのだが、そうではない御子様となってくると、全くわからない。例えばだが、川の御子様、泉の御子様、沼の御子様、湖の御子様がいる。だが、それを全て包括することの出来る、水の御子様も存在するのだ。基本的に、信仰されるのは水の御子様であり、前の四柱は目立つことはない。そういうようになっているので、特定することは恐ろしいほどに難易度が高い。下手したら、男の御子様が存在し、彼が、女として生きるように命じている可能性だってあり得る。それを嘘だと断定できないのだ。御子様の種類が多すぎて。
 結局、わからずじまいであった。なんで調べたのかといえば、俺個人の興味でもあるし、ルクトルが将来、女として真に生きたいのだと言った場合、どうすればいいのかというのを予習しておきたかったというのがある。俺は、今の状態であるとも、彼を愛しているし、それが変わることはないのだが、彼が同じように思い続けているかといえばそうではないだろう。彼だって、俺に愛されるためには、男の肉体のままではダメかもしれないなんて、弱気になることだってある。むしろ、今でさえたまになっているのだから。だからこそ、それについて予習をしておきたいと思うのは当然のことであった。
 家に帰れば、門の前に、死んでいそうなほどに生気のない顔をした男が立っていた。何かローブのようなものを持っていて。まるで、地獄からの使者である。そして、実際に地獄からの使者なのだが。
 彼は、ようやっと、俺が求めていたものを届けてくれたようだ。結構時間がかかったようだが、それだけ手間のかかるものを要求したということなのだろう。俺はありがたく受け取るのである。そこで、彼が来てくれたということで、もう一つ聞いてみることにした。

「へえ、男が妊娠する方法ですかい? そうですねえ……地獄の刑罰の一つにありますよ、妊娠の刑。男でも女でも関係なく、子供を孕ませる薬があるんでさあ。それを飲ませるんです。そして、一週間で腹がふくれて出産するってわけですよ。まあ、生まれてくる子供は、地獄の悪鬼どもでも、血の気が引くような気味の悪い怪物なんですがね。少なくとも、この世の祝福は受けていないでしょうな。あれを産ませられるなんて、地獄落ちは死んでもやめたほうが良いですよ。腹から蛆が湧いてくる方がましですらあります。ああ、一応生まれた子供は、大切に育てますよ。地獄の戦力になりますので」

 彼らの刑罰はどれだけ恐ろしいのか。彼の語り口調から容易に想像できてしまった。別に、地獄に落ちたいと思っているわけでも、落ちると思っているわけでもないというのに、変に背筋が凍る。聞かなければよかったと後悔するのであった。

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