天の仙人様

海沼偲

第199話

 森の中を一歩一歩確かに進んでいく。浄化しているかのように、何ものも感じさせないほどのさわやかな風によって吹き流していく空気の流れを肌によって掴んでいる。あらゆる負の情念が完全に消え去ってしまいそうで、それがとても愛おしくすら感じるのである。俺がこれからするであろうということを彼らは否定してくれるのである。穢れた行為なのだと。実際はそうなのだろう。だが、その穢れを誰かが肩代わりしてあげなくちゃあならないだろう。そして、それは俺の役目なのである。
 目的となる場所まではまだまだ時間がかかりそうである。ただ、急いでいく必要はないだろうからと、のんびりとしているのであった。なにせ、実行犯は全員死んでしまったのだから。それであるのならば、そこまで急ぐ必要はあるまい。あれだけの数をもう一度集め直すとなれば、数日で出来るようになるわけではあるまい。それに、彼らは相当な実力があったであろうということも、彼らの間で殺し合っているときにすらも感じていた。訓練を積ませるにしても、一年ですむわけがない。ほとんど壊滅していると言っていいようなものである。復活するにはどれだけの時間と経費がかかることか。同情してしまいそうだ。してはならないだろうが、あえて同情するのである。彼らの存在を哀れなものへと昇華する為に。俺は同情するのである。
 だからといって放置するというわけではないが。弱っている今のうちに完全に叩き潰しておくべきであることは間違いないわけで。そのためにも、俺はその場所へ向かうわけである。楽しんでいるわけではない。どちらかと言うと悲しんでいるのかもしれない。またしても多くの命は消え去るのだ。それを悲しまないことはない。ただ、それ以上の愛でもって送り出してあげるのが俺の出来ることであり、責務なのだということ。
 ただ、彼らのアジトは山を一つ越えたところにある。考えたものだ。このあたりをどれだけ探そうとも、アジトが見つかることはないだろう。なにせ、山を一つ越えてここに来るとは思わないのだから。彼らは、ここしばらくはこのあたりで野宿をしていたそうだが、それだとしても、尻尾を摑まえるだけで本拠地までたどり着くことは出来なかっただろう。実際に、それは今日まで成功していた。王国側はあの道を使わないということでしか対処が出来なかったのだから。
 山をもう一つ越えていて、後はゆっくりと下るのみ。それと共にだんだんと匂いが漂ってくる。この森の中で最も信頼できるのは匂いであるのだから、それは人間を伝えていることがわかった。獣の臭いではない。体を洗っている生き物から漂うであろう匂いなのである。それを気にするような人間に盗賊が出来るのかと思わないでもないが、実際に出来ているのだからいうだけ無駄なことは間違いない。
 俺はしゃがんで気配を消しながら進んでいくと、確かに石造りの建物がいくつかある。このあたりにも狂暴な獣が生息しているのだから、木で作ったような脆い建物ではないのは当然だろうが、盗賊が石を器用に扱う技術があるのかという疑問が頭に浮かんでしまうのは仕方ない。基本的には、彼らは木で小屋を作るか、洞窟に住むか、後は家無しか。そのどれかが基本なのだから、石造りというのがあまりにも、異質なものとして見えた。盗賊らしさがかけらもにじみ出ていないのである。あったとすれば、服装のみなのだ。ただ、それも、丁寧に手入れされたものだが。ボロボロに使い古されているものではないのだ。
 しかも、その建物は昔に廃棄されたであろうという趣を全く持っておらず、明らかに最近建造されたものだと俺に伝えてくるのだ。であれば、廃棄された建物を再利用しているという説は根元から否定されてしまっているわけであった。拠点を構えることが盗賊にとってどれほど危険なことかは言うまでもない。自分たちの拠点が見つかることは、それはもう使えないことを意味する。常に旅を続けて、移動を続けて、見つからないようにしなくてはならない。であれば、自分たちで石造りの建物を作るという発想は生まれない。木組みの家か、テントか。そういうものになるのが当然だ。それは人々の歴史が証明してくれているのだ。それを裏切ることは人間には出来ないのである。
 もしかしたら、彼らに協力者がいるのかもしれないという疑問が思い浮かぶ。個人レベルだろうか、集団レベルだろうか。おそらくは後者だろうが、その後者の規模がつかめそうにはない。出直すことはしないが、出来ればそれも知っておきたいところだ。
 人間が外に出てきたりしているが、その中でも最も場違いな姿をしている者がいた。彼は甲冑を着込んでいるのである。模様が完全につぶされていて、見えはしないが、この森の中に置いて動きづらいであろう甲冑を着込んでいるというのは何か理由があるということだろう。であれば、俺の目的は彼の捕縛である。それに決める。であるならば、すぐにでも行動に移すとしよう。

「なあ……いつまでこんなところに陣地を構えるんだろうな?」
「さあな。ただ、言われたことさえこなしていればいいんだよ。この大したことがないような、大きくはない仕事が、将来の、これからの、未来のためになるって言うんだったらな。下っ端にはわかりはしない、壮大な目的が隠されていることだってあり得る。その結果として、多くの国民とか……家族とが守れればそれは大仕事へと変貌するのだからな」
「まあ、そうだけどよ……。あんまり好きじゃあないんだよな。正々堂々が全ての善だとは言わないけどさ……どうも腑に落ちはしないんだよなあ……」
「だったら、お前は考えすぎだ。思考を止めて、ただやることをやっていればいい。その先に、もしかしたら見えるものがあるかもしれないだろう?」

 それを終わりとして、警備へと戻っていく。彼らも何かしらの任務を持った人間なのだとわかる。そして、それを俺の気まぐれでもって壊滅させるのだということである。これは王国のためになるだろう。ただ、それは俺の仕事ではないのだ。暇だから、やることがないから、というようなとことん彼らをバカにしたような理由でしかない。それでもって、今まさに彼らの家族のための行っている大事を一蹴するのだ。これほどまでに、冒涜的な仕打ちはあるだろうか。ないだろうな。彼らの大志を目の前で踏みつぶすのだから。
 手近な男に近寄るとそのまま首をへし折る。息も音も何もさせず、ただ死んだという事実のみを残すのである。彼は死んだという事実すらも知ることなく死んだのであろう。自分が生きているのだと誤認したままであるのだ。あえて俺がそうしたわけだが、そのおかげか、彼は非常に安らかな顔をしている。出来ることならば、俺が殺すものはみなこのような顔をしてもらいたい。そううまくはいかないわけだが、俺の実力不足という奴であろう。俺の愛とそれを成し遂げるだけの実力。それを兼ね備えなければ彼らを真に愛して送り出すことは出来ないのだと、暗に突きつけられているわけである。
 今はただ、自分の実力のなさを噛みしめながらも、それでもやるべきことをしなくてはならない。気持ちを切り替えなければならない。そうして一人一人と音を出さずに殺していく。死体が積み上がっていくが。それをさっと森の奥深くへと捨てる。いずれ彼らは自然の巡りの中の一部となり、この世のためになることが出来る。それはなんと素晴らしいことだろうか。であるから、俺は積極的に彼らの死体を森の中へと捨てていく。誰にも気づかれることなく。
 ただ、さすがに数が減ってくると、不審さに気づいてしまうものもいるらしい。きょろきょろと周囲を見回し、人の名前を呼んでいる。俺が殺した者の中の誰かなのだろう。昨日まで他愛のないような話をしていたのだろう。もしかしたら先ほどまで。どちらにせよ、数瞬前まで顔を見ていた相手が消えてしまうというのはどれほどの恐怖なのだろうか。希望が絶望に塗りつぶされていくような感覚なのだろうか。わかりはしない。俺は身近な人間を殺されたことがないのだから。わからないことは、どれだけ思考を働かせても思い浮かぶことはないのだ。彼らには申し訳なさもわずかにありはするが。当然だが、彼の声に反応するものはいない。それを理解してしまえば、彼は震えるようにして、剣に手をかけた。すぐにでも抜けるようにと。
 だが、それではならないだろう。なにせ、俺は今彼の真上にいるのだから。ここからすぐさま首をひねって殺してしまえば、声を出すことも、剣を抜くことも何もすることは出来ずにただ無様に死をさらすことしかできない。出来る限り恐怖を与えずに殺してやりたかったが、このままでは恐怖がここいらに伝播してしまうだろう。
 俺は、今殺した死体も森へと捨てると、再び戻る。その手前から様子を伺うのだが、さすがに人が減っているということに気づいたようで、警戒態勢に移ってしまった。もっと減らしておきたかったが、これが限界であるということだろう。それだけ向こうはバカではないというわけであった。ただ、そのおかげで、彼らは人間なのだとより深く実感することが出来る。これから戦う相手は人間なのだとようやく思えるようになったわけだ。今までは、人形をちぎるかのようなものでしかなかったのだから。
 認識できる速度を超えて彼らに接近すると、首を斬り落とす。一瞬のことで気づきはしない。切れ味も鋭いから、斬られたという事実は理解できないだろう。動き出した後に、自分が死んでいることに気づくわけである。だが、そうしてしまうと、俺の存在を教えていることになるが。しかし、もういいのだ。これ以上は隠れていたとしても動きづらくなるだけなのだから、後は蹂躙の時間だろう。
 斬られた男の頭がゆっくりと滑り落ちているころと同時に、隣にいる男にも同じように剣を振る。両腕を斬り飛ばせば、もう彼に戦力としての価値はなく、そのままにしていても死ぬことは確かだろう。ただ、彼は痛みのままに叫び狂うわけではあるが。俺はそれを望んでいたりする。
 叫び声が聞こえれば、そこに集まるのが基本なわけで、警戒心もなくただひょいと顔を出したものから順々に斬り殺していく。なんてことはない。ただ人が死ぬという事実がそこら辺に転がっている。斬り殺したと、殺してしまったと、そんな罪悪はどこかへと消え去ってしまった。今まさに、俺は俺の意思で、俺のただ一人よがりな思いのみで、彼らを殺しつくしている。俺は彼らから危害を加えられていないのだから、そんなことをしてもいいのかと思うこともあるだろう。だが、俺はない。
 もし、何か思いがあるとすれば、彼らを愛そうというそれだけでしかなかった。ただ彼らを愛し続け、愛す中にあの世へと送り届けてやろうという思いのみであった。死ぬときに恨まれていては悲しいだろう。愛によって死にたいだろう。俺はその願いをかなえてやろうという話である。慈悲なのか。慈悲だろうか。俺の偽善かもしれない。だが、それをしている間は、俺はまるで天使であるかのような高潔な精神を感じるわけである。それがたまらなく好きで、美しくて、逃れられないのである。
 人の気配はまだ感じる。そちらへと速足で向かう。そこにはこちらに背を向けている人の姿が。逃げている。明らかに全力で俺から走って離れようとしているのである。だが、あの足では俺から逃げることは出来ない。すぐにでも追いついてしまう。
 そして、すぐそばにまで追いついてしまった。とりあえず逃げられないようにこの場の者の足を斬る。スパンと綺麗に切れ目が出来る。切断できた。片足では逃げれまい。どたりと倒れてしまうのだ。その中にも甲冑の男がいたが、関係ないというように斬り落とせたのだから問題はない。あとで剣をしっかりと手入れしてやらないと、使い物にならないかもしれないが。

「た、助けて……もうしない! もうしないから! もう盗賊から足を洗う! この件からは完全に関わらないようにする! だから、あたしたちを……あたしだけでもいい! 見逃しておくれ! 生き残れるのなら、なんだって好きにしてもらったっていい! あたしの体を犯されたってかまわない! だから、殺さないでくれ……! 死にたくないんだ……!」

 この盗賊の中で唯一の女がいた。彼女は涙ぐんで命乞いをしている。俺はそれをただじっと見ていた。他の男はみながみなこの女のことを失望したような、それでいて恨みがましいような目で見ている。確かに、女は体という武器でもって生き残れるかもしれない。男でそうはない。微塵もない。惨めに死ぬしかない。それを比べてしまえば、彼らのその視線もわからないでもない。
 俺はにこりと笑う。笑みを浮かべるのである。彼女たちが持っている怯えであったり恐怖であったりを消すかのように、優しく微笑みかける。それを見た彼女は自分がもうすぐ救われるのかと思って、涙を流しながらも表情を明るく見せている。とても、美しい笑顔である。このような顔は人生でそうそう作ることは出来まい。真に迫った顔なのだと理解できる。
 であれば、この表情をいっぺんも崩さぬままに殺してしまわねばならぬだろう。それが俺の出来る最大限の愛であった。それが出来ないのならば、俺には愛がないというのとほぼ同義なのだから。
 綺麗に吹き飛んだその顔は綺麗な笑みを浮かべたままであった。なんと美しいことだろうか。もう二度とお目にかかれないかもしれない。出来ることならば、飾っておきたいほどだ。それが出来ないことが悔やまれる。
 彼らは、途端に青ざめた顔をしている。もしかしたら生き残れる可能性をわずかにでも残していた人があまりにもあっけなく死んでしまったということに恐怖しているのである。失禁すらしているほどだ。ただ、彼らの顔はこれから死にに行くのはあまりにふさわしくない。であれば、均衡を取るためにも、俺は愛し、笑顔を向けるべきであろう。ゆっくりと、頬を緩ませていくのであった。

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